2024年10月19日に自民党本部と首相官邸を火炎瓶などで襲撃し逮捕された臼田敦伸容疑者が話題です。
この記事では臼田敦伸容疑者の実家や父親などの家族、大学などの学歴、反原発活動家などの経歴、自宅や結婚、事件での逮捕後の現在の状況などについてまとめました。
この記事の目次
臼田敦伸は自民党本部と首相官邸襲撃事件を起こし逮捕された男
臼田敦伸容疑者(事件当時49歳)は、2024年10月19日に自民党本部に手製の火炎瓶が投げ込まれ、その直後に軽自動車が首相官邸に突っ込んだ襲撃事件の犯人として、公務執行妨害の容疑で現行犯逮捕された男です。
報道によれば、臼田敦伸容疑者は10月19日の午前5時43分頃、東京都千代田区永田町の自民党本部前に軽自動車で乗り付け、防護服を着た姿で車を降りると、警戒にあたっていた機動隊員に向けて高圧洗浄機で何らかの液体を噴霧し、手製の火炎瓶を5本ほど投擲したという事です。
その後、軽自動車に再び乗り込んだ臼田敦伸容疑者は、そのまま約600メートル離れた首相官邸へ向かい侵入阻止の柵に車で突っ込み、降車すると着火した発煙筒を複数本警察官に向かって投げつたという事です。
そして、臼田敦伸は車に戻って車内で火をつけようとしているところを、警察官によって取り押さえられ公務執行妨害で現行犯逮捕されました。犯行開始から逮捕されるまでの時間はおよそ9分間だったという事です。
車内にはガソリンの入ったポリタンクが少なくとも16本あったと報じられており、一歩間違えれば大惨事を引き起こしていた可能性がありました。
臼田敦伸の実家は埼玉県川口市差間で父親と同居
臼田敦伸の実家は埼玉県川口市にあり、事件当時は父親と2人暮らしだった事が報じられています。
臼田容疑者は埼玉県川口市で父親と2人暮らし。
また、臼田敦伸容疑者の住所は「川口市差間」と報じられており、実家は「埼玉県川口市差間」内にあると見て間違いないと思われます。
公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕されたのは、川口市差間の臼田敦伸容疑者(49)
臼田敦伸の家族① 父親は歯科医の臼田篤伸さん
出典:https://therisingsuncoffee.jp/
臼田敦伸容疑者の家族のうち、実家で一緒に暮らしていたという父親が積極的にメディアの取材に応じているようです。
臼田敦伸容疑者の父親は、歯科医の臼田篤伸(うすた・とくのぶ)さん(事件当時79歳)である事も公開されています。
臼田敦伸容疑者の父親の臼田篤伸さんですが、東京医科歯科大学歯学部大学院を修了しており、東京厚生年金病院の歯科部長を経て1976年に臼田歯科医院を開業しています。いくつかの著作もあるようです。
臼田敦伸の家族② 母親と弟とは一緒に暮らした事がない
臼田敦伸の家族は父親の他に母親と弟が1人いたようですが、一緒に暮らした時期が無いという事です。
息子は母親の愛情を知りません。彼には弟がいますが、一緒に暮らしたこともありません。
父親の臼田篤伸さんは、臼田敦伸容疑者が2歳の時に離婚しており、母親は当時0歳だった弟だけを連れて家を出たという事です。その後、父親の臼田篤伸さんは結婚紹介所で知り合った女性と再婚したものの、臼田敦伸容疑者はこの義母親とこの母親の連れ子である4歳上の義姉にいじめられていたという事です。
私は2回離婚してます。息子(臼田容疑者)が2歳の時に、0歳の弟もいたのですが、最初の妻と別れました。弟の方は最初の妻が引き取りました。離婚直後、『子どもには母親が必要だ』との親戚の助言を受け、結婚紹介所で知り合った女性と結婚しました。この後妻が、息子より4歳年上の連れ子の娘と一緒になって息子をいじめていたんです。
臼田敦伸の学歴…地元公立校から中高一貫の私立校へ進むも大学進学はせず
臼田敦伸容疑者の学歴については、地元の公立小学校を卒業後、埼玉県内の私立の中・高一貫校へ進学し卒業している事が父親の臼田篤伸さんが明かしています。
父親によれば、臼田敦伸容疑者は小学校までは明るく元気な子で、中学・高校では無視されるなどのいじめがあったものの中学3年間は皆勤だったという事で、学校には真面目に通っていたようです。
