国際テロ組織アルカイダの最高指導者だったウサマ・ビンラディンは、2011年5月2日にアメリカ特殊部隊により暗殺されました。
この記事では、ウサマ・ビンラディンの暗殺計画についてや、射殺した瞬間、生きているという噂や息子の最後について詳しくまとめました。
この記事の目次
ウサマ・ビンラディンのプロフィール
ウサマ・ビンラディン
本名: ウサーマ・ビン・ムハンマド・ビン・アワド・ビン・ラーディン
生年月日: 1957年3月10日
出身地: サウジアラビア・リヤド
死没: 2011年5月2日(54歳没)
死没地: パキスタン
死因: アメリカ軍による射殺
国籍: サウジアラビア(1957年 – 1994年)、無国籍(1994年 – 2011年)
身長: 1.95 m
子供: 20 – 26人
宗教: イスラム教(ワッハーブ派 / サラフィー主義)
ウサマ・ビンラディンはサウジアラビア出身のイスラム過激派テロリスト「アルカイダ」のリーダーでした。
ビンラディンは宗教上の対立から欧米諸国を敵対視するようになり、蓄えた財力により1998年にアフガニスタンにてテロリスト組織「アルカイダ」を作りました。
ビンラディンはアメリカより第一級のテロリストとしてマークされ、9.11同時多発テロを始めとした数々のテロ事件を起こして、FBIより有力情報提供者に5000万ドルの報奨金を与える国際指名手配をされていました。
長らく姿を見せなかったためビンラディンは死去したという噂が流れましたが、ブッシュ大統領が再選を目指した大統領選挙投票日の直前にビンラディンからのビデオメッセージが届けられ、9.11同時多発テロの首謀者であることを認めました。
2011年5月2日にアメリカ海軍の特殊部隊「Navy SEALs(ネイビーシールズ)」による暗殺作戦「ネプチューン・スピア(海神の槍)作戦 」によりビンラディンを暗殺したと報じられました。
ウサマ・ビンラディンの暗殺現場~アメリカ特殊部隊に射殺され死亡
ウサマ・ビンラディン、最後の潜伏先・パキスタンで射殺される
ビンラディンを暗殺した元隊員が明かした
ビンラディンの最後の潜伏先となったパキスタン北部にあるアボタバードを急襲したアメリカ海軍特殊部隊「ネイビーシールズ」の元隊員が、ビンラディンに3発の銃弾を撃ち込み暗殺した詳細について米エスクァイア誌のインタビューに応えました。
この元隊員はビンラディンの隠れ家3階に入り込むと、暗闇の中にビンラディンとその妻らがいたことを語り、暗殺までの時間はわずか15秒程度だったと明かしました。
しかし、暗殺計画は決して順調なものではなく、現地で空から急襲するために使用した最新鋭のステルス型ヘリコプター「ブラックホーク」がビンラディンの潜伏先の自宅の庭に墜落してしまいました。
そのため、暗殺遂行後に現地から逃げる手段を失ったことへ元隊員は焦りを覚えたようで、車を盗んでイスラマバードまで逃げるか、現地に残ってパキスタン軍の応援を待つかを考えたことを明かしています。
ウサマ・ビンラディン暗殺はTwitterで実況中継された
図らずもビンラディン暗殺をTwitterで実況していたITコンサルタント
パキスタンのアボタバードはリゾート地としても人気であり、治安の良さを求めて移住してきたITコンサルタントのソハイブ・アタルさんは、ビンラディン暗殺計画が実行された2日未明に自宅付近でヘリコプターの轟音を聞き、ツイッターで実況していました。
以下は、ソハイブ・アタルさんが当時ツイッターに投稿した一部の日本語訳になります。
「ヘリコプターが午前1時にアボタバード上空でホバリングしてる(めずらしい)」とアタル氏はツイートした。「ヘリコプター、あっちへ行け。巨大ハエたたきを取り出すぞ」
「大きな窓がガタガタ鳴るほどのごう音。よからぬ出来事の始まりでなければいいけど」――このとき、米軍特殊部隊は、作戦をまさに実行していた。
「爆発後、静かになった。だが6キロ先の友人も音を聞いたと言ってる。ヘリコプターもいなくなった」
アタル氏はヘリコプター墜落のニュースへのリンクを紹介し、「どうやら巨大ハエたたきが役に立ったみたいだ」と冗談を付け加えた。
