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富野由悠季の若い頃と経歴!結婚した嫁と子供・自宅と資産も総まとめ

「機動戦士ガンダム」シリーズの生みの親として知られるアニメ監督の富野由悠季さんが話題です。

 

この記事では富野由悠季さんの生い立ちや若い頃の経歴、出身高校や出身大学、結婚した嫁や子供などの家族、これまでに住んだ自宅や資産などについてまとめました。

富野由悠季のプロフィール

 

富野由悠季のプロフィール

 

生年月日:1941年11月5日

出身地 :神奈川県小田原市

身長  :168cm

血液型 :AB型

 

 

富野由悠季さんは、アニメ「機動戦士ガンダム」シリーズで知られるアニメ監督、演出家、脚本家です。

 

富野由悠季さんは1960年代の日本のテレビアニメ黎明期からアニメ制作に関わってきた人物で、ガンダムシリーズの他にも「海のトリトン」、「勇者ライディーン」、「無敵超人ザンボット3」、「伝説巨神イデオン」、「聖戦士ダンバイン」などの往年の名作を生み出した事でも知られています。

 

この記事では、そんな富野由悠季さんの生い立ちや若い頃の経歴、結婚や嫁、子供などの家族情報などを中心に紹介してきます。

 

 

 

富野由悠季の生い立ち① 小学校時代

 

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出典:https://blog-imgs-38-origin.fc2.com/

 

富野由悠季さんの生い立ちからみていきます。

 

富野由悠季さんは、太平洋戦争開戦の年である1941年に神奈川県小田原市で生まれました。

 

父親の喜平は、東京江東区大島の大地主で大島町長も務めた富野喜平次の九男で、富野由悠季さんが生まれた当時は、小田原市にあった日本加工織布の軍用のゴム引き布を作る軍需工場で働いていたそうです。

 

父親は化学の高等専門学校の出身であったため、防毒マスクや戦闘機の防水布などの開発に関わっていたそうです。父親はこの頃の資料をスケッチなどで残しており、子供時代にそれを見た事が富野由悠季さんのアニメ作品の原点になったという事です。

 

富野由悠季さんは小田原市立足柄小学校の出身で、地元の酒匂川で元気に遊ぶ一方で、想像して飛行機の図面を書いたり、科学技術に関する空想をしたりするのが好きな少年だったそうです。

 

小学校5年生か6年生の頃には宇宙旅行にも興味を持っていたそうです。

 

また、富野由悠季さんは小学校の時に手塚治虫の漫画「アトム大使」(鉄腕アトムの元になった作品)にハマり、同作が連載されていた漫画雑誌「少年」を毎月買ってもらっていたのだとか。

 

 

 

富野由悠季の生い立ち② 中学時代

 

小学校卒業後、富野由悠季さんは、小田原市立第三中学校(現在の白山中学校)へと進学しています。

 

中学に進学後も富野由悠季さんは航空機や宇宙などの空想を働かせるのが好きだったそうで、1年生の時には、滑走路の必要距離、実際の地形や気象の条件など、細部までこだわった「小田原空港」の設計図を描いています。

 

富野由悠季さんは中学時代は東京大学の工学部へ進学し、JAXAのような宇宙関連の仕事をしたいという目標を持っていたそうなのですが、数学の成績が悪かったため文系に切り替えざるを得ず、工業高校に入って卒業後に就職する方針に切り替えたとの事。

 

中学時代の3年間は東大工学部に行くという目標を漠然と設定していました。それが潰えたのは、中二の時に数学を完璧に落としたことが一番大きな理由です。結局、文科系に切り替えざるを得なかった。それ以前に、うちの家庭環境では大学には行けないと思っていたので、工業高校に入って高卒で社会人になるという進路を考えていました。

 

引用:ガンダム監督の「敗北者宣言」【富野由悠季】

 

また、中学時代間では画家になる事も夢見ていたそうですが、絵が中々上手くならずに14歳でその夢には見切りをつけたそうです。

 

 

 

富野由悠季の若い頃① 出身高校は私立「相洋高等学校」

 

工業高校へ進学しようと考えていたという富野由悠季さんでしたが、神奈川工業高校を受験したものの落ちています。

 

ところが、工業高校の受験に失敗したんです。理数系がダメだった。総合点が足りず、県立の神奈川工業高校に行けなかった。受験時の身体検査でも引っかかった。僕は中一ぐらいから片耳が難聴なんです。どちらの理由かわからないと言いながらも、絶対ペーパーテストの点数が低かったんですよ。

 

引用:ガンダム監督の「敗北者宣言」【富野由悠季】

 

当時は県立高校は1校しか受験できないというルールがあったため、仕方がなく私立高校「相洋高等学校」へと進学されたそうです。現在の相洋高校の偏差値はコースによって違い「40〜59」となっています。

