「江美早苗殺人事件」の犯人・屋代昭彦ですが、人気タレントで作詞家でもあった江美早苗さんとの関係や動機も話題です。
今回は屋代昭彦や江美早苗さんのプロフィールや顔画像、嫁や子供、結婚と離婚、事件の経緯や現在も紹介します。
この記事の目次
- 屋代昭彦のプロフィールや経歴 【顔写真も紹介】
- 屋代昭彦に殺害された被害者・江美早苗の経歴
- 屋代昭彦に殺害された被害者・江美早苗が所属していた西野バレエ団とは?
- 屋代昭彦と江美早苗の関係① ソロデビューをきっかけに不倫が始まる
- 屋代昭彦と江美早苗の関係② 屋代昭彦の嫁が夫の不倫を苦に自殺
- 屋代昭彦と江美早苗の関係③ 再上京した江美早苗と同棲をスタート
- 屋代昭彦と江美早苗の関係④ 江美早苗の親の反対を押し切って結婚
- 屋代昭彦と江美早苗の関係⑤ 離婚の原因
- 屋代昭彦が起こした「江美早苗殺人事件」の詳細① 離婚後にストーカー化
- 屋代昭彦が起こした「江美早苗殺人事件」の詳細② 1988年3月に江美早苗を殺害
- 屋代昭彦が起こした「江美早苗殺人事件」の詳細③ マンション屋上に逃走するも投降
- 屋代昭彦が起こした「江美早苗殺人事件」の詳細④ 犯行動機
- 屋代昭彦の現在:実刑判決・服役後、出所している
- 屋代昭彦の子供の現在
- 屋代昭彦が起こした「江美早苗殺人事件」の現場の現在
- 屋代昭彦のまとめ
屋代昭彦のプロフィールや経歴 【顔写真も紹介】
屋代昭彦(やしろ あきひこ)
年齢:50歳(1988年3月時点)
屋代昭彦は「江美早苗殺人事件」の犯人です。
昭和時代に起きた事件の犯人ということもあり、詳しい経歴などは分かっていません。
ただし、1960年代後半頃に、当時のメジャーレーベルの一角であった「フィリップス・レコード」のディレクターをしていたことは判明しています。
・あみん
・尾崎紀世彦
・大橋純子
・柏原芳恵
・キャロル
・ザ・スパイダース
・フィンガー5
・布施明
昭和の時代のレコード会社は、大ヒット曲のおかげでビルや社屋が建つといった景気の良い話題も多い業界でした。
そのため、ディレクターだった屋代昭彦も会社の経費で豪遊できた立場だったことは想像に容易で、全盛期は羽振りの良い生活を送っていたと思われます。
屋代昭彦に殺害された被害者・江美早苗の経歴
実家は島根の老舗旅館のお嬢様
江美早苗(えみ さなえ)
生年月日:1951年3月15日
出身地:島根県松江市
「江美早苗殺人事件」の被害者である江美早苗さんは、本名は「神田恵美」といいます。
実家は島根県松江市の老舗旅館で、4人兄弟の末っ子だった江美早苗さんは6歳の頃からバレエを習い始めたそうで、かなりのお嬢様育ちと言えるでしょう。
また、7歳の時には興行色の強かった「西野バレエ団」に入団していますから、幼少期から芸能志望だったのかもしれません。
とはいえ、両親の方針もあったのか、当時は芸能方面に全振りはしておらず、地元の公立中学校を卒業後、県立松江北高校に入学。
なお、松江北高校は理数科の偏差値が県下No.1(偏差値69)を誇るハイレベル高校ですが、江美早苗さんが入学した頃は、まだ普通科(偏差値58)のみの設置でした。
しかしながら、松江北高校は島根県で最も古い歴史を持つ公立高校であり、旧ナンバースクールの一角であるため、戦前から名門校だったことは間違いありません。
そのため、歴代OBには総理大臣や大物財界人などが多くいます。
・若槻禮次郎(政治家。元総理大臣)
