関東連合の歴代リーダーの中でもトップクラスの残虐性を持っていたと言われている見立真一さんですが、現在はとある事件をきっかけに国外逃亡中です。
この記事では、見立真一の経歴や父親・母親などの家族、目を失明させたなど数々の伝説、彼女や子供、そしてフィリピン逃亡後の現在や死んでる説について総まとめしました。
この記事の目次
【関東連合元リーダー】見立真一の経歴&家族情報
名前:見立真一(みたて しんいち)
生年月日:1979年3月16日
出身地:静岡県沼津市(東京都杉並区育ち)
身長:168cm
ニックネーム:残虐王子、ワキガ王子
見立真一、父親がタクシー運転手の一般家庭から突然不良に
見立真一さんは、タクシー運転手を務めている父・Aさんの長男として、1979年3月に静岡県沼津市に生まれています。
その後、小学校時代に東京都・杉並区に移住をした見立さん一家は、引き続きタクシー運転手として働くAさんの元で、貧しいながらも3食に困ることはない生活を送ることになりました。
後に半グレの帝王となる見立さんも、中学1年時までは明るく真面目な生徒だったらしく、勉強の方もそれなりに出来たとか。
2~3歳年上だという姉も特にグレることもなく、周囲からは「普通に良い人」と評価されるような女性だったため、見立家は不良少年家庭にありがちな家庭内不和や父親からのDVに悩むような家庭内環境ではなかったようですね。
そんな見立さんに変化があったのは中学2年の時だったらしく、突如不良グループの一員となった見立さんは、卒業までに鑑別所送致も経験するほどのワルとなってしまい、以降はアウトロー人生一直線となってしまいました。
当時の見立さんがイジメを受けていたなどといった情報はもちろんなく、見立さんが突然不良となってしまった理由は謎のままとなっております。
ただし、不良化以前から猫を虐待している見立さんの姿が目撃されていたため、見立さんは元々サイコパスだったのではないかという事情通たちの憶測も存在します。
見立真一、東京都立永福高校に進学も2ケ月で中退
杉並区立井荻中学校を卒業後の見立真一さんは、都立永福高校に進学しております。
永福高校は現在は合併して都立杉並総合高校となり、偏差値50程度の一般的な学校となっていますが、1990年代はヤンキー校として有名だったようですね。
高校進学時には、既にヤンキーの枠に収まりきらないワルになっていたと言われている見立さんは、永福高校をわずか2ケ月で中退しました。
見立さんが高校を中退した理由は諸説あり、「女性に性的暴行を加えての退学説」や「学校で暴れて手がつけられないから退学になった説」などが存在します。
【関東連合元リーダー】見立真一の伝説…残虐王子と呼ばれる男だった
見立真一、16歳で消滅していた関東連合を復活させる
永福高校を中退後の見立真一さんですが、16歳の時に関東連合を復活させています。
関東連合は、見立さんたちの2代前(1976年生まれ)の世代が全員警察に逮捕された影響で代替わり出来ずに、一時期的に消滅状態にあった時期がありました。
それを復活させ不良たちが、見立さんが率いる暴走族「永福町ブラックエンペラー」だったそうで、復活した関東連合は、あっという間に東京のアウトロー界を牛耳る存在へとのし上がることになりました。
見立真一、関東連合の残虐伝説の元凶だった
復活後の関東連合は、抗争に金属バットやナイフといった凶器を使うだけではなく、抗争相手に対する残虐なリンチも開始するようになり、東京の不良少年たちの間で恐怖の対象となりました。
見立さんがリーダーを務めていた時代の関東連合の残虐ぶりは、ゲリラの拷問レベルまで達していたようで、監禁した抗争相手の歯や爪を抜くといったリンチどころか、さらに壮絶なリンチメニューも多数存在したと言われています。
関東連合が抗争相手の彼女や家族にまで危害を及ぼすようになったのも見立さんたちの世代からだったようで、抗争相手の彼女を拉致して性的暴行を加えたり、実家を集団で襲撃したりとやりたい放題だったようですね。
関東連合が不良少年の領域を大きく超えてしまう暴力集団になってしまった原因には、もちろん見立さんの意向が大きく関与していました。
元々、関東連合の中心である「永福町ブラックエンペラー」自体が見立さんらが復活させた暴走族であったため、生え抜きの先輩世代が皆無でした。