ソハイブ・アタルさんは安全対策のためにアボタバードに移住したことを皮肉りましたが、ツイッターのフォロワーからの指摘によりビンラディン暗殺だったことに気づいた様子でした。
しばらくして、アタル氏のフォロワーの1人が、バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領がテレビ演説を予定してることと、ヘリ墜落との接点を指摘した。「アボタバードのヘリ墜落と、オバマ大統領のテレビ演説予定は、関連していると思う」と、このフォロワーは述べた。
そしてついに、アタル氏は、ビンラディン容疑者を狙った米軍作戦だということに気付いた。
「ウサマ・ビンラディンがアボタバードで殺害された。ISIが確認した。<<おやおや、これは近所だね」
「おっと。どうやらわたしは、それとは知らずにウサマ襲撃を実況中継した男になってしまったのか」
このビンラディン暗殺の実況中継により、ソハイブ・アタルさんは図らずも世界中から注目される人物となってしまい、ツイッターのフォロワー数は9万人近くに増えていました。
また、ソハイブ・アタルさんの元にはメールが殺到し、世界中のメディアからインタビューのオファーも相次ぎ、ブログには悪質なハッカーからの攻撃まである始末だったため、「そっとしておいてほしい」と懇願していました。
ウサマ・ビンラディン射殺の瞬間
元隊員が語るビンラディンの最期
元隊員がビンラディンと暗闇の中で対峙した時、ビンラディンは一番若い妻の肩に両手をかけて盾のように押し出そうとし、その傍らにはカラシニコフ自動小銃があったため、元隊員は攻撃を受ける前に銃弾を撃ち込んだと話しています。
「前に向かって彼女を押すよう」な行動をとったという。近くにはカラシニコフ自動小銃(AK-47)があった。 「彼女が防弾チョッキを着ていたのか、一緒に殉死させられようとしていたのかは分からない。彼(ビンラディン容疑者)のすぐそばに銃があった。脅威だった。彼が自分で頭を吹っ飛ばせないよう、私が頭を撃ち抜く必要があった──その瞬間に撃った。額に向け2回。バン!バン!2発目で彼は崩れかけていた。それからベッドの前の床につぶれたところを、もう一発、バン!──彼は死んでいた。動かず(口から)舌が出ていた」
元隊員の話からすると、ビンラディンは多勢に無勢で生き残ることを諦め、名誉のために自殺をしようとしたとみられています。
このビンラディン暗殺は後に様々なきな臭い噂を生むことになりました。
ウサマ・ビンラディン暗殺に協力した医師が投獄される
ビンラディン暗殺に協力した医師が国家反逆罪で投獄された
ビンラディン暗殺後、米紙「ニューヨーク・デイリーニュース」は、ビンラディン暗殺のためにCIAに協力したパキスタン人の医師・シャキル・アフリディさんが、投獄されてひどい扱いを受けていることを報じました。
シャキル・アフリディさんは、偽のポリオワクチン接種を口実にビンラディンの自宅を訪問して、本人のDNA採取をすることが任務でした。
同紙によれば、「アフリディは、海軍の特殊部隊ネイビーシールズがオバマ大統領の命令でビンラディンを殺害した後すぐの2011年5月から、パキスタン当局に拘束されている。以来、アフリディはずっと刑務所におり、接見できるのは妻と子供だけで、2012年からは弁護士に会うことも許されていない。また弁護団のメンバーだった弁護士は自宅の外で射殺されている」という。
米公共放送「ヴォイス・オブ・アメリカ」によれば、アフリディは反逆罪で禁固刑33年を言い渡されている。
シャキル・アフリディさんはビンラディン暗殺計画を知るひとりのため、情報漏えいを防ぐためにパキスタン政府から反逆者に仕立て上げられてしまったのかもしれません。
そして、ビンラディンは暗殺されたのではなく、あらかじめパキスタン政府が軟禁していた身柄を報奨金と引き換えに渡してアメリカに殺害させたとリークされました。
ウサマ・ビンラディンは取引で殺害された?
パキスタンはアメリカと利害の一致で殺害を依頼した?
