ぜんじろうさんは、かつて関西地方で一世を風靡したピン芸人です。しかしいつの頃からかテレビから干されてしまい、現在は他のところに活動の場をうつしているようです。
ここでは、ぜんじろうさんの家族情報や結婚の噂、干された理由や性格、現在の活動、そして2019年4月に起きた爆笑問題・太田光さんとのバトル騒動についてまとめています。
この記事の目次
ぜんじろうのプロフィール
芸名:ぜんじろう
本名:金谷善二郎(かなたにぜんじろう)
出身地:兵庫県姫路市
生年月日:1968年1月30日
出身高校:兵庫県立姫路南高等学校
学歴:大阪芸術大学芸術学部環境計画学科中退
身長:170cm
血液型:B型
デビュー:1987年
所属事務所:吉本興業
ぜんじろうさんは、若い頃に偶然2度会った上岡龍太郎さんに弟子入りし、芸人の道へと入りました。
ぜんじろう、上岡龍太郎の弟子で元々コンビを組んでいた
1988年「かなめ・ぜんじろう」を結成。
ぜんじろうさんは上岡龍太郎さんの元で修行を経てから、吉本興業入りし、月亭かなめと漫才コンビ「かなめ・ぜんじろう」を組みました。
コンビ時代の1989年には「第10回ABCお笑いグランプリ」で最優秀新人賞を獲得した他、いくつかのお笑いコンクールでもその存在感を発揮し、当時の若手コンビ芸人のなかでもひときわ将来を有望視されていました。
しかしながら、コンビはブレークの重圧に耐えられなかった月亭かなめさんが心身疲労してしまい、解散。以降、ぜんじろうさんはピン芸人の道へと進むこととなります。
コンビ時代には事務所からも将来を期待されていたぜんじろうさんですが、ピン芸人になってからはその独特でやや過激なキャラクターや性格が災いし周囲からの評判を落とすと、一転冷遇されるように。また同時期に吉本印天然素材の発案者(しねしね団)であるにも関わらず、事務所の考案した方向性に意義を唱え、結局メンバーから外されるという事態を招いてしまいました。
「テレビのツボ」で関西圏の人気者に、そして東京進出失敗…。
ぜんじろうさんは1992年から始まった関西ローカルの深夜情報バラエティ「テレビのツボ」の司会を務めるようになると、人気が爆発しました。
「テレビのツボ」成功後には、平日夕方に放送される「屋台の目ぇ」という情報番組も持つようになり、関西ローカルでありながらも「夕方と深夜にテレビ出演するタレント」となり、関西圏では抜群の知名度を誇りました。当時すでに大物であった紳助さんからの信頼も厚く、わざわざ番組に呼ばれたほどだとか。
こういった関西での成功を背景に、ぜんじろうさんは「平成の明石家さんま」という触れ込みで東京進出を1995年頃から行うことになります。ただこれが完全に裏目に出てしまい、東京進出は失敗に終わりました。
東京進出失敗後、海外やネットでの活動をメインに…。
ぜんじろうさんは、その後に海外やネットなどに活動の場をうつしています。
ぜんじろうは結婚してる?…局アナの嫁との間に子供がいる噂も
ぜんじろうさんは結婚していて嫁と子供がいるという噂が以前から流れています。
しかし、ネット情報で見る「地方局の局アナと結婚」といった話などがありましたが、事実ではありません。
ぜんじろうさんの2017年のツイートによると、まだ結婚しておらず、子供もいないようですね。
一線超えない不倫がしたい。そのために、独身なんで、結婚しないと。。
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2017年8月10日
また、その後もぜんじろうさんは結婚していませんから、現在も独身ということになります。
ぜんじろうが干された理由…東京進出の失敗と性格の悪さが原因?
ぜんじろう、「平成の明石家さんま」とゴリ推しされていた
ぜんじろうさんの全盛期は多くのテレビ番組に出演し、「平成の明石家さんま」として事務所の強力な推しもありました。しかし現在はほとんどテレビ出演がなく、まさに”消えた・干された”状態になっています。
ぜんじろう、消えた理由は東京進出失敗だった?