そのうえ、見立さんは関東連合の仲間に対しても頻繁に暴力を振るい恐怖で支配していたそうで、見立さんの命令ともなれば、どんな無茶でも従うしかない状況だったと言われています。
抗争相手を死ぬ寸前まで痛めつける関東連合のやり口は、見立さんに「残虐王子」との異名までもたらしたそうですね。
見立真一、残虐王子の異名も本性は臆病者だった
抗争相手の彼女を拉致して性的暴行を加えたどころか、ナンパした女性にまで性的暴行を加える常習者だったと言われている見立真一さんは、強姦罪により少年院に送致された経験もあったそうですね。
とはいえ、自身の傍若無人な振舞いが周囲から恨みを買っているとの自覚はあった見立さんは、闇討ちを回避するために、仲間内にすら自宅の住所や携帯電話の番号も教えずにいるなど、慎重な一面もありました。
見立さんの中学の先輩であり、少年時代は武闘派アウトローとして名を馳せていた与国秀行(谷山秀行)さんなどは、見立さんの本性を臆病者だと評し、抗争相手からの復讐を恐れていたからこそ、残虐な追い込みに手を染めていたのではないかと推測しています。
見立真一、多重債務者詐欺で闇社会の富豪に成り上がる
少年時代に悪業の限りを尽くした見立真一さんですが、成人後は闇金業者として荒稼ぎをすることになりました。
ただですら違法性が高い闇金業となりますが、見立さんの場合は多重債務者詐欺にまで手を染めるなど、金を稼ぐためならどんな手段も厭わなかったようですね。
多重債務者詐欺をやっていた頃は半端じゃない利益をあげていました。闇金で借金した客って、自分がどこから借りているかなんて分からなくなっているじゃないですか。それをいいことに、貸してもいない相手に返済を迫る。このときは月に3億円のあがりが半年続いた、と聞いています。「30歳までに100億円持つ」と当時の見立君はよく口にしていたけど、「この人なら実現するだろう」と思っていました。
関東連合の仲間内でも金の亡者になったと揶揄されていた見立さんは、マルチ商法にも手を出していたようで、持ち前のネットワークを活かしてプラチナバッチを獲得するほど成功を収めていたと言われております。
見立真一、野球賭博運営や株の仕手戦に失敗し金欠状態に
伝説のアウトローから闇社会の富豪にまで成り上がったかに見えた見立真一さんですが、その成功も長くは続かなかったと言われております。
見立さんが経済的に凋落するきっかけとなったのは、野球賭博運営や株の仕手戦に失敗したことが原因だったようですね。
仕手とは、人為的に作った相場で短期間に大きな利益を得ることを目的に、公開市場(株式、商品先物、外国為替等)で大量に投機的売買を行う相場操縦の一種。摘発が厳格でない事を逆手に、脱法・違法まがいの手法を取り入れ価格操作をおこなう不正な売買筋のことを仕手筋と呼ぶ。
引用:仕手
闇金業で成功をしていた見立さんが、わざわざリスクを冒してまで他分野に進出した理由に関しては、2006年の貸金業法改正により闇金事業の継続が困難になったためではないかと思われます。
株の仕手戦などに失敗して以降の見立さんは、関東連合OBたちが相互扶助のために積み立てていた「連合経費」を流用して、生活レベルの維持に充てていたとの話まで残っています。
ある時期から、「連合経費」という身内から集めたカネを、僕を含めた「正業で食べてる人間3人」で管理していたんです。抗争の準備、事件の解決にかかるカネ、放免祝いなどに充てられるという建前でした。ところが、実際にはプールしたカネの中から、見立君の家賃やクルマ代が支払われていた。僕はこうした内情を知っていたから、他のメンバーより冷めていた部分があったのかもしれません。
【関東連合元リーダー】見立真一の彼女情報…外国人女性との間に子供も
見立真一、交際女性へのDVは日常茶飯事だった?
女性に対する残虐な逸話は事欠かない見立真一さんでしたが、彼女などはいたようですね。
関東連合系の有名人といえば、芸能人を彼女にしていた武勇伝などが伝わる人物もいますが、見立さんはもっぱら一般女性と交際していたと言われております。
周囲を恐怖で支配していた見立さんと交際した女性は、1年もすると無感情な爬虫類のような目になることで有名でした。
秘密主義の見立さんだけあり、交際相手がどのような目にあっていたのかは、関東連合のメンバーたちにも謎だったようですが、DVなどは日常茶飯事だったのかもしれませんね。
見立真一、南アジア系女性との間に娘がいた?
