「オウム真理教」の最高幹部の1人でマスコミに取り囲まれる中で突然刺殺された村井秀夫が話題です。
ここでは村井秀夫の生い立ち、嫁や子供、村井秀夫刺殺事件やなぜ殺されたのかの真相、検死での死因や犯人の在日韓国人で暴力団関係者の徐裕行などについてまとめてみました。
この記事の目次
村井秀夫(オウム真理教幹部)とは
村井秀夫は、国内最大のテロ事件「地下鉄サリン事件」を起こしたカルト宗教団体「オウム真理教」の幹部だった男です。
「オウム真理教」には省庁制があり、村井秀夫は「科学技術省」の大臣を務めるトップでした。村井はIQ180とも言われる天才だったとされ、「地下鉄サリン事件」で使われた「サリン」をはじめとする「ボツリヌス菌」や「ホスゲン」などを用いた毒ガス兵器の製造計画に関わりました。
さらに、村井秀夫は毒ガス兵器の他にも、プラズマ兵器やレーザー兵器、自動小銃、さらには核兵器の製造までもを麾下の「科学技術省」の人員に向けて指示していたとされます。
また、村井秀夫は「オウム真理教」全体で見ても、教祖の麻原彰晃の意志を信者に伝える役割を果たし、麻原彰晃に次ぐ教団内ナンバー2の立場にあったと言われています。
村井秀夫の生い立ち① 小学生〜中学生時代
村井秀夫の生い立ちについても見ていきます。
村井秀夫は1958年12月5日に大阪府吹田市で誕生しました。幼少期の村井秀夫は穏やかで優しい性格でいつもニコニコしている子供でした。
子供時代の将来の夢は「動物園の飼育員」で、熱帯魚や小鳥を飼っており、熱帯魚が死んでしまった時には今にも泣き出しそうな顔でふさぎ込んでしまった事もあったようです。
またSFに興味を示し、特にアメリカのSFドラマ「スタートレック」シリーズの大ファンで、同作のキャラクター「ミスター・スポック」が大好きな少年でした。
小学校を卒業した村井秀夫は、「吹田市立青山台中学校」へと進学。中学生時代の村井秀夫は、友人の兄がトラックに飛び込んで自殺する衝撃的な光景を目にしています。
3年生の時には、学校で大きなクモが出て、それを同級生らが取り囲んで足で踏み潰したりしてはしゃいでいるのを、1人だけ輪に入らずに黙ってじっと見ていました。当時の同級生は村井秀夫を「とにかく大人しく、虫も殺さないタイプ」だったと振り返っています。
村井秀夫の生い立ち② 高校生時代
中学校を卒業した村井秀夫は「大阪府立千里高等学校」へと進学しています。
高校生時代の同級生によると、村井秀夫はとても真面目な生徒で自由な校風で私服通学が認められている中、いつも制服をきちんと着ており、学年でただ1人「無遅刻無欠席」を達成して表彰されたりもしたそうです。
また、勉強の成績は極めて優秀で、試験の成績トップ、特に理数系は強く、数学Ⅲの教師すら解法を悩む難問を、「こうすれば解けますよ」と黒板にスラスラと数式を書いて解説して見せた事もあったと、別の高校時代の同級生が振り返っています。
村井秀夫は、勉強ができるからといって決して偉ぶらない事から同級生や教師達からのウケも良く、担任教師の1人は妻に「教え子に凄いのがいるんだ」と誇らしげに話していたのだとか。
村井秀夫の生い立ち③ 大学時代
高校を卒業した村井秀夫は「大阪大学理学部物理学科」へと進学しています。高校時代の教師は村井秀夫に京大受験を勧めましたが、「歩いて通えるから」と言う理由で村井は大阪大学を受験しトップ合格しています。
大学に行っても村井秀夫は学力トップで、周囲に勉強を丁寧に教える事も多かったそうです。性格はとても温厚で「お釈迦様」というニックネームで呼ばれていたそうです。
村井秀夫は様々な分野に興味を持ち、ハマるとひたすらのめり込むタイプだったようで、大学のサークルは「天文同好会」に入り、昼休みには、当時流行っていた「紅茶キノコ」の研究に没頭していたようです。
村井秀夫の生い立ち④ 大学院を経て就職
