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伊集院静の若い頃と現在!嫁と子供(息子/娘)・家系図や家族・病気や死去まとめ【夏目雅子・篠ひろ子らと3度の結婚歴】

2023年に亡くなられた作家の伊集院静さんは、夏目雅子さんや篠ひろ子さんらとの3度の結婚でも話題となっていました。

 

この記事では伊集院静さんの若い頃や家系図や兄弟などの家族、結婚歴や嫁の夏目雅子さんや篠ひろ子さんとの逸話、子供や孫、病気や死去した現在などについてまとめました。 

 

伊集院静のプロフィール

 

伊集院静のプロフィール

 

本名  :西山忠来(にしやま・ただき)

出生名 :趙忠來(チョ・チュンネ)

別名義 :伊達歩(作詞家としての名義)

生年月日:1950年2月9日

出身地 :山口県防府市

 

伊集院静さんは、「乳房」、「受け月」、「機関車先生」、「ごろごろ」、「ノボさん」などの小説や、「大人の流儀」シリーズなどのエッセイなどで知られる作家です。

 

吉川英治文学新人賞や直木三十五賞、柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞、司馬遼太郎賞などの文学賞受賞歴があります。

 

また、「伊達歩」の名義で作詞家としても活躍し、1987年には近藤真彦さんの「愚か者」の作詞をてがけ第29回日本レコード大賞を受賞しています。他にも「ギンギラギンにさりげなく」、「情熱☆熱風☽せれなーで」など近藤真彦さんのヒット曲に詞を提供しています。

 

2016年には紫綬褒章を授与され、2021年には第50回 ベストドレッサー賞の学術・文化部門に選ばれました。

 

 

伊集院静の若い頃① 生い立ち

 

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出典:https://article-image-ix.nikkei.com/

 

伊集院静さんは、1950年2月9日に山口県防府市で韓国人の両親の長男として生まれました。

 

上には3人兄弟がいましたが女子ばかりで、伊集院静さんは待望の男子で両親はとても喜んだそうです。父親は事業を営んでいて比較的裕福だったようで、家ではお手伝いさんも雇っていました。

 

子供の頃の伊集院静さんは身体も大きくなく、勉強もあまりできずに小学校の頃の通信簿はオール1だったそうです。学業成績は小・中・高通じて悪かったとも明かされています。本もほとんど読まなかったそうです。また、小学生時代には、在日韓国人という理由でいじめられた事もあったのだとか。

 

一方で、走るのがとにかく速かったそうで運動神経は良かったようです。小学校3年生から野球を始めだんだんと身体も大きくなったという事でした。

 

 

 

伊集院静の若い頃② 山口県立防府高校では野球部で投手として活躍

 

中学校でも野球を続けた伊集院静さんは、「山口県立防府高校」へ進学後も野球部に所属し、主力投手として活躍。県大会で準決勝まで勝ち進み、甲子園出場までもう一歩というところまで行っています。

 

また、伊集院静さんは幼い頃から絵を描くのがとても好きだったそうで、高校でも野球部と掛け持ちで美術部にも所属しています。当時から風景画、人物画、抽象画とあらゆるジャンルの絵を描いていたそうです。

 

伊集院静さんは高校卒業後の進路は美術大学に行きたいと志望しており、その受験のために授業後に隣町まで石膏デッサンを習いに通っていたそうです。

 

 

伊集院静の若い頃③ 立教大学文学部でも野球を続けるも肘の故障で引退

 

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出典:https://article-image-ix.nikkei.com/

 

高校卒業後は美術大学に行きたいと思っていた伊集院静さんでしたが、ちょうどその頃に一番上の姉が、当時、読売ジャイアンツ(巨人)で投手としてプレーしていた高橋明さん(同じ山口県防府市出身で防府高校の先輩でもあった)と結婚する事になりました。

 

伊集院静さんは、高橋明さんに誘われて後楽園球場に巨人の試合を観に行き、そこで当時国民的スターのプロ野球選手だった長嶋茂雄さんを紹介されています。

 

