2006年10月15日に国家として宣言したイスラム国ですが、その後国連軍との戦争により弱体化が進み、2019年現在はほぼ壊滅したと言われています。
この記事では、イスラム国の日本人殺人の詳細や現在までの様子について詳しくまとめました。
この記事の目次
「イスラム国」とは
イスラム国、国家樹立を宣言したイスラム過激派組織
イスラム国はイラクからシリアにかけた地域で活動するイスラム過激派組織です。
英語表記では「Islamic State=”IS(アイエス)”」で「イスラム国」を意味しますが、2015年2月4日の放送分から「ISIL(Islamic State in Iraq and the Levant)=”アイシル”」と表記と呼称を変更しました。
2006年10月15日にイスラム国の指揮者であるアブー・バクル・アル=バグダーディーが国家樹立宣言を行い、シリア領内にあるラッカを首都として国際社会に対して一方的に国家を名乗り始めました。
なお、現在までにイスラム国を国家と認めて独自に外交を認めた国はひとつもありませんでした。
元々イスラム国は同じくイスラム原理主義の過激派組織「アルカイダ」から分派した組織ですが、絶縁して完全に独立した組織として活動していました。
イスラム国、短期間で“疑似国家”を形成していた
イスラム国は短期間のうちに国家の縮小モデルを作った
イスラム国は国家宣言のみならず将来を見据えた国家としての形を形成しており、電機や水などの供給から、イスラム銀行の運営、学校や裁判所などの国家機関なども整備していました。
しかし、イスラム国は当然武力による完全な独裁で市民以外に法律は存在せず、反抗するものは容赦なく殺害されました。
「イスラム国」の収入源と目的~インターネットで兵士を世界中から募集
イスラム国、主な収入源は武器や石油の密輸
イスラム国は他国の人間を人質に取り、その国の政府に身代金を要求していましたが、政府が身代金を支払ったという証拠は公開されていないようです。
もし身代金を支払っているのであればイスラム国に相当額の収入になっていたと思いますが、主な収入源は石油や武器、古文書など文化財の密輸だと言われています。
また、イスラム国内での通行料やキリスト教徒に対しては人頭税を科すなど国家としての税収もあり、その他ペルシャ湾岸諸国の親イスラム国派の篤志家から資金援助を受けていたともいわれています。
イスラム国、恐怖政治で住民を支配した
住民らは恐怖政治に不満を募らせていた
イスラム国と国連軍による戦争や、世界各地で頻発したテロも大きな国際的問題となりましたが、イスラム国内で行われている捕虜や市民への残虐な処刑や人身売買、レイプなど非人道的な行為も問題視されてきました。
首を切断したり、銃殺したりしているが、イスラム国に逆らったら、こうなるという見せしめだ。2003年のイラク戦争後にアルカイダ系武装組織が多用したやり方だ。その手口をそのまま受け継いだ。アルカイダ指導部はこうした残虐な手法に反対していた。
イスラム国が宣伝用に流しているビデオを見ても、住民たちが本当に根っからイスラム国を信じているようには思えない。イスラム国が来て良くなったとの発言もあるが、本当かどうかは検証できない。逆らったらどうなるか分かっているので、仕方なく従っている可能性もある。
イスラム国の市民に対する非人道的な行いの象徴的な例として、街でとある母親が4歳の娘に対して「遊ぶのをやめて家に帰りなさい。帰らないのならあなたの首を切断するってね」と比喩表現で叱ったのに対し、それを聞いていたイスラム国兵士が言うことを聞かなかった4歳の娘の首を本当に斬首してしまいました。
イスラム国、兵士の中には日本人が9人もいた
世界中の若者に殺人をできる環境を与えたイスラム国
イスラム国が世界に与えた深刻な問題の一つとして、インターネット上で動画共有サイトなどを利用してイラクやシリアを始めとした中東諸国以外にも全世界から兵士を募ったことでした。
このイスラム国の呼びかけに対して、世界中の生活に不満を持つ人、人を殺してみたいと思う人、無法地帯で女性を蹂躙したいと思う人など、様々な願望を持つ人がイスラム国に渡りました。
