プーチン大統領の側近だったプリゴジンが自身の民間軍事会社ワグネルで武装蜂起を起こし注目を集めましたが、その2ヶ月後には乗っていた自家用ジェット機が墜落し死亡しています。
この記事ではプリゴジンがプーチンの料理人と呼ばれた経緯や民間軍事会社「ワグネル」設立などの経歴、結婚した嫁や子供など家族、自宅など資産と死亡した現在についてまとめました。
この記事の目次
- プリゴジンは民間軍事会社「ワグネル」創設者で「プーチンの料理人」
- プリゴジンの年齢
- プリゴジンの経歴① 20代前半に強盗、詐欺、売春斡旋などで有罪9年収監
- プリゴジンの経歴② ホットドッグ販売ビジネスからレストラン事業で成功
- プリゴジンの経歴③ プーチンの信頼を得て「プーチンの料理人」の異名
- プリゴジンの経歴④ 民間軍事会社「ワグネル」を設立
- プリゴジンの家族① 母親は元教師で医師のヴィオレッタ・プリゴジナ
- プリゴジンの家族② 父親のヴィクトル・プリゴジンは9歳の時に死去
- プリゴジンの家族③ 継父はクロスカントリー指導者のサムイル・ザルコイ
- プリゴジンの家族④ 結婚した嫁はリュボフ・ヴァレンティノヴナ・プリゴジナ
- プリゴジンの家族⑤ 嫁との間に子供が3人(娘2人と息子1人)
- プリゴジンの自宅
- プリゴジンの資産は推定で10億ドル(1000億円以上)
- プリゴジンの現在~ワグネルの反乱から2ヶ月後に墜落死
- まとめ
プリゴジンは民間軍事会社「ワグネル」創設者で「プーチンの料理人」
プリゴジンのプロフィール
本名 :エフゲニー・ヴィクトロヴィッチ・プリゴジン
生年月日:1961年6月1日
出身地 :ソビエト連邦・レニングラード
通称 :プーチンの料理人
エフゲニー・ヴィクトロヴィッチ・プリゴジン(Евге́ний Ви́кторович Приго́жин)氏は、ロシアのオリガルヒ(新興財閥、大富豪)の1人で、ロシアのプーチン大統領の信頼する側近だった人物です。
プリゴジン氏は、プーチンの私兵とも言われた、民間軍事会社「ワグネル・グループ」の創設者であり、このワグネルを使ってロシア軍の戦場での汚れ仕事を引き受けてきたとされています。
プリゴジン氏はプーチン大統領とは古くからの友人関係にあり、高級レストラン事業やケータリング事業を展開していた事からプーチン大統領と外国高官との食事を担当し、ロシア軍への食事の配給なども任されたため「プーチンの料理人」の異名でも知られていました。
プーチンの信頼厚い側近と見られていたプリゴジン氏でしたが、2023年5月頃からウクライナ戦争においてワグネルの部隊が、ロシア軍の尻拭いのような仕事をさせられ、軍上層部の不手際によってワグネルの兵士が犠牲になっているなどとSNSで不満を発信するようになり、ロシア国防省との対立を深めました。
そして、2023年6月23日に、プリゴジン氏はSNSの動画配信で武装蜂起を宣言。ワグネルの部隊をモスクワに向けて進軍させ25日までにモスクワまで200kmの地点まで迫りました。しかし、ロシアの同盟国であるベラルーシのルカシェンコ大統領の仲介により武装蜂起は中止されました。
プリゴジン氏はベラルーシへと亡命したものとみられていましたが、7月になって6月29日にプリゴジン氏とプーチン大統領が会談していたことをロシア政府が発表しています。
その後、プーチン大統領がプリゴジン氏の暗殺指令を出したことが報じられました。そして、プリゴジン氏は2023年8月23日に、原因は不明ながら乗っていたビジネスジェットがモスクワで墜落し死亡しています。
プリゴジンの年齢
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プリゴジン氏は、1961年6月1日の生まれで、2023年6月1日の誕生日で「62歳」を迎えました。享年も62歳ということになります。
プリゴジンの経歴① 20代前半に強盗、詐欺、売春斡旋などで有罪9年収監
プリゴジンは1961年6月1日にソビエト連邦時代のレニングラード(現在のロシア・サンクトペテルブルク)でひとりっ子として生まれました。
父親が早くに亡くなったため幼い頃は地元の病院で医師として働く母親と、その再婚相手の継父によって育てられています。