長嶋茂雄さんは、伊集院静さんにバットとトレーナーをプレゼントして、「立教大学(長嶋茂雄さんの母校)に来なさいよ」と誘ったそうです。これに心を動かされた伊集院静さんは、高校3年生の冬に立教大学野球部のセレクションを受験して合格し、「立教大学文学部日本文学科」に進学して野球を続けられています。

 

伊集院静さんは立教大学野球部の寮に入って野球漬けの日々を送り、走力と打力を買われてすぐにセンターのレギュラーを掴みますが、入学からちょうど1年後に肘を故障して野球の道を断念しています。

 

それを聞いた伊集院静さんの父親は大学を辞めて家業を継ぐように求めましたが、伊集院静さんはそれを拒否。怒った父親は仕送りや学費支払いを止めてしまいますが、伊集院静さんは横浜港で荷揚げのアルバイトをして授業料を自分で稼ぎ立教大学を卒業されています。

 

 

伊集院静の若い頃④ 広告代理店(電通ではない)を経てフリーのCMディレクター

 

立教大学卒業後、伊集院静さんはある広告代理店に入社しています。

 

伊集院静さんの就職した広告代理店は「電通」だとする情報がありますが、伊集院静さん本人は「以前、電通の人を知っていたので広告代理店も良いなと思って卒業後の5月にある会社を訪問しました。」と発言されています。この発言から伊集院静さんが入社したのは電通以外の広告代理店だという事は明らかです。

 

伊集院静さんは、この広告代理店の社長に野球の実力を買われ(ちょうどどうしても勝ちたい会社対抗の試合があった)て入社が決まったのだそうです。

 

伊集院静さんは2年ほど勤めてこの広告会社を辞め、フリーのCMディレクターになっています。

 

このフリーの時代に「伊集院静」というペンネームを名乗るきっかけがあったそうです。ある小さな広告会社の社長とプレゼンに行った際に、「伊集院静」と刷られた名刺を渡され「趙君(伊集院静さんの帰化前の苗字)、今日はこう名乗ってください」と言われたのだそうです。

 

伊集院静さんは最初「漫画みたいじゃないですか」と拒否したそうなのですが、その社長に「顧客に覚えてもらうにはこういう名前が良いんだ」と説得され、これが「伊集院静」のペンネームで活動するきっかけになったのだそうです。(諸説あるが、伊集院静本人が「日経新聞」の取材にそう説明しているため、これが事実と思われる)

 

ちなみに、この「伊集院静」というペンネームは、その広告会社に入社予定だった女性に名乗らせるつもりで用意されたものだったそうです。何らかの事情でこの女性の入社がなくなっために、ひょんな事から伊集院静さんが名乗る事になったという経緯もいくつかの伊集院静さん本人が明かされています。

 

また、伊集院静さんはこの頃に演出家としても活動しており、松原みきさん、松任谷由美さん、松田聖子さん、薬師丸ひろ子さん、和田アキ子さんらのコンサートツアーの演出を手がけ、ロックバンド「レイジー」のプロデュースも手掛けています。

 

 

伊集院静の若い頃⑤ 31歳で小説家デビュー

 

伊集院静さんはCMディレクター、演出家として活動する傍ら、小説の執筆をはじめ31歳だった1981年に「小説現代」で短編「皐月」を発表して小説家としてデビューしています。

 

伊集院静さんはその後も小説執筆を続け、1988年に専業作家となり1990年に発表した「乳房」で、第12回吉川英治文学新人賞を受賞して、作家としての地位を確立しました。

 

 

伊集院静の家系図

 

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伊集院静さんの家系図です。

 

次の見出しから、伊集院静さんの家族について詳しく紹介していきます。

 

 

伊集院静の家族① 父親は韓国から13歳で日本に来て一代で事業を興した

 

伊集院静さんの父親は韓国の慶尚南道出身で、13歳の時に1人で片道切符を持ってフェリーで日本へ渡り、福岡県門司市(現在の北九州市門司区)で、炭鉱や荷揚げ労働者として働かれていたそうです。

 

その後、自身で事業を起こし、海運やダンボール関連の会社を設立し事業家として成功されています。

 