一般的には「売れて天狗になった芸人」としても語られるぜんじろうさんですが、その消えた理由の一つには、東京進出失敗が大きく関わっています。
ぜんじろうさん自身は、消えた理由として東京において「(自分に)求められていることが出来なかった」と潔く分析。
ぜんじろうは「(明石家)さんまさんほどあんなに才能もないですし、ダウンタウンさんほど笑いもないですし、上岡ほど知的でもないから」と当時を振り返った。そして、自身の芸風を「マニアック」と分析した上で「求めていただいていることが出来なかった、という僕の才能の(問題は)ありますね」と露出を減らした原因を語った。
Wikipediaでは裏事情としてマネージャーが新人であったことや、東京と関西でのぜんじろうさんのキャラクターの受け入れ方の違いがあったとあります。
当時のぜんじろうには「あかん。仕事がうまくいかへん」という自覚が強くあったが、東京吉本に移籍してきて結果を出したい焦りと、自分についたマネージャーが新人だったという事もあり、自分に来た仕事を全て受けてしまった。 関西のぜんじろうは「気さく、明るく、よく喋る、親近感のあるお兄ちゃんキャラ」だが、これが東京では「馴れ馴れしい、はしゃぎすぎ、うるさい人」という低評価になり、ぜんじろう自身、東京に対するアウェー感も拭えず、空回りを続けた。
ぜんじろうさんのTwitterを見てみると、消えた理由とイコールではないかもしれませんが、”日本のテレビ”に対する彼の主張がツイートされています。
上岡曰く「仲良い人とぬくぬくやるからつまらない。嫌いだったり、やりにくい相手やなと思う人こそ一緒にやっていきなさい。火花の散る相手こそ一緒にやりなさい。そこに面白さがある」昔よく聞かされてきました。今テレビは制作の言う事聞く都合いいの集めて仲良いメンバーでぬくぬくやってますよね
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2018年1月6日
日本のピン芸人は、そもそも人付き合いが苦手だから『ピン』なんです。R-1で勝ち上がっても、結局、芸能界で、また苦手な『人付き合い』を求められ、むかずに売れない。だったらピン同士協力して、テレビに出なくとも売れるシステムを作ればいいのですが、そこは誰も協力しあわないんですよね。
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2018年2月3日
『お笑い』と言う言葉は、日本の『テレビ』の中で、芸人がやってるジャンルですね。『喜劇』や『コメディ』といったユーモアが入った作品作りを、内向きに作ってる『お笑い』を気にせず、がんばって作っていただきたいですね。
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2018年1月31日
またぜんじろうさん的に、現在も”あの頃と同等以上に輝いている”とツイート。
さっきUstで「またあの頃みたいにテレビ出て活躍してください」と言われる。よく言われるんですが、僕は、ずーっと自分では、光を放って、あの頃も、また「今」も「更に」輝いてやってます。「またあの頃みたいに」って言われる「イメージ」を超えれるくらいに、輝けるようそこは格闘しないと。
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2016年9月3日
ぜんじろう、性格が悪くナインティナインをいじめていた噂も
視聴者が感じた干された理由は?
ネットでは性格の悪さが消えた理由ととらえる人もいるようです。また、ナインティナインやほっしゃんをいじめていたとも噂されているようです。
7 :なんてったって名無しさん:2007/01/14(日)
こいつは腕はあるけどスタッフや周りから嫌われ干されたタレント 上岡が芸能界引退したのが痛かったな
48 :なんてったって名無しさん:2007/01/15(月)
ぜんじろうは他のタレントに比べて恵まれていて
チャンスはたくさんあった。ただスキルや空気読む力が
恐ろしくなくて、どんなに擁護しても克服できない痛さがあった
それで使い物にならないのでお呼びがかからない。
顔は広いしやる気もあるのにテレビに出れないのは才能がないから。
21: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)性格相当悪そうだからな
わざとそうしてたかもしれないけど
45: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)>>21
昔、オールナイトニッポンでナイティナインが 「僕ら、ぜんじろうさんにイジメられてた」と言ってたよね。
矢部が「ほっしゃんはバラの花束でしばかれてた」とも言ってた。224: 名無しさん@おーぷん 2014/11/28(金)陣内がやってるようなことやってたのにな
時代を先取りしすぎた
ぜんじろうの現在…爆笑問題・太田光の「呼び捨て問題」で再注目される
ぜんじろう、太田光の呼び捨て問題と騒動の流れ
めんどくさいふたりがバトル!
