1998年1月に発生した「群馬一家3人殺害事件」ですが、犯人の小暮洋史は現在も逃走を続けています。
この記事では、小暮洋史の生い立ちや親、そして被害者・石井さんと事件の詳細、目撃情報や死んでる説など現在について詳しくまとめました。
この記事の目次
小暮洋史が起こした「群馬一家3人殺害事件」とは
群馬一家3人殺害事件の概要
20年以上経過してまだ逮捕されていない未解決事件
事件は1998年1月14日午後7時頃、群馬県群馬町(現・高崎市)三ツ寺で発生しました。
被害者は当時、電気工事業を経営していた石井武夫さん(当時48歳)、その妻の石井千津子さん(当時48歳)、そして武夫さんの母親である石井トメさん(当時85歳)で、犯人の小暮洋史(当時28歳)に殺害されました。
管轄は群馬県警で、家族で唯一生き残った石井さんの長女(当時18歳)の証言や捜査から分かったのは、小暮洋史は事件発生の2年ほど前から長女の仕事先だったドラッグストアに配送していたドライバーで、長女に好意を持ち執拗に電話や自宅にやってくるなどストーカー行為を繰り返していたことが分かりました。
小暮洋史は犯行後に逃走しましたが、約1週間後の1月21日深夜に群馬県太田市や埼玉県熊谷市周辺で小暮洋史の乗る黒色の日産・シルビアが確認されましたが、その後消息が分からなくなっていました。
小暮洋史は全国指名手配されましたが、逃走車両が見つかっていないことに加えて本人名義の預金口座からお金が引き出された形跡もなく、群馬県警は車ごと自殺を図った可能性を視野に入れて、近隣20箇所の池や沼などを捜索しましたが発見されませんでした。
2007年11月1日には捜査特別報奨金として、小暮洋史の逮捕に繋がる有力情報提供者には300万円が提供されることが告示されましたが、2019年現在までに事件から20年以上が経過しても有力情報は得られておらず未解決事件として捜査が続いています。
小暮洋史のプロフィールや生い立ちと親
犯人・小暮洋史は内気で大人しい性格だった
小暮洋史は孤独な人生を歩んできた
小暮洋史は生きていれば現在50歳を迎える頃ですが、その後新たな事件を起こしていないことからも事件後に自殺していてすでにこの世に存在しない可能性が高いかもしれません。
小暮洋史の分かっている人物像がこちら。
名前: 小暮 洋史(こぐれ ひろし)
生年月日: 1969年7月31日
年齢: 49歳(事件当時28歳)
住所: 群馬県前橋市(事件当時)
学歴: 群馬工業高校
職業: トラック運転手(事件当時)
身長: 170cm
体型: やせ型
顔の特徴: 面長
特徴: 潔癖症
癖: 爪を噛む、手の匂いを嗅ぐ
逃亡時の使用車両: 日産・シルビア(ナンバー「群馬33 も 8670」)
小暮洋史の生い立ちについて不明な点が多いようですが、学生時代からとても内気で目立たない大人しい性格だったと言われており、友達もいなかったことから孤独だったようです。
小暮洋史の人物像を象徴する癖として”爪を噛む”ということが挙げられていますが、本来この癖は子供時代によく見られる傾向があり、寂しい時や甘えたい時、何か嫌なことがあった時などに顕著に見られます。
正常に成長していく段階でこの爪を噛む癖は消える人がほとんどですが、大人になっても治らなかった小暮洋史という人物はとても精神的に幼く、大人になりきれていなかった可能性が高いでしょう。
また、手の匂いを嗅ぐという癖は極度の潔癖症からくるようで、何かしらのトラウマを抱えている可能性もあるかもしれません。
犯人・小暮洋史の親など家族に関する情報はほとんどない
小暮洋史が学生時代や社会人生活で孤独だったことからも、親の愛情を受けて育たなかったか、一般的ではない屈折した育ち方をした可能性が大きいようです。
気になる小暮洋史の両親についてですが、これまでに全く情報がないため、家族については一切不明となっています。
小暮洋史と被害者の出会いとストーカー行為
小暮洋史、被害者・石井さんとの出会いはドラッグストア
小暮洋史は仕事先に商品搬入していたドライバーだった
1995年に阪神淡路大震災が発生しましたが、石井さんはこの年に高校を卒業し、群馬県高崎市内のドラッグストアに就職して社会人生活をスタートさせました。
当時、石井さんの実家はマイホームを新築したばかりで新しい生活に心を躍らせいて、父親の石井武夫さんも経営していた電気工事業に一掃精力的に励んでいました。
元々接客業が好きだった石井さんは地元でのやり甲斐のある仕事に就き、次は恋愛と結婚に期待を膨らませるはずだったところに、小暮洋史という悪魔が現れてしまいます。
小暮洋史は石井さんが務めるドラッグストアに週2回荷物を搬送してくる運送会社のドライバーでした。
小暮洋史、被害者・石井さんを気に入り声をかける