プリゴジンは学生時代はクロスカントリーの選手を目指し、全寮制の名門陸上学校を1977年に卒業しています。
しかしその後、プリゴジンはケガによってクロスカントリー選手の夢を断念し、引退後は子供向けスポーツスクールでフィットネストレーナーとして働いていました。
1979年11月、18歳だったプリゴジンは窃盗で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けます。執行猶予期間中、プリゴジンはヴェリーキイ・ノヴゴロドの化学工場で勤務しましたが、1980年にギャンググループに加わり、1981年にレニングラードの高級住宅街の強盗に参加し、宝石を盗んだ女性の首を絞めているところを駆けつけた警官によって逮捕されます。
プリゴジンは強盗、詐欺、未成年者への売春斡旋などの罪で有罪判決を受け禁錮12年を言い渡されています。その後、9年間刑務所に収監された後、恩赦を受けて1990年に釈放されています。
プリゴジンの経歴② ホットドッグ販売ビジネスからレストラン事業で成功
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1990年、29歳の時に出所した後、プリゴジンは母親と継父と共に、レニングラードのアプラクシン・ドヴォル青空市場のフリーマーケットでホットドッグを売る商売を始め、これが大きな成功を収めます。
プリゴジンは、ソ連崩壊後の企業民営化の流れのビジネスチャンスに乗じ、ホットドッグ販売業で得た資金をを元手に様々な事業に関わりました。
1991年から1997年にかけては、プリゴジンは元同級生の立ち上げたサンクトペテルブルク初の食料品店チェーンを展開するコントラスト社の大株主となって経営に参画。一方でギャンブル事業にも関与して、サンクトペテルブルク初のカジノを設立したスペクトラムCJSCのCEOにも就任しています。
この頃、プーチン大統領は、サンクトペテルブルクの市長のアナトリー・サプチャークの側近として同市のカジノとギャンブルの監督委員会の委員長を務めており、この頃にプリゴジンとプーチン大統領は知り合ったと言われています。
そして1995年プリゴジンはレストラン事業に参入し、コントラスト社の取締役であるキリル・ジミノフと共に、サンクトペテルブルクに高級レストラン「オールド・カスタムズ・ハウス」をオープンさせ、1997年にはヴャトカ川に放置されていた錆びた船を40万ドルをかけて改造し、水上レストラン「ニューアイランド」をオープンさせました。
この「ニューアイランド」が評判となり、プリゴジンはレストラン事業でも大きな成功を収める事になりました。
プリゴジンの経歴③ プーチンの信頼を得て「プーチンの料理人」の異名
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2000年にロシアの大統領に就任したプーチン大統領は、2001年にフランスのシラク大統領(当時)との食事に、プリゴジンの経営するレストラン「ニューアイランド」を使いました。
さらに、プーチン大統領は2002年にはアメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)との会食を、2003年には自身の誕生日パーティをこの「ニューアイランド」で行っています。
こうしてプーチン大統領の信頼を得たプリゴジンは「プーチンの料理人」の異名で知られるようになりました。
プーチン大統領はプリゴジンを重用するようになり、プリゴジンはレストラン事業を拡大。新たに「コンコルド・ケータリング」を設立してケータリング事業にも参入し、学生や政府関係者へのケータリングを担当する数億ドル規模の契約を政府と結び、2012年にはロシア軍に年間12億ドルの食事を提供する大型契約も結んでいます。
プーチン大統領の信頼を得た事でプリゴジンは巨万の富を手にする事となりました。
プリゴジンの経歴④ 民間軍事会社「ワグネル」を設立
2014年、ウクライナのドンパス地方で勃発したドンパス戦争で、ロシア軍を支援するために民間軍事会社「ワグネル・グループ」を設立しています。