2019年4月、ぜんじろうさんと爆笑問題・太田光さんのバトルが話題です。ふたりのバトルを簡潔にまとめると以下の通りです。
7日:太田がサンデージャポンでピエール瀧に関連し「ぜんじろうは相変わらず厄介」と発言。その後、ぜんじろうがTwitterで「海外での呼び捨てには慣れているのに日本の後輩の太田くんにぜんじろう呼ばわりされると不思議とイラっとする」という旨ツイート。
9日:太田がラジオで「いつから俺の先輩になった!三流芸人が!日本で売れなくて海外に行ったんだろ!2度とお前のことはくちにしない!」等と罵る。14日:太田がサンジャポで「ラジオに呼ぶから、事務所と相談していろ!」とし、直接対決の構図が浮上。
その間、ぜんじろうさんはTwitterで太田さんを煽るような言動を繰り返す。
しかし予想外に長引いて、発端の太田は疲弊。
この騒動は、太田さんを後輩だと考えているぜんじろうさんが呼び捨てされイラっとしたのをきっかけに勃発しました。
ぜんじろうと太田光はどっちが先輩か検証
上下関係にうるさい吉本の芸人?
騒動の発端は、ぜんじろうさんと太田光さんのどちらが先輩後輩かというところです。
・ぜんじろうさんのデビュー年:1987年/生年月日:1968年1月30日
・太田光さんのデビュー年:1988年/生年月日:1965年5月13日
これを見ると、太田光さんの方が年は上だけれど、デビューはぜんじろうさんの方が早いです。まず芸歴は、捉え方の違いがあるといいます。
芸人としての先輩・後輩をどのように定義付けするかの価値観が、事務所や芸人によって異なるという事実があります。基本的には芸人同士では“芸歴”を基準に先輩・後輩を決め、芸能界でプロの芸人として活動した年数で考えることが多く、この“芸歴”基準であれば、わずか1~2年ほどぜんじろうが先輩ということになります。
ぜんじろうの所属する吉本興業では半年でも早く業界入りしていれば、はっきりと先輩・後輩を分ける慣習がありますが、お笑いの世界に住んでいるのは吉本の芸人だけではなく、様々な価値観があります。たとえば多少の芸歴の差よりも、全国区での知名度や社会的立場を優先する考えもありますし、どれだけの高視聴率番組でMCを任されてきたかなど、現在の活躍の度合や人気・実力をパロメーターにするケースもあります
太田光さんは、ラジオ番組でかつてぜんじろうさんが自身を”兄さん”と読んでいたと主張。
太田は先週の『カーボーイ』で「お前、いつから先輩になったんだ。オレとお前の関係を、オレは忘れてないからな。当時『兄さん』って呼んでいたからな。別に『太田』と言おうがどうでもいいけど、大切な思い出をアイツは忘れているんだっていうことがショックだった」と反論した。
周囲では、「ぜんじろうさんが先輩」という見方が多いようですが…。
爆笑問題・太田光とぜんじろうの先輩後輩問題に岡村隆史が言及 「太田が間違ってる」
僕は、芸人同士のプロレス的なの下手で、だからテレビとかからはじき出されて海外に出たんですけど、きちんとした大人同士でじっくりしたトークの決闘したいです。でも、それまでには飽きられてますかね〜?
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2019年4月17日
ぜんじろうと太田光のバトルに「どっちも厄介」の声
ネットの反応は、正直どうでもいいバトルと思う人が多いようです。
3. 匿名 2019/04/17(水) 22:28:37 [通報]
どっちも厄介。
4. 匿名 2019/04/17(水) 22:28:38 [通報]
ジジイどもはプライベートでやれよ。公共の電波やらSNSでやるなよこのオタンコナス
11. 匿名 2019/04/17(水) 22:30:42 [通報]
トークを芸場で出来ない時点であかんやん
12. 匿名 2019/04/17(水) 22:30:48 [通報]
太田はもう終わりにしようって言ってるのに、まだTwitterで引き延ばしてるんでしょ? 実際、終わりにした方がこのぜんじろうって人の為だと思うけど…
ぜんじろう、太田光と爆問のラジオで直接対決が実現
意外と気が合う2人?