伊集院静さんはこの父親をモデルにした小説「お父やんとオジさん」を2010年に発表されています。

 

 

伊集院静の家族② 母親も韓国出身

 

伊集院静さんの母親も韓国出身の方で、幼い頃に家族と日本へ渡られた方です。

 

伊集院静さんの母親は、山口県防府市三田尻で塩田の労働者を束ねていた韓国人の娘で、当時の街の韓国人の女子では唯一女学校へ進学させてもらうなど、当時の韓国人コミュニティの中では裕福な家庭で育った方だったようです。

 

伊集院静さんの父親の方が母親を見初め、交際し結婚されています。当時、伊集院静さんの父親はまだ港の荷役の仕事をする労働者だったため、結婚を認めてもらうのに1年半もかかったのだそうです。

 

伊集院静さんの発言によると、母親は放任主義ながら優しい人だったようで、幼い頃の伊集院静さんが幼稚園に行きたくないと嫌がると「行かなくてもいいよ」よ優しく言ってくれたそうです。

 

その後、小学校に上がると「義務教育だから今度は行かないとね、読み書きも算数も日本人よりもきちんとできなきゃいけない」と優しく諭してくれたのだそうです。

 

また、伊集院静さんは両親からよく「お前は半島から来た親の子供だから、日本人より礼儀正しくしなければならない。向こうの人はダメだと言われないようにしなくてはならない」と教えられたのだそうです。また、両親からは「日本人の悪口は言うな」と教えられたのだそうです。

 

ちなみに、伊集院静さんは帰化されており、日本国籍になっています。

 

 

伊集院静の家族③ 6人兄弟の長男で姉が3人と妹と弟が1人ずつ

 

伊集院静さんは6人兄弟の長男として生まれています。

 

伊集院静さんの兄弟は姉が3人に弟と妹が1人ずつで、伊集院静さんが生まれた時には初めての男の子だったため、母親は感激のあまり涙を流されたそうです。

 

 

ファッションコーディネーターの西山栄子は伊集院静の実姉

 

伊集院静の実姉の西山栄子のプロフィール

 

生年月日:1947年3月25日

出身地 :山口県防府市

 

伊集院静さんの兄弟のうち姉の1人がファッションコーディネーター、ファッションジャーナリストとして活躍されている西山栄子さんです。

 

文化服装学院デザイン科卒業後、松屋銀座本店でファッションコーディネーターを13年間務められたのち、独立して西山栄子ファッションオフィスを設立。

 

西山栄子さんは、48歳の時には早稲田大学第二文学部に入学し卒業。さらに、弁護士になろうと考えて大宮法科大学院大学に入学して司法試験にもチャレンジするなど向上心に溢れた方です。現在も著名人のスタイリングや講演や執筆活動などファッションの世界で活躍されています。

 

 

伊集院静の兄弟のうち弟は17歳で海で遭難して早逝

 

伊集院静さんの兄弟にうち、4歳年下の弟は17歳の時に海で遭難して他界しています。

 

伊集院静さんの弟は学力優秀な方だったようで、父親に期待されて医学部を目指せと言われており、将来は総合病院を建てて経営させようとまでしていたそうです。

 

伊集院静さんは弟を大変可愛がっていたそうで、在日韓国人だといじめられる弟をいつも助けていたそうです。弟さんも伊集院静さんを慕い、父親の事業を継ぐ事を頑なに拒否する兄の代わりになろうと、父親の言う通りに医者になろうと努力をされていたそうです。

 

しかし、伊集院静さんの弟は、医者になった後は父親の許しを得て冒険の旅に出たいとの夢を持っており、毎年夏になるとボートで沖へ出て身体を鍛える事を続けていたそうです。

 

そして、台風が迫る中、弟はボートで沖へ出て遭難。そのまま帰らぬ人となったそうです。

 

伊集院静さんは弟の死に強いショックを受け、冒険家になりたかったと言う弟の意志をついで、自分も好きな事をして生きてやろうと考えるようになったという事で、その後の生き方に強く影響したようです。

 

 

伊集院静の結婚歴① 最初の嫁は一般女性

 

伊集院静さんは3度の結婚を経験されています。

 