無口で真面目そうだった小暮洋史が石井さんにストーカー行為を始める
石井さんから見て小暮洋史は仕事中に軽口を叩くことなく無口で、真面目に働くどこにでもいる普通の男でした。
しかし、石井さんがある日職場の先輩に誘われてボーリングに遊びに行った際に、そこにはいるはずのない小暮洋史がいました。
小暮洋史が普段の無口で大人しいイメージとは正反対に、石井さんに饒舌に語りかけてきたその態度から偶然ではなくストーカー行為であることは明白でした。
この時、仕事先の関係者ということもあり深く勘ぐることもなく小暮洋史と話していた石井さんですが、趣味が車の運転だと話すとそれに合わせてきました。
しかし、この頃小暮洋史が乗っていた車は日産・シルビアではなく、オシャレさも無い普通の乗用車でした。
小暮洋史、被害者・石井さんに気に入られるためシルビアを購入
石井さんに気に入られるためにシルビアを購入した小暮洋史
小暮洋史はボーリング場での話からしばらくして、職場で石井さんに新しいスポーツカー・シルビアを買ったことを話してきました。
この時、始めて石井さんは強引に擦り寄ってこようとする小暮洋史に違和感を覚えましたが、小暮洋史はシルビアをネタにして休日に食事に行くことを誘ってきました。
しかし、石井さんは好みのタイプでは無かったため断りましたが、小暮洋史はその後も何度も職場に搬送に来るたびにしつこく誘ってきました。
断り続けて嫌がる石井さんにそれでもまとわり付く小暮洋史の行為は紛れもないストーカー行為でしたが、当時はまだストーカー規制法が施行される前の時代だったことから、小暮洋史の犯罪行為を法的に拘束することはできませんでした。
小暮洋史はストーカー行為をエスカレートさせていき、石井さんが帰宅する後をつけて自宅住所を特定し、その住所から電話番号を割り出して自宅に電話をかけてくるようになりました。
当時にストーカー規制法さえあれば、この時点で小暮洋史は警察の厳重な警告を受け、場合によっては逮捕されていたでしょう。
小暮洋史は拒絶された腹いせに被害者両親を殺害
小暮洋史、しつこく被害者・石井さんを誘いデートにこぎつける
しつこすぎる小暮洋史に一度だけ付き合った石井さん
石井さんは小暮洋史が仕事先の関係者であったことからむげに断ることもできず、ある日根負けして小暮洋史と2人で会うことを約束してしまいました。
好きでもないどころかストーカー気質で気持ち悪い小暮洋史と一緒にいて石井さんは楽しいはずもありませんでしたが、当時はまだ社会に出たばかりの18歳だったため強く言うことはできませんでした。
一回限りでもプライベートで会ってしまったことから小暮洋史は勘違いしてしまい、それ以降毎晩自宅に電話をかけてくるようになりました。
石井さんの両親も疑問には感じていたようですが、両親を心配させたくないという思いから小暮洋史のことは話さずにいました。
小暮洋史のストーカー行為がエスカレート
小暮洋史のストーカー行為のエスカレートと収束
石井さんは小暮洋史のストーカー行為を受ける一方で、好きだった男性と交際をスタートさせており、結婚も前提に両親にも紹介していました。
しかし、そんな様子に感づいたのか、小暮洋史はさらにストーカー行為をエスカレートさせて、ついに自宅まで無断で押しかけてくるようになりました。
小暮洋史が来たことを父親から聞いた石井さんは恐怖を感じ、勤め先の店長に相談しました。
店長は小暮洋史が搬入に来た日は石井さんを匿って会わないように取り計らい、こうしたことを続けた結果、小暮洋史はまったく石井さんとコンタクトが取れなくなり次第に自宅への執拗な電話は無くなりました。
こうして石井さんには平穏な日々が戻り、彼氏との幸せな結婚が待っているかに見えましたが、小暮洋史の異常性はその想像をはるかに超えていました。
小暮洋史、普段着で被害者・石井さんの職場に現れる
小暮洋史は石井さんを諦めていなかった
石井さんは彼氏との婚約をして輝かしい未来に心を弾ませていました。
しかし、そんなある日に突然小暮洋史が普段着で職場のドラッグストアに来店し、店長が機転を利かせて石井さんが怖がっていることを伝え諌めました。
しかし、完全に開き直った小暮洋史はそうした警告を無視し、石井さんの自宅に再び無言電話を繰り返すようになっていきました。
再び石井さんを不安の日々に陥れた小暮洋史は、職場に停めてあった石井さんの車のワイパーに「2人で会えないか」という手紙を挟んでおり、恐怖に震えた石井さんは小暮洋史に会わないように彼氏に自宅まで送ってもらいました。
この頃、携帯電話の小型化が進んで一般に普及し始めた時代で、石井さんは彼氏の勧めで何かあったらすぐに連絡が取れるように携帯電話を購入していました。
小暮洋史、被害者・石井さんに拒絶され犯行を決意
小暮洋史は全てを捨てて石井さん一家を殺害する予定だった?
