宮台真司さんと言えばエキセントリックな言動で知られる社会学者ですが、実はエリート一族出身で天才児だった経歴の持ち主です。
今回は宮台真司さんの学歴(中学・高校・大学)と経歴、結婚した嫁や子供、オウムとの関係・襲撃され重傷を負った事件についてを紹介します。
この記事の目次
宮台真司はブルセラ論戦で名を馳せた社会学者
宮台真司(みやだい しんじ)
生年月日:1959年3月3日
出身地:宮城県仙台市
ブルセラ論戦で名を馳せた社会学者
宮台真司さんは、ブルセラ論戦で名を馳せた社会学者となります。
1990年代前半当時の日本は、女子高校生が援助交際をしたり、ブルセラショップで制服や下着を売ってお小遣い稼ぎをすることが社会問題化していました。
ブルセラショップは、女子高生の中古の制服や体操服、ソックスなどを取り扱う店舗である。 この店は、単に制服を販売する制服販売店や体操服等を販売するスポーツ用品店とは異なる。在庫の制服等は流通業者等から仕入れるほか女子高生や卒業生から直接買い取ったりし、これを主に男性客に販売して利益を得る。
引用:ブルセラ
1990年代とかいう政局の混乱に冷害に震災に新興宗教のテロにバブル崩壊に女子高生の援助交際と、そらノストラダムスの大予言が的中し滅びても仕方がないような世紀末感でしたよねぇ。
— かみや (@yT0C0abg) January 17, 2021
そんな中、「ブルセラ女子高生は凡庸な日本人だ」との主張を引っ提げて言論界に殴り込みをかけた社会学者が、若き日の宮台さんでした。
ちなみに、宮台さんがブルセラ問題に関心を持ったのは、ある1人の女子高校生がきっかけだったそうです。
この問題に関心を持ったのは1992年に女子高校生からカミングアウトされたからです。最初は特殊な話かと思いましたが、いざ渋谷で声をかけ、ツテをたどって調査を始めると、そうじゃないことにすぐ気づきました。 実はショックでした。女の子の売春に対してじゃない。援交の舞台の一つだった渋谷が自分がよく知っていると思っていた街だったからです。街の主観的風景が一変した僕は、フィールドワークを本格化させました。
その後の宮台さんは、テレビの討論番組の常連化し、全国区の知名度を得ています。
宮台真司の家族はエリート揃い
父親は大手飲料メーカーの取締役
宮台真司さんは、実はエリート一族の一員なんです。
宮台さんの父親は1928年生まれの東京大学農学部出身であり、大手飲料メーカーの技術者でした。
俗に言う転勤族だったらしく、宮台さんの少年時代は、父親の仕事の都合で転校が続く不安定な日々だったようです。
父親の転勤に伴い小学生時代の大部分を埼玉県入間市と京都府京都市で、小学6年生の秋から大学生時代を東京都三鷹市と神奈川県大和市で過ごす。小学生時代、6回転校を経験した。小学校時代については、度重なる転校経験や早生まれという身体的なハンディキャップがあったことなどから、「周囲やコミュニティーに対するコミュニケーションの手法について、非常に意識的だった」と振り返っている。「『自分』をどのようなキャラクターとして演じるか、転校するごとに自分で考えて切り替えていた」
引用:宮台真司
そんな父親は、最終的に取締役にまで昇進したらしく、理系エリートの中でも特に優秀な人物だったことになります。
母方の家系も凄かった
超エリートな父親を持つ宮台真司さんですが、母方の親戚はもっと凄い人物の集まりでした。
宮台さんの母方の祖父は東京大学卒の生物学者だったそうで、上海自然科学研究所に勤務していたり、旧帝国大学の教授をしていたそうです。
また、母方の叔父たちも東京大学卒だらけで、テルモやGEの極東支配人をしていたと言われています。
そんなエリート一家に生まれた母親も英文タイピストとのことで、戦前生まれの女性にもかかわらず、かなりモダンな職業に就いていたことになります。
宮台真司の中学・高校・大学など学歴 【少年時代から天才児】
超エリート一族出身の宮台真司さんですが、本人も中学受験をして麻布学園に進学するなど、勉強はとにかく得意でした。
そんな宮台さんも大学受験は一筋縄では行かなかったらしく、1浪して予備校に通っていた時期もありましたが、その後は東京大学教養学部に無事進学しています。
学生時代は映像作家志望だったそうで、当時の高名な映像作家やプロデューサーが東京大学の社会学科出身だったことに影響を受けて、社会学を専攻するようになったとか。
宮台真司の経歴① 映像作家を志すも社会学者へ転向
社会学者になった理由とは?
