2017年12月7日に東京都江東区の富岡八幡宮近郊と敷地内において、宮司の富岡長子さんが実弟・富岡茂永に日本刀で殺害された「富岡八幡宮殺人事件」。
この記事では、同事件の犯人と被害者の関係や動機、真相について現在までの情報を詳しくまとめましたのでご紹介します。
この記事の目次
「富岡八幡宮殺人事件」とは
宮司の座を巡り、弟が姉を日本刀で殺害後に自殺
弟が姉を刀で切り殺した異様な事件
「富岡八幡宮殺人事件」は2017年12月7日に、富岡八幡宮第21代宮司であった富岡長子さんが、前々任者の第20代宮司であった実弟・富岡茂永に神社近郊の路上で日本刀で斬りつけられ、殺害された事件です。
2017年12月7日の夜更け頃、富岡長子さんが運転手が運転する車で富岡八幡宮に帰宅し、降りようとしたところを物陰に隠れていた富岡茂永と富岡真理子が日本刀を振りかざして襲いかかりました。
富岡長子さんは驚いて走って逃げましたが、富岡茂永は追いかけて後ろから首を日本刀で切りつけ、動きが停まったところを胸に日本刀を突き刺しました。
富岡茂永が力任せに突き刺したため日本刀は折れてしまいましたが、富岡長子さんは現代において日本刀で斬られるという時代錯誤な方法で絶命しました。
運転手も下車して近くのスーパーマーケットまで逃げましたが、追いかけてきた富岡真理子によって日本刀で肩から右腕にかけて斬られましたが、「お前だけは許してやる」と吐き捨てて神社に戻ったため一命を取り留めました。
富岡茂永と富岡真理子は富岡八幡宮の敷地に逃げたのち、富岡茂永は持参していたサバイバルナイフで富岡真理子の胸や腹を刺して殺害し、自身の左胸を突き刺して自殺しました。
富岡八幡宮は勧進相撲発祥の地
富岡八幡宮は勧進相撲発祥の地
東京都江東区富岡にある富岡八幡宮は1627年(寛永4年)より続く歴史深い由緒ある神社であり、勧進相撲発祥の地として広く知られています。
地元民からは”八幡様”の名称で呼ばれており、毎年30万人ほどの観光客が参拝する観光スポットでもあります。
観光収入として年間数十億円の集金力があることから、商業地のビルやマンションなど多くの不動産を持ち、富岡家は非常に裕福な生活をしていたため、その金脈を自由にできる宮司の座を巡って富岡茂永と富岡長子さんの間で骨肉の争いがあったと見られています。
「富岡八幡宮殺人事件」犯人・富岡茂永の犯行動機と事件の真相
富岡茂永、第20代宮司を素行不良で解任される
富岡茂永は女遊びが激しく人格に問題があった
富岡八幡宮の宮司に富岡茂永が就任したのは1995年3月で、すでに亡くなっている先代の父・興永さんが体調を崩したため跡を継いでいました。
しかし、富岡茂永は神社で儲けたお金で銀座クラブでの派手な女遊びや、ラスベガスなどでのギャンブルに費やすようになり、神社本庁で問題視されたことから2001年に辞任に追い込まれました。
再び父親の興永さんが宮司に就くことになりましたが、富岡茂永には多額の退職金が支払われ、退任後も富岡家が経済的支援を行っていくことで和解していました。
富岡茂永も富岡家や責任役員などに多大な迷惑をかけたことを詫び、その後万が一再び迷惑をかけるようなことがあれば経済的支援をストップすることも辞さないことを約束していました。
富岡茂永、父親脅迫容疑で逮捕される
富岡茂永は解任された恨みを募らせていた
富岡茂永は和解したように見せかけて実は解任された恨みを募らせており、宮司に再任した父親の興永さんに対して「積年の恨み。地獄へ送る」「私は死後も怨霊となり、永遠にたたり続ける」といった脅迫文書を送るようになりました。
宮司である興永さんが告訴するというのはまずいとして、長女の富岡長子さんが代わりに警察に被害届を出しました。
富岡茂永は警察に逮捕され、罰金刑を受けた上で富岡家に半径200メートル以内に近づかないことを禁止されました。
これが富岡茂永の憎悪を増大させることに繋がり、その矛先は実姉である富岡長子さんに向きました。
富岡長子、父親の死去後も宮司に任命されず神社本庁を離脱
2010年10月に父親の興永さんが高齢による体力の低下により宮司を辞任しましたが、後任として長女の富岡長子さんを指名して責任役員会や総代も賛成し、神社本庁に対して最初の任命具申を行いました。
2012年7月に興永さんが死去したため宮司の後任を決める必要がありましたが、神社本庁は富岡長子さんを任命しない状態が続き宮司空席の状態となりました。
2017年3月に富岡長子さん側は4回目の上申を神社本庁に行う準備を進めていましたが、富岡茂永の妻・富岡真理子が神社本庁に告発状を送り付けていることが分かりました。
その告発文は富岡長子さんを誹謗中傷する内容で、いかに宮司にふさわしくないかを綴ったものでした。
なおこの告発内容の他に、詳しくは後述する富岡茂永がブログで富岡長子さんを誹謗中傷する内容の記事を投稿した際に、富岡長子さんは「妄想」だと一蹴していましたが、神社本庁から宮司に任命されない理由は確かに富岡長子さんにあったと見られています。
