1960年代から1980年代まで女優や歌手として絶大な人気を誇った中村晃子さんが話題です。
ここでは、中村晃子さんの若い頃の経歴や当時のかわいい画像、服部晴治さんを大竹しのぶさんに略奪されて結婚できなったエピソード、今現在の様子などについてまとめました。
この記事の目次
中村晃子のプロフィール
中村晃子のプロフィール
生年月日:1948年1月3日
出身地 :千葉県習志野市
身長 :163cm
血液型 :O型
サイズ :B85・W60・H88
中村晃子(なかむらあきこ)さんは、1960年代から1980年代にかけて、歌手や女優として絶大な人気を集めた方で、歌手としては80万枚を売り上げた大ヒット曲「虹色の湖」をはじめとし「あまい囁き」、「恋の綱わたり」などのヒット曲で知られています。
女優としては千葉真一さん主演の時代劇「影の軍団III」十六夜のお鈴役などで人気を集めました。
中村晃子さんは若い頃は、当時の女性のファッションとしては斬新だったジーンズや、セクシーなへそ出しルックなど時代に先駆けたファッションを次々と取り入れ、当時のかっこいい女性の代名詞的存在として若者人気を集める存在でした。
今回はそんな中村晃子さんについてまとめます。
中村晃子の若い頃① 高校時代に女優デビューし田村正和や安藤昇と共演
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続けて中村晃子さんの若い頃の経歴や画像をみていきます。
中村晃子さんは、オペラ歌手の村山雪子(東光子)さんと警察官の父の間に千葉県習志野市で生まれました。
中村晃子さんは、昭和学院高等学校に在学中だった1963年に、第2回ミス・エールフランスコンテストに出場して準グランプリに輝いたのをきっかけに女優として芸能界入りしました。
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初主演映画は、1965年公開の映画「ちんころ海女っこ」で、セクシーな演技が話題を呼び注目されます。
1965年頃からは田村正和とセットで売り出された
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新人時代は、当時若手俳優だった田村正和さんとペアで売り出され、1965年8月公開の映画「俺たちの恋」1966年1月公開の「雨の中の2人」、同年5月公開の「空いっぱいの涙」などで主に主人公とヒロインの役として共演しています。
ただ、この時にはお互いにあまり売れず、ブレイクする事はできませんでした。
安藤昇とのラブシーンを演じて話題に
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中村晃子さんはその後の1966年後半、元ヤクザの経歴を持つ俳優安藤昇さんと共演し、その自叙伝的映画である「望郷と掟」、「炎と掟」のヒロイン役に抜擢され、ラブシーンを演じて話題になりました。
また中村晃子さんはこの頃、当時絶大な人気を誇ったドリフ映画の一つ「なにはなくとも全員集合!!」にも出演されています。
中村晃子の若い頃② 歌手デビューし「虹色の湖」の大ヒットで紅白出場
中村晃子さんは1965年10月25日にシングル曲「青い落葉」をリリースして歌手デビューしています。
その後も女優業と並行して歌手としての活動を続け、1967年10月に発表した7枚目のシングル「虹色の湖」は、当時のグループサウンド全盛期では異例となる女性ソロ歌手で80万枚を売り上げる大ヒットを達成し、この曲で1968年末の紅白歌合戦にも出場しました。
さらに、翌1968年にリリースした8thシングル「砂の十字架」もヒットを記録し、中村晃子さんは人気歌手としての地位を確立しています。
その後も、中村晃子さんは歌謡歌手として長く活躍され、1973年にリリースの「あまい囁き」や1980年リリースの「恋の綱わたり」などの大ヒット曲があります。
若い頃の中村晃子のレコードジャケットがかわいい
中村晃子さんのレコードジャケット写真はかなりかわいいので何枚か紹介します。
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中村晃子の若い頃③ 映画やドラマ、舞台、海外作品の吹き替えなど幅広く活躍
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中村晃子さんは歌手としての成功後も女優としてドラマや映画、舞台などで多数の作品に出演されています。
ドラマでは、1982年に放送された千葉真一さん主演のアクション時代劇「影の軍団Ⅲ」の十六夜のお鈴役が当たり役となって演技の幅を広げています。
また映画では、1983年のヒット映画「探偵物語」に出演した他、その類まれなセクシーさから、日活ロマンポルノでも活躍し、1987年公開の「待ち濡れた女」などに主演しています。
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また、中村晃子さんは吹き替え声優としても活躍し、名作「天使にラブ・ソングを…」の主人公・デロリスの声や、海外ドラマ版「チャーリーズ・エンジェル」のジル・マンローの声など、多数の海外作品の吹き替えを担当されています。
他にも、アニメ声優として、1982年の劇場アニメ「コブラ SPACE ADVENTURE」のヒロイン、ジェーン・フラワー役を演じるなど、幅広い活躍を見せていました。
中村晃子の若い頃④ ヘアヌード写真集も話題に
中村晃子さんはそのセクシーなイメージでも人気を集めており、セクシー路線の写真集「HAPPY SUPER SCENE」を発表して話題になり、それから約20年後の1994年にも20代以来となるヘアヌード写真集「FREE HAND」を発表し、全く衰えを感じさせないその美貌が話題になりました。