1998年1月、新年を迎えて晴れやかな気持ちでスタートする世間に対して、石井さんは小暮洋史というストーカーの存在に不安を抱えていました。
しかし、小暮洋史は新年最初の配送日に姿を見せず、別の人がお店に搬入に来ていました。
その人に小暮洋史のことを聞くと、仕事始めの1月4日に運送会社の掲示板に「辞めます」と一言だけ書き残して会社を辞めていました。
これで完全に小暮洋史から解放されたと感じ安堵した石井さんは気持ちよく成人式を迎え、両親と祖母、そして彼氏から祝福を受けていました。
しかし、小暮洋史が会社を辞めたのは、石井さんを手に入れられないと分かり一家殺害を企てたためだったのかもしれません。
小暮洋史、被害者・石井さんの両親と祖母を殺害
石井さんの両親・祖母を殺害した小暮洋史
小暮洋史が犯行に及んだ1月14日は被害者の母親・石井千津子さんの48回目の誕生日でした。
この日、石井千津子さんは家族で一番にパートに出勤し、続いて石井さんが出勤、最後に石井武夫さんが電気工事の仕事で出勤しました。
そして、石井さんはお昼休憩中に彼氏に電話して、母の誕生日会に誘っていました。
夕方頃、犯行のために石井さんの自宅近くにいた小暮洋史は、当時祖母のトメさんしかいなかった自宅に押し入り、トメさんを絞殺しました。
そして、パートから帰宅した石井千津子さんと石井武夫さんを相次いで刺殺しました。
この頃石井さんはまだドラッグストアで勤務中であり、自宅で小暮洋史による恐ろしい事件が起きていることはまったく知る由もありませんでした。
小暮洋史、何も知らず帰宅した被害者・石井さんと鉢合わせ
小暮洋史は石井さんに何もしなかった
石井さんは仕事を終えて午後9時頃に帰宅し、母親への誕生日プレゼントとして花束を用意していましたが、玄関で茫然とした様子で待っていたのは小暮洋史でした。
小暮洋史は石井さんを強引に部屋に閉じ込めて監禁し、石井さんは身の危険を感じて内心恐怖を覚えましたが、勇気を出して小暮洋史を落ち着かせ話を聞くことにしました。
小暮洋史は次第に落ち着きを取り戻し、石井さんに何も危害を加えないまま車で逃走しました。
石井さんはその直後に警察に電話をして、両親と祖母を探し始めましたが、無残にも小暮洋史に殺害された遺体と対面することになりました。
小暮洋史の現在…逃走後の目撃情報と時効
小暮洋史、有力な目撃情報もなく20年以上消息不明
ばったりと消息が途絶えた小暮洋史
小暮洋史は石井さんの自宅から愛車のシルビア出た後、国道50号線を水戸方面に逃走しました。
翌15日に群馬県警は小暮洋史に対して殺人容疑で逮捕状を取り、全国に指名手配を出しました。
しかし、群馬県太田市や埼玉県熊谷市周辺で小暮洋史のシルビアだと思われる車の目撃情報がありましたが、その後ばったりと消息が絶たれてしまいました。
この「群馬一家3人殺害事件」の翌年に「桶川ストーカー事件」が起きたことで、世間ではストーカーに対する問題意識が高まり、2000年11月24日にストーカー規制法が施行されることになりました。
小暮洋史は2019年現在で50歳を迎えることになりますが、もし生きていても名前を変えていたり、やせ型の風貌はまったく変わっている可能性もあるでしょう。
しかし、小暮洋史はまともな社会生活は送れていない可能性が高いため、怪しいと感じた人物がいた場合は以下に通報してください。
「群馬一家3人殺害事件」時効は無く現在も捜査は続いていた
2010年4月27日に殺人事件の時効が撤廃された
殺人事件に時効は無いため、小暮洋史の死亡が確認されるまで捜査は続きます。
ひとり遺された石井さんは、2018年11月7日に小暮洋史に対して約1億370万円の損害賠償を求める訴えを前橋地裁高崎支部に起こしています。
これは事件を風化させないことが目的であり、2019年4月30日に放送された番組『ザ!仰天ニュース(日本テレビ系)』でも特集され再現ドラマが流されましたが、やはりそれでも有力な情報は挙がってきていないようです。
仰天ニュースでやってる小暮洋史ってやつの事件、先月あった下井草の保育士殺人事件の犯人みたい。
— hona (@honanahonaotu) April 30, 2019
勝手に恋心抱いて殺して。勝手すぎるし本気でヤバイ奴だな。
この人まだ捕まってないんだ…なんで?
小暮洋史と「群馬一家3人殺害事件」についてまとめると…
・小暮洋史は犯行直後から2019年現在まで消息が不明、50歳を迎えるが死亡している可能性も高い
・「群馬一家3人殺害事件」に時効はなく小暮洋史には懸賞金300万円がかけられている
・小暮洋史は大人しく内気な性格だったといわれている
ストーカー殺人犯・小暮洋史により引き起こされた「群馬一家3人殺害事件」について総まとめしてきました。
小暮洋史が孤独な人生を歩んでいたこと、コミュニケーション能力が著しく劣っていたこと、短絡的で殺人という重大事件を起こしながら2019年現在までに別件の事件を起こしていないことから、事件直後に自殺した可能性が極めて高いでしょう。