若い頃から世界的なバイオリニストとして活躍した佐藤陽子さんが2022年7月に72歳で亡くなりました。
この記事ではバイオリニスト・佐藤陽子さんの若い頃からの輝かしい経歴や画像、
さんとの結婚や子供、現在の死去報道や死因などについてまとめました。
この記事の目次
佐藤陽子(バイオリニスト)のプロフィール
佐藤陽子のプロフィール
生年月日:1949年10月14日
没年月日:2022年7月19日(享年72歳)
出身地 :福島県福島市
佐藤陽子(さとう・ようこ)さんは、世界的に活躍したバイオリニストで、声楽家としても活躍された方です。
幼い頃から旧ソ連や西欧でバイオリンや音楽を学び、数々の国際コンクールで入賞し、バイオリニストとして世界的な名声を得た人物でした。
日本に帰国後はエッセイストやタレントとしても活動し、芸術家の池田満寿夫さんとの恋愛や結婚宣言、そのおしどり夫婦ぶりでも話題を呼びました。
そんな世界的バイオリニストであった佐藤陽子さんですが、2022年7月19日に72歳で亡くなった事が報じられています。
ここでは、このバイオリニストの佐藤陽子さんについて紹介していきます。
佐藤陽子(バイオリニスト)の若い頃① 3歳でバイオリンを始め9歳でソ連に留学
佐藤陽子さんの若い頃の経歴や画像を紹介していきます。
佐藤陽子さんは、1949年に福島県福島市で生まれ、3歳の時にバイオリンをはじめました。1958年佐藤陽子さんが8歳の時、来日していたウクライナ出身(当時はソ連に所属)の世界的バイオリニスト、レオニード・コーガンに、公開レッスンで才能を認められ、翌1959年、9歳の頃に旧ソビエト連邦の招きを受けて、同国へ留学しています。
佐藤陽子さんは、ソ連政府の給費留学生の待遇でモスクワ音楽院附属音学校に入学し、レオニード・コーガンの直接レッスンを受けました。
このソ連留学中は毎日10時間の練習をこなし、音楽コンサートは全てフリーパスという待遇で、クラシック音楽漬けの日々を送られたそうです。
佐藤陽子(バイオリニスト)の若い頃② デビュー後モスクワ音楽院を首席卒業
佐藤陽子さんは、12歳だった1962年4月、名指揮者のキリル・コンドラシン指揮のモスクワ国立オーケストラとの共演でデビューを飾りました。
下の動画は、デビュー時ではありませんが、13歳当時の佐藤陽子さんが作曲者のアラム・ハチャトゥリアンの指揮で弾くヴァイオリン協奏曲の貴重な動画です。
佐藤陽子さんはその後、1966年6月、16歳にして世界的権威のある音楽コンクール「チャイコフスキー国際コンクール」で3位入賞という快挙を成し遂げています。
同年9月には世界三大音学院の1つとして知られるモスクワ国立音楽院に進学し、在学中の1969年に、フランス・パリで開催された「ロン=ティボー国際コンクール」で第3位入賞を果たしています。
そして、1971年にモスクワ国立音楽院を首席で卒業されています。
佐藤陽子(バイオリニスト)の若い頃③ マリア・カラスに師事し声楽家としても活躍
佐藤陽子さんは、モスクワ国立音楽院を首席で卒業した1971年中にフランスへと留学しています。
翌1972年に、ハンガリー出身の名バイオリニスト、ヨゼフ・シゲティに師事し、同年10月にイタリアジェノヴァで開催のパガニーニ国際コンクールで第2位に輝いています。
また、その年にはヨーロッパ演奏旅行も行い、その際に、20世紀最高のソプラノ歌手とも称されるマリア・カラスに歌手としての才能を見出され、師事して本格的に声楽を学んでいます。
そして、1975年10月にルーマニアのブカレスト国立歌劇場でのオペラ「蝶々夫人」にて、オペラ歌手としてデビューし喝采を浴びました。1976年には日本でも「蝶々夫人」を公演しています。
1977年には佐藤陽子さんは声楽家として、マリア・カラスとの深い関係で知られるイタリア人テノール歌手のジュゼッペ・ディ・ステファーノとジョイント・リサイタル(コラボ演奏会)を行っています。