さまざまだ。人を殺してみたいという人物も当然いる。怒りに燃えてイスラム国をつくりたいという人物もいる。いずれにしても戦わなければならないと考えていることは間違いない。重要なのは、同じ場所、目的で集まっていることだ。これは力になる。同じ釜の飯を食い、高揚感がある。若者たちが引きつけられるのは理解できる。男性社会であり、より同質的な社会だ。イスラム国にとって、こうした状況は目的を達成するための力になる。アルカイダではなく、イスラム国に勢いがあるのはこのためだ。
元航空幕僚長の田母神俊雄さんが、イスラエル政府高官から9人の日本人がイスラム国に参加していることを聞きブログで伝えていました。
なお、世界各国から約1万5千人が戦闘員としてイスラム国に参加したと言われ、そのうち日本人は9人もいたともいわれています。
イスラム国、ムスリムだけの国家を目指していた
ムスリムだけが幸せに生きられる国家を目指した
他宗教との対立の歴史を歩んできたイスラム教ですが、イスラム国はそうした過去のしがらみを断ち切って純粋なムスリムだけの国家を作ろうとしているようです。
ISILの広報担当が主張するには、「これはムスリムの国だ。抑圧されたムスリム、孤児、夫と死別した女性、そして貧困にあえぐ人たちのための国だ」「イスラム国の人々は生命と財産の安全を保障され、(従来の国境を越えてビザなしで)自由に移動できる」と主張している。この言葉はシリア内戦で疲れ果てた人たちの心をつかみ、ISILに支配された当初、これを歓迎した住民もいる。ラッカが支配下に置かれた時、住民たちはお祭り騒ぎになったという。
そして、その目的を達成するためにイスラム国は亡ぼすべき異教徒や世俗的な文化を持つ国々をジハード(聖戦)の対象とし、スペイン南部から東トルキスタンまでの範囲をイスラム国となるべき国教として侵略を続けていくようです。
「イスラム国」が日本人2人を殺害~衝撃の殺人動画も公開
イスラム国、日本人人質2人を公開処刑
2015年1月に公開処刑された2人
上の画像の後藤健二さん(左)と湯川遥菜さん(右)は、2014年にイスラム国に拘束されて殺害されてしまった初めての日本人です。
イスラム国は2人を拘束して日本政府に釈放を条件に、イスラム国関係の死刑囚の釈放と、身代金2億ドル(約240億円)を要求していましたが、応じることが難しかったため動画共有サイトに公開処刑の動画が投稿され世間に衝撃を与えました。
後藤健二さんと湯川遥菜さんは拘束される前に知り合っており、中東の紛争地帯で行動を共にしたこともありました。
湯川遥菜さんがイスラム国に拘束されてしまったため、救いたいとして後藤健二さんはシリアに渡りましたが、それは叶わず自身も人質になってしまいました。
湯川遥菜さんがイスラム国に拘束されるまで
会社の倒産と妻の死が湯川遥菜さんを追い詰めた
湯川遥菜さんは千葉県内の高校を卒業した後にミリタリーショップを開業し、2000年に結婚していましたが、店はほどなくして倒産し、妻は肺がんにより病死するという不幸が相次ぎました。
追い詰められた湯川遥菜さんは局部切断をして自殺未遂を図ったと言われていますが、その後本名の”正行”が短命な字画であることから”遥菜”に改名しました。詳細は湯川遥菜さん本人から語られていないようですが、男性を捨てたことによるものかもしれません。
実家の家族とは連絡を長らく取っていませんでしたが、2013年12月に千葉市にある実家を訪れ、人生に限界を感じていること、人生のラストチャンスであることを告げ、2014年1月に東京都江東区青海にピーエムシー株式会社を立ち上げました。
この会社は国外警護や国際民間軍事業を手掛けており、湯川遥菜さんはゆくゆくは日本船を護衛するのが夢だったそうです。
湯川遥菜さんは紛争地の支援として2014年4月に初めて単身でシリアに入りましたが、北部の自由シリア軍拠点にて拘束されてしまいました。
しかし、自由シリア軍に通訳を依頼されていたフリージャーナリストの後藤健二さんの仲介により湯川遥菜さんは釈放され、この時に2人は知り合いました。