映像作家を目指していた宮台真司さんですが、諸事情で就活ができず、東京大学の大学院に進学することになりました。
この頃になると、テレビ1強時代が到来したことにより、宮台さんが目指していた記録映画やドキュメンタリーといった分野が、時代遅れの存在になってしまったといいます。
とはいえ、ヘゲモニー論にかぶれて「メディアを通じて世直しをしたい」と考えていた宮台さんには、エンタメ系の映像作家への転身は考えられないことでした。
そのため、社会学を通じて世直しを実現させようと考え直した宮台さんは、社会学者の道を目指すことになりました。
宮台真司の経歴② 大学院時代にテレクラにハマる
社会学者を目指して東京大学の大学院生として勉学に励んでいた宮台真司さんですが、失恋のトラウマを癒すために始めたテレクラにハマってしまったそう。
宮台さんが最初に通ったテレクラは、東京都新宿区にあった「東京12チャンネル」。
「東京12チャンネル」は、1985年秋にオープンした「世界初のテレクラ」との伝説を持つ店舗のようで、宮台さんはそこの初期会員だったそうです。
いざ利用し始めたテレクラは、想像以上に入れ食い状態だったそうで、商社マンの妻といったセレブな女性と関係を持つことができたといいます。
また、「普段の自分が出会うはずのない女の世界も覗いてみたい」との知的好奇心もあり、容姿の悪い女性とも積極的に関係を持ったそうです。
テレクラをフィールドワークに活用
宮台真司さんがテレクラ中毒になった背景には、女性との性的交遊が楽しめる以外にも、肩書が関係ない生の自分の魅力を確認できることも大きかったといいます。
また、利用者の女性の悩みを聞いているうちに、今の自分が社会観察の一種をしていることにも気が付いたとか。
そのため、テレクラやデパ地下などでのナンパ中に、興味深い属性の女性を見つけると、取材を申し込んでいたそうです。
宮台真司の経歴③ 東京大学助手にして高校生の彼女がいた
そんな宮台さんは、大学院卒業後は東京大学の助手になりましたが、30歳にして女子高校生の彼女がいるような浮世離れした男性でした。
この女子高校生はただの年上好きではなく、陰で売春をする遊び人だったようですが、そんな一面を知った宮台さんは、ショックよりも知的好奇心を覚え、個人的に事情聴取をしたそうです。
その後、援助交際関連のフィールドワークを本格化した宮台さんは、ある女子高の生徒の4分の1がブルセラショップを利用し、5分の1が売春をしている事実を突き止めます。
また、援助交際をする女子高生たちが、退屈な日常の鬱憤を晴らすために身を崩していった現実を知り、「ブルセラ女子高生は凡庸な日本人だ」との持論を持つようになりました。
ただ、援助交際を肯定する宮台さんの持論に対しては批判意見もありします。
昔のメディアでは盛んに
— ママコノルリ (@mamakonoruri) August 10, 2020
女子高生は性的なものだ
女子高生は自ら主体的に「売る」ものだ
女子高生は貪欲だ
女子高生は強い
などのイメージが喧伝されていた。そんなブームがあったよね?そして学者もそれを煽った。
1990年代…そのちょっと前あたりから女子高生を消費する文化(クソ)があった気がする
宮台真司の結婚歴と離婚歴…再婚した嫁は上級国民
バツイチで現在の嫁は上級国民
宮台真司さんは既婚者ですが、現在の嫁と結婚する前に離婚歴があります。
宮台さんが最初の結婚のきっかけは、イタズラ好きの友人からもらったエイズ検査のダミーキットだったそうです。
自分と交際していた彼女の唾を垂らして検査したところ、偽の陽性反応が出たという話なので、責任を取るという意味合いで結婚したのかもしれません。
ただ、週刊誌の心無い報道のせいで最初の妻との結婚生活は長くは続かず、離婚に至ってしまったそうです。
僕は『噂眞』に36回書かれ、前妻との離婚理由の一つにもなりました。最初は「都立大助教授M、地方テレクラ取材と称して女子高生とやりまくり説」。RT @yoheitsunemi: い、行きたい!学生時代、宮台先生の本や記事と噂の眞相はバイブルhttp://ow.ly/1KRvk
— 宮台真司 (@miyadai) May 14, 2010
その後の宮台さんは、三省堂書店の店員だった由美子さんと再婚しています。
由美子さんは、東京大学や青山学院大学の名誉教授を務める認知心理学者の佐伯胖さんの娘です。
ただですら、エリートの家系出身の由美子さんですが、母方の先祖には戦前に農商務大臣を務めた伊東巳代治さんがいるとのこと。
ちなみに、伊東巳代治さんは生前は伯爵の爵位を受けているため、由美子さんは旧華族の末裔でもあります。
そんな由美子さんは、2016年から代官山の蔦屋で人文コンシェルジュの仕事をしているそうです。
【フェア】Letter From 代官山
— 宮台 由美子 (@yumikomiyadai) November 29, 2020
代官山 蔦屋書店
2号館1階のギャラリースペースでは、「あの人からの手紙展」が開催。年賀状にそえるひとこと集にコンシェルジュ数名と文例を書いています。お手紙を綴る楽しい企画満載!
