2020年から新型コロナウイルスが流行していますが、日本の新型コロナ対策を率いているのが尾身茂氏です。
今回は尾身茂氏のプロフィールや身長、家族(父親・母親)、若い頃の学歴・経歴、結婚した嫁や息子・娘と自宅をまとめました。
この記事の目次
尾身茂はポリオ根絶&コロナ感染対策の要になっている医師
出典:asahi.com
尾身茂
生年月日:1949年6月11日
出身:東京都
活動:医師、医学博士
尾身茂氏は2020年からの新型コロナウイルス流行時に、日本の感染対策の事実上の指揮を執っている医師・医学博士です。
2020年からは次の役職を務めています。
・新型コロナウイルス感染症対策本部新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長
・新型インフルエンザ等対策閣僚会議新型インフルエンザ等対策有識者会議新型コロナウイルス感染症対策分科会長
尾身茂氏は、根気強く新型コロナウイルス対策に必要なことをわかりやすい言葉で、かつフラットな立場で発信し続け、日本の新型コロナウイルス対策に大きく貢献しています。
「尾身茂氏がいたから、日本はコロナによる死者数が少なくて済んでいる」と言われるほどの人物です。
また、WHO西太平洋地域事務局ではポリオ根絶担当となり、西太平洋地域(中国や東南アジア)からポリオ根絶を達成しています。
記者会見やテレビ番組出演の様子を見ると、物腰柔らかおじいさんという印象を受けますが、実は尾身茂氏はとんでもなくすごい人物なんです。
尾身茂の身長:若い頃はメタボ?
尾身茂氏の身長は180cm前後と思われます。記者会見の時やメディアに出演している時の尾身茂氏を見ると、長身で体がかなり大きいですよね。
次の写真を見ると、隣に並んでいる沖縄県知事の玉城デニー氏は身長165cm前後と思われますので、やはり尾身茂氏は身長180cm前後でしょう。
ただ、こちらの写真だと、尾身茂氏はそこまで身長が高いように見えません。
一番右の西村康稔大臣は身長178cm、菅元総理は身長164cmですから、この写真だけ見ると、尾身茂氏の身長はそんなに高いようには見えませんよね。
出典:kantei.go.jp
遠近法で尾身茂氏が小さく見えている可能性もありますが…。
この写真以外は、それなりに身長が高く見えますので、尾身茂氏の身長は180cm前後と思われます。
若い頃はややぽっちゃり
尾身茂氏は現在、細身で高身長のイメージが強いですが、若い頃は少しぽっちゃり気味の体型でした。太っていたというわけではありませんが、今よりは明らかにぽっちゃりしています。
WHOにいた頃は忙しく、会食などが多かったので、メタボ寸前になっていたと告白しています。
実は20年前の私はメタボ寸前だったんです(笑)。WHOにいたころは会食やお酒を飲む機会が多い。運動の時間はない。
あの尾身先生がメタボ寸前だったなんて意外ですよね。
そこで、海外出張が多かった尾身先生は、飛行機の待ち時間は空港内をひたすら歩くという運動方法を取って10kgの減量に成功したそうです。
尾身茂の家族:父親や母親
尾身茂氏は東京都出身です。
父親はクレーン運転手で、普段はおとなしい穏やかな性格だったそうです。母親の詳しい情報はわかりません。
特に、家族・身内に医療関係者がいたわけではありませんでしたが、医学部進学の際、尾身茂氏と父親が取っ組み合いの喧嘩になり、母親が仲裁に入ってくれて何とか勘当は免れたそうです。
尾身茂の学歴:若い頃は医師志望じゃなかった
出典:sankei.com
尾身茂氏はこちらです。
・東京教育大学附属駒場高校卒業
・慶應義塾大学中退
・自治医科大学医学部卒業
・自治医科大学大学院博士課程修了
尾身茂氏は、1966年に東京教育大学附属駒場高校(現在の筑波大学附属駒場高校)に進学。
高校在学中にAmerican Field Serviceの交換留学生に選ばれて、アメリカのニューヨーク州セントローレンス郡ポツダム町の高校に1年間通いました。
その間、アメリカ人大学教授の家にホームステイしていたそうです。
日本のように大学受験を意識することもなく,郊外の湖で生まれて初めてヨットを楽しみ,また,テニスに熱中,時にはデートにも成功した日々は,今でも「天然色」で記憶に残っている.