見立真一さんには、高級マンションにて南アジア人女性と同棲しており、娘もいたのではないかという噂も存在します。
見立さんが結婚していたとの情報もないため、南アジア人女性は恐らくは内縁の妻状況だったものと思われます。
見立さんの娘と思われる少女は、後述する「六本木クラブ撲殺事件」が起こった2012年時点では、まだ幼子と表現するような年齢だったようですね。
なお、南アジア人女性は、見立さんが海外逃亡してしばらくすると、マンションから退去をして姿を消したと言われております。
【関東連合元リーダー】見立真一が与国秀行を襲撃で失明させた伝説
見立真一、与国秀行(谷山秀行)襲撃事件に関与の可能性も
成人後は暴力行為よりも金稼ぎに夢中になっていたと言われている見立真一さんですが、「与国秀行(谷山秀行)襲撃事件」に関わっていたのではないかという疑惑もあるようですね。
見立さんにとって中学の先輩でもある与国さんは、1990年代に都内最強と謳われていた伝説のアウトローでしたが、成人後は「幸福の科学」の信者となり、半グレ系勢力とは距離を置いた人生を送ってきた人物でした。
そんな与国さんは、2009年7月に行われた「第45回衆議院議員総選挙」に「幸福実現党都副代表」として出馬したものの、東京都第12区で最下位落選する憂き目となっています。
与国さんが妻と共に暴漢に襲われたのは、「第45回衆議院議員総選挙」直後だったと言われており、与国さんは暴漢より受けた暴行が原因となり左目を失明してしまいました。
与国さんが被害届けを提出しなかったため、警察が捜査することもなく闇に葬られた暴行事件でしたが、ネット上では関東連合OBたちが金属バットで与国さんを襲撃をしたとの噂が実しやかに囁かれることになりました。
見立真一、西新宿事件をきっかけに与国秀行を恨んでいた?
「与国秀行襲撃事件」において、関東連合OBたちに犯人説が流れた理由については、2008年3月に起こった「西新宿事件」が遠因となります。
同事件では、山口組弘道会系の暴力団の準構成員であり、関東連合OBたちのケツモチ的存在であった金村剛弘さんが、自宅前で待ち伏せをしていた目出し帽を被った男たちに、金属バットで殴り殺されることになりました。
「西新宿事件」が起こった原因に関しては、少年時代は不良グループ「新宿ジャックス」の創設者として反関東連合系勢力であった金村さんが、いつの間にか関東連合OBたちと交流を深めていたことに対して、反関東連合系勢力の間で不信感が募っていたせいだと言われております。
特に「新宿ジャックス」出身であり、関東連合にとっては最大のライバルでもあった木村兄弟(木村泰一郎・木村孔次郎)たちは金村さんを白眼視していたため、「西新宿事件」の首謀者ではないかと噂されています。
実際の話、木村兄弟の弟である木村孔次郎さんは、2008年当時は山口組極心会連合系の暴力団の構成員だったそうで、金村さん襲撃用の兵隊を集められる立場ではありました。
金村さんの葬儀に参加をした見立真一さんは、号泣しながら犯人に対する復讐を口にしていたそうですが、金村さんの元悪友として葬儀に顔を出していた与国さんから、これを機会に堅気になるようにと説教をされてしまったそうですね。
当然ながら与国さんの言葉に逆上した見立さんは、その場で与国さんと口論となってしまったそうで、その時の因縁が後の襲撃事件に繋がったのではないかとの憶測が、ネット上で流れていることになります。
ちなみに、与国さん本人は、自身の襲撃事件の犯人が関東連合OBたちであるというネットの噂を否定しております。
【関東連合元リーダー】見立真一、六本木クラブ襲撃事件後に海外逃亡
見立真一、2012年に六本木クラブ襲撃事件の主犯格として指名手配
「西新宿事件」以降は、金村剛弘さんの敵討ちの機会を伺っていた見立真一さんですが、2012年9月になると「六本木クラブ襲撃事件」を起こしてしまい、警察に指名手配されております。
2012年9月2日午前3時40分ごろ、東京・六本木六本木共同ビル(ロアビル)2階に位置するクラブ「フラワー」において、来店客の男性が、金属バットを持って店内に乱入してきた10人ほどの目出し帽姿の男らによって袋叩きにされ、男性は後に死亡が確認された。死因は頭蓋骨損傷による失血死または脳幹部損傷とみられた。ほか同席していた友人2名も殴られ軽傷を負うに至った。
引用:六本木クラブ襲撃事件
「六本木クラブ襲撃事件」は人違い殺人説が濃厚になっており、見立さんたちの元に「フラワー」に木村孔次郎さんがいるとの情報が入り襲撃したところ、まったくの別人である被害者男性を暴行することになってしまったようですね。
「六本木クラブ襲撃事件」において人違いが起こった理由に関しては、木村さんと被害者男性の外見的特徴がかなり似ていたことが原因だったと言われております。
日本人と東南アジア系のハーフと言われるこの兄弟の弟は山口組極心連合会系暴力団を破門となった人物で、短髪に浅黒い肌、はっきりとした目鼻立ち、屈強な体格、そして当時の怪我が原因となっての片足を引きずるような歩き方、という外観的特徴が当時フラワーの従業員であった人物に伝えられており、被害者の男性も当時怪我で片足を引きずっていたことがこのたびの人違いを生む要因となった。
引用:六本木クラブ襲撃事件
見立真一、逮捕を逃れフィリピンの離島に潜伏か?