神社本庁は6年に渡り富岡長子さん側の上申を無視し続け、責任役員や総代などが送った宮司任命の嘆願書なども送り返すなど、何があっても富岡長子さんを宮司に任命するつもりは無い姿勢を見せていました。
そのため、富岡八幡宮は責任役員会で神社本庁から離脱することを5月に決め、9月に神社本庁をに正式離脱しましたが、これにより富岡長子さんは正式に宮司に就くことになりました。
富岡茂永、犯行動機は放蕩息子・富岡秀之を宮司にさせるためだった
ネットで”パチンカス”とバカにされている富岡茂永の息子・富岡秀之
富岡茂永と富永真理子の間には富岡秀之さんという一人息子がおり、国学院大学神道科の夜間部に通いながら富岡八幡宮でアルバイトをしていましたが、富岡長子さんが宮司に任命された際にクビになりました。
そのため富岡茂永の富岡長子さんへの憎悪は尋常ではなく、送り付けていた脅迫文やブログでの誹謗中傷の中で富岡秀之さんを宮司に任命するように要求していました。
しかし、この富岡秀之さんも父親譲りの放蕩息子で、パチンコにハマっていたことからパチンコ・パチスロ神社YouTuber”ウルフ富岡”として動画配信をしていました。
そのため、富岡秀之さんはネット上で”パチンカス”と呼ばれてバカにされており、とても次期宮司になる人物ではないとされていました。
富岡茂永、富岡長子に悪辣な嫌がらせをしていた
富岡茂永は神社本庁離脱に反対だった
富岡茂永は宮司への復帰が絶望的だと分かると、富岡長子さんが宮司に就任するための神社本庁離脱について猛反対し始め、富岡長子さんに対して執拗に嫌がらせの電話をかけるようになりました。
そのため、富岡長子さん側の弁護士は富岡茂永に対して嫌がらせ行為を止めるように通達し、ブログや掲示板などへの書き込みなど、インターネット上での誹謗中傷も止めなければ経済的支援を打ち切るという通達を出しました。
これが効いたのか、富岡茂永からの嫌がらせ行為はピタリと止まり、富岡長子さん側はひとまず胸をなでおろしましたが、実はこれにより憎悪が臨界点に達してしまい、富岡長子さんの殺害計画を思い起こさせるきっかけとなってしまいました。
富岡茂永が富岡長子に宛てた脅迫状の内容
富岡茂永が事件を起こすまでに富岡長子さん宛てに送ったA4用紙の手紙は2800通に及ぶとみられており、富岡茂永の尋常ではない異常性が垣間見えるようです。
富岡茂永は息子の富岡秀之さんを宮司に迎えることを拒絶した場合について、「私は死後に於いてもこの世に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます」と綴っており、前述の弁護士からの通達でこれも実現するのは絶望的となったことで、富岡茂永は富岡長子さんの殺害を実行に移しました。
富岡長子もとんでもない人物だった
富岡茂永の告発文が本当なら富岡長子は相当酷い人物
富岡長子さんは富岡茂永による誹謗中傷文について「妄想」と一蹴していましたが、これが事実なら富岡茂永が富岡長子さんに対して尋常ではない恨みを持つのも頷けるかもしれません。
私の姉で現在の宮司(宮司代務者)である富岡長子は、中学生のときから、シンナーや覚せい剤、男遊びなどに溺れ、高校にも行かず、錦糸町の喫茶店等で、ウエイト レスのアルバイトをしながら、家出同然の生活をしておりましたが、20歳の時に喫茶店の 客として来ていた国鉄勤務の男性と結婚し、一児をもうけました。しかしその異常なまでに 激しく、乱暴な性格から、子供を捨て出戻って来る事になりましたが、中学しか出ていない 姉を雇ってくれる会社もなく、当時宮司であった父の興永が神社の経理をさせる事にした のです。当時の私は、大学を卒業後、皇學館大學の専攻科を修め、富岡八幡宮の権禰宜でし た。(私と姉は1学年違いです)姉は名目上神社の事務員でしたが、仕事は殆ど他の事務員 に任せ、大検の学校やその後、大学夜間部に通っておりました。身内と言う事で、父も上司 である私も黙認しておりました。その頃には、父親の躁うつ病が悪化し、殆ど父が仕事を出 来なかった事もあり、私は禰宜から権宮司へと昇進し、実質上、神社の運営を任されていま した。そんな中でも、殆ど勤務実態のない姉に肩書を付けてあげたり、給料を他の職員水準 より高く出したりと、随分と面倒を見てやりました。【実際は姉の立場と、経理の立場上知 り得た私の弱み(交際費)等を悪用し、大声で怒鳴る等の強要・脅迫・恐喝の数々でした。】
この富岡茂永の告発文が本当なら、富岡家において富岡長子さんはどうしようもない問題児だったということになります。
しかし、当人らが死亡している現在ではこれらを証明できる人は周辺人物や同級生くらいだと思われますが、ネット上ではこうした人物像が真実だとする証言は無いようです。