引用:医学界新聞プラス [第1回]WHOに至るまで:第1の青春物語 | 2021年 | 記事一覧 | 医学界新聞 | 医学書院
1968年・高校3年生の時に日本に帰国してみると、日本は学生運動の真っ最中でした。
尾身茂氏が通っていた東京教育大学附属駒場高校は東大に行くのが一般的な超進学校でしたが、1969年は学生運動のあおりで東大の入試が中止になりました。
そのため、尾身茂氏は、慶應義塾大学法学部に入学し、商社マンや外交官になって、世界を飛び回ろうと考えていました。
しかし、学生運動にのめり込む気にもならず、学業に打ち込む気にもならず、大学に行く回数が減っていたところ、『わが歩みし精神医学の道』(内村祐之著)という本に出会います。
そんなある日,件の書店でぶらぶらしていると,ふと『わが歩みし精神医学の道』(内村祐之著)という1冊が目にとまった.医学など夢想だにしなかった私だったが,悩む青春の心には“医学”という言葉が何か人間的な響きを持ち,自分の悩みを一挙に解決してくれる救世主に思えた.
引用:医学界新聞プラス [第1回]WHOに至るまで:第1の青春物語 | 2021年 | 記事一覧 | 医学界新聞 | 医学書院
そして、この本に衝撃を受け、医師を目指すことを決意します。
医学部を受験したいことを両親に伝えると、前述のとおり大反対にあいます。
一般家庭には医学部の学費を出すのは難しいです。そもそも、すでに慶應義塾大学に2年間通っているのですから。
尾身茂氏は医学部に行けるかどうかわからないまま受験勉強を開始したところ、数か月後に自治医科大学が創設されること、1期生は来年の春に募集することを知ります。
自治医科大学は地域医療に従事する医師を育てる大学で、尾身先生の考え方に合致していましたし、自治医科大学の学費は無料!
尾身茂氏は食事・睡眠・トイレ以外はすべて勉強に当てて、1972年に無事、自治医科大学医学部に1期生として合格しました。
医学部入学後は、「勉強はやる時はやったが、普段の寮生活はジャン荘みたいだった」と話していますので、勉強しつつもそれなりに楽しくやっていたようです。
尾身茂の経歴がすごすぎる
地域医療から厚生労働省へ
尾身茂氏は医師の国家試験に合格した後、都立墨東病院で勤務します。
都立墨東病院で研修し、その後は伊豆諸島を中心とした地域医療に9年間従事しました。この9年間は自治医科大学の卒業生の就業義務でした。
そして、その就業義務が終わりになる30代後半に、医師として今後どうするかを考えるようになりました。
そんな時、高校時代に一緒にアメリカ留学をしていた友人に会う機会があり、その友人はユニセフで働いていました。そして、尾身氏にWHOで働くことを勧めたのです。
尾身茂氏はWHOで働くことを決意し、WHOで働くために高度な専門性を身につけようと、自治医科大学大学院に進学して博士号を取得。
さらに、行政での仕事を経験するために、厚生省(現在の厚労省)で技官として1年間働いて、厚生省幹部にWHOに派遣してほしいと訴え続けました。
その後、WHOの選抜試験を受けて合格します。
WHOでポリオ根絶&SARS対策
WHOの選抜試験に合格した尾身茂氏は、1990年にWHO西太平洋地域事務局に配属になります。
そして、西太平洋地域事務局感染症対策部部長として西太平洋地域のポリオ根絶担当になり、フィリピンのマニラに着任します。
当時の中国・フィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジアでは確認されただけも、合計でポリオは5,991例も出ていました。
ポリオは予防接種で予防可能な感染症ですが、当時のこれらの地域でポリオの予防接種率を上げることはとんでもなく難しい問題でした。
・中国:一人っ子政策中だが、内緒の第二子のポリオ感染が多い。内緒だから予防接種を受けられない
・フィリピン:ミンダナオ島を中心に内戦中
・カンボジア:クメール・ルージュとの内戦中
尾身先生は中国の保健大臣と交渉して、第二子以降でも受けさせることに成功します。
この尾身先生の働きかけで8000万人(対象人口の9割)の子供がポリオワクチンを受けることができました。
さらに、フィリピンやミンダナオ島ではポリオワクチン接種のために、停戦協定を結ばせたのです。
この尾身先生の取り組みのおかげで、1997年を最後に西太平洋地域ではポリオ患者は報告されず、2000年にポリオが根絶されました。