佐藤陽子(バイオリニスト)の若い頃④ 帰国後はエッセイストやタレントとしても活動
佐藤陽子さんは、26歳だった1976年に帰国し、日本を拠点にして活動を続けられています。
この頃から、バイオリニストとしての演奏活動以外にも活動の幅を広げ、エッセイストや上述のようにオペラ歌手、声楽家としての活動、タレントとしてバラエティやドラマ出演などの活動もされています。
1979年3月4日から1980年3月30日にかけては、テレビ朝日のクイズ番組「象印クイズヒントでピント」に女性軍2枠のレギュラー解答者を務めて視聴者の人気を集めました。
また、女優としてテレビドラマに出演された事もあり、1984年に関西テレビで放送された連続時代劇ドラマ「大奥」(44話、おらん役で、同話の監督と脚本はパートナーの池田満寿夫さんが担当)や、1985年のフジテレビのスペシャルドラマ枠月曜ドラマランドで放送の「奥様は不良少女!? おさな妻」などに出演されています。
佐藤陽子さんは日本帰国後はそのドラマティックな半生を綴るエッセイストとしても人気を高め、1978年に自身初のエッセイ集「音楽のある街角」を発表されています。
その他にも初期の著作として、「スポットライト・音楽のきこえる話」(1982年)、「食后のラブレター」(1984年、パートナーの池田満寿夫さんとの共著)、「クライマックスはご一緒に」(1986年、池田満寿夫さんとの共著)、「こういう女ならすべて失ってもいい」(1988年、池田満寿夫さんとの共著)などがあります。
後期の著作では、「Masuo my love」(1998年)、「20世紀レコード・ジャケット傑作集」(1998年、池田満寿夫さんとの共著)、「池田満寿夫愛のありか」(2002年、池田満寿夫さんとの共著)などがあります。
佐藤陽子(バイオリニスト)は芸術家の池田満寿夫との結婚宣言やオシドリ夫婦ぶりも話題に
出典:https://img.topics.smt.news.goo.ne.jp/
佐藤陽子さんは、フランス・パリ滞在中だった1972年に外務省の官僚の岡本行夫さん(外務省退官後は外交評論家や実業家、大学教授などとして活躍、2020年に新型コロナウイルス感染症により死去)と出会い、大恋愛の末に24歳で結婚されています。
しかしその後の1977年秋、佐藤陽子さんは山形県で開催された文化講演会で、芸術家の池田満寿夫さんと出会って恋に落ち、1979年2月に岡本行夫さんとの協議離婚が成立します。
一方の池田満寿夫さんも当時、11歳年上の一般女性と結婚関係にあり、さらに中国系アメリカ人の画家のリランという女性と内縁の関係にありましたが、最初の妻が離婚に応じておらず、また、内縁の妻であるリランさんとの関係も続いていたようです。
ただ、池田満寿夫さんは佐藤陽子さんの事を愛していると周囲に公言していました。
1979年8月2日、池田さんはユニチカのカレンダー制作の仕事で、イタリア・ローマを訪れています。これに合わせる形で、佐藤陽子さんもローマ入りして行動を共にし、事実上の2人の結婚旅行でした。
また、この1979年には、佐藤陽子さんは池田満寿夫さんと共同で個人事務所「M&Y事務所(有)」を設立し、翌1980年には結婚宣言を行って、同年1月には実質的な結婚披露パーティとなった「新しい門出を祝う会」も催されています。
これ以降、佐藤陽子さんと池田満寿夫さんは周囲からは事実上の夫婦として扱われ、芸能界でも話題のオシドリ夫婦として様々なメディアで共演されています。
しかし、前述のように、池田満寿夫さんは法律上の妻との離婚が成立しておらず、佐藤陽子さんとは内縁の関係でした。佐藤陽子さんと池田満寿夫さんは1982年12月に東京から静岡県熱海市海光町に移住し晩年までそこで暮らしています。