伊集院静さんの最初の結婚は広告代理店で働いていた頃で、嫁は一般女性でした。伊集院静さんはこの最初の嫁との間に2人の子供を儲けますが、作家デビュー直前の1980年に離婚しています。

 

離婚理由は、伊集院静さんが女優の夏目雅子さんと不倫の関係になった事だと言われています。伊集院静さんと夏目雅子さんは1977年頃から不倫の関係になりましたが、この時に1人目の嫁は2人目の子供を妊娠中でした。にもかかわらず、伊集院静さんは嫁と子供を捨てて家を出てしまい、数年の別居を経ての泥沼の離婚となりました。

 

この伊集院静さんの最初の嫁は、離婚後は子供2人を女手一つで育てるため、保険の外交員になって働かれたそうです。

 

 

伊集院静の結婚歴② 2人目の嫁は女優の夏目雅子

 

伊集院静の2人目の嫁・夏目雅子のプロフィール

 

本名  :西山雅子(旧姓は小達)

生年月日:1957年12月17日

没年月日:1985年9月11日(没年27歳)

出身地 :神奈川県横浜市中区

身長  :164cm

血液型 :B型

 

 

伊集院静さんは、不倫の関係にあった女優の夏目雅子さんと1984年に2度目の結婚をしています。

 

伊集院静さんはフリーのCMディレクターをしていた1977年に、当時デビューしたばかりだった夏目雅子さんをカネボウ化粧品の「クッキーフェイス」のCMに起用しました。

 

当時、夏目雅子さんは19歳、伊集院静さんは27歳でしたが、出会ってすぐに不倫の関係になりました。

 

この不倫が原因で伊集院静さんは最初の結婚相手と離婚する事になり、その時には一時的に夏目雅子さんとは疎遠になったようです。

 

しかしその後、伊集院静さんが女優の桃井かおりさんと交際するようになり、伊集院静さんを取られたくないと感じた夏目雅子さんが再び近づいたため三角関係になったとも言われています。

 

これはあくまでも芸能界の噂話の1つではありますが、夏目雅子さんの母親の小達スエさんが夏目雅子さんの死後に発表した手記『ふたりの「雅子」』では、桃井かおりさんの登場から始まった三角関係が夏目雅子さんを結婚に踏み切らせたと回想されていて事実だろうと見られています。

 

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出典:https://m.media-amazon.com/

 

いずれにしても、伊集院静さんと夏目雅子さんは不倫開始から7年後の1984年8月27日に結婚しています。

 

また、夏目雅子さんは結婚の前に複数回、伊集院静さんの子供を妊娠するもその度に堕胎しています。これは伊集院静さんが夏目雅子さんとの関係をもとに描いた小説「乳房」の中で自ら暴露しています。

 

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出典:https://www.kinokuniya.co.jp/

 

この夏目雅子さんの伊集院静さんの子供の妊娠と堕胎については、上述の『ふたりの「雅子」』でも暴露されています。

 

 

夏目雅子は結婚翌年に白血病により27歳の若さで死去

 

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出典:https://www.magmoe.com/

 

不倫の末の泥沼離婚の果てにようやく結婚した伊集院静さんと夏目雅子さんでしたが、結婚生活はわずか1年で終わっています。

 

夏目雅子さんは1985年2月に極度の体調不良を訴えて入院し、検査の結果急性骨髄性白血病が判明。夏目雅子さんはそのまま入院し、約7ヶ月にわたって闘病生活を送りましたが、1985年9月11日に27歳という若さでこの世を去りました。

 

伊集院静さんは夏目雅子さんが急性骨髄性白血病で入院した後、仕事を全てキャンセルして病院でつきっきりで看病をされています。

 

アメリカの病院で先進医療を受ければ回復する可能性が高いことも知っていましたが、それには数千万円から1億円ものお金がかかり、当時の伊集院静さんにはそのお金を用意する事ができなかったそうです。

 

夏目雅子さんの死後、伊集院静さんはアメリカで治療を受けさせてやれなかった自分に憤り、また、情けなく思って、アルコールやギャンブルに溺れ、多額の借金をする自暴自棄な生活を送ったそうです。