「富岡八幡宮殺人事件」犯人・富岡茂永の生い立ち
富岡茂永は”チャンバラ好き”だった
富岡茂永は日本刀に身近な環境にいた
富岡茂永が日本刀で富岡長子さんを殺害したというニュースは、世間においては「由緒ある神社の宮司らしい」という印象が強かったと思いますが、富岡茂永は子供の頃から神社の影響を受けていたのかチャンバラが大好きだったようです。
友人がこう話す。
「地元の数矢小学校、深川第三中学校を卒業後、国学院久我山高校、国学院大学で神職の勉強をし、資格もとって宮司になった。子どもの頃は運動神経抜群だった。刀が犯行に使われていたけど、チャンバラごっこが好きで、小さい頃はよくおもちゃの刀を腰に差していた。元々やんちゃな性格でケンカを売られたら買うタイプ。まさかこんなことになるなんて……」
富岡茂永は江戸時代から続く神社の宮司を務めたことにより、深い自己陶酔に陥っていたことから富岡長子さんの殺害方法に日本刀を選んだのでしょう。
とはいえ、日本刀の扱いには長けていなかったようで、富岡茂永は富岡長子さんを殺害した際に日本刀が折れてしまい、富岡真理子の殺害と自身の自殺に脇差ではなくサバイバルナイフを使ったところに一抹の残念感がぬぐえないようです。
これが見事に脇差で切腹をやってのけたなら、富永茂永は凶悪犯罪者とそしりを受ける中にも、「現代の侍」と称える声も少しはあったかもしれません。
富岡茂永は近所ではボンボンのバカ息子と言われていた
富岡茂永のプライベートは成金そのもの
富岡茂永は銀座での女遊びやラスベガスでのギャンブルなど豪遊ぶりから宮司を解任されましたが、プライベートでの人物はまさに成金のそれだったようです。
富岡茂永をよく知る富岡八幡宮近所の飲食店経営者の証言では”ボンボンのバカ息子”という印象のようです。
「あいつ(茂永)は若い頃、俺がシメてやったことがある。不良? いや、ただの金持ちボンボンのバカ息子だよ。宮司の時は、金集めに走ってたけど、神社のカネをみーんな持っていっちまって銀座で豪遊していた。巫女さんに手を出したと問題になったこともある。 そういうことが重なって、あいつはもう駄目だ、とみんなが見放していた。事件があったと聞いて、すぐあいつと思ったよ」
ボンボンのバカ息子の息子・富岡秀之さんが”パチンカス”というどうにも残念な系譜ですが、これは同様に女とギャンブルが好きだった父親・興永さんから受け継がれてきたもののようです。
しかし、一方で富岡茂永には父親の代には無かった商才があったという声もあるようです。
富岡茂永、商才には長けていた一面も
富岡茂永は芸能人を使って富岡八幡宮を隆盛させた
富岡茂永はそれまで赤字続きだったお祭りなどの行事に有名芸能人を呼んで集客に成功したり、歴代横綱の名前を刻んだ横綱力士碑を建立するなど観光業としての商才には長けていたようです。
「お金集めがうまくて、これまで地味で赤字だったお祭りなどの行事に、有名人を呼んでくるなどした。たとえば、富岡八幡宮は勧進相撲発祥の地で、歴代横綱の名前を刻んだ横綱力士碑というのがある。かつてはただ名前が刻まれるだけだったが、実際に横綱を呼んで土俵入りなどをさせるイベントにしたのは茂永君の時代。3年に一度の例大祭、通称水かけ祭りでも、地元ゆかりの有名人を呼んで派手にやっていた。ただ、金遣いも荒く、派手だった。宮司時代にも色々あって、ラスベガスで神社の金を使ってしまったことがあり、宮司にあるまじきこととお父さんに宮司を解任され、近所では見かけなくなった」(知人)
富岡茂永の成金的な派手好きが功を奏した形かもしれませんが、金と名声に執着が強かったことは人心を掌握するには何が必要かということが感覚的に分かっていたのでしょう。
「富岡八幡宮殺人事件」被害者・富岡長子の生い立ち
富岡長子、富岡八幡宮で長年に渡り事務職をしていた
富岡長子は富岡茂永の元で事務職をしていた
富岡長子さんは富岡茂永が宮司を務めていた時には事務職の統括のようなことをしていたようで、富永茂永を支えるポストに就いていたようです。
「長子さんは苦労人で青山学院大にいって、結婚して離婚して、それから神社で働くようになって、茂永さんの時代も事務方のトップのようなことをずっとしていた。再婚はしていないと思う。10年ぐらい前、神社の目の前の家の並びのポストに、手書きの文書が差し込まれていた。内容は言いたくないが、神社がカネ儲け主義に走っている、というような誹謗中傷だった。宮司の座をめぐって恨みがあったのかもしれないが、なぜ、姉弟でこんな事件に……。2人とも子供の頃から知っているから、ちょっと信じられない」
当時から富岡長子さんは富岡茂永の運営方法に疑問を持っていたか、はたまた商才のある部分については認めていたのかは分かりませんが、苦労人という証言の一方で、富永茂永に負けるとも劣らぬ金の亡者だったともいわれています。
富岡長子、4億円の“賽銭御殿”で暮らししていた
富岡長子はひとりで豪邸に住んでいた?