大学卒業後、村井秀夫は現役で「大阪大学大学院理学研究科修士課程」へと進み、宇宙物理を専攻して天体のX線放射の研究に没頭しています。当時の指導者は、村井秀夫を高く評価しており、「コンピューターのソフトウェア作りに天才的な素質を持っていた」と評しています。
村井秀夫はこの頃に、インド宗教に興味を持ち始めヨーガや仙人を会得したいと周囲によく話していたようです。
1977年、村井秀夫は「大阪大学大学院理学研究科修士課程」を修了し、理学修士の学位を授与されています。
大学院卒業後は「神戸鉄鋼」に研究者として就職し、「超塑性鍛造」の研究に携わりました。同社内でも村井秀夫の評判はすこぶる良く、「仕事を教えるとすぐに覚える、本当に新入社員かと思うほどの切れ者」と高く評価されています。
村井秀夫の生い立ち⑤ 嫁・森脇佳子と出会い結婚
村井秀夫は「神戸鉄鋼」で働き始めてからしばらくして、同期入社だった6歳年下の森脇佳子と交際し始めています。
後に村井秀夫の嫁となる森脇佳子は、神戸市内の進学校を卒業した才女でしたが、諸事情により大学進学を断念し「神戸鉄鋼」に就職しました。高校時代の同級生によると、森脇佳子も傷ついた鳩を手当てしてあげるような優しい女性だったようで、村井秀夫の性格ともよく似ている印象を受けます。
1985年4月に村井秀夫と森脇佳子は結婚、プロポーズは村井秀夫の方からで「君のうんこでも食べるから結婚してくれ」という大胆なものだったそうです。
結婚式は、嫁の森脇佳子の「ヒマラヤ山脈が見たい」との要望から、ネパールのカトマンズで挙げています。2人はそのまま会社の寮で新婚生活をスタートさせています。
村井秀夫の生い立ち⑥ 嫁と共にオウム神仙の会に入会
嫁の森脇佳子と結婚し、仕事上の評価も高く順風満帆な人生を送っているかに見えた村井秀夫でしたが、この頃から様子がおかしくなり始めたようです。
村井秀夫は周囲に、超能力などの目に見えない力の存在や「解脱」という言葉を漏らすようになり、ヨーガや気功法などの修行を嫁の森脇佳子と共に毎朝欠かさずに行うなどの行動も見せ始めています。
そして、ヨーガの本を探すために通っていた本屋で村井秀夫はオウム真理教の教祖・麻原彰晃の著作「生死を超える」、「超能力秘密の開発法」という2冊の本に出会います。
村井秀夫はこの2冊の本に衝撃を受け「自分の求めていたものはここにある」と確信すると、すぐに「オウム神仙の会・大阪支部」のセミナーに参加。そのセミナーに参加した翌日、村井秀夫はすぐに会社に辞表を提出し、1986年5月、嫁の森脇佳子と2人で「オウム神仙の会(後のオウム心理教)」に入信したのです。
その後、村井秀夫は「オウム真理教」の最高幹部の1人となり教団内の「科学技術省」のトップとして、毒ガス兵器や化学兵器の研究に没頭。村井秀夫は麻原彰晃からの荒唐無稽な要求に全て「はい出来ます」と即答し、次々と役に立たない失敗作を作り続けましたが、麻原彰晃は自分の妄想を全て肯定して実現させようとする村井秀夫を評価し何億円もの予算を与え続けました。
そして村井秀夫は、「男性信者殺害事件」、「坂本弁護士一家殺害事件」、「地下鉄サリン事件」など、オウム真理教の起こした重大事件のほぼ全てに深く関与したとされます。
しかし、村井秀夫はその一連の事件について何も語らぬまま1995年4月23日、東京都港区にあった教団の総本部の前で、突如現れた男に刺殺され36歳の生涯を終えました。
村井秀夫には2人の子供(隠し子)がいるとの噂も
村井秀夫には、嫁の森脇佳子とはオウム真理教に入信した直後に教団の戒律に従って離婚しており、2人の間には子供はいません。
しかし、村井秀夫には隠し子が2人いるとの衝撃の内容を週刊誌「サンデー毎日」1995年の38号が報じています。
「サンデー毎日」によれば、取材をしたオウム真理教の音楽部門の幹部だった女性信者の1人が「私の子供たちの父親は村井秀夫さんです」と衝撃の告白をしたという事でした。
この女性は1995年当時24歳で、村井秀夫よりも12歳年下、嫁の森脇佳子よりも6歳年下でした。