地元の小学校を卒業した時、臼田容疑者は明るく元気な子だったという。中学、高校は埼玉県内の私立の男子校に進学。中学3年間は皆勤だった。
「この中学時代に同級生からもいじめられていたようです。暴力を振るわれることはなかったようですが、無視されていたようです。この話も、息子が大人になってから、かなり後で聞きました」
臼田敦伸容疑者は高校時代も成績は悪くなく、父親の臼田篤伸さんは医者になって欲しいという気持ちがあり大学進学を勧めたものの、臼田敦伸容疑者は大学に進学しようとはしなかったという事でした。
地元の公立小学校から中高一貫の私立へ進みました。成績は悪くなかったと思いますがイジメを受けていたようです。私は医者になってほしいという希望があって2回ほど話をしましたが、息子は大学に進学しようとしませんでした。親の方針に従いたくないということだったんじゃないですかね
また、臼田敦伸容疑者の高校ですが全寮制の高校だったという情報も出ています。
取材に応じた父親(79)によると、臼田容疑者は私立の全寮制高校を卒業
これらの情報から臼田敦伸容疑者の最終学歴は「秀明中学校・高等学校」ではないかという推測も出ています。
臼田敦伸の経歴① 長距離トラックやバスの運転手、ウェブサイト制作など
臼田敦伸容疑者の逮捕されるまでの経歴についてもいくつかの情報が明らかにされています。
父親によると、臼田敦伸容疑者は高校を卒業後は実家を出て川崎市内の運送会社の寮に入り、長距離トラックの運転手として8年間生活していたそうです。その後、バスの運転手をしていた事もあるという事でした。
高校を卒業した臼井容疑者は川崎市の運送会社で長距離トラックの運転手として働き、会社の寮で8年間生活していたという。バスの運転手をしたこともあるという。
臼田敦伸容疑者が当時勤めていた会社ですが、「ふそう陸送」と「千代田自交」では無いかと言われています。これは本人のものと思われるfacebookで、以前勤めていたこの2つの会社を労働基準法違反で刑事告訴したが不起訴になったとの内容の投稿がされていたためです。(投稿は2021年1月)
また正確な時期は不明ですがウェブサイト制作の仕事をしていた経歴もあるようです。
臼田容疑者は高校を卒業後、ウェブサイトの制作や長距離トラックの運転手といった職を転々とした。
臼田敦伸の経歴② 反原発活動家
今回の事件から見て15年ほど前(2009年前後)に、臼田敦伸容疑者は実家に戻って父親と2人で暮らし始めていますが、この頃は死刑反対運動に取り組むグループに所属し政治活動家としての側面を見せるようになっていたようです。
2009年の第45回衆院選では、埼玉2区から無所属で出馬する事を目指すも、300万円の供託金を工面できずに立候補を断念していたという事です。この時には「供託金制度は憲法違反」だと訴える訴訟も起こし、それに関連して独学で法律を勉強し行政書士の資格を取得しています。
2010年には市民団体「草の実アカデミー」の集会では講師として登壇しています。
その後、2011年の東日本大震災の後は反原発運動に取り組むようになり、「50日間ぶっ通しデモ」を自らが中心となって組織するなどもしています。
2012年、当時の野田佳彦政権が関西電力大飯原発3、4号機の再稼働の動きを見せた際には、臼田敦伸容疑者らはこれに反対して現地にテントを張り1年以上にわたって抗議運動を続けていたようです。
しかし、反原発運動は失敗に終わり、再び国内の原発の再稼働の流れとなりました。これに挫折を覚えたためか、臼田敦伸容疑者は反原発団体の活動家の仲間らとの連絡を断ち、部屋にこもってホームページ制作などの仕事をしていたという事です。
臼田敦伸の経歴③ 事件の半年前まではウーバーイーツ配達員をしていた
臼田敦伸容疑者は、今回の事件の数年前からウーバーイーツの配達員として働いていたという事ですが、それも事件から見て半年前に辞めて以降は自室に籠る生活だったという事です。
ここ数年はウーバーイーツの配達員をしていたが、半年前にやめて以降、自室にこもっていたという。
父親の臼田篤伸さんによると、事件から見て5年ほど前から自宅でポリタンクや何に使うのかわからない工具を見るようになったそうで、この頃から今回の事件をおこす準備を始めていたのではないかという事です。