「六本木クラブ襲撃事件」以降の見立真一さんに関しては、警察に自首をした他の実行犯たちとは違い海外逃亡をしており、現地のマフィアに匿われフィリピンの離島で潜伏生活を送っているとされていました。
「まだ見立君と連絡を取っているメンバーはいるようです。現在、フィリピンの離島にいる彼は、マフィアとも反政府軍団とも言われる人たちに匿われていると聞く。一時期、ペルー国籍を取って逃げ切るという話もあったけど、整形し顔も国籍も変えて日本に密入国する可能性もあるでしょう。
見立さんが海外逃亡した理由に関しては、金村剛弘さんの仇を討つことをまだ諦めておらず、木村兄弟への復讐の機会を伺っているようですね。
海外逃亡前、見立容疑者は周囲に「目的を果たすまで出頭しない」と語っていたというが、その目的とは何なのか。
「A兄弟への復讐です。’08年3月、西新宿で元関東連合のB氏が撲殺されている。B氏は殺される前に関西の暴力団に属していたA兄弟とトラブルを起こしていたんです。六本木での襲撃事件の際、現場となったクラブにA兄弟の弟がいるという情報をつかみ襲撃したが、人違いだった。だから見立容疑者は、A兄弟に対する復讐が終わらない限り出頭はしない」(関東連合に詳しいマスコミ関係者)
「西新宿事件」に関しては、犯人一味と思われる人物たちの別件逮捕が続いた時期はありましたが、結局は警察側が事件に関与した証拠を集めきれずに終わっています。
そのため、金村さんを殺害した犯人たちは、法律上は1人も逮捕されていない形となっており、事件も迷宮入りしている状況です。
【関東連合元リーダー】見立真一の現在…ネットではすでに死んでる説も
見立真一、2013年頃には偽造パスポートで日本に一時帰国していた
見立真一さんの現在に関しては、警察に逮捕されることもなく逃亡生活が続いています。
2013年頃は、偽造パスポートを使って国内に戻り、日本での生活を満喫していた時期もあったようです。
「4月に2回、見立に会いました。“我々”がよく利用する千葉のホテルで一緒になったんです。見立は何回かそこに泊まっていたようです。帰国した理由を聞くと『金を取りに帰ったんですよ。いろいろ集金しなくちゃいけなくて』と言う。それなら少なくとも1千万円から2千万円は作るんだろうなと思いましたね。ただ、どうやって戻るんだろうと。話した時間はわずかでしたけどね」
日本に潜伏中、拠点にしていたのは被災地である福島県いわき市。震災後、高い放射線量を避けて空き家になった一軒家を借りていた。見立容疑者に同行していた女性が手配したものだった。
「いわき市を拠点に、見立は六本木のキャバクラで働くMちゃんと宮崎に旅行に行ったりしてるんだよ。彼女とは新宿区にある高級ホテルや、八王子駅前のホテルに泊まったりもしている。日本での生活を満喫していた」(A氏)
見立真一、ネット上では死亡説もあがっていた
現在も悠々自適な逃亡生活を送っていると思われる見立真一さんですが、ネット上では死亡説なども存在します。
とはいえ、こちらはアンチヒーローには悲惨な末路を辿って欲しいというネットユーザーたちの願望が生み出しただけの妄想なようですね。
日本人なら知らなきゃいけない
— とし(どらご) (@mma_live_shit) October 1, 2016
天皇家の秘密
黒い芸能ワイド
プライベート奇行
目撃ファイル
入会費50万
「芸能人交際クラブ」潜入
高畑祐太犯行前の「熟女SM風俗」通い
スクープ「見立真一が死亡」怪情報流出
ヤンキー文化死すとも――
湘南愚連隊は
終わってねえぞ
決起集会 pic.twitter.com/v8plw3b2ms
