社員の平均年収が全国第2位で知られている超優良起業「キーエンス」を創り上げた滝崎武光さんが話題です。
この記事では滝崎武光さんの生い立ちや学歴や経歴、結婚した嫁や息子などの家族、韓国との関係、自宅の豪邸や年収、驚きの個人資産額などについてまとめました。
この記事の目次
- 滝崎武光(キーエンス創業者)のプロフィール
- 滝崎武光(キーエンス創業者)の生い立ち
- 滝崎武光(キーエンス創業者)の学歴は兵庫県立尼崎工業高等学校卒業
- 滝崎武光(キーエンス創業者)の経歴① 高校卒業後外資系企業に就職
- 滝崎武光(キーエンス創業者)の経歴② 独立するも2度の会社倒産を経験
- 滝崎武光(キーエンス創業者)の経歴③ リード電機を創業し成功を収める
- 滝崎武光(キーエンス創業者)の家族① 息子は滝崎武史
- 滝崎武光(キーエンス創業者)の家族② 結婚した嫁は滝崎美弥子
- 滝崎武光(キーエンス創業者)と韓国の関係は?
- 滝崎武光(キーエンス創業者)の自宅
- 滝崎武光(キーエンス創業者)の年収
- 滝崎武光(キーエンス創業者)の純資産は2兆円超え
- まとめ
滝崎武光(キーエンス創業者)のプロフィール
滝崎武光のプロフィール
生年月日:1945年6月10日
出身地 :兵庫県芦屋市
滝崎武光さんは、2021年度のデータで社員の平均年収が全国2位の会社として知られる電気機器メーカー「キーエンス」の創業者です。2015年からは同社の取締役名誉会長に就任されています。
滝崎武光さんは1代で超優良企業「キーエンス」を築き上げた超凄腕の経営者ですが、メディアへの露出を嫌うため、どのような人物なのかを含め、生い立ちや詳しい経歴、家族の情報などの多くは謎に包まれています。
今回はこの滝崎武光さんについてこれまでにわかっている事を出来る限り詳しくまとめていきます。
滝崎武光(キーエンス創業者)の生い立ち
滝崎武光さんはほとんどメディアに露出することがなく、その生い立ちも謎に包まれています。
滝崎武光さんは、太平洋戦争終結直前の1945年6月10日に兵庫県芦屋市で生まれていますが、どのような家族で育ったのか、どのような子供だったのかなど、その生い立ちがわかるような具体的なエピソードは何一つ公表されていません。
滝崎武光(キーエンス創業者)の学歴は兵庫県立尼崎工業高等学校卒業
滝崎武光さんの学歴についても生い立ちと同様に謎が多く、地元の公立校「兵庫県立尼崎工業高等学校」を卒業したという事以外は何も明らかにされていません。
滝崎武光さんの出身高校の「兵庫県立尼崎工業高等学校」の最新の偏差値は「43〜45」とあまり学力レベルの高い学校ではありません。滝崎武光さんは高校卒業後すぐに就職しており、最終学歴は高卒となります。
高校時代の滝崎武光さんは、当時加熱していた学生運動の指導的立場にあったそうです。ただ、その学生運動を通じて、「イデオロギー」では世の中は変化しないと悟り、それならばビジネスを通じて「世の中を変えよう」と起業家の道を志されたそうです。
滝崎武光さんの出身小学校や出身中学校などの高校進学前の学歴は不明です。
滝崎武光(キーエンス創業者)の経歴① 高校卒業後外資系企業に就職
滝崎武光さんは1964年3月に兵庫県立尼崎工業高校を卒業し、同年4月に外資系のプラント制御機器メーカーのロックウェル・リパブリックに就職されています。
滝崎武光さんは、就職した頃から将来の独立を考えられていたそうで、「この会社に就職したのは技術を学ぶためだった」と話されていた事があります。滝崎武光さんはこのロックウェル・パブリック社では、オートメーション化された機械を制御するシステムを作るシステムエンジニアとして働かれていたようです。この時期に、滝崎武光さんはフォードやIBMの経営者らの経営手法が書かれた本をたくさん読まれたそうです。
滝崎武光(キーエンス創業者)の経歴② 独立するも2度の会社倒産を経験
滝崎武光さんは就職から6年後の1970年、24歳の時に独立して、仲間との共同経営で「電子機器メーカー」を設立していますが倒産の憂き目にあっています。その後、メーカーの組み立て下請け企業で2度目の企業を試みますが、こちらも短期間のうちに倒産しています。
当時、これらの会社で滝崎武光さんは、当時の人気クイズ番組だった「アップダウンクイズ」で使用されたゴンドラの電気制御装置の製作や、日清の工場ラインの電気系統の設計などを手掛けられていますが、大手企業に依存した下請け仕事では安定した収益を上げる事が難しく経営はうまくいきませんでした。
