半グレ集団・元関東連合のメンバーで、「いびつな絆 関東連合の真実」などの著書でも知られる柴田大輔さん。
柴田大輔さんの生い立ちや経歴、顔画像と身長、”工藤明男”の名義での活動、そして死亡した現在について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
柴田大輔(関東連合の元幹部)の生い立ちと経歴や顔写真
柴田大輔・工藤明男の二つの顔を持つ男
柴田大輔さんは元関東連合のリーダーと呼ばれ、海外逃亡中の見立真一さんや現在収監中の石元太一さんなどと肩を並べてきた非常に影響力の強い人物です。
柴田大輔・工藤明男の顔写真
関東連合との決別の頃から”工藤明男(くどう あきお)”と名乗り、事業家としてや著書を出版するなど活動してきました。
柴田大輔さんについてのプロフィールはこちら。
名前: 柴田 大輔(しばた だいすけ)
生年月日: 1979年5月24日
出身地: 東京都調布市
柴田大輔、日本人と在日韓国人の間のハーフだった
柴田大輔は日本人と在日韓国人2世のハーフだった
柴田大輔さんの父親は日本人で、母親は在日韓国人2世というハーフで、1979年5月24日に東京都調布市で生まれました。
柴田大輔さんが小学校3年生の頃に一家は杉並区西荻窪に引っ越しましたが、家庭の経済水準はそれなりにありましたが、夫婦仲が非常に悪かったことが影響して柴田大輔さんは次第にグレ始めました。
不良として喧嘩を繰り返すうちに柴田大輔さんは暴走族の「宮前愚連隊」に入って8代目総長へとのし上がり、同時期に第22代目永福ブラックエンペラー総長だった”悪の帝王”や”残虐王子”と呼ばれた見立真一さん、関東連合の中心メンバーだった石元太一さんや松嶋クロスさん、そして関東連合とは関係が無いものの東京界隈で有名であるアウトローの瓜田純士さんらと出会いました。
柴田大輔さんは14歳の頃に事件を起こして8ヶ月間少年院に入るなどする中で、後に凶悪なアウトローとして関東連合の中心メンバーの一人となっていきます。
柴田大輔、関東連合の幹部となりのしあがっていく
柴田大輔は関東連合で財力をつけていく
関東連合は関東圏を縄張りに活動していた暴走族「宮前愚連隊」「ブラックエンペラー」「マッドスペシャル」などが連合を組んで出来上がった国内最大勢力の暴走族でした。
関東連合は渋谷、六本木、西麻布、新宿などを縄張りにし、裏社会で詐欺や麻薬密売、アダルトビデオ会社、政財界の有力者への女性の斡旋業など裏稼業で財を成していた準暴力団的な半グレ集団でした。
しかし、1980年代頃から暴走族とは違う徒党集団・チーマーが台頭してきたことで縄張り争いが激しくなり、それらチーマーを暴力で牛耳ったことで関東連合はさらに関東圏での影響力を強めていきます。
柴田大輔さんはこの瓜田純士さん率いるチーマーグループとの対立の際に、4対4で入り乱れて喧嘩をしたものの決着がつかずタイマンで決着を付けることで合意しますが、瓜田純士さんではなく後に関東連合と激しく対立して事実上関東連合が解散することになる2012年の事件「六本木クラブ襲撃事件」で狙われた木村兄弟の兄が出てきたことに腹を立てて瓜田純士さんにヤキを入れました。
なお、柴田大輔さんは関東連合解散後のインタビューで、この頃から瓜田純士さんとは関係性が無くなったことを明かしています。
柴田大輔さんは1996年2月に敵対チームの自宅を襲撃したことで傷害罪や器物損壊罪で立件され、試験観察処分の補導委託の判決が降りて配管工の親方に預けられましたが、暴力や暴言、飲酒運転などあまりの素行の悪さに親方が継続を拒否したため自宅観察になりました。
柴田大輔は「トーヨーボール殺人事件」関与していた?
柴田大輔は「トーヨーボール殺人事件」に関与?