 

 

 

富野由悠季の若い頃② 出身大学は「日本大学芸術学部映画学科」

 

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出典:https://blog-imgs-38-origin.fc2.com/

 

富野由悠季さんは高校卒業後は、日本大学の芸術学部映画学科演出部へと進学されています。現在の日本大学映画学科の偏差値は「47.5」です。

 

富野由悠季さんは高校時代にアメリカから輸入されるSF映画に魅力を感じ、映画業界の仕事に興味を抱くようになり、日本大学の映画学科に進んだという逸話がありますが、富野由悠季さん本人はインタビューなどで「勉学を怠ったためその道へ進むしかなかった」と語られています。

 

また、高校時代の成績が悪かったため、日大の芸術学部には本来入学できるレベルではなく、父親のコネで入学したとも冗談まじりに語られています。

 

富野 そこを何とか卒業したのですが、結局、大学には裏口入学しなければ入れないくらいのレベルで、結局、日大しかなかった。まだ父のコネが効いたからです。それがどこまで効いたのかわからないけれど、半分以上は裏口入学だったと思います。ただ、裏金を使わないで裏口入学する方法をやりました。

 

引用:ガンダム監督の「敗北者宣言」【富野由悠季】

 

なお、大学時代の富野由悠季さんはアニメーションや漫画には全く興味がなく、映画業界への就職を希望していたのだそうです。

 

 

 

富野由悠季の若い頃③ 手塚治虫のアニメプロダクション「虫プロ」に入社

 

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出典:https://blog-imgs-38-origin.fc2.com/

 

富野由悠季さんは大学4年の9月になっても就職活動を一切しておらず、それを心配した母親が新聞の3行広告で、手塚治虫主宰のアニメプロダクション「虫プロ」の求人広告を見つけて「受けてみない?」と勧めてきたのだそうです。

 

前述の通り、富野由悠季さんはアニメに興味がなかったため、あまり乗り気ではなかったようなのですが、場所が近かった事や、演出の仕事ができるならこの際なんでも構わないという気持ちで面接を受けたところ合格してしまったのだそうです。

 

富野由悠季さんが虫プロに入社した1964年はちょうど「鉄腕アトム」のアニメが毎週放送されていた頃で、富野由悠季さんも若い頃から鉄腕アトムの制作進行・演出助手・脚本・演出などを担当されています。富野由悠季さんは鉄腕アトムのアニメでは合計25本の演出と絵コンテを担当し、いくつかのエピソードで脚本を担当されています。

 

 

 

富野由悠季の若い頃④ フリーになり数々の名作アニメに関わる

 

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出典:https://blog-imgs-38-origin.fc2.com/

 

富野由悠季さんは当時の虫プロの映像制作の姿勢に不満を抱くようになり、鉄腕アトムの第1シリーズの放送が終わったすぐ後の1967年に虫プロを退社してしまいます。

 

富野由悠季さんはその後は東京デザイナーズ学院で講師を務めながらフリーで仕事を請け負うようになり、当時の数々の名作アニメの制作に関わっています。

 

当時は、どこの制作スタジオに行っても富野由悠季さんがいるため、「さすらいのコンテマン」と呼ばれて有名だったそうです。

 

富野由悠季さんがこの頃に関わった作品としては、宮崎駿監督の「未来少年コナン」や、高畑勲監督の「アルプスの少女ハイジ」をはじめ「いなかっぺ大将」、「ど根性がえる」、「巨人の星」などが挙げられます。

 

 

 

富野由悠季の若い頃⑤ アニメ監督としてデビュー

 

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出典:https://blog-imgs-38-origin.fc2.com/

 

富野由悠季さんは1972年にアニメ「海のトリトン」にて自身初となる監督を務めています。この作品は手塚治虫原作でしたが、原作の内容を大きく改変して独自の色を出し、これが手塚プロ関係者から猛批判されたそうです。この作品は放送当時は視聴率が伸びずに2クールで打ち切りになりましたが、後にアニメブームの先駆け的作品と呼ばれるなど再評価されています。

 

1975年には「勇者ライディーン」の監督(1話から26話まで)を担当。これが富野由悠季さんにとって初のロボットアニメ作品となります。

 

1977年にはロボットアニメ「無敵超人ザンボット3」の総監督を務めています。この作品はこれまでのアニメの常識を覆すシリアスな展開が話題になり大ヒットを記録。また、この作品はガンダムの制作会社「サンライズ」の初のアニメ作品としても知られています。

 

1979年には「ザンボット3」の後継作品の「無敵鋼人ダイターン3」の総監督を担当。

 

この頃の富野由悠季さんは、監督としてではありませんが「宇宙戦艦ヤマト」や「母をたずねて三千里」、「赤毛のアン」などの名作にも関わられています。

 