ワグネルは、プーチン大統領の後ろ盾の下実質的にロシア軍の別働隊としてアフリカや中東の紛争にも介入し様々な利権を得ました。ロシア政府も公式には関与を否定しつつワグネルを利用する事でアフリカや中東地域で大きな利権を得ていたとされ、ワグネルは「プーチンの私兵」とも呼ばれています。
しかし、プリゴジンは泥沼化するウクライナ戦争でワグネルが使い捨てのように扱われている事に不満を持つようになり2023年6月に武装蜂起を宣言し、ワグネルの武装部隊をモスクワに向けて進軍させました。これは「プリゴジンの乱」、「ワグネル反乱」などと呼ばれ、世界中の注目を集めましたが、ベラルーシのルカシェンコ大統領の仲介によって反乱はすぐに収束しました。
この反乱によりプリゴジンはプーチン大統領からも危険視されるようになったとされ、暗殺命令が下されたとの情報も流れました。
プリゴジンの家族① 母親は元教師で医師のヴィオレッタ・プリゴジナ
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プリゴジンの母親はヴィオレッタ・プリゴジナという1939年12月生まれの人物で、プリゴジンの生まれる前や若い頃は出身地のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)で教師や医師として働いていました。
プリゴジンがプーチン政権の下で巨額の富を築き上げた後は、プリゴジンが経営していた「コンコルド・マネジメント・アンド・コンサルティングLLC」をはじめ、いくつかの企業の法律上の代表者となっています。
ロシアのウクライナ侵攻に関連し、ロシアのオリガルヒが欧米諸国とその同盟国の経済制裁の対象となった際に、この母親のヴィオレッタの資産も制裁対象に含まれています。
プリゴジンの家族② 父親のヴィクトル・プリゴジンは9歳の時に死去
プリゴジンの父親は、ヴィクトル・エフゲニエヴィチ・プリゴジンという人物で、鉱山技師でした。しかし、プリゴジンが9歳の時に亡くなっています。
プリゴジンの父親のヴィクトルはユダヤ人で、その父(プリゴジンの祖父)のエフゲニーは赤軍(ソ連軍)の大尉で第二次世界大戦でドイツ軍と戦っています。(したがってプリゴジンもユダヤ系)
プリゴジンの家族③ 継父はクロスカントリー指導者のサムイル・ザルコイ
プリゴジンは父親が幼い頃に亡くなったため、母親と継父によって育てられました。
プリゴジンの継父はサムイル・フリドマノビッチ・ザルコイという人物で、スキー競技のクロスカントリーの指導者をしていました。
プリゴジンは学生時代はこの継父からクロスカントリーの指導を受け、クロスカントリー選手を目指し打ち込んでいましたが、怪我によって挫折しています。
プリゴジンの家族④ 結婚した嫁はリュボフ・ヴァレンティノヴナ・プリゴジナ
出典:https://sanctions.nazk.gov.ua/
プリゴジンは結婚しており、嫁はリュボフ・ヴァレンチノヴナ・プリゴジナという人物です。
プリゴジンが嫁のリュボフと結婚した時期は不明ですが、嫁のリュボフは1970年6月26日生まれで、プリゴジンの9歳年下です。また、プリゴジンと嫁のリュボフの1人目の子供は1992年に生まれています。こうした事からプリゴジンが嫁のリュボフと結婚した時期は、プリゴジンが強盗罪などの服役から出所した1990年から1992年の間ではないかと推測されます。
プリゴジンの嫁のリュボフは薬剤師であると共に実業家であり、サンクトペテルブルクの有名店であるチョコレートミュージアムを経営する企業を展開する他、サンクトペテルブルクのジューコフスキー通りに「クリスタルスパ アンド ラウンジ(Crystal Spa & Residence)」というデイスパを経営しています。
また、プリゴジンの経営する「コンコルド・マネジメント・アンド・コンサルティングLLC」の子会社の「アガットLLC」を2019年までオーナーとして所有していました。
この嫁のリュボフも、プリゴジンの母親のヴィオレッタ・プリゴジナと同様に欧米諸国とその同盟国からの経済制裁の対象とされています。
プリゴジンの家族⑤ 嫁との間に子供が3人(娘2人と息子1人)