2000年に大田区池上3丁目のボウリング場「東洋ボール」の駐車場でダンスの練習をしていた当時18歳の少年らが関東連合に間違えて襲撃されひとりが凄惨極まりない拷問の末に死亡するという「トーヨーボール殺人事件」が起きましたが、この事件の主犯格として柴田大輔さんの名前が挙げられていました。
この事件について柴田大輔さんは8ヶ月間麻布署の留置所に入れられていましたが、事件には関わっていないと主張しています。
当時の関東連合の中心的人物の一人。柴田大輔は自著『聖域』で本事件について触れている。襲撃の直前まで犯行グループと一緒にいたことを認めているが、「この日の僕は、なぜか襲撃に参加することをためらった」「何か言葉にできない強い“枷”が僕の中に働いた」「見立真一から『柴田も、もちろん見に行くでしょ?』と聞かれたり、石元太一から『柴田君も付いてきてください』と一言でも誘われたら参加していた」と語り、ネット上では「柴田が主犯格の一人」というのが既成事実となっているものの、本事件には関わっていないことを強く主張している。
柴田大輔さんが8ヶ月で釈放されていることから18歳の少年の殺人に関わっていた証拠が無かったからなのかもしませんが、この事件は石元太一さんが「人生で最大の汚点」と語るほど関東連合が起こした事件の中でも最悪の事件でした。
昨日海老蔵さんのドキュメンタリー観てたせいで暴行事件の事思い出してついつい当時のワードを色々調べてしまった。関東連合…伊藤リオン…東洋ボール殺人事件…やっぱ東京ってこえぇ
— K I Y O 。 (@bohemianisdied) 2018年1月9日
柴田大輔の身長は150cm前後との噂
柴田大輔の後ろ姿
柴田大輔さんについては身長が話題になることも多く、関係者からは150cm前後などの証言があるようです。また「147cm」や「162cm」などの説もあるようです。
石元太一「工藤(柴田大輔)は身長が150センチないくらい」
http://i.imgur.com/vjQ9I6V.jpg
瓜田純士「工藤(柴田大輔)は身長は150センチ前後のチビ」
http://i.imgur.com/MPnyMWP.jpg
身長150センチであだ名はチビ大
口八丁で組織の副官に上り詰める
組織の金を使い込んでリーダー見立から絶縁処分
警察にリクルートされて反関東連合本を出版 組織壊滅に一役買う
当然恨まれてお尋ね者に
襲撃とコロナで精神を病んで体を切り刻む
身長147cmしかないと言うと
148cmあるわ!とブチ切れるって聞いた
柴田大輔さんの身長について色々噂が飛び交っていますが、実際の身長がよくわかる有力な画像を発見しました。それが以下の写真です。
柴田大輔の実際の身長は?
柴田大輔さんの右隣にいるのは高須クリニック院長で彼の身長は170cm、左隣にいる西原理恵子さんは154cmと公表されています。
柴田大輔さんは2人の前にいるにも関わらず、小さく見えます。柴田大輔さんの身長が150cm前後というのは本当なのかもしれません。
柴田大輔と関東連合OB・川奈毅の関係や関東連合からの引退について
柴田大輔、関東連合OBの川奈毅を見習いビジネスを展開
柴田大輔は川奈毅を見習いビジネスを展開
1996年12月に柴田大輔さんは関東連合OBであり、AVプロダクションを手始めに芸能界、政財界の有力者相手にビジネスを展開してパイプを持つ関東連合のパイオニア的存在だった川奈毅さんに近づいて自身のビジネスのお手本とするようになりました。
川奈毅さんと知り合った翌1997年1月に、関東連合が逮捕された仲間を激励するための集会を開いていましたが、そこに駆けつけた警察から逃げようとバイクを暴走させたメンバーが一般人を巻き込む事故を起こしてしまい死亡させてしまう事件がありました。