富岡長子さんが住んでいた自宅は宮司を務める富岡家の所有だと思われますが、洋館風の豪邸で総工費用は4億円以上とみられており、地元の人々からは「賽銭御殿」と呼ばれていました。
洋館風の瀟洒(しょうしゃ)な住宅で、神社敷地内でひときわ異彩を放つ。地元の不動産会社によれば、 「4億円はくだらない。地元では賽銭(さいせん)御殿と呼ぶ人もいます」
離婚歴があり再婚をしていなかった富岡長子さんは10匹の犬と一緒にこの豪邸に一人暮らしをしていたと見られています。
富岡長子は”ホスト狂い”で月に200万円以上浪費
富岡長子がホスト狂いになり始めたのは2010年に宮司代行の職に就いてからで、歌舞伎町のホストクラブに良く通っていたことが分かっています。
「指名するのは20代前半の若いホスト。VIPルームを使い、一本100万円以上するクリスタルボトルを注文することもあった。月の支払いは200万円以上。いつも運転手付きの車で店まで来ていました」
富岡茂永といい富岡長子さんといい、富岡八幡宮の品位を地の底にまで堕とすような品格の無い人物だったことが「富岡八幡宮殺人事件」により世間に明るみになってしまいました。
儲かっている神社の宮司は遊び好きという印象を持ってしまう人も少なくないでしょう。
「富岡八幡宮殺人事件」のその後現在…事件直後は参拝客も激減
事件直後の富岡八幡宮は参拝客が激減したようですが、宮司には神社のナンバー2で権宮司だった丸山聡一さんが就任し、新たなスタートをきったようです。
ある氏子の男性(78)は「七五三や縁日も閑散としていた。孫の結婚式を隣の深川不動で挙げたり、七五三を水天宮に代えた人もいる。例年、初詣の人気ベスト10に入っていたが、来年は無理じゃないかな」と嘆く。
氏子男性はこう続けた。「近所でも『鳥居をくぐると身震いする』という人もいる。昔はよく行った俺でさえ、境内の階段をまだ登っていない。あの豪邸の方にも行っていない」
現在では以前のような賑わいを徐々に取り戻しつつあるようですが、縁起が悪いと近寄らない人が多いのも事実です。
今年は富岡八幡宮へお詣り行ってきました!
— feel*arom ち~ (@feelaroma38) January 4, 2019
一昨年はあんな事件があったので去年は縁起悪いなぁと思い行かなかったんです。
今日から仕事始めの方もいらっしゃったと思いますがまだまだ混んでました。#初詣 #富岡八幡宮 #深川不動尊 pic.twitter.com/D6fg81YcDd
バイトがお休みだったから富岡八幡宮に初詣に行ってきたよ(*╹▽╹*)
— あずまちづる (@airisu1007) January 2, 2020
参拝客がいっぱいだった(^^) pic.twitter.com/ZgnHXtvqLr
「富岡八幡宮殺人事件」についてまとめると…
・被害者の富岡長子さんも、元不良で宮司時代にもホスト狂いだった人格破綻者だった可能性がある
・富岡八幡宮は事件後に参拝客が激減、現在は富岡家とは血縁関係のない宮司が就任して再出発している
金と名誉、権力が集まるところには人間の欲望が渦巻きますが、「富岡八幡宮殺人事件」はまさに日本の神社の暗部をそのまま形にしたような事件でした。
世間的には日本刀で殺害したという点に”神社らしい”という印象が強く残りましたが、日本文化の品格を大きく損なわせた事件だったことは間違いないでしょう。