さらに、2002年~2003年に中国で発生したSARSでも、尾身先生が陣頭指揮を執って、パンデミックになる前に感染を収束させています。
いち早く中国への渡航を中止するように勧告を出したのも、尾身先生でした。
2006年には、日本政府が世界保健機関事務局長選挙候補者として擁立しますが、選挙で落選し、2008年で西太平洋地域事務局長を退任します。
ちなみに、尾身茂氏の業績を讃え、次のような称号を贈られています。
・ベトナム社会主義共和国名誉国民賞
・香港地域医療学会名誉特別専門医
・ラオス人民民主共和国国民栄誉賞
・小児麻痺根絶貢献賞
いかに、尾身茂氏の業績が素晴らしいかがわかりますね。
JCHO理事長&新型インフルエンザ対策
出典:nippon.com
2008年にWHOの西太平洋地域事務局長を退任後、日本に帰国した尾身茂氏は自治医科大学地域医療学センター教授や世界保健機関の執行理事に就任します。
2012年からは独立行政法人年金・健康保険福祉施設整理機構理事長に就任し、地域医療機能推進機構(JCHO)への移行の指揮を執り、JCHO発足後は初代理事長になりました。
2012年には、新型インフルエンザ対策の基本的対処方針等諮問委員会の会長にも就任しています。
新型コロナウイルス対策で陣頭指揮を執る
出典:bunshun.jp
そして、2020年。新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るいます。
2020年2月14日の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議では副座長を務め、専門家会議のリーダー・新型コロナ政府分科会の会長として尽力します。
新型インフルエンザ対策の基本的対処方針等諮問委員会の会長等に就任し、今回のコロナ対策でもいの一番に声を掛けられ、要職に抜てきされた。国内で感染が確認された当初、加藤勝信・厚生労働相も「まずは尾身さんに聞け」と信頼を寄せた。
専門家会議では西浦博教授や押谷仁教授などと意見が対立しつつもうまく丸め込み、政府に対して必要な提言をしながら、日本の新型コロナ対策を指揮してきました。
日本の新型コロナウイルス対策は、尾身先生がいたから、死者を少なく抑え込むことができたという意見があるほどです。
さらに、このパンデミック中に尾身先生が日本にいてくれて、専門家会議に加わったことは日本にとってラッキーだったという意見が多いです。
下記の3つのツイートは医師のアカウントによるものです。
尾身先生や忽那先生は、日本中の医療従事者の良心を集めて元気玉にしたような人たちなので、議論や批判は許せても、悪口だけは許さない。
— インヴェスドクター (@Invesdoctor) January 9, 2022
武漢の調査に忖度しやがったくせにうるせー
— 猫部長 (@TigerKittyMom) December 2, 2021
尾身先生がいらしたから日本は死者も少ないんやでhttps://t.co/XaUo0jHynW
https://twitter.com/nanaracco/status/1427768833998155783
臨床現場にいる医師で尾身先生のことを悪く言う人は、ツイッターを見る限りほぼ皆無です。
現場の医師から支持され、さらにここまで尊敬を集める尾身先生。本当にすごい人物であることがわかります。
中国の大臣を説得し、内戦中のフィリピンやカンボジアを停戦させた尾身先生にとっては、日本の政治家・官僚を説得し、交渉することはさほど難しいことではなかったのかもしれません。
尾身茂が結婚した嫁はおそらく一般人
尾身茂氏は一般人ですので、いつ結婚したのかは公表されていません。
しかし、自治医科大学卒業後に伊豆諸島で研修をしていた時にはすでに結婚していました。上の画像で赤丸の真ん中にいる男性が尾身氏、その隣で後ろを向いているのが奥様とのことです。
子供の年齢などを考えると、おそらく自治医科大学医学部卒業後すぐ(もしくは医学部在学中)に結婚していると思われます。
尾身茂氏はWHOで働くために大学院に行き、厚生省で技官になることを選択しますが、「家族の迷惑も省みず、私の身勝手な決断だった」と振り返っており、嫁に相談しなかったようです。
さらに、奥様は予定外にマニラに住むことになります。
当初,私はマニラでは単身赴任の予定だったのだが,家族の応援がどうしても必要になり,妻に頼み込んで家族にもマニラに来てもらうことになった.妻にはその後,頭が上がらなくなった.