滝崎武光(キーエンス創業者)の経歴③ リード電機を創業し成功を収める
滝崎武光さんは2度の起業と倒産を経験後の1972年3月、26歳の時に「キーエンス」の前身となる「リード電機」を設立して3度目の起業に挑戦しています。
この「リード電機」創業時の主力事業は、電線メーカー向けの自動線材切断機器で、当時最新の電子制御を利用して、従来かなり大型だった機械の小型化を成功させ事業を軌道に乗せます。
1974年には、当時、プレス加工の工程で板金の二重送りという事故で高額な金型が壊れてしまう事に悩まされていた「トヨタ自動車」に、板金の二重送りを未然に防ぐ「センサー」を売り込んで契約にこぎつけてトヨタ自動車の全工場で採用された事で安定的な収益を確保し、同年5月には「リード電機」を株式会社化しています。
その後、「リード電機株式会社」は、「センサーを活用して顧客工場に対する生産改善をコンサルティングする」ことを主力事業に据えてセンサーの直販営業会社として事業を拡大し、1982年3月期の決算では、売上高9億円で経常利益は3億円と、設立から10年目にしてすでに現在の「キーエンス」の高収益体質の土台を築き上げていました。
また、コンサルティングを主力とした事業では優秀な人材の確保が不可欠であるため、この時期のキーエンスは積極的な中途採用で「30歳前後で年収1000万円」という高額報酬を提示して優秀な人材の確保を試みています。これも、現在の「キーエンス」の全国屈指の平均年収額へと繋がっています。
その後も、滝崎武光さんは「リード電機」の業績を急拡大させ、1986年には社名を「キーエンス」に改め、翌1987年には株式上場を果たし、1991年には任天堂の株価を抜いて「株価日本一」の地位へも躍り出ています。そうして、滝崎武光さんは瞬く間に「キーエンス」を現在の圧倒的な成功へと導きました。
滝崎武光(キーエンス創業者)の家族① 息子は滝崎武史
滝崎武光さんの家族についても見ていきます。
滝崎武光さんには、1972年12月26日に誕生した息子(長男)の滝崎武史さんがいます。
この滝崎武光さんの息子の滝崎武史さんですが「キーエンス」の株式を保有していた時期はあるものの経営には関わっておらず情報があまりありません、ただ、2016年に1500億円もの申告漏れを国税局から指摘され、300億円の追徴課税を課されて納付したというニュースが流れた事がありました。
キーエンスの創業者、滝崎名誉会長の長男が大阪国税局の税務調査を受け、贈与された資産管理会社の株式をめぐり1500億円を超える申告漏れを指摘されたとされる。長男は、滝崎氏から贈与された非上場の一族の関連会社株式について、申告した株式評価が著しく低いと判断された模様。大阪国税局は、過少申告加算税を含め300億円超の追徴課税を行い、既に全額を納付したようである。
滝崎武光さんの息子の滝崎武史さんは、「キーエンス」の資産管理を目的に滝崎武光さんが設立した「株式会社ティ・ティ」を名目上の勤務先としてしています。そして、滝崎武光さんはこの「株式会社ティ・ティ」を傘下に収める非上場の会社の株式を息子の滝崎武史さんに贈与しており、その株式の申告額が実態よりも著しく低い事を指摘されたようです。
この事から、息子の滝崎武史さんは多額の資産贈与を受けている事が窺われますが、「キーエンス」や関連会社の経営に関わっている様子は見られないようです。
滝崎武光(キーエンス創業者)の家族② 結婚した嫁は滝崎美弥子
滝崎武光さんの結婚した嫁は滝崎美弥子さんという方です。
滝崎武光さんの嫁の滝崎美弥子さんは、1947年8月8日生まれで、滝崎武光さんの2歳年下です。
結婚した正確な時期は不明ですが、息子の滝崎武史さんが1972年12月26日に誕生しているので、滝崎武光さんが1度目の独立起業をした1970年前後に結婚した可能性が高いと思われます。
滝崎武光さんが現在の成功を収めるきっかけを掴んだ時期ともちょうど重なるため、この嫁の滝崎美弥子さんの支えも大きかったのでは無いかと思われます。
この滝崎武光さんの嫁の滝崎美弥子さんは、息子の滝崎武史さんのところでも触れた資産管理会社「株式会社ティ・ティ」の代表取締役に就任されているようです。
滝崎武光(キーエンス創業者)と韓国の関係は?