 

 

富野由悠季の若い頃⑥ 「機動戦士ガンダム」を生み出す

 

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出典:https://blog-imgs-38-origin.fc2.com/

 

1979年、富野由悠季さんは、後に自身の代名詞的作品となる「機動戦士ガンダム」の総監督、原作、脚本、演出を手がけました。

 

機動戦士ガンダムは社会現象を巻き起こすほどの大ヒットを記録し、現在まで40年以上にわたって数々のシリーズ作品が生み出されています。

 

 

 

富野由悠季の家族① 1971年に嫁の守見子さん(亜阿子さん)と結婚

 

ここからは、富野由悠季さんの家族についてまとめていきます。

 

富野由悠季さんは1971年に守見子(すみこ)さんという女性と結婚されています。

 

富野由悠季さんは自身の著作などでは、嫁の守見子さんについては「亜阿子」という仮名を使って書かれていますが、守見子さんという嫁の本名も別の場面で明かされています。

 

富野由悠季さんの嫁の守見子さんは全身黒色のファッションを好むため、ガンダムのファンの間ではガンダムのキャラクターになぞらえて「黒いララァ」の愛称で知られているそうです。また、ファッション関係の仕事をされていたとの情報もあるようです。

 

 

 

富野由悠季の家族② 子供は娘が2人

 

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出典:https://av.watch.impress.co.jp/

 

富野由悠季さんは嫁の守見子さんとの間に子供が2人います。富野由悠季さんの子供は2人とも娘さんです。

 

 

富野由悠季の子供① 長女は演劇集団円の文芸・演出の富野アカリ

 

富野由悠季さんの1人目の子供(長女)は、劇団「演劇集団円」で文芸と演出をされている富野アカリさんです。

 

富野アカリさんについてはあまり情報がないのですが、人気声優で女優としても活躍する朴璐美さんがメディアインタビューで富野アカリさんについて話していました。

 

演劇集団 円の研究所で一つと下の期にいたら、同い年の富野さんの娘さん(長女・富野アカリ)が演出部に入ってきたんです。

 

引用:表現者としての人生を変えた、監督・富野由悠季との出会い――『ブレンパワード』朴璐美インタビュー

 

朴璐美さんは1972年生まれなので、同い年だという富野アカリさんもその年の生まれの可能性が高そうです。

 

 

富野由悠季の子供② 次女はダンサー、振付師、演出家の富野幸緒

 

富野由悠季の子供・富野幸緒のプロフィール

 

誕生日:6月28日(生年は非公表)

出身地:埼玉県座間市

身長 :150cm

 

富野由悠季さんの2人目の子供(次女)は、コンテンポラリー・ダンサーで、振付師や演出家としても活躍する富野幸緒(とみの・ゆきお)さんです。

 

 

 

 

富野由悠季の子供・富野幸緒の経歴

 

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出典:http://img-cdn.jg.jugem.jp/

 

富野幸緒さんは、星野女子高等学校(現在の星野高等学校女子部)の出身で、1993年に東京でヒップホップダンスやブレイクダンス、ジャズダンスをはじめ、プロのダンサーとしてテレビやライブなどで活躍されていました。

 

1995年にコンテンポラリー・ダンサーに本格的に転向し、野和田恵里花さんら、著名なコンテンポラリーダンサーの作品に参加。1997年からはオランダへと拠点を移し、ロッテルダム・ダンス・アカデミーのダンサーズ科を修了されています。

 

以後、フリーのダンサーとしてヨーロッパを拠点に活動し、海外で高い評価を受け、ヨーロッパ、アジア、アフリカなど世界各地のフェスティバルに出演されています。

 

ダンスフィルムにも多数主演しており、1999年の「Run 5.19」はSpring Dance Festivalにノミネート、2003年の「Up at Down」はオランダ映画祭ノミネート、同じく2003年の「Stand 4.18」はロッテルダム国際映画祭にノミネートされ、カンヌ国際映画祭にも招集されています。

 

また、2001年の「Walk 4.49」は、Web Dance Film Competitionの観客賞を受賞しています。

 

2006年からは、日本での活動も再開し、東京シティ・バレエ団への振付提供や、JCDN(ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク)のプロジェクト「踊りに行くぜ!」への参加など活動の幅を広げ、2011年の「ダンスがみたい! 新人シリーズ9」にて、作品「TIARA THE BEAUTY 〜眠らない、美女〜」がオーディエンス賞を受賞しています。

 

そして、2014年には富野由悠季さんの最新作であった「ガンダム Gのレコンギスタ」のアイキャッチでキャラクター達が踊るダンスの振り付けを担当し話題になりました。これが父娘初の共同の仕事になり、この時に初めて、富野幸緒さんが富野由悠季さんの子供である事実が公表されています。

