渡部陽一さんは世界の戦争・紛争を取材する戦場カメラマンですが、現在アフガニスタンにいるのではと話題です。
今回は渡部陽一さんの生い立ちや学歴、実家家族、戦場カメラマンとしての実績、話し方や帽子・ハゲの噂、現在を紹介します。
この記事の目次
渡部陽一は戦場カメラマン
出典:twitter.com
渡部陽一
生年月日:1972年9月1日
出身:静岡県富士市
身長:180cm
所属: (株)ビー・ブレーブ
血液型:A型
活動:戦場カメラマン、フォトジャーナリスト
渡部陽一さんは戦場カメラマンです。
大学生の頃から戦場カメラマンとして活動していましたが、2009年にTBSのテレビ番組でインタビューを受けて以降、報道番組だけでなく、バラエティ番組にも出演するように。
2010年には「笑っていいとも!」のレギュラーになるなど、特徴的な口調や穏やかな雰囲気が茶の間に受け、バラエティ番組に引っ張りだこになりました。
そんな人気急上昇後も、渡部陽一さんは戦場カメラマン・フォトジャーナリストとして紛争地等で取材を続けています。
渡部陽一の生い立ち
渡部陽一さんは静岡県富士市に生まれました。
ここからは、学生時代について振り返っていきましょう。
小学生時代
小学生時代の渡部陽一さんは、3Kの社宅に住んでいました。
小学校1年生の頃から、父親にすすめられて剣道を始めています。また、釣り好きの父親の影響で、将来は「さかな博士」になりたいと思っていた少年でした。
また、顔が長かったために、同級生の女子からは「馬」と呼ばれていたそうです。
中学生時代
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渡部陽一さんは中学生になると、小学生の頃から習っていた剣道を続けるために「剣道部」に入部します。剣道は初段の腕前です。
小学生の頃のニックネームは「馬」でしたが、中学生になると顔立ちが似ているという理由で「エスパーー伊東」と呼ばれるようになりました。
中学時代は生徒会長を務めていますので、優等生の目立つ生徒だったようです。
高校時代
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高校は片道40分かけて自転車通学をしていました。高校時代はバトミントン部に所属していて、あまり成績は良くなかったようです。
高校2年生の頃に落合信彦さんの影響を受けて、国際ジャーナリストに憧れを持ち、国語の授業で「将来の夢」をテーマにした作文で「国際ジャーナリストになりたい」と書いています。
渡部陽一さんは高校生の頃の夢を叶えているんですね。
また、修学旅行では規則を破ったことが先生にバレた際には、ビンタされて朝まで正座させられたという経験もしています。
渡部陽一の家族エピソードを紹介
渡部陽一さんは、6人家族の中で育ちました。
・父親
・母親
・渡部陽一さん
・弟
・妹
静岡県富士市の海辺にある社宅に、家族で住んでいました。
渡部陽一の父親
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渡部陽一さんの父親は、旭化成の工場で働いていました。
前述の通り、父親の勧めで剣道を始めたり、釣りを好きになったりしていますので、渡部陽一さんは父親の影響を大きく受けているようです。
また、父親は渡部陽一さんが子供の頃にホンジュラスに転勤になったことがあったようで、渡部陽一さんは一時期ホンジュラスに住んでいました。
渡部陽一の母親
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渡部陽一さんの母親は、港に近い場所にあるシラス直売所でパートをしていました。
とてもやさしいお母さんだったようで、渡部陽一さんが腹痛で苦しんでいるとき、薬を飲んでも治らなかったのに、母親がお腹をさすってくれたら治ったというエピソードがあります。
渡部陽一の兄弟
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渡部陽一さんは3人兄弟の長男で、弟と妹がいます。
弟は「BOOWY」のファンだったようで、弟のCDを聞いているうちに、渡部陽一さんもBOOWYのファンになっています。
また、妹さんは2007年ごろにすでに結婚されているそうです。
渡部陽一が結婚した嫁は元美容師
渡部陽一さんは、2009年に結婚しています。
結婚した相手の女性は一般人で、元美容師とのことです。奥様とは知人の紹介で知り合い、10年近く交際しての結婚だったそうですよ!