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プリゴジンと嫁のリュボフとの間には3人の子供が生まれています。
プリゴジンと嫁のリュボフの1人目の子供は、1992年に誕生した長女のポリーナ、2人目の子供は、1996年か1998年生まれ(はっきりしない)の長男のパベル、3人目の子供は2005年生まれのベロニカです。
3人目の子供の次女のベロニカは2022年2月にスペインで開催された馬術競技会に出場しています。
プリゴジンの子供達3人の資産も、欧米諸国とその同盟国による経済制裁の対象とされています。
プリゴジンの自宅
プリゴジンはロシアの億万長者の1人で自宅はかなりの豪邸である事が知られていました。
イギリスのタブレット紙・デイリーメールが2018年に報じたところによると、プリゴジンの自宅の1つは、黒海沿岸のゲレンジークの森林自然保護区の中に建てられており、敷地面積は10エーカー(約4万平方メートル)で、その土地の小高い丘の上にプール付きの自宅が建てられているとの事です。
また、プリゴジンはサンクトペテルブルク近郊にも自宅を所有しており、こちらの不動産価値は1500万米ドル(日本円にして20億円程度)と報じられていました。
プリゴジンの自宅については、一部の日本のメディアがバスケットボールコートやヘリポートを備えた大邸宅と報じています。
プリゴジンはバスケットボールのコートとヘリコプター発着場を備えた大邸宅に引っ越し、プライベートジェットと大型ヨットも入手して、贅沢な生活を送っていたという。
プリゴジンの資産は推定で10億ドル(1000億円以上)
プリゴジンの正確な総資産は不明ですが、いくつかの欧米メディアでは推定10億米ドルと見られていました。レートは変動しますが、概ね日本円にして1000億円以上の資産を保有していたと見られているという事になります。
2018年のイギリスのタブレット紙・デイリーメールの報道によれば、プリゴジンは8億4700万ルーブル(約1500万米ドル)の不動産資産を保有しているとの事でした。日本円にすると20億円ほどの資産価値という事になります。
また、同紙によると、プリゴジンは121フィート(約36メートル)のヨットも資産として保有していたとの事です。
プリゴジンの資産として紹介されているヨット(上の画像)は、「セント・ビタミン」という名前で、ベットルーム6室にダイニング、テラス、キッチン、スタッフ部屋、2つのデッキを備えた豪華ヨットだという事です。
プリゴジンはヨットの他にも、プライベートジェットなどの資産も保有していたとされています。
また、同紙では、プリゴジンの資産としてクラシックなキャデラックも紹介されていました。(上の画像)
このキャデラックの値段までは不明ですが、類似の車種から推測して、中古でも1000万円近くするものだと思われます。
デイリーメールで暴露されたプリゴジンの資産はほんの一部で、その他にも様々な富を保有していたと見られています。
プリゴジンの現在~ワグネルの反乱から2ヶ月後に墜落死
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2023年6月23日、プリゴジンが武装蜂起を宣言し、自身の民間軍事会社「ワグネル」の部隊をモスクワに進軍させた事で、プーチン大統領は「裏切り行為」と激怒したとも報じられており、プーチン大統領がプリゴジンの暗殺を命じたとの情報も出ていました。
プリゴジンは、ベラルーシのルカシェンコ大統領の仲立ちで、ロシアを出てベラルーシに亡命しており、2023年6月27日にベラルーシの監視団体も飛行機でプリゴジンがベラルーシに到着した事を発表しています。
ベラルーシ国営ベルタ通信によると、ルカシェンコ大統領は27日、ロシアの民間軍事会社ワグネルの創設者プリゴジン氏について、「きょうベラルーシにいる」と語った。これより先、プリゴジン氏が乗った可能性があるビジネスジェット機が27日午前7時40分(日本時間同日午後1時40分)、首都ミンスク郊外のマチュリシチ空軍基地に到着したと、ベラルーシの独立系監視団体「ガユン」が明らかにしていた。