この写真集では、中村晃子さん自ら構図の絵コンテを担当したこだわりの作品という事でも注目を集めました。
中村晃子はテレビディレクターの服部晴治と婚約し同棲していた
続けて、中村晃子さんの恋愛関係の情報を見ていきます。
中村晃子さんは、TBSのテレビディレクターの服部晴治さんと交際していました。当時、中村晃子さんと服部晴治さんは婚約もしていて同棲して事実婚状態だったようです。
中村晃子さんと婚約していた服部晴治さんは1940年生まれで、中村晃子さんの8歳年上で、70年代のTBSの大ヒットドラマ「寺内貫太郎一家」や、1965年から1990年にわたって放送されたTBSの長寿ドラマ「時間ですよ」の演出を手掛けるなど、TBSきっての敏腕ディレクターとして知られていた方です。
服部晴治さんは業界きってのモテ男としても知られていて、中村晃子さんと婚約していた当時は既に離婚歴が2度ありました。
一方の中村晃子さんは、以前には俳優の西郷輝彦さんとのドライブデートなどが報じられたことがありますが、その他には特に恋愛スキャンダルはなく、セクシーなイメージで売っていた反面、恋愛面では真面目な性格だったようです。そうしたギャップも中村晃子さんの魅力の一つだったと言えるのではないでしょうか。
中村晃子は服部晴治を大竹しのぶに略奪され結婚できなかった
TBSの敏腕テレビディレクターの服部晴治さんと婚約し、同棲もしていた中村彰子さんでしたが、実はその後破局しています。
破局原因となったのは、女優の大竹しのぶさんによる略奪だったと言われています。
『虹色の湖』などのヒット曲のある歌手・中村晃子の“婚約者”だった服部氏と略奪結婚したのは’82年のことだった。「当時、すでに中村と服部さんは同棲していたのですが、服部さんの行動がおかしいということで、中村が仕事終わりの服部さんの車を尾行したところ、大竹をピックアップ。しかも、信号待ちの間、大竹との熱いキスシーンを目撃。同棲解消となったのです」
当時、大竹しのぶさんは25歳の若手人気女優で、小悪魔的な性格で共演俳優や、業界の男性と次々と浮名を流して「魔性の女」とも呼ばれ、一部の先輩女優からは共演NGにされるほどでした。
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中村晃子さんは結婚間近だった服部晴治さんを、そのような噂のある大竹しのぶさんに略奪された事に激怒し、大竹しのぶさんのことを「泥棒猫」と呼び、「あの子に盗られた」いって激しく罵倒し、その顛末が当時の週刊誌やテレビのワイドショーで盛んに取り上げられ、そのテレビドラマさながらのドロドロの愛憎劇が世間からの注目を集めたのでした。
大竹しのぶさんはその後、1982年に服部晴治さんと結婚し、1985年に長男の二千翔(にちか)さんを儲けています。
しかし、服部晴治さんは結婚2年目に末期癌が見つかり、闘病の末に1987年に47歳の若さでこの世を去っています。
余談になりますが、大竹しのぶさんは服部晴治さんの死去の1年後にお笑いタレントの明石家さんまさんと2度目の結婚をしています。服部晴治さんとの長男、二千翔さんは明石家さんまさんが引き取って分け隔てなく育てられたという事です。
中村晃子はその後結婚はしていない様子
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中村晃子さんは、婚約者の服部晴治さんを大竹しのぶさんに略奪される騒動以降は、だんだんと芸能界の表舞台から姿を消していきました。
その後も中村晃子さんは芸能活動を続けられていましたが、熱愛の報道などは1度も出ておらず、その後結婚したという情報なども出ていません。
中村晃子さんはその後の2002年頃に、千葉県習志野市のエレベーター付きの豪邸で弟一家と同居している事をテレビ出演で明かしているため、その時点では少なくとも結婚はされていませんでした。
その後も特に結婚の噂などは出ていないため、おそらく現在まで結婚はされていないものと思われます。
中村晃子の今現在
中村晃子さんは1990年にシングル曲「だからタンゴで…」を発表されて以降、新曲は発表されていません。女優としても、1990年代にミュージカルの舞台に立たれて以降は表立った活動はされていません。
ただ、2000年代に入ってからもバラエティ番組には何度か出演しており、2010年には歌番組にも出演されています。
2015年頃まではテレビ出演されていましたが、今現在はそうした芸能活動もされていません、ただ所属事務所の「ベルグコーポレーション」にはプロフィールページが残されており、芸能界を完全に引退したというわけではないようです。
中村晃子さんは2017年には週刊誌「アサヒ芸能」の直撃インタビューを受けていますが、それ以降は現在まで表立ったメディアには登場しておらず、SNSなども公式には利用されていないため今現在の詳細な情報は不明です。
なお、中村晃子さんの今現在の年齢は「73歳」です。
まとめ
今回は、1960年代から1980年代にかけて、歌手や女優として絶大な人気を集めた中村晃子さんについてまとめてみました。
中村晃子さんは、高校生時代に女優としてデビューし、若い頃はそのセクシーなルックスと最先端のファッションセンスで人気を集めました。
女優デビュー後ほどなくして歌手としてもデビューし、1967年にリリースした「虹色の湖」は当時の女性ソロシンガーとしては異例となる80万枚の大ヒットを記録して人気歌手の座を確かなものとしました。
中村晃子さんはその後、敏腕テレビディレクターの服部晴治さんと交際して同棲し、婚約もしていましたが、当時若手女優だった大竹しのぶさんに略奪される形で破局し、その後は結婚もされていないようです。
この略奪騒動以降、中村晃子さんは徐々に芸能界の表舞台から姿を消し、今現在は弟家族とエレベーター付きの豪邸で同居していると言われています。