2015年5月10日に英誌「ロンドン・レビュー・オブ・ブックス」は、ビンラディン暗殺作戦はすべて茶番だったと報じて注目を集めました。
この記事を執筆したのは数々の重大事件の真相を暴いてきた超一流のジャーナリストであるシーモア・ハーシュさんで、それらのスクープはその都度アメリカ政府を慌てさせてきました。
シーモア・ハーシュさんによれば、パキスタン政府はビンラディンの身柄を確保していながら、直接殺害できない理由があったようです。
ウサマ・ビンラディンはパキスタンに売られ殺害された
アメリカがビンラディンを殺害する構図が望ましかった
アメリカはCIAがビンラディンの潜伏場所を特定したと報じていましたが、実際には2006年にパキスタンの軍情報機関・ISIがビンラディンの身柄を拘束しており、重要な軍事施設があるアボタバードに軟禁していました。
そして、ISIがCIAとコンタクトを取っており、ビンラディンが難病を患っていて主治医からDNAが渡されており、アメリカはビンラディンだと把握していました。
「当時、ビンラディンを殺したがっているのはアメリカだけではなかった。アルカイダが戦略を転換し、後の『アラブの春』のような民族蜂起を画策していたため、パキスタンもその芽を早めに摘みたがっていた」
しかし、パキスタンにはビンラディンに直接手を下せない事情があったという。
「パキスタン軍がビンラディンを殺したりすれば、国内外のイスラム過激派が激怒し何が起こるかわかりません。しかし、アメリカに殺させればその心配はない。復讐心に燃えるアメリカは居場所を教えれば必ずアクションを起こす――彼らはそう考え、ハリッドに『裏切りを命じた』のでしょう」
また、アメリカが当初予定していたビンラディン暗殺計画は、無人暗殺機が殺害したというストーリーで、パキスタン政府とも話がついていましたが、ブラックホークが現地で墜落してしまったため急きょオバマ大統領はストーリーの変更を余儀なくされたと言われています。
ウサマ・ビンラディンは生きている?~暗殺後に浮上した生存説
ビンラディンは生きている?
ビンラディンが暗殺されたと報じられた直後から、世界では暗殺はフェイクでアメリカの陰謀があるとする陰謀説が浮上していました。
陰謀説が真実味を帯びた理由として、ビンラディンの遺体は公開されることなくすぐに海に水葬されたことがあります。
米国外でも、イランのメヘル通信は「ウサマの死はうそ」と明言。イランの国営テレビは、ビンラディン容疑者の遺体が水葬されたことで「不可解さが増した」と伝え、米国によるアフガニスタン占領の理由として同容疑者の存在が利用されていたと報じた。
ビンラディンの映像や音声は2006年5月までに何度か公開されていましたが、その後本人とCIAが確認を取れる映像などは公開されていなかったため、すでにビンラディンは死亡しているという説も根強く囁かれていました。
そのため、2007年にはそうした噂を打ち消すためにイスラム原理主義組織「タリバン」の司令官がビンラディンは生きていると公表し、「健康状態は極めて良好で、活発に活動している」と発言する映像を公開していました。
ただ、その後現在までビンラディンの映像はおろか肉声も公開されていないため、すでに死亡している可能性が高いでしょう。
ウサマ・ビンラディン嫁情報~射殺現場には嫁が3人いた
一夫多妻制によりビンラディンには嫁が何人もいました。ネット上で確認できるかぎりの情報をまとめると以下のようになります。
最初に結婚したナジュワ・ガーニム
・カディジャ・シャリフ(1983年~1990年) 1948年生まれ サウジアラビア出身
一番のお気に入りだった若い妻・アマル
ビンラディン射殺現場にいた嫁3人
・ハイリア・サバル(1985年~2011年) 1950年生まれ サウジアラビア出身
・アマル・アブドルファタハ(2000年~2011年)1987年3月生まれ
イエメン出身
ちなみに射殺現場にいた嫁3人はパキスタン当局に拘束され、45日間の勾留刑ののちに国外へ追放されています。
ウサマ・ビンラディンの息子が死亡~アメリカ軍による殺害と発表
2019年8月31日に、米テレビ局・NBCと米紙「ニューヨーク・タイムズ」がビンラディンの息子であるハムザ・ビンラディン(三男)が死亡したことを伝えました。
また、2018年にアメリカ同時多発テロの実行犯モハメド・アタの娘と結婚したことで、新たなテロを警戒する声もあがっていました。
報道によると、ハムザ容疑者は30歳だったとみられるが、誕生の日にちや場所は不明だという。また、死亡したとされる日時や場所も明らかになっていない。
これまで、父親を殺害したアメリカへの報復や、他の国々に対する攻撃を呼びかける音声や動画を公開していた。また、アラビア半島の人々に向け、反乱を起こすよう訴えていた。
引用:ビンラディン息子のハムザ容疑者、死亡か 米メディアが報道
トランプ大統領は声明により対テロ作戦で米軍が殺害したことを公表しています。
ウサマ・ビンラディンについてまとめると…
・ウサマ・ビンラディン死後に生存説も浮上したが、あくまでもネット上のデマで存命している可能性はない
・ウサマビンラディンには歴代5人の嫁がいたといわれており、射殺現場には3人の嫁と潜伏していた
・ウサマ・ビンラディンの息子(三男)が、アメリカ軍により殺害されたと2019年8月にトランプ大統領により発表された
テロ組織「アルカイダ」の司令官として世界を恐怖に陥れたビンラディンの暗殺の真相についてご紹介してきました。
ビンラディンの息子・ハムザが死亡したとしても、まだ20人以上は子供がいると思われますので、新たな後継者を名乗りテロを起こすかもしれませんね。