 

ただ、生前に夏目雅子さんが、伊集院静さんが書き溜めていた小説を映画監督の篠田正浩さんや演出家の久世光彦さんに読んでもらい「あの人は小説家になるべきだと思うんです」と伝えていた事を知り、また、親しい先輩や友人らの助けもあって次第に立ち直り、再び小説執筆に取り組むようになったのだそうです。

 

 

伊集院静の結婚歴③ 3人目の嫁は女優の篠ひろ子

 

伊集院静の現在の嫁・篠ひろ子のプロフィール

 

本名  :西山博子(旧姓は沼澤)

生年月日:1948年3月8日

出身地 :宮城県仙台市

身長  :166cm

血液型 :O型

 

伊集院静さんは2度目の結婚の嫁の夏目雅子さんに先立たれた後、1992年8月7日に女優の篠ひろ子さんと3度目の結婚をされています。

 

伊集院静さんと篠ひろ子さんの馴れ初めは、「夏目雅子さんを偲ぶ会」だったと言われています。

 

それによると、伊集院静さんが夏目雅子さんの死後に自暴自棄になり、アルコールやギャンブルに溺れているのを見かねた女優の田中好子さんが「夏目雅子さんを偲ぶ会」の席で、篠ひろ子さんに引き合わせたのだとか。

 

田中好子さんは元々夏目雅子さんの大親友で、その縁もあって夏目雅子さんの兄の小達一雄さんと結婚していましたが、夏目雅子さんの死後にあまりに酷い状態になっていた伊集院静さんを心配して篠ひろ子さんとの結婚を後押ししたと言われています。

 

篠ひろ子さんは結婚する時に「夏目さんのことは話さない、書かない、書くときは相談する」と、伊集院静さんと約束をしたそうで、伊集院静さんが夏目雅子さんの死を引きずっている事を十分にわかった上で結婚を決められたようです。

 

伊集院静さんと篠ひろ子さんは、1993年2月にアフリカのケニアの教会で結婚式を挙げられています。

 

伊集院静さんは篠ひろ子さんとの結婚5年目の1996年に、篠ひろ子さんの出身地である宮城県仙台市に自宅を構えてそこで暮らされていました。2人の間に子供はおらず、何匹かの犬を飼って可愛がられていたようです。

 

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出典:https://msp.c.yimg.jp/

 

また、伊集院静さんと篠ひろ子さんの夫婦の仲はとても良く、2人きりでゴルフのラウンドを回る事もあったのだそうです。

 

伊集院静さんが2020年1月21日にくも膜下出血で倒れて緊急搬送され手術を受けた際には、嫁の篠ひろ子さんが直筆のコメントを発表しています。

 

伊集院氏が92年に再婚した、女優篠ひろ子(71)が23日、直筆のコメントを発表。「道半ばで書くことを断念せざるを得ないとしたら、こんなに悲しい事はありません。願いが叶うのであれば又ペンを持って皆様に作品をお届けできる事が私の心からの思いです」と、伊集院氏が執筆を断念する可能性がある状態であることを明らかにした。

 

引用:伊集院静氏は断筆の可能性も、妻の篠ひろ子が示唆

 

篠ひろ子さんはこの時には、場合によっては伊集院静さんが作家生命を絶たれるような事態も心配していたようですが、伊集院静さんは順調に回復しその後も作家として活動されていました。

 

 

 

伊集院静の子供は最初の嫁との間に娘が2人で次女は女優で作家の西山繭子

 

伊集院静の子供・西山繭子のプロフィール

 

生年月日:1978年1月21日

出身地 :東京都

身長  :165cm

血液型 :A型

 

伊集院静さんの子供は、最初の嫁との間に生まれた2人の娘がいます。

 

伊集院静さんの子供のうち長女については一般の方で情報がありませんが、次女の西山繭子さんは、女優や作家として活動されています。

 

伊集院静さんは、この西山繭子さんがまだお腹の中にいる時に夏目雅子さんと不倫関係になって家を出て行っています。

 