・竹下登(政治家。元総理大臣)
・足立正(王子製紙元社長、TBSHD元会長)
・芦田昭充(商船三井元会長)
・井原勝美(ソニーフィナンシャルグループ元会長)
高校を中退して芸能界へ
せっかく名門校に入学した江美早苗さんですが、勉強よりも芸能界への憧れが勝ってしまったようで、両親の反対を押し切って高校を中退し、上京します。
そして、西野バレエ団の活動に専念していたところ、「5人娘」と呼ばれる西野バレエ団のエース格へと成長。
その後、16歳の若さでダンスグループ「レ・ガールズ」のメンバーに抜擢され、芸能界の表舞台に躍り出ることになります。
・江美早苗
・由美かおる
・奈美悦子
・金井克子
・原田糸子
1967 レ・ガールズ
— 和丸号 (大塚和之) (@kazumarugou) December 31, 2022
西野バレエ団の生え抜きエリートで
構成されたダンシングチーム
アイドルグループの草分け的な存在
全員誰かわかるかな? pic.twitter.com/uB0vTInWjD
レ・ガールズとして大活躍
「レ・ガールズ」の一員として活動を開始した江美早苗さん。1967年8月になると、音楽バラエティ番組「レ・ガールズ」もスタートします。
アイドルグループの草分け的存在と言われるだけあり、女優業にも進出した「レ・ガールズ」は、短い活動期間中にいくつかのドラマや映画に出演。
・ドラマ「フラワーアクション009ノ1」(1969年)
・映画「ミニミニ突撃隊」(1968年)
・映画「初恋宣言」(1968年)
なんかYouTubeのおすすめに出てきたから見てみたらクソ面白かった
— そらつち (@washinishiwas) November 22, 2022
他人の関係の金井克子いてびっくり
あと若い頃の奈美悦子が綺麗#009ノ1 pic.twitter.com/KzzDUBsDBK
新婚さんいらっしゃいの初代司会者としても活躍
「レ・ガールズ」として目覚ましい活躍をしていた江美早苗さんは、1968年にはソロ歌手としてデビュー。
また、19歳の若さで「新婚さんいらっしゃい!」の初代司会者に抜擢されるなど、ソロでの活動が目立ち始めます。
『新婚さんいらっしゃい!』の歴史①
— Hopegenki (@Hopegenki1) March 5, 2022
1971年1月31日、『新婚さんいらっしゃい!』放送開始。
開始当初の司会は桂三枝ではなく、当時笑福亭仁鶴に並ぶ人気を誇っていた月亭可朝。
初代アシスタントは西野バレエ団に在籍していた江美早苗を抜擢した。#新婚さんいらっしゃい pic.twitter.com/kTUI66v3dX
また、映画「呪いの館 血を吸う眼」でヒロイン役を務めるなど、かなりマルチに活動していたようです。
呪いの館血を吸う眼(1971/山本迪夫)
— HP25 (@jra199005) August 19, 2022
正調モンスター映画。吸血鬼に血を吸われた者は吸血鬼になり甦るというゾンビのような設定。それを医師(高橋長英)は狂人の仕業と理解しようとするがちょっと無理がある。吸血鬼(岸田森)が絶命するときの叫びと表情が強烈すぎで江美早苗の吸血鬼ぶりも良い。 pic.twitter.com/5jPrldxEY6
屋代昭彦に殺害された被害者・江美早苗が所属していた西野バレエ団とは?
江美早苗さんの活躍を振り返る際に、読者の方にとって謎な存在となるのが「西野バレエ団」ではないでしょうか?