臼田敦伸の自宅は川口市の実家の2階でゴミ屋敷生活
出典:https://gendai-m.ismcdn.jp/
既に触れていますが、臼田敦伸容疑者は今回の事件から見て約15年ほど前から埼玉県川口市差間の実家で父親と2人で暮らしていたようです。
したがって、臼田敦伸容疑者の自宅はこの実家です。臼田敦伸容疑者はこの実家の2階を自宅としていたようですが、部屋はゴミ屋敷のようになっていたと実際の写真(父親の提供によるもの)付きで報じているメディアもあります。
臼田敦伸は結婚はしておらず交際相手とは創価学会員とわかり破局
臼田敦伸容疑者は結婚はしておらず独身で、過去に結婚歴もないようです。
父親の臼田篤伸さんによると臼田敦伸容疑者はかつて、原発反対運動で知り合った活動家の年上の女性と交際していた事があり、一時は自宅(父親と同居する川口市内の実家)で一緒に暮らすなど結婚を意識した動きもあったようです。
父親の臼田篤伸さんは臼田敦伸容疑者がこの交際相手と結婚してくれる事を望んでおり、この女性も結婚する気があったという事でしたが、臼田敦伸容疑者の方が結婚はまだと言っていたそうです。
「息子は大飯原発の再稼働反対で、現地で抗議行動をするグループの年上の女性と付き合うようになったんです。女性は(埼玉県川口市の)私と息子の家で同居するまでになり、私は結婚も勧めました。息子は『まだだ』と言っていましたが、女性はその気もあるようでした」
そしてその後、この交際相手の女性が両親も本人も創価学会員である事が判明し、臼田敦伸容疑者がそれに嫌悪感を抱いたために破局したという事です。
女性が両親ともにある宗教団体の信者で、女性自身も2世信者だったことを知って嫌悪感を抱いたのが原因だったとみられるという。
二人の結婚を望んでいた篤伸さんは関西に暮らす女性を訪ねてヨリを戻すよう頼んだりもしたが、臼田容疑者の気持ちが頑なだった。
父親の臼田篤伸さんはそれでも息子の結婚を諦めきれず、相手方の実家を訪れて頭を下げて復縁を頼んだという事でしたが、当の臼田敦伸容疑者がそもそも頑なに結婚を拒んだためそのまま破局となったそうです。
臼田敦伸の現在
臼田敦伸は2024年10月19日に自民党本部と首相官邸を襲撃して公務執行妨害で現行犯逮捕され、翌20日に送検されています。
2024年10月26日時点では取り調べと捜査が続いているようですが、臼田敦伸容疑者は黙秘を続けており、動機や事件を起こした背景などは現在もわかっていない状況です。
容疑者は逮捕後、黙秘を続けており、警視庁公安部が動機や背景を捜査している。
まとめ
今回は、2024年10月19日に自民党本部と首相官邸を襲撃して現行犯逮捕された臼田敦伸容疑者についてまとめてみました。
臼田敦伸容疑者の実家は埼玉県川口市差間で、事件から見て15年ほど前からこの実家で父親と2人で暮らしていたようです。
臼田敦伸容疑者の家族は、父親が歯科医の臼田篤伸さんと母親、弟の存在が確認されていますが、臼田敦伸容疑者が3歳の時に両親が離婚しているため母親と弟とはほとんど一緒に暮らしていないという事です。
臼田敦伸容疑者の学歴については、地元の公立小学校を卒業後、中・高一貫の全寮制の埼玉県内の私立校に進学し卒業した事がわかっています。この私立校ですが「秀明中学校・高等学校」ではないかと推測されています。大学へは進学しておらず最終学歴は高校卒業です。
臼田敦伸容疑者の経歴は高校卒業後は実家を出て川崎市内の運送会社の寮に入り、長距離トラックの運転手やバスの運転手として勤務。その後はWEBサイト制作の仕事などを転々としています。また、反原発などの活動家として市民運動にも加わっていたようです。
臼田敦伸容疑者はこの反原発の活動家としての市民運動を通じて年上の女性と知り合って交際し、自宅で一緒に暮らすなどし、父親や相手女性は結婚も考えていたようですが本人が結婚を望まず、その後、この女性と家族が創価学会員である事判明したのが原因で破局したという事です。
臼田敦伸容疑者は今回の事件で10月19日に逮捕され、20日に送検されていますが、10月26日時点でも黙秘を続けていて動機や背景などは明らかになっていません。