渡部陽一さんはゆっくりな話し方が特徴ですが、奥様は早口で、渡部陽一さんのことをヨッシーと呼んでいるそうです。
奥様は一般人なので、あまり情報はありませんが、わかっている範囲で「渡部陽一の嫁」情報を紹介します。
・早口で話す
・ジブリアニメのファン
・ホンジュラスに住んでいた
・名前は泉さん
渡部陽一さんは命の危険にさらされたら、まずは現地ガイドに電話をかけ、そのあとは嫁に電話をかけるそうです。
戦場という危険な場所で仕事をする人ならではの発想だが、「二人目は妻に電話をかけます。自分がどこにいるのかわからない。それでも、妻の声を聞きたい」という愛妻家の一面ものぞかせた。
渡部陽一さんは奥様とラブラブで愛妻家のようです。
また、渡部陽一さんと結婚した奥様については、次のような報道がありました。
「奥さんが“中東まで行くのに何十万もかかるんだから、そんなに遠くて危険な戦場にはもう行かないでほしい”“このままタレントを続けて”とたたみかけたそうです。さすがに渡部さんは譲れなかったのか、“いや…戦場には…行く”と、静かに反論したようです。お互い平行線で、奥さんが実家に帰ったこともあったと聞いてます」
NEWSポストセブンが直撃取材をしたら、渡部陽一さんは否定していましたので、このニュースは嘘かもしれません。
でも奥様としたら、タレントとして成功しているのに、わざわざ危険な戦場に行かないで欲しいと思うのは当然のことですよね。
渡部陽一の子供は息子が1人
渡部陽一さんは、2010年6月9日に長男が誕生しています。
長男の名前は「世海(せかい)」君で、「世界を飛び回ってほしい」という願いを込めて名付けたそうです。
渡部陽一の学歴
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渡部陽一さんの学歴を見ていきましょう。
・富士市立田子浦中学校
・静岡県立富士高校
・明治学院法学部
渡部陽一さんは高校時代に「バンカラ」に憧れて早稲田大学を目指しますが、受験に失敗します。
浪人1年目は横浜で、浪人2年目は大阪府八尾市で全寮制の予備校に入り、猛勉強をしましたが、3年連続で早稲田大学は不合格になりました。
予備校時代は家賃は仕送りしてもらっていましたが、生活費はアルバイトで稼いでいたとのことです。
3年連続不合格になったことで、渡部陽一さんは明治学院大学に進学します。
法学部を選んだのは、弁護士や検察官など困っている人を助ける仕事に就きたいという思いがあったからのようです。
ちなみに、明治学院法学部は卒業していますが、卒業までに2回も留年しています。
渡部陽一の戦場カメラマンデビューは大学時代
渡部陽一さんは、大学時代に戦場カメラマンとしての活動を始めます。
きっかけは大学の一般教養の授業で、中央アフリカに住む、身長150cm以下の狩猟民族・ピグミー族のことを学び、興味を持ったからでした。
ピグミー族に会いたいと思い立った渡部陽一さんは、旅行者としてアフリカのコンゴ民主共和国に行きました。
しかし、コンゴのジャングルの奥地をヒッチハイクで移動中に、ルワンダの少年兵に銃撃されます。
そして、トラックから転げ落ちて失禁し、荷物を略奪され、現金や私物を全部差し出したことで、殺害されずに日本に帰国することができました。
帰国後にその経験を周囲の人に話しましたが、まったく理解してもらえず、その場の状況を的確に伝えるために、「戦場カメラマン」になることを決意しました。
飲食店やバナナを積み込む日雇いのアルバイトをして、お金を貯めて、戦地や紛争地で取材をしています。
大学時代は戦場カメラマンとしての海外取材やそのためのアルバイトなどで忙しかったため、大学は2回留年しています。