「西野バレエ団」は、西野皓三さんが1953年に結成したバレエ団です。
西野バレエ団結成後の西野は、日本各地で古典バレエからコンテンポラリー作品まで数多くの作品を上演しその構成・演出・振付を行う。同時にバレエ評論家として読売・朝日・毎日など各新聞紙上にバレエ評を執筆。
引用:西野皓三
初期の頃の活動拠点は大阪・帝塚山だったようで、江美早苗さんが幼少期に通っていた教室は、島根にある支部だったと思われます。
創設者である西野皓三さんは、元々宝塚歌劇団の男子部に所属する俳優だったものの、バレエ指導者を目指し、アメリカへ留学。
そんな西野皓三さんが率いた西野バレエ団は、1960年代以降はテレビの世界に進出し成功を収めていました。
その結果、人気芸能プロダクションのようになっており、昭和40年代に青春時代を過ごした少女たちにとっては、今でいう「坂道シリーズ」のような憧れの存在でした。
「西野バレエ団」出身の芸能人には、前述の「レ・ガールズ」の面々の他にも、「がんばれ!!ロボコン」のロビンちゃん役でお馴染みな島田歌穂さんもいます。
また、ドラマ「サインはV」の松原かおり役を務めた岸ユキさんも「西野バレエ団」出身です。
屋代昭彦と江美早苗の関係① ソロデビューをきっかけに不倫が始まる
共に、芸能界で活躍をしていた屋代昭彦と江美早苗さんですが、「江美早苗殺人事件」に至るまでの2人の関係も気になりますよね。
1968年2月、フィリップス・レコードからソロデビューを果たした江美早苗さんですが、その時の担当ディレクターが屋代昭彦でした。
どちらが先に口説いたのかは定かではありませんが、仕事で顔を合わせるうちに、屋代昭彦と江美早苗さんは恋愛関係に陥ってしまったようです。
しかし、屋代昭彦は当時すでに既婚者で、さらに子供も2人いる身の上だったため、2人の関係は不倫愛だったことになります。
屋代昭彦と江美早苗の関係② 屋代昭彦の嫁が夫の不倫を苦に自殺
不倫関係に陥った後の屋代昭彦と江美早苗さんですが、禁断の関係を隠すことが下手だったのか、屋代昭彦の妻には不倫がバレてしまいます。
屋代昭彦の不貞を知った妻は、精神のバランスを崩した結果、自ら死を選んでしまったようです。
1人の女性を死に追いやったことへの罪悪感からか、江美早苗さんは21歳の時に西野バレエ団を退団し、芸能界からも引退。
芸能界引退後の江美早苗さんは、東京を離れ、故郷の島根県松江市に帰郷しています。
なお、当時の2人の不倫劇はワイドショーに取り上げられることはなく、世間からバッシングされることはなかったようです。
屋代昭彦と江美早苗の関係③ 再上京した江美早苗と同棲をスタート
江美早苗さんは帰郷したものの、屋代昭彦のことも芸能界のことも諦めきれなかったらしく、翌年には東京に戻ってきています。
ただし、自分が芸能界の表舞台に復帰するのではなく、「中里綴」や「神田エミ」名義で作詞家としての活動を開始。
元人気芸能人だったとはいえ、音楽学校出身でもない江美早苗さんが、作詞家デビューを飾れた背景には、もしかしたら屋代昭彦のアシストもあったのかもしれませんね。
実際、再上京後の江美早苗さんは屋代昭彦と同棲生活をしていたとも言われているため、屋代昭彦のコネと無縁だったことは考えにくい状況です。
屋代昭彦のサポートもあってか、江美早苗さんは作詞家として次々にヒット曲をアーティストに提供し続けています。
24歳の時に、南沙織さんに提供した「人恋しくて」は年間ランキング52位となるヒット。さらに、「第17回日本レコード大賞」歌唱賞を受賞するなど、南さんの代表作の1つとなりました。
25歳の時には、補作詞を務めた田山雅充さんのデビュー曲「春うらら」が20万枚を超えるヒットを飛ばしています。
また、昭和のアニソンの名曲「はいからさんが通る」の作詞も担当。
【円盤降臨/7月1日⑮】#関田昇介 『はいからさんが通る』
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) June 30, 2021
[1978年発売]
作詩:中里綴
作曲:関田昇介
編曲:山口ますひろ
※ABC朝日放送系同名アニメ主題歌
※オリコン/TVマンガ・童謡部門1979年度年間30位@retoro_mode pic.twitter.com/I58aYLcCXL