関東連合の中心メンバーだった柴田大輔さんと見立真一さんは集会を起こしていないと口裏合わせした上で事故を起こしたバイクを処分し、その後警察に逮捕されたものの死亡事件との関与が認められず罰金刑だけで釈放されました。
この時、柴田大輔さんは川奈毅さんに事件について相談していたことから関係は密になり、柴田大輔さんが川奈毅さんの政財界への太いパイプとビジネス力を味方につけたことで関東連合は裏社会での活動拠点を増やしていくことになります。
柴田氏によると、関東連合のメンバーは、IT企業の経営者たちが出資したバーなどに出入りし、彼らと交流するとともに、さらに芸能界とのつながりも深めていったのだという。そのキーマンは関東連合OBの”K氏”。
柴田氏の著書『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』によると、「K君は、僕たち関東連合が渋谷や六本木に進出する足掛かりとなったパイオニア的先輩で、芸能、クラブ、不動産といったあらゆる業界の人脈を僕たちにつないでくれた恩人」とある。
「芸能界の入り口はやっぱりK君です。K君がすでにAVの事務所をやっていて、女の子を使って色んな人脈を築いていったっていう背景がある。」
しかし、同時に敵対勢力である新宿ジャックスとの軋轢が深まり、柴田大輔さんは1997年7月には抗争の末に死亡者を出す事件を起こしてしまいました。
柴田大輔さんは川奈毅さんの協力を得て3ヶ月間匿ってもらいましたが、過去にヤキを入れた後輩の裏切りで潜伏場所を警察に通報されてしまい、1997年10月に逮捕されて特別少年院に入れられてしまいました。
関東連合 川名毅
— みなみ (@raborabo1212) 2016年6月20日
川名の刺青
のりピーと同じ刺青入れているのは他に梨花、奥菜恵、広末涼子など。刺青はK(川奈毅 関東連合OB)グループの証であり、Kの性玩具の意味もある。梨花、奥菜恵、広末涼子は左ケツに入れているのに、のりピーだけ目立つ場所に入れてるのはランクが上ってこと。
柴田大輔、川奈毅との決別と関東連合からの引退
柴田大輔は出所後に関東連合を引退した
柴田大輔さんは約2年間の少年院生活を経て2000年3月に出所し、成人していたこともあり「関東連合」を引退しました。
柴田大輔さんは出所直後に自身の潜伏先を警察にバラした後輩が所属するグループのリーダーに掛け合い、落とし前として200万円を支払わせました。
そして、出所2ヶ月後には後輩が運転する車に乗っていた柴田大輔さんはUターン禁止場所でUターンをしたことに腹を立てて注意してきた一般人に対して車を降りて殴ったことで逮捕されました。
さらに、柴田大輔さんはこの事件の2週間前ほどに敵対グループのメンバーを拉致して車のトランクに監禁した罪も同時に問われ、暴行罪と逮捕監禁罪により1ヶ月ほど拘置所に入れられましたが、見立真一さんと松嶋クロスさんが紹介した有力弁護士の助けを借りて執行猶予付きで釈放されました。
しかし、この直後にお世話になっていた川奈毅さんが障害事件を起こして逮捕され、多額の弁護費用や慰謝料で経済的に厳しくなった上に、右腕だった後輩も逮捕されて実刑判決を受けたことや、AVプロダクション所属の女優らがことごとく逃げたため一気に経営は傾きました。
こうした問題続きに加えて川奈毅さんの生来のだらし無さが浮き彫りとなり、関東連合は川奈毅さんと決別することを決めました。
柴田大輔さんはIT企業を立ち上げて出会い系サイトや消費者金融などの広告収入で売上40億円規模の会社に成長させますが、同時期から関東連合による「西新宿事件」や「市川海老蔵暴行事件」などが相次ぎ、社会的に関東連合が知れ渡り問題視されるようになっていきます。
そして、この頃から関東連合は敵対していた木村兄弟との抗争が激化していき、関東連合が解散するきっかけとなる2012年の「六本木クラブ襲撃事件」が起きることになります。
柴田大輔の現在① 六本木クラブ襲撃事件の犯人・見立真一に命を狙われていた?