 

また、富野幸緒さんは2012年に外国人男性と結婚されており、2017年2月には富野由悠季さんにとっては孫にあたる子供を出産されています。

 

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出典:https://blogimg.goo.ne.jp/

 

 

 

富野由悠季の自宅

 

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出典:https://livedoor.blogimg.jp/

 

富野由悠季さんの現在の自宅の場所は明かされておらず不明です。

 

富野由悠季さんの過去の自宅については、著作や過去のインタビューなどで何度か明かされています。

 

それによると、虫プロに入社した23歳の頃の自宅は、練馬駅から歩いて5分の四畳半の「与一荘」というアパート。入社2年目は環八通り沿いの「豊玉荘」という六畳一間のアパートが自宅だったそうです。

 

26歳の頃に、虫プロを退社した後は、親戚の好意で借りた、江東区大島の一戸建てを自宅にされていたようです。

 

そして、30歳だった1971年に結婚を機に埼玉県新座市に引越しをされています。この時の自宅は2階建ての一軒家で、1階に六畳と四畳半の台所、2階に2部屋の小さな家だったそうです。

 

当時は資料の本が置けず、家と塀の隙間に物置を作るなど苦労されたそうです。この自宅に何年か住んだ後に、近所のもう少し広い家に引っ越しされ、その頃にガンダムを描いたという事でした。

 

また、ガンダムシリーズでも知られるメカニックデザイナーの永野護さんが、インタビュー記事の中で富野由悠季さんの1998年頃の自宅の場所について、サンライズ社の近くにあった事を明かしていますが、現在の自宅はこの場所ではないようです。

 

永野 当時、富野さんの自宅とサンライズの中間ぐらいにいのまたの家があったんだよね。

 

引用:ビジュアルを担ったふたりが振り返る、監督・富野由悠季の創造性――『ブレンパワード』いのまたむつみ×永野護インタビュー

 

富野由悠季さんのその後の自宅については明かされておらず不明です。

 

 

 

富野由悠季の資産

 

世紀の大ヒット作となった「機動戦士ガンダム」を生み出した富野由悠季さんの資産にも注目が集まっています。

 

これだけの大ヒット作を生み出していながら、意外にも富野由悠季さんはほとんど資産を持っていないとも言われています。

 

というのも、富野由悠季さんは自身が原作であるガンダムの権利を制作会社であるサンライズに30万円ほどで譲り渡しており、いくらガンダム関連の売り上げがあがろうが、富野由悠季さんにはお金が入ってこないのだそうです。

 

そのため、富野由悠季さんは自身の総資産は1000万円もないと話されていた事もあります。

 

ちなみに、富野由悠季さんの家系の「富野家」は代々続く大地主で、大資産家でした。しかし、富野由悠季さんの父親はその九男であり、結婚した後に分家しているため、富野由悠季さんはその資産家一族の恩恵はあまり受けられなかったようです。

 

父の生家は東京・大島(江東区)の大資産家でした。

 

引用:「アムロ父子の確執は創作ではなかった」 40周年『ガンダム』富野由悠季監督が語る戦争のリアル

 

 

 

まとめ

 

今回は、「機動戦士ガンダム」シリーズの生みの親として知られるアニメーション監督の富野由悠季さんについてまとめてみました。

 

富野由悠季さんは、1941年に神奈川県小田原市で生まれ育った生い立ちを持ち、子供時代は空想好きで、宇宙旅行が夢だったのだそうで、それがガンダムシリーズが生まれた事にも関係しているようです。

 

出身高校は地元小田原市の私立「相洋高等学校」で、卒業後は「日本大学芸術学部映画学科」へと進学しています。

 

大学卒業後の若い頃は手塚治虫さん主宰のアニメプロダクション「虫プロ」に入社し、アニメ「鉄腕アトム」の制作に関わっています。その後はフリーになり、「未来少年コナン」や「アルプスの少女ハイジ」といった名作の制作に関わっています。

 

30代前半でアニメ監督になった後は、「海のトリトン」、「勇者ライディーン」、「無敵超人ザンボット3」などを手がけ、1979年に「機動戦士ガンダム」を原作者、総監督として世に送り出しました。

 

結婚は1971年で、嫁は守見子さんという女性でした。嫁との間には子供が2人生まれており、長女の富野アカリさんは劇団「演劇集団円」で文芸と演出を担当、次女の富野幸緒さんはコンテンポラリーダンサーとして世界で活躍されています。

 

現在の自宅については不明ですが、過去には虫プロの近くやサンライズ社の近くに下宿や一軒家を借りて住われていたようです。

 

資産については、ガンダムの権利を持っていないため、意外なほどに少ないようで、本に曰く「1000万円もない」という事でした。

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