さらに、1980年代を代表する人気アイドルだった「少年隊」の3rdシングル「ダイヤモンドアイズ」の作詞家の1人でもあります。
江美早苗は中森明菜とも一緒に仕事をしていた
作詞家として成功を掴んだ江美早苗さんですが、昭和の歌姫である中森明菜さんと一緒に仕事をしたこともあるようです。
・条件反射
・Tシャツ・サンセット
・A型メランコリー
・夢判断
・脆い午後
当時人気絶頂期だった歌姫ですから、さすがにシングル曲を任されることはなかったようです。
しかし、「条件反射」はシングル「スローモーション」のB面、「夢判断」はシングル「少女A」のB面に収録されていたため、聴いたことがある読者の方も少なくないでしょう。
屋代昭彦と江美早苗の関係④ 江美早苗の親の反対を押し切って結婚
作詞家として成功を収めた江美早苗さんですが、屋代昭彦との関係はずっと続いていました。
その結果、8年もの同棲期間を経て、1981年に屋代昭彦と江美早苗さんは結婚しています。
2人の結婚に対しては、江美早苗さんの実家の両親は反対しますが、江美早苗さんが強引に押し切った形となりました。
屋代昭彦と江美早苗の関係⑤ 離婚の原因
不倫関係から始まった江美早苗さんと屋代昭彦の熱愛は、ようやく実ったものの、結婚から4年後の1985年、協議離婚に至っています。
同棲期間が長いカップルほど、結婚すると早期に離婚しやすいのは、結婚あるあるなのかもしれません。
また、屋代昭彦と江美早苗さんは14歳もの年の差があり、ジェネレーションギャップが発生しやすい環境でもありました。
ただ、2人の結婚生活が破綻したのは、屋代昭彦の独立が原因だったと言われています。
詳細時期は不明ですが、屋代昭彦はフィリップス・レコードから独立し音楽事務所を設立したものの、仕事がほとんどないような状況で経営に失敗。
さらに、酒、女、ギャンブルで散財して憂さ晴らしをしていただけでなく、江美早苗さんにお金を無心するくらい落ちぶれてしまったようです。
こんな状況下でも江美早苗さんは4年も結婚生活に耐えていたということは、屋代昭彦に対して並々ならぬ思い入れがあったことは確かでしょう。
屋代昭彦が起こした「江美早苗殺人事件」の詳細① 離婚後にストーカー化
離婚後の屋代昭彦は、江美早苗さんに復縁を迫ってストーカー化します。
江美早苗さんは2人で暮していた元自宅から目と鼻の先にある、東京都品川区のマンションに引っ越していました。
しかしながら、屋代昭彦の近くに住みすぎたせいで、元自宅の屋根の上から双眼鏡で部屋を監視されている状況だったようです。
また、屋代昭彦はストーカー行為をどんどんエスカレートさせていき、無言電話を繰り返したり、江美早苗さんの愛車のタイヤを釘でパンクさせたり。
こんな状況下でも、江美早苗さんは引っ越しをしませんでした。
ちなみに、警察には相談していたそうですが、ストーカーという概念すらない時代の話ですから、効果的な対応はされなかったと言われています。
屋代昭彦が起こした「江美早苗殺人事件」の詳細② 1988年3月に江美早苗を殺害
屋代昭彦が「江美早苗殺人事件」を起こしたのは、1988年3月5日のことでした。
事件当日の屋代昭彦は、江美早苗さんの自宅マンションに出向き、性懲りもなく復縁を迫りました。
しかし、江美早苗さんは屋代昭彦との話し合いを拒絶し、室内に一歩も入れようとしなかったそうです。
そんな江美早苗さんの対応は裏目に出てしまったようで、逆上した屋代昭彦は浴室の窓ガラスを割り、室内に侵入。
そして、所持していた包丁と登山用ナイフで江美早苗さんを襲撃する凶行に出ます。
元夫の予期せぬ行動に対して、逃げ惑うことしかできなかった江美早苗さんは、やがてベランダに追い詰められて、包丁やナイフでめった刺しにされてしまいました。
屋代昭彦の江美早苗さんへの執着や恨みは凄まじく、計22箇所もの刺しキズがあった他、部屋にも血が飛び散っていたと言われています。
3:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/24(金) 08:51:56 ID:???
1988年3月5日に復縁を迫る夫に惨殺された江美早苗の
事件後の室内の映像をワイドショーで流しとった!!
犯人全然情け容赦しおらん!!
40箇所以上メッタ刺しにして惨殺しとる!!