柴田大輔は見立真一から裏切り者扱いを受けた
「六本木クラブ襲撃事件」にて人違いで殺人を犯してしまった関東連合犯行グループは、裁判をどう戦うかで意見が分裂し、その結果として柴田大輔さんは見立真一さんから裏切り者扱いされて殺害を企てられます。
「六本木クラブ襲撃事件」の実行犯であり被害者に最初の一撃を与えた見立真一さんは、事件当日の夜に後輩が運転する車の中で柴田大輔さんに対して「後輩3人に罪をかぶらせて事件を終わらせ、自分は国外に身を隠す」と語り、逃亡資金の用意を持ちかけました。
しかし、柴田大輔さんはこの見立真一さんの身勝手すぎる提案に納得できず、結局被害者への襲撃へ加担した他の二人は人違いだったことを認めつつ殺意を否認して傷害致死での減刑を狙う方向で話をまとめました。
後輩3人に罪をかぶせて自分は無実を装うつもりだった見立真一さんは、国外逃亡したことで凶悪殺人犯として国際指名手配されてしまうことになりました。
シナリオ通りに裁判に臨まなかった二人と提案に賛成した柴田大輔さんに対して激怒し、逃亡先のフィリピンから「裏切り者は許さない」「柴田の家族や彼女を皆殺しにしろ」という命令を後輩に出していたと言われています。
瓜田純士さんのブログでの発言では柴田大輔さんから事件当日にレンタカーを借りるように命令されていたようで、柴田大輔さんも事件に絡んでいたようですが逮捕はされていないようです。
昔、
柴田と木村と俺の三人で西新宿の喫茶店で話した
『純士は暴力団だから抜かして
俺は●合と怒羅権が都内の二大勢力と自負している。』
(省略)
ハングル読みで俺の名前を教えてくれた工藤明男殿へ。
あの日孔次朗を紹介した事を今では後悔している。
本当の平和を祈っている。
ちなみに六本木事件翌日
誰かさんにレンタカー迄仮に行かされた。
そのビデオカメラも俺は預かっている
柴田大輔の現在② 工藤明男と名乗り執筆活動・実業家や投資家としても活動
柴田大輔、関東連合の実態を著書で次々と暴露
見立真一さんはまだ捕まっていませんが、柴田大輔さんは捕まらないと予測しており、同時に見立真一さんがいなくなったことで現在は揉め事を起こさずに”工藤明男”名義で執筆活動などをしながら静かに暮らしているようです。
2012年の「六本木クラブ襲撃事件」で空中分解した関東連合ですが、柴田大輔さんは関東連合の実態を暴露した著書「いびつな絆 関東連合の真実」を2013年に発売して話題を呼び、2016年に出版した関東連合の闇ビジネスの実態を描く著書『聖域』は漫画化されました。
そういや、宮前愚連隊(関東連合系)だった柴田大輔さん、井上勇って人と揉めてたな。それと、つぶやいてない期間突然柴田さんから「R-ZONEというニュースサイトでコラム書いてるんで覗いてみてください」という丁寧なあいさつDMが届いたことあったけど、あれなんだったんだろ?
— 競馬法違反 (@keibahouihan) 2019年1月28日
いま収録が終わりました。
— 堀 潤 JUN HORI (@8bit_HORIJUN) 2016年11月28日
元関東連合の柴田大輔さんのインタビュー。裏社会を、そして学校に対して芽生えた不信の時代で葛藤した子供の頃を。一言では語りつくせぬ濃密な時間を後日 #アベプラ で。村本さんもお疲れ様でした。 pic.twitter.com/fGTJkF0B34
明日発売の『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』(柴田大輔)をゲットできたので、先にこちらを読みます!
— 山窩ラボ (@jackiemito) 2016年10月25日
工藤明男こと柴田大輔氏は、関東連合ボスのひとり。当事者の目で見た、体験した半グレの実態を暴露しています。どの本も秀逸‼︎ pic.twitter.com/u9jJntXlnv
その後、柴田大輔さんは執筆活動やメディアへの出演、事業家や投資家としても活動していきました。
柴田大輔の現在③ 自宅で死亡…自殺説や他殺説など浮上
柴田大輔が死亡…自殺した?