そして、西山繭子さんが2歳になった1980年に伊集院静さんは嫁と離婚しているため、西山繭子さんが伊集院静さんと始めた会ったのは私立の大妻中学に入学した13歳の時だったそうです。

 

西山繭子さんは、大妻女子大学文学部英文学科に在学中だった1997年に、UHA味覚糖の「おさつどきっ」のテレビCMで芸能界デビューしていますが、芸能界を目指したきっかけは「芸能界に入れば父親に会える」と考えた事だったそうです。

 

 

このエピソードからも分かりますが、西山繭子さんは父親へのコンプレックスはかなり強いようで、おそらく伊集院静さんの気を惹くために作家を目指し、2007年に短編集「色鉛筆専門店」で作家デビューもしています。

 

西山繭子さんは作家デビューした事を伊集院静さんに伝えましたが、その際の反応は「ああ、そうですか」とかなり素っ気ない反応をされた挙句、「役者に物書きに、金にならない仕事を二つもするなんて、あなた変わってるね」と言い放たれたようです。

 

ふだん、父とはまったく連絡をとっていないんです。この『色鉛筆専門店』を出すにあたって数年ぶりに連絡してみたんですが、「ああ、そうですか」って感じでした(笑)。

 

引用:西山繭子さん & 「INSPIRON 700」

 

数年前、父親である伊集院静氏に文筆業も始めた旨を話すと「役者に物書きに、金にならない仕事を二つもするなんて、あなた変わってるね」と言われてしまいました。

 

引用:西山繭子の「女子力って何ですか?」

 

西山繭子さんはその後もめげる事なく、伊集院静さんに「今度長編を出します」と伝えたそうですが、この時も素っ気ない反応をされています。

 

今年2月、伊集院氏と6年ぶりに再会。「今度長編を出しますと話したら、“そうですか、飛ばすね”と言っていました。(小説の)内容は明かしませんでしたが、どう思ってくれるんでしょうね」と父の反応を楽しみにしているようだった。

 

引用:西山繭子が執筆!父の不在が物語の核

 

2020年1月に伊集院静さんが倒れられた時には、おそらくですが、西山真由子さんも病院に駆けつけられたようです。

 

というのも、伊集院静さんは病気から回復後の2021年3月にフジテレビの「石橋、薪を焚べる」にゲスト出演された際に、当時の事を話され、お見舞いに嫁の篠ひろ子さんと「娘」が来て、ちょうど誕生日だった伊集院静さんのお祝いをした事を話されているためです。

 

その際の様子について、「娘と家内(妻=元女優・篠ひろ子さん)が誕生日のケーキをね『ハッピーバースデー』って言った時に目を覚ました」と明かした。 伊集院氏は「誕生日祝ってもらうのが嫌いでね」と話しつつ、「俺は2人(妻と娘)につまんねぇことすんじゃねぇよ!って言って」。すると娘は「もうすぐ意識戻るかと思った」とコメントしたそうで、「変な親子だろ」と笑った。

 

引用:伊集院静氏 くも膜下出血発症し意識回復した際を回顧、妻と娘の姿に「つまんねぇことすんじゃねぇよ!」

 

伊集院静さんと篠ひろ子さんとの間には子供はいないはずですし、2人目の嫁である夏目雅子さんとの間にも子供はいません(堕胎はしているが)。そのため、この「娘」は最初の嫁との間に生まれた2人の娘のうちのどちらかの可能性が高いと思われます。

 

西山繭子さんは伊集院静さんと交流があり、かつ、女優として芸能界でも活動されているため、伊集院静さんの嫁である篠ひろ子さんとも面識がある可能性が高く、病院で一緒に伊集院静さんの誕生日を祝おうという話になったのではと想像できます。

 

 

 

伊集院静の孫

 

伊集院静さんに孫がいるのかにも興味がある方が多いようでネット上で検索されています。

 

ただ、伊集院静さんに孫がいる事を示す情報は現在の時点では見られません。伊集院静さんの子供は、最初の嫁との間に生まれた娘2人ですが、長女については一般女性のために情報がなく、次女の西山繭子さんは女優ですが、結婚をした、子供を出産したという報道は現在まで出ていません。