インターネットの検索エンジンでは、滝崎武光さんと「韓国」というワードが関連づけられているようです。
ただ、滝崎武光さんが韓国籍出身というわけでもありませんし、韓国との関連を窺わせるような情報は特に何も見つからないようです。
在日韓国人の方が全国的に見て多い関西地方の出身という事や、その生い立ちについてほとんど何も語らず謎に包まれている事などから「韓国」というワードが関連づけられてしまったようです。
滝崎武光(キーエンス創業者)の自宅
出典:https://presidenthouse.net/
滝崎武光さんの自宅は、株式の大量保有報告書などに記載された情報などから、大阪府豊中市の住宅街にある豪邸だと特定されています。インターネット上では滝崎武光さんの自宅のGoogleアースで見た画像がアップされているので紹介しておきます。
出典:https://presidenthouse.net/
出典:https://presidenthouse.net/
さすがは、「天下のキーエンス」を築き上げた滝崎武光さんの自宅といった偉容ですね。
滝崎武光(キーエンス創業者)の年収
滝崎武光さんは社員の平均年収が全国2位で知られる「キーエンス」の創業者として有名ですが、本人の年収にも注目が集まっています。
滝崎武光さんの年収は「9.8億円」と推測されていますが、正確な年収額は不明です。
滝崎武光(キーエンス創業者)の純資産は2兆円超え
滝崎武光さんの資産にも興味が集まっています。
アメリカの経済誌「フォーブス(Forbes)」によれば2020年の時点で滝崎武光さんの総資産は「212億ドル(当時のレートで約2兆2500億円)」と試算され、日本国内第3位の資産家としてランクインしています。(1位はソフトバンクの孫正義さん、2位はユニクロの柳井正さん)
2019年3月から2020年3月までの有価証券報告書によれば、滝崎武光さんは「キーエンス」の株式を「18,754,472株」保有されています。2021年5月現在、「キーエンス」の株価は5万3千円台で推移しているため、この保有株式だけで約1兆円の資産価値があります。
フォーブスが伝えた滝崎武光さんの総資産のうち約半分がキーエンスの株式という事になりますが、残りの資産をどのような形で保有されているのかは不明です。
まとめ
今回は、社員の平均年収額が全国2位で知られる超優良起業「キーエンス」の創業者として知られる滝崎武光さんについてまとめてみました。
滝崎武光さんはメディア露出を極端に嫌うため、その生い立ちなどは謎に包まれていますが、1945年6月10日の生まれで、兵庫県芦屋市の出身であることはわかっています。
滝崎武光さんは、1964年3月に地元の公立高校である兵庫県立尼崎工業高等学校を卒業後、外資系のプラント制御機器メーカーのロックウェル・リパブリックに就職し6年間技術を学んだ後、2度独立起業し共に倒産の憂き目をみたという経歴を持たれています。
その後、3度目の挑戦で、1972年に「キーエンス」の前身となる「リード電機」を起業し、dy社を現在の圧倒的な成功へと導きました。
滝崎武光さんの家族は、息子の滝崎武史さんと1970年頃に結婚したと思われる嫁の滝崎美弥子さんの存在が明らかになっていますが、こちらも詳細は不明です。
滝崎武光さんの自宅は大阪府豊中市の住宅街にある豪邸で、年収額は「9.8億円」と推測されていますが詳細は不明。個人資産額は、アメリカの経済誌「フォーブス(Forbes)」の試算で2020年の時点で「212億ドル(当時のレートで約2兆2500億円)」だとみられています。