この女性信者によれば、村井秀夫の子供は1993年8月と1995年3月に誕生しており、2人とも男の子だったようです。
村井秀夫はこの子供の存在を知っていたが、正式な結婚ではなかったので出生届は出さず、この女性は村井秀夫の死後にようやく出生届を出したという事です。この2人の子供の現在については不明です。
村井秀夫刺殺事件の犯人は暴力団員・徐裕行
村井秀夫は、「地下鉄サリン事件」から約一月後の1995年4月23日、東京都港区南青山のオウム真理教教団総本部前で、マスコミに取り囲まれ注目される中で、突然現れた男に刺殺されました。
村井秀夫刺殺事件の犯人は徐裕行(ソ・ユヘン じょひろゆき)という在日韓国人の男で、その場で逮捕されています。
この犯人・徐裕行は、警察の取り調べに山口組系の右翼団体「神州士衛館」の構成員と名乗りますが、実際にはこの右翼団体は政治活動は行っておらず、犯人・徐裕行はその右翼団体の上部組織である山口組系の暴力団「羽根組(現在は解散)」の構成員でした。
犯人・徐裕行は村井秀夫刺殺の動機について「義憤に駆られた」と語りますが、その後の取り調べで「羽根組」の若頭の指示で犯行を行ったと供述を変えています。
その後の裁判で犯人・徐裕行には懲役12年の判決が下されて旭川刑務所に服役、2007年に満期出所しています。
村井秀夫の検死結果や死因
村井秀夫は検死の結果、致命傷は右わき腹に受けた深さ13cmの刺し傷とされ、死因は、出血性ショックによって起きた「急性循環不全」と発表されています。
村井秀夫はなぜ殺されたのか?その真相とは
村井秀夫を刺殺した犯人・徐裕行は「義憤のためにやった」「所属していた暴力団の若頭に言われてやった」などと供述していましたが、村井秀夫がなぜ殺されたのかについてははっきりせず、陰謀論など様々な説が囁かれています。
村井秀夫はなぜ殺されたのか① オウム真理教内部の口封じ説
村井秀夫は麻原彰晃の右腕的立場にあり、教団内部の事情を知りすぎていました。そのためオウム真理教内部による口封じ説が存在します。
村井秀夫は救急搬送される際に、「ユダ、ユダ」と繰り返していたとされます。「ユダ」は裏切り者の象徴として使われますが、これが教団内に裏切り者に殺害された事を意味しているのではないかとする見方があります。
村井は瀕死の状態で病院に搬送される際、「誰にやられたんだ」という救急隊員の質問に対し、「ユダ、ユダ」と繰り返し答えたという。ユダといえば、キリスト教ではイエスを裏切ったとされる人物だ。はたして教団内にユダはいたのか。村井はなぜ殺されたのか。
村井秀夫はなぜ殺されたのか② 暴力団や北朝鮮の陰謀説
村井秀夫が殺害されたのは、オウム真理教との関係が表に出る事を恐れた、暴力団や北朝鮮による暗殺であるとする説もあります。
暴力団とオウムの関係については、村井秀夫が世話役として山口組系の不動産会社と土地取引をしていたという情報が出ています。
また、北朝鮮の陰謀説については、犯人の徐裕行と北朝鮮との関わりが指摘されており、徐裕行は警察官や検事から何度も繰り返し「北朝鮮に行ったことがあるか?」という質問されたといいます。
ただ、何らかの重要な秘密があったとして、村井秀夫1人だけが握っている重大な秘密とは一体何なのでしょうか?
まとめ
今回は、「オウム真理教」の最高幹部の1人で1995年にマスコミが取り囲む中で突然刺殺された村井秀夫についてまとめてみました。
村井秀夫は学生時代は非常に優しく穏やかな性格で勉強も優秀な人物で、周囲からも高い評価を得ていました。しかし、「オウム真理教」に入信してからは毒ガス兵器や化学兵器の製造に関わり、オウム真理教の起こした数々の凶悪事件に深く関わっていました。
そして、「地下鉄サリン事件」が起きてからわずか1ヶ月後、オウム真理教への疑惑が社会から注がれる中で、在日韓国人の暴力団構成員・徐裕行によって殺害されその生涯を閉じました。
村井秀夫がなぜ殺されたのかについてはいまだに謎が多く、現在も陰謀論を含め様々な説が囁かれています。