さらに、試験の時だけ一時帰国をして、なんとか単位を取得し、ようやく卒業しています。
大学卒業後は、戦場カメラマンを専業として世界各国を飛び回り、1年の半分は海外で取材をして過ごすという生活を送るようになりました。
渡部陽一の戦場カメラマンとしての実績
渡部陽一さんは大学時代に戦場カメラマンとなり、ルワンダ紛争やコソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、イラク戦争など、130の国と地域の紛争を取材しています。
ここからは、渡部陽一さんの戦場カメラマンとしての取材実績の一部を見てみましょう。
・アフリカ、ルワンダ内戦取材
・メキシコ、チアパス民族解放戦線取材
・アフリカ、ナイジェリア国内紛争取材
・インドネシア、イリアンジャヤ紛争取材
・ユーゴスラビアコソボ内戦取材
・チェチェン紛争取材
・コロンビア内戦取材
・パレスチナ紛争取材
・イラク紛争取材
・イラク戦争戦後復興取材
・アフリカ、スーダン、ダルフール難民取材
・インドネシア・スマトラ沖地震取材
・キューバ、チェ・ゲバラの軌跡取材
・レバノン紛争ベイルート
・タイのタクシン首相に対する軍事クーデター取材
・板門店北朝鮮側軍事境界線取材
・韓国側板門店38度軍事境界線取材
・インド、パキスタン国境紛争取材
・パキスタン、モスク籠城事件取材
・アフガニスタン米軍従軍取材
・シリア情勢取材
・ウクライナ情勢取材
・タイ・首都バンコク暴動取材
・イスラム国情勢取材
・フィリピン南部ミンダナオ島・過激派組織アブ・サヤフ取材
・香港情勢・逃亡犯条例改正案抗議デモ取材
・中東パレスチナ・イスラエル情勢
イラク戦争では、日本人初の米軍従軍取材(EMBED)もしています。
目の前で銃撃戦が始まり、撮影を放棄して逃げ帰ったこともあるそうで、取材現場の壮絶さを物語っているエピソードです。
バラエティ番組では「穏やかでユニークなおじさん」で、共演者からいじられることも多い渡部陽一さん。
しかし、戦場カメラマンの実績を見ると、バラエティ番組でのイメージが一新されますよね。
実はバリバリの戦場カメラマンで、世界各国の戦争・紛争地域の最前線を伝えるジャーナリストなのです。
戦場カメラマンとしての準備
渡部陽一さんは戦場カメラマンですが、無謀なことはしません。
「戦場取材とは生きて帰ること」を常に心がけていて、鉄板入りの防弾チョッキを愛用しています。
また、愛用するカメラマンベストにはポケットがたくさんついていて、バッテリーやフィルム、ノート、ペンなど細かい持ち物をすべて収納し、収納場所も正確に把握しているとのことです。
そうすることで常に両手を開けておくことができ、不測の事態に備えられるし、暗い中でもサッとバッテリーやフィルムをスムーズに交換できるそうです。
- 取材に必須のカメラは「Canon EOS」です。
- ただし、カメラに光が反射すると、相手に銃だと間違われて銃撃される危険があるため、カメラの外装は反射しないように黒いテープを巻いているそうです。
渡部陽一さんはこれだけの準備をして、戦争・紛争地域で取材を行っているからこそ、戦場カメラマンとして事故や事件に遭わず、無事に取材活動を続けることができているんですね。
渡部陽一の戦場カメラマンとしてのすごいエピソード
渡部陽一さんは戦場カメラマンとして、戦争・紛争地域を取材してます。
戦争が起こる場所は、発展途上国だったり、ジャングルの奥地だったりと日本国内や世界の観光地とはかけ離れた環境のことが多いんです。
そのため、渡部陽一さんは取材中にいろいろなすごい体験をしています。その一部を紹介します。