気軽に手紙を愉しむ習慣、
始めてみませんか?https://t.co/l4bKtLZkiq pic.twitter.com/id0rpmddQO
宮台真司の子供は3人
セレブすぎる妻と結婚した宮台真司さんですが、2006年に第1子となる長女・はびるさんが生まれています。
第1子誕生が40代中盤頃だった宮台さんでしたが、2009年に次女・まうにさん、2013年に長男・うりく君が生まれるなど、子宝には恵まれているようです。
宮台真司は「オウム事件真相究明の会」に関与して江川紹子らに批判された
近年の宮台真司さんは、東京都立大学で教授職に就くなど社会的な地位を確立しています。
一方で、持ち前の尖った言動は相変わらずで、2018年になると「オウム事件真相究明の会」の呼びかけ人の1人となりました。
宮台はこの記者会見で、「いわゆるですね私利私欲に基づく犯罪、人殺し、あるいは、いわゆる誰から見ても脅迫だと分かるような手段による、そうした手段を用いた命令による人殺しとオウム事件は違っているんですね」、「今の凶悪犯罪と違って、攻撃性は無い、人を憎んではいないように見える」と述べた。
引用:宮台真司
この「オウム事件」の通説を否定する宮台さんの説に、批判の声も多数寄せられています。
オウム事件真相究明の会。森達也、宮台真司、田原総一朗、想田和弘、香山リカ、山中幸男、鈴木邦男、高橋裕樹、雨宮処凛。「オウム教祖にしゃべらせよう」だそうだ。面子を見ると胡散臭い「知識人」も多く混じってる。なぜ今頃になってこんな動きを?これでオウム残党が活気づいたら…。怖いな。
— 山田実理 야마다 미츠사토 (@mitsusato_) June 7, 2018
また、ジャーナリストの江川紹子さんも「長年に渡って行われていた裁判の結果を見ていない、信者の主張を助けている」と、宮台さんへの批判を鮮明にしました。
宮台真司が大学構内で襲撃され重傷を負う
2022年に刃物で切りつけられる
出典:https://topics.smt.docomo.ne.jp/
2022年11月29日、宮台真司さんが自らが教授を務める東京都立大学で、男に刃物で首などを切りつけられるという事件が発生しました。
宮台真司さんは、後頭部を殴られた後に首や背中、腕などを切り付けられ重傷を負いましたが、病院に搬送されたとき意識はあり、会話もできる状態だったそうです。
29日午後4時20分ごろ、東京都八王子市南大沢1丁目の東京都立大南大沢キャンパスで「男性が切られた」と目撃者から110番があった。捜査関係者によると、都立大教授で社会学者の宮台真司さん(63)が首付近を刃物のようなもので数カ所切り付けられて重傷。病院に運ばれたが命に別条はないという。警視庁が殺人未遂容疑で逃げた男の行方を追っている。
全治6週間の重傷を負った宮台真司さんですが、6時間にも及ぶ手術を受け、事件から約一週間後に無事に退院しています。
ネット上のビデオ映像で「相当深刻な肉体的ダメージを受けたが、自力で動けるようになったので退院させていただいた」と退院を報告し、今後リハビリをしながら活動を再開していくと述べました。
ビデオ映像の中で、宮台さんは、事件について「僕にとっても驚天動地の事態だった。過去30年弱の間、脅迫の手紙とかネットの時代になってから殺害予告というのは、よくあることだったので、全く不思議なことが起こったとは理解していない」と話した。また、犯人の意図について「暴力で表現を何かしようとしたかは分からないが、効果としては表現をふさぐ機能を果たす」と指摘。その一方、今後も萎縮せずに言論活動を続けていく考えを強調した。
犯人は宮台真司と面識のない男
宮台真司さんを襲った犯人は事件後逃走しており、警察が行方を追っていましたが発見には至らず、事件から二週間後に防犯カメラに映る男の映像と画像が公開されました。
出典:https://news.livedoor.com/
犯人の画像
犯人は身長180センチ~190センチの大柄な男とされており、宮台真司さんはこの男とは面識がないと語っていたそうです。
警視庁によると、男は身長180から190センチくらいの大柄で、オレンジ色っぽいニット帽をかぶり、上下黒っぽい服装、靴は白っぽいスニーカー、灰色と黒色っぽいリュックサックを背負っていました。公開された男の映像を見た宮台さんは「面識はない」と話しているということです。