引用:医学界新聞プラス [第2回]ポリオ根絶: 第2の青春物語① | 2021年 | 記事一覧 | 医学界新聞 | 医学書院
当時のマニラはそこまで治安が良くなかったと思われます。そんな時に子供2人を連れて移住するのは、本当に大変なことでしょう。それは、尾身茂氏も奥様には頭が上がらないと思います。
尾身茂氏のやりたいことをサポートしていた素敵な奥様ですが、大変だったことは間違いありません。
尾身茂の息子・娘は英語が堪能
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尾身茂氏にはお子さんが2人います。第1子は息子、第2子は娘です。上の画像の尾身茂氏の隣にいる子が長男ですね。
尾身茂氏がマニラに赴任して、それに帯同することになった時は息子さんが中学2年・14歳、娘さんが小3でした。そこではインターナショナルスクールに入ることになります。
言葉は単にコミュニケーションの道具ではなく思考の土台だ。私のWHO勤務の関係で息子は中2、娘は小3の時、インターナショナルスクール(マニラ)という英語の環境に突然放り込まれた。
息子は多感な時期。既に日本人としての自覚も芽生えていたので、欧米流を是とする学校生活に対して当初反発する気分があったようだ。
長男は中学2年でインターナショナルスクールに入学し、周りは英語しか話さない学校に行くのは相当大変だった思いますが、次第に英語に慣れていったそうです。
そして長男は日本の大学に入学し、日本の企業に就職してお子さんも2人いるそうです。
一方、娘さんは小3の時にインターナショナルスクールに入っていますので、比較的すんなり英語に馴染み、アメリカの大学に留学しています。
尾身茂の自宅は高輪
出典:corona.go.jp
尾身茂氏の自宅は東京の港区の白金台にあります。2017年で6年間住んでいるので、2011年から高輪に住んでいるようです。
高輪地区に住みはじめて6年になります。白金台の自宅から高輪の勤務先まで20分歩いて通っています。緑が多くてとてもよい地域だと思います。
勤務先に近いということもあると思いますが、超高級住宅地の白金台に住むなんて、さすが尾身先生です。
尾身茂の現在:新型コロナウイルスに感染
尾身茂氏は2022年12月12日に、新型コロナウイルスに感染したことが判明しました。
政府は12日、新型コロナウイルス対策分科会の尾身茂会長(73)がコロナに感染したと発表した。10日夕方から発熱はないものの軽い倦怠(けんたい)感があり、12日にPCR検査をしたところ、陽性だった。現在ものどに違和感があるという。11月12日に5回目のワクチン接種を終えていた。
感染発表から10日経っても、尾身茂氏が回復したというニュースはありません。
ワクチンを5回打っているので、重症化のリスクは低いと思いますが、73歳という年齢ですので心配です。
しっかり休んできちんと回復してから、また新型コロナウイルス対策分科会の会長として、日本のコロナ対策の指揮を執っていただきたいですね。
尾身茂のまとめ
尾身茂氏のプロフィールや身長、若い頃の体型、家族(父親・母親)と学歴・経歴、結婚した嫁や息子・娘と自宅などをまとめました。
尾身茂氏がいたから、日本がほかの先進国と比べて新型コロナウイルスの死者数・死亡率が低いことは間違いないと思います。
それにしても、尾身先生の経歴は本当にすごいですよね。