フィリピンで邦人男性が撃たれて死亡というニュースを見るたびに見立真一がやられたのではないかと一瞬盛り上がっている。
— うた (@inuuaaaa) October 20, 2014
見立真一、新たな似顔絵が作成される
出典:https://newsdig.tbs.co.jp/
2024年8月、警視庁が現在の見立真一さんを想定した新たな似顔絵を公開しました。
六本木クラブ襲撃事件当時33歳だった見立真一さんも2024年で45歳となっており、似顔絵では経年変化による痩せた顔や太った顔をなどが再現されています。
見立真一、現在はフィリンピンか日本に潜伏?
出典:https://www.sankei.com/
見立真一さんに関しては、事件から10年以上が経っても足取りがつかめず、さまざまな情報が流れる状況が続ています。
現在、警視庁のホームページでは、見立真一さんの予想される立ち回り先としてフィリピンと日本の名前が挙がっています。
ただ、2023年に見立真一さんがフィリピン・マニラのコンドミニアムに潜伏しているという情報があがり捜査員が捜索しましたが、潜伏情報は確認できなかったといいます。
また、見立真一さんが偽造パスポートで日本に帰国し、国内に潜伏している可能性も考えられているようで、警察は特に東京・静岡・埼玉・宮城の4都県をマークしているとのことです。
見立容疑者が日本に帰国している場合、潜伏している可能性が高い地域として挙がっているのが、東京・静岡・埼玉・宮城の4都県です。元埼玉県警捜査1課・佐々木成三氏によると、「水谷氏がおっしゃったように、“偽造パスポート”で日本国内に帰ってくる可能性も十分あります。その中で、見立容疑者が以前住んでいた場所・『関東連合』の拠点がある場所・匿う人物がいる場所など、土地鑑のある場所が挙げられている」ということです。
引用:【今どこに?】集団で殺害した男性は人違いだった…『六本木クラブ襲撃事件』から12年 リーダー格・元『関東連合』見立真一容疑者は現在も逃亡中…警察はフィリピンと日本の“4都県”をマーク
一部では、自ら海外でビジネスをしているとの噂もあるようで、「犯罪王国」とも言われ、日本の裏社会の人間たちも多く集まるカンボジアにいるのではないかとも言われているようです。
「六本木クラブフラワー事件」の殺人容疑で国際指名手配中の元関東連合・見立真一もカンボジアを拠点にしてアジアを移動している、と噂され、先月、目撃情報が流れた。見立の右腕で六本木フラワーの元オーナーIや、シアヌークビルの特殊詐欺事件摘発後、すぐに行方をくらました見立の子分のTもカンボジアの裏社会を確実に支配している。さらに彼らはアジア各国を自由に移動し新たな国際犯罪ネットワークを産み出し日本の金を吸い上げようとしているのだ。
【関東連合元リーダー】見立真一について総まとめすると…
・見立真一は東京都立永福高校を2ヶ月で退学し、16歳で消滅していた関東連合を復活させた。
・見立真一は同棲していた南アジア系の彼女との間に娘がいるといわれている。
・見立真一は2009年7月、元アウトローだった与国秀行(谷山秀行)を襲撃し左目を失明させた事件に関与していたと噂されている。
・見立真一は2012年9月、「六本木クラブ襲撃事件」の主犯格として指名手配。フィリピンに逃亡したとみられているが足取りはつかめておらず、ネット上では死亡説もあがっていた。
見立真一さんの逃亡生活に関しては、関東連合のOBの一部が資金などをサポートしているとも言われております。
いまだ見立さんが捕まらないということは、それだけ関東連合OBたちの闇社会コネクションが強いという証拠なのでしょうね。