柴田大輔さんが2021年11月28日に亡くなっていたことが週刊誌FRIDAYの記事によって明らかになっています。
「亡くなった当日、柴田さんの会社の関係者が、連絡が取れないことを心配して、柴田さんの自宅を訪れたことで発覚しました。柴田さんは精神安定剤を服用していて、衝動的に自分で自分の身体を刃物で切りつけたのでは、と聞いています。葬儀は親族の意向で都内で行われる予定だそうです」(柴田氏の知人)
(略)
「本当に悲しくてやりきれません。悲痛な気持ちです。実はもうすぐクラブ襲撃事件によって収監されていたメンバーの一部が刑務所から出てくるのです。最近柴田さんはそのことでかなり悩んでいたようです」
柴田大輔さんは「精神安定剤を服用していて、衝動的に自分で自分の身体を刃物で切りつけたのでは」と言われています。
FRIDAYの記事を見た限り、柴田大輔さんは六本木クラブ襲撃事件によって収監されていたメンバーの一部が近々刑務所から出てくることに悩んおり、衝動的に自殺をしたと思われます。
六本木クラブ襲撃事件については前の項で解説していますが、見立真一さんが「裏切り者は許さない」「柴田の家族や彼女を皆殺しにしろ」という命令を後輩に出していたという情報がありました。
これまでの情報からすると、柴田大輔さんは六本木クラブ襲撃事件で逮捕されたメンバーが出所をしたら、自分が殺されるという恐怖があったのかもしれません。それで精神安定剤を飲んで、自殺をしてしまったのでしょうか?
そして、その後の続報によると、柴田大輔さんはこの2か月間で「何度も自傷行為をおこなうなど精神的にも悩んでいる様子で、精神安定剤を服用していた」と報道されており、脳梗塞を患ったり、新型コロナに感染して体調不良になるなど苦しんでいたようです。
柴田氏に近い関係者が明かす。
「感染した新型コロナが重篤化したことで、今年に入って入退院を繰り返していました。若いころに筋肉増強剤を長期間にわたって服用していたため、副作用で血栓ができやすく、軽度ですが何度か脳梗塞も起こしています。11月も短期間、入院していまし
た。体調が思うように回復しないことで、苦しんでいるようでした」
ここ2カ月間、柴田氏は何度も自傷行為をおこなうなど精神的にも悩んでいる様子で、精神安定剤を服用していたともいわれていた。
柴田大輔の死は他殺の可能性も?
柴田大輔さんの死について、ネット上では自殺に見せかけた他殺という説も浮上していますが、今のところ死の真相は明かされていません。
368ニューノーマルの名無しさん2021/11/30(火) 21:00:15.49ID:SAxOa/Ad0
自分で自分の体を切りつけて死んだとのことだけど
自殺じゃなくて他殺なんじゃないの?
352ニューノーマルの名無しさん2021/12/01(水) 01:02:12.56ID:lap0OWL80
精神安定剤で(意識がもうろうとする)首吊ならわかるけど
刃物はないわ~他殺でしょ
さらに、続報によると、「体中に切り傷があり、首に大きな刺し傷があった」と言われています。
連絡が取れないことを心配した友人らによって自宅で発見されたときも、体中に切り傷があり、首に大きな刺し傷があったとされる。
柴田大輔さんの死の真相について詳しい情報がわかり次第、追記します。
柴田大輔について総まとめすると…
・柴田大輔は関東連合の元幹部で、3件の殺人事件に関与しているとされている。
・柴田大輔は「六本木クラブ襲撃事件」の犯人で指名手配されている犯人・見立真一から命を狙われていると噂されている。
・柴田大輔は“工藤明男”名義で関東連合の実態を暴露した著書を数々出版していた。
・柴田大輔は2021年11月28日に自宅で死亡していた。
関東連合の元中心メンバーであり、工藤明男の名義で裏社会を暴露する執筆活動をしてきた柴田大輔さんについて総まとめしてきました。
柴田大輔さんは引退後は関東連合時代とは打って変わって揉め事のない生活を送っていたようですが、2021年11月28日に自宅で自分の身体を刃物で切りつけて死亡しています。
柴田大輔さんのご冥福をお祈りします。