2.盗まれたカメラがマーケットで売られていたのを見つけたことがある
3.戦場の検問所で何度も金品を支払わされたことがある(賄賂的なもの)
4.何かあったらすぐに飛び出せるように、テントの中で座って寝ることがある
5.アフガニスタンでアメリカ軍同行取材していたら、乗っていたヘリが銃撃を受けた
6.リスク軽減のために変装をすることがある
7.リスク軽減のために国籍や身分を偽ることがある
8.イスラム圏取材のために、現地の文化・慣習に合わせて口ひげを生やしている
9.現地の戦争被害者の避難生活を取材するときには現地人と同じ食事をとるため、おなかを壊すことが多い
10.サルの燻製を食べたことがある
11.体長10cmの毛虫のフライを食べた
12.アフリカで熱帯性マラリアに感染して、39度の熱が続いて死にかけた
13.マラリアに感染したら現地の医師に「薬がないから覚悟しておけ」と言われた
14.イスラエルの入国審査で裸にされて8時間拘束された
15.チベット暴動取材で高山病になった
16.チベットの山奥で野犬30匹に襲われた
17.北朝鮮の喜び組と合コンをしたことがある
18.子供たちと交流するために、「アイアム、ブルースリー」と言う
危険度で言えば、アメリカ軍に同行して取材中に乗っていたヘリが銃撃されたことが断然トップですよね。
また、チベットの山奥で野犬に襲われたことも、かなり怖いし、危険だと思います。
面白度で言えば、北朝鮮の喜び組の合コンでしょうか。どんな成り行きで合コンすることになったのかは不明ですが、あの喜び組と合コンなんて、めちゃくちゃ貴重な体験ですよね。
渡部陽一は帽子がトレードマーク
渡部陽一さんは、グレーのベレー帽がトレードマークになっていますね。
あのベレー帽は妹さんからのプレゼントで、実は女性もののようです。
2010年の時点で、渡辺陽一さんは次のように帽子について語っていました。
これは13〜14年前に妹からもらったもので、この帽子をかぶっていくと取材が成功する可能性が高いんです。
1990年代後半に妹さんからもらった帽子は、「ゲン担ぎ」のお気に入りなんですね。(さすがに帽子は代替わりしていると思いますが)。
渡部陽一の髪型はハゲ?噂と証拠画像
渡部陽一さんはテレビやメディアに出演するときは、あのグレーのベレー帽をかぶっていますので、普段はどのような髪型をしているのかわかりません。
でも、帽子を取ると、実はハゲていたことが発覚したんです。この坊主にした時の画像を見ると、かなりハゲていることがわかります。
2018年に「相席食堂」に出演した時には、突然髪型を坊主にして、千鳥の2人と視聴者を驚かせていました。
出典:twitter.com
渡部陽一さんは2015年ごろから、一気に髪の毛が抜けてきたようで、現在はかなり進んだM字ハゲになっています。
出典:twitter.com
ただ、いつもベレー帽をかぶっているから、髪型が目立たないだけで、ハゲを必死に隠そうとはしていないところに好感が持てますね。
渡部陽一の話し方はわざと?天然?
渡部陽一さんはベレー帽のほかにも、話し方が独特でゆっくりであるという特徴があります。
渡部陽一さんの話し方は、こちらの動画のような話し方ですね。
低い声でゆっくりと話しています。
ただ、この話し方はキャラクターづくりのためのもので、わざとそのように話しているのではないか?という噂があったんです。
実際に、普通に話している動画もあります。
確かに、2004年の時点ではややゆっくり目ではあるものの、比較的普通に話しています。
ということは、渡部陽一さんは普段は普通の話し方をしているのでしょうか?