同年6月に湯川遥菜さんは後藤健二さんに同行を依頼してイラクに入りましたが、「現場からリポートを書きたい。」として、湯川遥菜さんが反政府勢力とISILの戦闘に同行したことから、8月14日にアレッポでイスラム国に拘束されました。
後藤健二さんがイスラム国に拘束されるまで
湯川遥菜さんを助けに行って拘束された
拘束されたことが伝えられた湯川遥菜さんを助けるために10月22日にトルコに入国し、10月24日にキリスのシリア反政府武装勢力が管理する国境検問所を通過してシリアに入国、シリア人ガイドと合流しました。
10月25日に後藤が、後藤健二さんはアレッポ郊外のマレアに入りましたが、ガイドの警告を押し切って、湯川遥菜さんを助けるために別のガイドとイスラム国が首都とするラッカに入りましたがそこで拘束されました。
11月に後藤健二さんの妻の携帯電話に、イスラム国からのメールが届いていましたが気づかず、12月初旬に気づいた後藤健二さんの妻は外務省に相談していましたが、その矢先に2人は殺害されてしまいました。
後藤健二さんが殺害時に冷静だった理由
後藤健二さんは仲間意識を持たされていた
2015年にイスラム国の通訳をしていたという男性が逃亡し、後藤健二さんが殺される瞬間を見ていたとイギリスのテレビ局の取材で明かしました。
この男性によれば、人質を処刑を実行していたのはクウェート生まれでロンドンの大学を出たムハンマド・エムワジという男で、後藤健二さんは処刑されるまでイスラム国メンバーから仲間意識を持たされていたため、処刑はフェイクだと思い込んでいたことが分かりました。
殺される動画を撮られるときに、人質が落ち着いた様子で取り乱すこともなかったのには、理由があった。
男は、人質の管理も担当しており、彼らには、こう声をかけていたという。
「何も問題はないよ。ビデオを撮るだけだよ。殺しはしないから」
「あなたたちの政府がシリアに攻撃するのを止めさせたいだけだから。あなたには、問題はないんだ。単なるお客さまに過ぎないんだよ」
こう言ってニセのリハーサルを繰り返し何度も行い、人質を油断させていた。そして、本当に殺すときは、気づかれないようにしたというのだ。
後藤健二さんが処刑された後、3、4人の男がきて遺体を車に乗せ、ムハンマド・エムワジは別の方向へ去っていったと証言しています。
この男性は後藤健二さんら人質に仲間だと思わせることに対して良心の呵責が耐えられなくなり逃げ出したそうですが、その後イスラム国メンバーから命を狙われるようになったようです。
イスラム国は子供でも容赦なく大量処刑
イスラム国には日本人が知らない凄惨な現実がある
イスラム国は敵や人質には一切の容赦がなく、頭部を生きたまま切断したり、焼き殺したり世界を震撼させてきましたが、それは子どもに至るまで変わりはないようです。
報告書では、イスラム国がイラクから誘拐した子どもに対する残虐行為について、このように指摘している。
「宗教、民族的に少数グループに属する子どもの組織的殺害がイスラム国によって行われている。その中には、男児の大量処刑が含まれ、頭部切断、子どもの『はりつけ』、子どもの生き埋めの報告もある」
これに加えて、戦闘地域では「脱水、栄養失調、高温」が原因で死亡する子どももいる。仮に生き延びたとしても状況は過酷だ。報告書では、イスラム国に誘拐された子どもは、「親が殺害される場面を目撃したり、身体的、性的虐待を受けたりして、多くがひどい心の傷を負っている」とも指摘している。
引用:JCAST ニュース – 子供も「頭部切断」「はりつけ」「生き埋め」「性奴隷」 イスラム国の常軌を逸した「組織的非道」
大量処刑が男児に限定されているのは、女児は性奴隷としての価値があるためでしょう。
斬首をして殺害した敵の首を、同胞の子供らが強い戦士になるようにと首を踏ませたり、ボール代わりにサッカーをさせているともいわれています。
「イスラム国」の現在とその後~諜報組織ファルコンにより壊滅状態へ
イスラム国の首都・ラッカを奪還
イスラム国が壊滅したと報道されるまで
2017年8月20日にイラク北部の都市タル・アファルにおいて、イラク政府軍と連合軍が掃討作戦を開始し、同月31日に勝利宣言をしました。