また、事件の数時間前にもキャンパス内の防犯カメラにこの男が映っていたとのことで、警視庁は男が宮台真司さんを待ち伏せした上で襲ったとみて調べを進めていました。
特定された犯人は自殺していた
2023年2月16日、警視庁が無職の41歳の男を襲撃事件の容疑者と特定したことを発表しました。
捜査1課によると、事件前後に男が自宅近くと現場の間を移動する経路が防犯カメラ画像から裏付けられたことや、逃走中に男が捨てたペットボトルから検出されたDNA型が、男の別宅にあったバリカンのものと一致したことなどから断定したという。
あわせて、この男が2022年12月に死亡していたことも明らかになりました。
男は、防犯カメラの画像が公開されてから4日後の12月16日に、両親と3人で暮らす住宅近くの別宅で首を吊り自ら命を絶ったようです。
遺書には事件については書かれていませんでしたが、家族や知り合いに迷惑をかけたという趣旨の内容が書かれていたとのことです。
警視庁は、殺人未遂容疑で容疑者死亡のまま男を書類送検しています。
犯人の死亡を知った宮台真司さんは、「家族やまわりの人に危害を加えられる可能性がなくなり、ほっとしている」とした上で、「動機が分からないので釈然としない」などと語っていました。
これを受けて宮台さんは1日、インターネット放送局の番組の中で心境を語り「気持ちのふんぎりがつきにくい。動機が分からないので釈然としない気持ちで、問題を解決できたという気持ちにならないまま先に進むのが残念だ」などと述べました。
犯人は無職の倉光実
出典:https://twitter.com/
襲撃事件の容疑者である男は、倉光実という当時41歳の無職の男であることが判明しています。
倉光実は神奈川県相模原市出身で、小学校・中学校時代は優しい性格でクラスの人気者であったようです。小学校の卒業文集では、「かっこいい人」と「運動神経がいい人」ともにクラス1位となっており、同級生も、大人しかったもののさわやかなイケメンでモテていたと証言しています。
野球に打ち込んでいた倉光実は、神奈川県内の甲子園常連校に投手として入学しましたが、2年生の時に中退してしまったようです。退学理由は不明ながら、野球部の厳しい練習に耐えられなかったのではないかとも言われています。
高校中退後の倉光実は引きこもりがちになり、母親曰く、精神を病みずっと家で本を読むような生活を送っていたようです。
「倉光は神奈川県相模原市出身。中学卒業後、県内の野球強豪校に進学したものの、2年生の途中で退学した。内向的な性格だったようで、以降は就職やアルバイトをすることもなく、引きこもり状態になってしまった。母親は『精神を病んでしまって……』と周囲に嘆いていました」(同前)
自宅と、将来を心配して母親が用意したという別宅を行き来しながら、長年仕事もせず引きこもりのような生活を送っていた倉光実を近所の方たちも奇異の目で見ていたようです。
「母親に購入してもらったという別宅から、毎日朝7時30分頃に実家に行って、夜は21時頃帰ってきていました。いつも坊主頭で黄ばんだTシャツを着て、体を丸めて自転車に乗っている。挨拶をしても聞こえていないかのような反応で……すこし気味が悪かったです」(近隣住民)
倉光実は、防犯カメラや交通系ICカードの記録などから、事件前にも宮台真司さんの自宅周辺や、宮台さんの研究室がある建物に立ち入っていたとみられています。
自宅の家宅捜索では、宮台真司さんの共著「おどろきの中国」という書籍が見つかっていますが、使用していたパソコンなどは死亡前に処分していたようで、事件を起こした動機については解明が難しい状況となっています。
宮台氏は、孤独を受け入れ無気力に生きる人々を厳しく批判してきたことで知られる。ひとり書物を貪り読む孤独な生活の中で、倉光容疑者は宮台氏の思想に触れ、一方的に恨みを募らせていったのか……。しかし、本人の口から本当の動機が語られる機会は永遠に失われてしまった。
宮台真司のまとめ
宮台真司さんは名門一族出身の社会学者であり、妻・由美子さんもセレブ一族出身ですが、過激な言動が目立つ人物です。
2022年には襲撃されたことでも話題となりましたが、今後のより一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。