 

伊集院静さんのキャラクター上、孫が生まれたとしてもそれをエッセイやメディア出演時などにわざわざ書くとは考えづらいです。また、長女との関係性についてはわからないので、仮に良い関係ではなかった場合(最初の嫁とは泥沼離婚をしているため十分にあり得る)、孫が誕生していたとしてもそれをあえて公表する事は控えていた可能性は高いように感じられます。

 

こうした背景を考えれば、伊集院静さんは孫が誕生していたとしても公表しなかった可能性があり、結論としては伊集院静に孫がいるかどうかはわからないとしか言いようがありません。

 

 

伊集院静の現在~肝内胆管がんのため死去

 

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出典:https://article-image-ix.nikkei.com/

 

既に触れたように、伊集院静さんは2020年1月にくも膜下出血で倒れ、一時は作家生命が危ぶまれました。

 

その後順調に回復され作家として活躍を続けられていましたが、2023年10月27日に同月初旬に肝内胆管がんと診断を受けたため、当面の間執筆活動を休止することを発表されました。

 

肝内胆管がんは、肝臓の内部を通っている胆管にできるがんで、伊集院静さんは医師との相談により一刻も早い治療と十分な静養が不可欠であると判断されたとのことです。

 

作家としての活動再開を心待ちにされていた伊集院静さんですが、がん公表から約一か月後の2023年11月24日、73歳で亡くなられました。

 

伊集院静さんの訃報は、嫁の篠ひろ子さんが本名の「西山博子」でコメントを発表し伝えています。

 

篠ひろ子さんによると、伊集院静さんは肝内胆管がんの治療を続けるも回復に至らなかったとのことです。

 

篠ひろ子さんは、「自由気ままに生きた人生でした。人が好きで、きっと皆様に会いたかったはずですが、強がりを言って誰にも会わずに逝ってしまった主人のわがままをどうかお許しください。」などとコメントされていました。

 

伊集院静さんの義兄(篠ひろ子さんの兄)は、伊集院静さんが肝内胆管がんと診断された時点で、がんが全身に転移し「余命半年」と告知されていたことを明かされています。

 

また、伊集院静さんは延命の手術を望まずに死を受け入れ、病状が悪化しても周囲に知らせることなく、最期の1か月は篠ひろ子さんと2人で静かな日々を過ごされていたとのことです。

 

 

 

まとめ

 

今回は、女優の夏目雅子さんや篠ひろ子さんとの結婚で知られる作家の伊集院静さんについてまとめてみました。

 

伊集院静さんの若い頃は、在日韓国人として生まれ、小学校から大学までは野球に打ち込み、大学卒業後は広告会社を経てフリーのCMディレクターとして活動し、30代の頃に作家デビューをしています。

 

伊集院静さんの家族は、韓国人の父親と母親、兄弟は姉が3人と弟と妹の計5人で、自身は6人兄弟の長男です。

 

伊集院静さんの結婚歴は3度で、最初の結婚は広告会社時代で、嫁は一般の女性で2人の子供を儲けましたが1980年に離婚しています。離婚の理由は女優の夏目雅子さんとの不倫でした。

 

伊集院静さんの2度目の結婚は1984年で、嫁は不倫相手の夏目雅子さんでした。夏目雅子さんは結婚翌年の1985年に白血病を発症し27歳の若さで亡くなっています。

 

伊集院静さんの3度目の結婚は1992年で、嫁は女優の篠ひろ子さんです。

 

伊集院静さんの子供は、最初の嫁との間の2人の娘で、長女は一般の女性、次女は女優や作家として活躍されている西山繭子さんです。

 

伊集院静さんに孫がいるのかは現在のところ情報がなく不明です。

 

伊集院静さんは2020年1月にくも膜下出血で倒れて手術を受け、一時は作家生命の危機との情報も流れましたがその後回復されて活躍を続けられていました。しかし、2023年10月に肝内胆管がんと診断され、その翌月に亡くなられました。がんと診断されてからの一カ月は嫁の篠ひろ子さんと最期の日々を2人きりで過ごされていたようです。伊集院静さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

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