江美の母親が部屋に飛び散った血を見て泣きながら「なんじゃ~この血は~!!」と叫んどった!!
4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/24(金) 09:04:43 ID:???
事件があった事が分かって、初めて気が付いたのですが、
エレベーターホールにスニーカーの裏形の血の跡がしばらくの間残っていました。
この事件の直後、各テレビ局のスタッフが出入りしていたのですが、
そのうちの一組とエレベーターの中で一緒になりました。
その中のカメラを持っていた方が一言「・・・可哀想になぁ・・・」と
小さな声で呟いたのが今でも耳に残っています。
もう随分と昔の事ですが、書かずにはいられませんでした。
引用:江美早苗惨殺事件
屋代昭彦が起こした「江美早苗殺人事件」の詳細③ マンション屋上に逃走するも投降
江美早苗さんが殺害されると、その悲鳴を聞きつけた近所の住民が110番通報をしたため、現場にはすぐに警察がやって来ました。
屋代昭彦は逃走のタイミングを失い、マンションの屋上に5時間ほど立てこもっています。
立てこもり中の屋代昭彦は、屋上から飛び降りる素振りを見せるなど半狂乱状態だったようですが、警察の粘り強い説得が功を奏し、投降しています。
屋代昭彦が起こした「江美早苗殺人事件」の詳細④ 犯行動機
逮捕後の屋代昭彦が語った犯行の動機については、江美早苗さんに新しい彼氏ができたことがトリガーになったというような供述をしています。
ただし、本当に江美早苗さんに新しい彼氏がいたかどうかは不明で、屋代昭彦の思い込みや勘違いだった可能性もあります。
また、事件2年ほど前から殺害計画を立てていたとも供述したようで、突発的な犯行というわけではないようです。
一方的な逆恨みによる犯行ですから、屋代昭彦には同情の余地はありません。
屋代昭彦の現在:実刑判決・服役後、出所している
殺人を犯した屋代昭彦ですが、刑罰が軽かった時代背景もあり、懲役12年の実刑判決を受けたのみでした。
身勝手な理由で1人の女性の命を奪ったにもかかわらず、この程度の刑罰ということで、いかに人権が軽視されていた時代かということが分かります。
その後、屋代昭彦は2000年前後に出所しているはずですが、消息は今のところ不明です。
2023年現在で85~86歳となる屋代昭彦の年齢を踏まえると、すでに亡くなっている可能性もあるでしょう。
屋代昭彦の子供の現在
「江美早苗殺人事件」において気になるのが、屋代昭彦と前妻の間に誕生した子供たちのその後の人生です。
前述のように前妻は自殺しているため、屋代昭彦が子供たちを引き取り育てていたように思われます。
そのため、子供たちも事件の影響とは無縁ではいられなかったことは確かですが、その辺りを取材しているメディアは存在しません。
事件当時、屋代昭彦が50歳だったことから、子供たちは成人していた可能性もありますが、実父が殺人犯になってしまったことで、人生が大きく狂ってしまったのは間違いないでしょう。
屋代昭彦が起こした「江美早苗殺人事件」の現場の現在
出典:https://renote.net/
「江美早苗殺人事件」の現在ですが、事件現場となったマンションは後に解体・再開発されており、2003年頃よりアクロス目黒タワーになっているようです。
アクロス目黒タワー 1LDK 54.04㎡https://t.co/sFPbYLNhNm#アクロス目黒タワー #creavision #クレアビジョン #内見 #ルームツアー #ROOMTOUR #高級マンション #高級賃貸 #品川区 #目黒 #タワーマンション pic.twitter.com/BGwbU6mPku
— 都心の高級賃貸CreaVision (@creavision_rent) November 14, 2022
ちなみに、アクロス目黒タワーは、ワンルームの家賃が15万円、2LDKの家賃が30万円となっているため、生前の江美早苗さんが住んでいたマンションも高級マンションだったと思われます。
屋代昭彦のまとめ
屋代昭彦は、江美早苗さんと不倫して妻を自殺に追い込んだ挙句、江美早苗さんと再婚したものの、逆恨みにより殺人事件まで起こしてしまった人物です。
事件の被害者となった江美早苗さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させていただきます。