爆笑問題カーボーイ「神回」と話題に
2019年4月23日深夜、爆笑問題のラジオでぜんじろうさんと太田光さんの直接対決が実現。「神回」とリスナーの間で話題となりました。
23日深夜に放送されたTBSラジオ「JUNK 爆笑問題カーボーイ」(火曜・深夜1時)が、ツイッター上などで評判を呼んでいる。この日は、太田光(53)と“呼び捨て問題”で対立し、ラジオ番組に乗り込む決意を示していたタレントのぜんじろう(51)が“直接対決”した。
番組を聴いた落語家の立川志らく(55)は「ぜんじろう氏と太田氏のラジオでのバトル、素晴らしかった。芸人の美しさを見た。芸能に愛のある人は楽しめたと思う。ぜんじろう氏は思い出を忘れていなかった、どころか隅々まで覚えていて爆笑問題をリスペクトしていた事が伝わってきた。太田氏は毒づきながらぜんじろう氏を悪者にしなかった」と絶賛。太田光の妻で所属事務所社長の太田光代氏も「面白かった」「楽しかった」と興奮をつづった。
バトルを期待されていたみなさま、申し訳ありませんでした。自分であたらめて聞いて、こら!もっとぜんじろうキレろや!ってむしろ自分で思う。。『ツイッターやめろ!』『(笑)を使うな!』って太田くんに言われましたが、あほか!使うっちゅうねん(笑)ツイッターやりまくるっちゅうねん(笑) pic.twitter.com/vMvNu6aYGw
— ぜんじろう (@zenzenjiro) April 23, 2019
ぜんじろうは現在、スタンダップコメディアンとして活躍していた
スタンダップコメディアン
ぜんじろうさんの現在は、海外やネットを中心に活動しているようです。
日本だけではなく海外でも活動するぜんじろうさん。彼は、1990年代後半の東京進出が失敗に終わったあと、一時期海外(アメリカ・シカゴ)に拠点を置きましたが、2001年頃に帰国。以降、日本国内外で活動を続けています。
時には映画出演(2000年に「PP兄弟」でスティーブン・セガールの実子である剣太郎・セガールと漫才コンビ役)したり、2006年頃からはロボットと漫才をくんだり、R−1やM−1に出場したりといろいろな活動をしていますが、そのなかで特筆すべきはスタンダップコメディアンとしてのものでしょう。
これまでに20ヵ国以上で芸を披露し、いくつかの海外大会では賞を受賞するなどしています。
2015年 第1回 世界お笑い大会 in タイ 優勝
2016年 第1回 中国国際お笑い大会 ファイナリスト
2016年 第1回 アメリカLaugh factory主催 世界コメディ大会日本代表
また、海外と日本の違いを語る場面ではぜんじろうさんの言葉がネットニュースで取り上げられるなどしています。
・ガキ使「黒塗りメーク」騒動、海外で活躍の芸人はどう見たか ぜんじろうさんに聞いた
・ピエール瀧被告批判の東国原英夫氏 ぜんじろう反論で25000いいね
・ぜんじろう、日本と欧州の芸能人への視線の違いを明かす「欧州はまず敬意。この国は知らないと見下す」
便乗して宣伝を。ぜんじろうさんは一流のスタンダップコメディアンだが素敵な役者でもある。彼が出演する5月29日初日の下町ダニーローズ「不幸の正義の味方」是非ご覧下さい。役者としては全然厄介な奴じゃないです。志らくの方が厄介な奴です。
— 志らく (@shiraku666) April 24, 2019
ぜんじろうについてまとめると…
・ぜんじろうが干された理由は東京進出の失敗と、性格の悪さが原因と噂されている
・ぜんじろうは現在まで結婚歴はなく子供もいない
・ぜんじろうは現在、スタンダップコメディアンとして海外でも活躍している
ぜんじろうさんの家族情報や干された理由、現在の活動、そして太田光さんとの騒動をまとめました。
爆笑問題の太田光さんとの騒動で再び脚光を浴びたぜんじろうさん。現在は海外やネットなどに活躍の場を移しているので、とりわけ若い世代には馴染がうすいかもしれませんが、1990年代の関西圏では抜群の知名度を誇った芸人さんです。
ただ太田光さんとの騒動の経緯や干された理由などをてみると、良い意味でも悪い意味でもクセが強い芸人さんですね。