10月17日には、アメリカが主導した有志連合軍の支援を受けたシリア民主軍が、イスラム国が首都と宣言したラッカを制圧し、事実上イスラム国は壊滅しました。
2019年3月23日にはイスラム国が支配していたシリア東部バグズも、シリア民主軍により制圧されイスラム国の支配地域は消滅しました。
イスラム国は「ファルコン」が壊滅させた
中東最強の諜報機関「ファルコン」の暗躍があった
イスラム国を弱体化させ壊滅に追いやった背景には、米軍が”中東最強”だと認めるイラク軍の諜報機関「ファルコン」の存在があったようです。
その中でも”伝説のスパイ”と呼ばれたハリス・アル・スーダニさんはイスラム国に潜入し、計48ものテロを未然に防いだようです。
過去16ヵ月間、彼はISのジハード戦士を装って諜報活動に従事し、重要な情報をイラクの国家諜報機関「ファルコン」に流していた。
彼ほど華々しい経歴を持つスパイもそういない。スーダニは、これまで30の車による爆弾テロと18の自爆テロを未然に防いでいる。
しかも、彼はイラクのモスルに駐留していたISの上級司令官と直接連絡をとれるほど、組織の中枢に入り込んでいた。
スーダニは間違いなく同時代のイラク最高のスパイであり、ISに潜入してその上層部に接触した世界でも数少ない外部者のひとりだった。
イスラム国はハリス・アル・スーダニさんの存在に気づかないまま壊滅してしまったことになりますが、映画さながらのスパイ活動が水面下で行われていたことが、最高指導者であるアブバクル・バグダディの居場所も突き止めました。
イスラム国は完全に壊滅していない?
イスラム国は地下に潜っているだけ
イスラム国が支配していた最後の拠点であるバグズが2019年3月に制圧されたものの、幹部や戦闘員が消えたわけではなく現在も地下に潜って再起を狙っていると言われています。
遂に最後の拠点を制圧したとはいえ、ISの脅威がなくなるには程遠いという見解を、SDFのキノ・ガブリエル報道官は示した。
「この勝利はわれわれだけでなく、世界全体にとっても大きな節目だ」と、ガブリエルは米紙ニューヨーク・タイムズに語った。「しかしISはまだ終わっていない。確かに地上にいる戦闘員は掃討されたが、(地下に潜伏する)ISの脅威は世界各地に残ったままだ
ISの最高指導者、アブ・バクル・アル・バグダディを含むISの主要幹部は、今も行方が分かっていない。
SDFと同様、中東を管轄する米中央軍のジョセフ・ボテル司令官も2月に米CNNのインタビューで、ISとの闘いは終結には程遠いと警告した。
2018年12月にはトランプ大統領がイスラム国への勝利宣言をして米軍を全軍撤退させると表明しましたが、米国防総省は2019年2月に米軍が撤退すると軍事的な圧力が失われ、イスラム国が12か月以内に復活すると指摘し、米軍兵士200人を現地に駐留させることを発表していました。
しかし10月現在、トランプ大統領は駐留していた米兵の撤退を発表したため、現地でイスラム国とともに戦っていたクルド人兵士らから批難の声が挙がっているようです。
トルコ側の求めに応じる形でシリア北東部に駐留する米兵の撤退を決めたトランプ米大統領。この地域で長年、過激派組織「イスラム国」掃討でともに戦ってきたクルド人部隊を見捨てる行為だと批判されている。クルド人部隊は撤退について「背後から刺された」と非難。これに対しトランプ氏は…。 pic.twitter.com/dAYIB5swCu
— ロイター.co.jp (@Reuters_co_jp) October 8, 2019
「イスラム国」についてまとめると…
・イスラム国は湯川遥菜さんと後藤健二さんを人質として拘束、日本政府が身代金要求に応じなかったとして2015年1月に2人を公開処刑した
・イスラム国は現在までに壊滅したといわれているが、主要幹部が地下に潜伏しており終結には程遠いといわれている
2006年に建国を宣言し、テロにより世界中を恐怖に陥れたイスラム国の壊滅までをご紹介してきました。
イスラム国に殺害された後藤健二さんと湯川遥菜さんについて、国内では自己責任論が浮上し物議を醸していましたが、中東での戦争が対岸の火事ではないことを身をもって教えてくれた2人の社会への影響は大きいでしょう。