池田満寿夫さんは1997年3月8日に63歳で急死されています。(死因は地震に驚いた愛犬に飛びつかれて転倒した事による急性心不全)
佐藤陽子さんは最愛の人の突然の死去について、以下のコメントを残されています。
「突然倒れて、〈ただいま〉、も〈お帰り〉もなかった。18年一緒にいた。普通の夫婦の3倍一緒にいましたけど、それでも短かった。彼から真心を学んだ」
佐藤陽子さんは池田満寿夫さんの死後、池田さんが作品作りに使用していた「満陽工房」(熱海市下多賀)と夫婦で15年暮らした自宅(熱海市海光町)を熱海市に寄贈されていますが、その後も亡くなるまで熱海市の別の場所で暮されていました。
現在も佐藤陽子さんと池田満寿夫さん夫婦のゆかりの施設は、「池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家」、「池田満寿夫記念館」として熱海市によって公開されています。
佐藤陽子(バイオリニスト)の子供
佐藤陽子さんと池田満寿夫さんとの間には子供は誕生していません。
また、佐藤陽子さんの最初の結婚相手である前夫の岡本行夫さんとの間にも子供はいません。
内縁の夫であった池田満寿夫さんは愛犬家で知られており、最多で20匹もの犬を飼い、佐藤陽子さんとの自宅で飼われていました。夫婦にとってはこの犬達が子供代わりのような存在だったのかも知れません。
佐藤陽子(バイオリニスト)の現在…72歳で死去しており死因は肝臓がん
佐藤陽子さんは、2022年7月19日に72歳で亡くなっています。死因は「肝臓がん」と発表されています。
詳しいことは明かされていませんが、晩年は闘病生活を送っていたようで、静岡県熱海市の病院で死去されたという事です。
世界的バイオリニストで、版画家・故池田満寿夫さんと結婚を宣言したことでも知られる佐藤陽子(さとう・ようこ)さんが、7月19日、静岡県熱海市の病院で肝臓がんのため死去した。72歳。福島市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。
佐藤陽子さんは熱海市の病院で亡くなられたという事でしたが、亡くなる直前まで在宅医療で自宅で過ごされていた可能性が高いようです。
というのも、友人のタレント・カルーセル麻紀さんのブログによると、死去の3日前に佐藤陽子さんから電話があり、「麻紀さんから送ってもらった梅干しでこれから一杯呑むは」と話されていた事が明かされているためです。
亡くなる三日前に電話がかかって
来てひさしぶりに長電話しました。
来年は、どうしても巴里へ「行きたいわ」
と言うので、わたしも「行きたいわ」と
身体の方は、大丈夫なの?と聞いたら元気よ!
麻紀さんから送ってもらった梅干しで
これから一杯呑むは、と珍しく素面で
長々お喋りしました。
当然、病院に入院していたのであれば、飲酒をする事は許可されないため、ギリギリまで自宅で過ごされていた可能性が高いと言われています。
まとめ
今回は、世界的なバイオリニストで、声楽家としても活躍し、エッセイストとしても人気が高かった佐藤陽子さんについてまとめてみました。
佐藤陽子さんは3歳でバイオリンをはじめ、ウクライナ出身の名バイオリニストのレオニード・コーガンに求められて9歳でソ連に留学し、チャイコフスキー国際コンクール3位入賞やモスクワ国立音楽院を首席で卒業するなどし、若い頃からバイオリニストとして世界中から高い評価を得ました。
日本に帰国後に、芸術家の池田満寿夫さんと知り合って結婚(内縁関係)し、芸能界きってのオシドリ夫婦として、様々なメディアで共演されました。池田満寿夫さんとの間に子供はおらず、夫婦で移住した熱海で長年2人で暮らされていました。
現在については、佐藤陽子さんは2022年7月19日に72歳で死去した事が報じられています、死因は「肝臓がん」と発表されています。