渡部陽一さんは普段からゆっくりとした話し方のようです。
運動神経抜群で、体育教師から“何をやらせても陽一がいちばんうまい! あいつがいちばん運動神経がある”と褒められていました。でも、話し方は昔からテレビで見るようなあんなゆったりとした話し方でしたね
子どもの頃から、ゆっくりとした話し方だったようです。また、父親から話し方が変だと言われたこともあったようです。
「3年前くらいのことです。妹さんが結婚するにあたり、親族の顔合わせがあったんですが、渡部さんは、父親から“お前は喋り方が変だから何もいうな”と厳命されたそうです」
また、渡部陽一さんは意識的にゆっくり話すようになっているようです。
もともと小さい時から話すのはゆっくりではあったんですけれども、言葉が通じない地域に行ったとき、正確に、わかりやすく、ゆっくりと伝えていくと、どの国の人たちにもわかってもらえるようになったんです。そうして20年過ごしているうちに、もっとゆっくりになってしまいました
もともとゆっくりとした話し方だったところを、世界で仕事をする中で自分で意識してゆっくりと話すようにしていたら、あの独特の話し方になったということですね。
ということは、先ほど紹介した普通の話し方の動画は、逆に報道だから視聴者が聞き取りやすいようにテキパキと意識的に話すようにしていたのかもしれません。
渡部陽一の現在はアフガニスタンにいる?最近の様子
渡部陽一さんは、現在アフガニスタンにいるという噂がありますが、実際のところはどうなのでしょうか?
緊迫のツイートが話題に
2021年8月にアフガニスタンでは、アフガニスタン政府をタリバン軍が追い出して、アフガニスタン全土をタリバンが掌握しました。
この時、渡部陽一さんはTwitterでアフガニスタン情勢をタイムリーにツイートしていたのです。
こんにちは戦場カメラマンの渡部陽一です。アフガニスタン情勢。アフガニスタン拠点のイスラム組織タリバーンが首都カブールを制圧し全権掌握。退避する市民がアメリカ軍監視下にあるハミド・カルザイ国際空港に殺到。隣国へ抜ける陸路のルートはタリバーンが支配。周辺国はアフガニスタン国境を封鎖。
— 渡部陽一 (@yoichiomar) August 16, 2021
こんにちは戦場カメラマンの渡部陽一です。アフガニスタン情勢。イスラム組織タリバーン。反タリバーンを掲げ武装蜂起したパンジシール州とバグラン州の元政府軍、軍閥組織がタリバーンと一部で衝突。すでにバグラン州をタリバーンが制圧。元政府軍最後の牙城パンジシールにタリバーンが迫っています。
— 渡部陽一 (@yoichiomar) August 24, 2021
それまでは世界情勢をいろいろツイートしていましたが、アフガニスタン情勢がきな臭くなってきた8月5日からは毎日、アフガニスタンの緊迫した情勢をタイムリーにツイートしています。
この緊迫したタイムリーなツイートを見たフォロワーたちは、渡部陽一さんは今アフガニスタンにいるのではないか?と思い始めます。
まるで自分で見たかのようにタイムリーな内容で、しかも緊迫感あふれる詳細な情報だったからですね。
しかも、渡部陽一さんは2009年~2011年にかけて、アメリカ軍に同行してアフガニスタン情勢を取材していますし、それ以降もアフガニスタン大統領選の取材を行いました。
そのため、「今回もまた、渡部陽一さんはアフガニスタンに取材に行っているのでは?」と思った人たちが続出したのです。
2021年9月時点では日本に
渡部陽一さんは、2021年9月時点では日本にいます。アフガニスタンには滞在していません。
所属事務所に問い合わせると「渡部は国内にいます」とのこと。どうやらタリバンから攻撃される心配はなさそう。
緊迫したタイムリーなツイートは、今までの戦場カメラマンとして培ってきた人脈・取材網によるものと思われます。
2020~2021年は新型コロナウイルス流行があったため、2020年1月以降はなかなか海外に取材に行けていないようです。
ですが、今までの取材実績を見る限り、また海外に行けるようになったら、アフガニスタンやそのほかの地域に戦場カメラマンとして取材旅行に行くことは、ほぼ間違いないでしょう。
渡部陽一のまとめ
渡部陽一さんのプロフィールや生い立ち・学歴、家族、戦場カメラマンとしての実績やエピソード、結婚した嫁や子供、帽子や髪型・ハゲの噂、独特の話し方や現在についてまとめました。
渡部陽一さんはテレビで見ていると、「穏やかな面白おじさん」ですが、戦場カメラマンとしての実績は他の追随を許さないレベルです。
これからも、世界情勢を伝えてほしいですが、安全第一を祈りたいですね。