プリゴジンには一時死亡説も流れていましたが、2023年7月28日にロシア文化センター所長のSNS上にプリゴジンの写真が公開され生存が確認されました。
しかし、8月23日にプリゴジンら10人が搭乗したプライベートジェット機が、モスクワからサンクトペテルブルクへ向かう途中に高度8534mでフライトレーダーから忽然と姿を消し墜落したことが報じられました。
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搭乗していた10人は全員死亡し、全員の遺体を回収したことが翌日に発表されました。
遺体のDNA鑑定を行った結果プリゴジンの死亡が確認されたとの事で、プリジゴンは8月29日にサンクトペテルブルクで密葬が執り行われ、同市にある墓地に埋葬されたようです。
ワグネルの反乱以降、いずれ粛清されるであろうと言われてきたプリゴジンは、プーチン大統領により暗殺された可能性が高いとの見方が強まっています。
ただ、ジェット機がミサイルで撃墜されたという説や爆発物が機内に仕掛けられていたという説などがあがっていますが、ジェット機墜落の真相は不明のままとなっています。
ワグネルの関連会社が所有するジェット機が墜落したのは、モスクワの北西約300キロのトベリ州クジェンキノだった。航空当局によると、プリゴジン氏とともにワグネルを創設した露軍参謀本部情報総局(GRU)元高官ドミトリー・ウトキン氏も搭乗していた。SNSには煙を噴いて急降下するジェット機の様子や、墜落後に炎上する残骸が撮影された動画が拡散している。墜落前に「爆発音を2回聞いた」との目撃者の証言などから、ワグネルの関連団体は地対空ミサイルで撃墜されたと主張している。
ジェット機の墜落事故の後、プーチン大統領は「亡くなった全員の家族に誠心誠意、哀悼の言葉を伝えたい」と述べてます。
また、プリゴジンについては「人生において深刻な過ちをいくつか犯した」「有能な人物だった」などとと語っていました。
プリゴジン氏については、1990年代初めからの知り合いで、「複雑な人生」を送った人だと振り返った。「人生において深刻な過ちをいくつか犯した。しかし、たくさんの成果を上げた。自分のためだけでなく、私が頼んだ時には全員の共通の利益のため。ここ数カ月間、そうしていたように」とも述べた。「彼は有能な人で、有能なビジネスマンだった。この国で働き結果を出しただけでなく、外国でもそうだった。特にアフリカで。アフリカでは石油や天然ガス、貴金属や貴石を扱っていた」とも話した。
まとめ
今回は、「プーチンの料理人」と呼ばれ、「プーチンの私兵」とも言われた民間軍事会社「ワグネル」の創始者でもあるロシアのオリガルヒ・プリゴジンについてまとめてみました。
プリゴジンの経歴については、学生時代はスキーのクロスカントリーの選手を目指すも怪我により挫折。10代後半から20代前半にかけてギャンググループに加わり、強盗や売春斡旋、詐欺などで逮捕されて有罪となり9年間収監されています。
出所後は、家族と共に事業を始め、レストラン事業などで成功。プーチン大統領と親しくなった事で巨万の資産を築き、ロシアのオリガルヒの1人となりました。
家族については、元教師で医師で現在は実業家の母親、9歳の時に亡くなった父親、クロスカントリー指導者の継父、1990年から1992年の間に結婚したと見られる薬剤師で実業家の嫁、嫁との間の3人の子供の存在がわかっています。
プリゴジンの資産については、1500万米ドルのサンクトペテルブルク近郊の自宅や、黒海沿岸のゲレンジークの森林自然保護区の中に建てられた敷地面積は10エーカーの豪邸を保有していル他、ヨットやプライベートジェット、キャデラックなども保有していた事がわかっています。
プリゴジンは、自身の民間軍事組織「ワグネル」を使った武装蜂起が失敗に終わりプーチン大統領の怒りを買った事で、暗殺指令が出されているとも報じられていました。そんな中、プリゴジンは2023年8月に乗っていたジェット機が墜落し死亡しています。当然のことながらプーチン大統領による暗殺の可能性も指摘されており、その不可解な死の真相にロシア国外からも注目が集まっています。