「夜回り組長」との異名で一世を風靡した山口組系の元ヤクザで作家の石原伸司さんですが、2018年に強盗殺人事件を起こした挙句に自殺をしています。
この記事では、石原伸司さんの生い立ちや経歴の嘘、獄中結婚、そして晩年の情報や死因についてまとめてみました。
この記事の目次
【夜回り組長】石原伸司のプロフィール…元山口組系のヤクザで作家だった
石原伸司(いしはら しんじ)
本名:石毛義雄(いしげ よしお)
生年月日:1938年5月25日
出身地:東京都墨田区
石原伸司、「夜回り組長」との愛称で有名な元ヤクザの作家だった
石原伸司さんは、銃刀法違反や傷害の容疑などで度々逮捕された結果、累計で30年近く服役した経験を持つ元ヤクザでした。
そんな石原さんがカタギに戻ったのは2001年に徳島刑務所を出所して以降の話だったそうで、ヤクザ経験を活かした作家活動の傍らに非行少年少女の更生活動に精を出すようになりました。
また、自身の体験をもとに繁華街で若者の悩みを聞きながら、非行の防止や更生を支援する活動を独自に始めるようになり、「夜回り組長」としてメディアで大きく取り上げられる。
引用:石原伸司
その後はメディアの寵児となり、テレビ出演や雑誌連載などをこなす売れっ子文化人化していた時期もあった石原さんは、2010年には自伝映画「逢えてよかった」も公開されています。
【夜回り組長】石原伸司の生い立ちや経歴…元浮浪児で22歳でヤクザになっていた
石原伸司さんは、1938年5月に東京都墨田区に生まれたものの、戦禍を避けるためにすぐに千葉県習志野市に疎開をしています。
そのため、戦争孤児にはならずに済んだ石原さんでしたが、父親が闇ブローカーで母親が担ぎ屋というアウトローな家庭だったため、DVを受けながら育つことになりました。
担ぎ屋とは、食料などを生産地から担いで来て売る人。特に第二次大戦後、闇物資を地方から都市へひそかに運んで売った人。
引用:担ぎ屋
そんな生活に嫌気がさした石原さんは、12歳の時に家出をして東京の繁華街で浮浪児をしていたそうですね。
本来ならばそのまま野垂れ死んでいた可能性もあった石原さんですが、奇特なホステスに拾われる幸運に恵まれています。
以降は、ホステスの家で3年間ほど保護されることとなった石原さんは、読み書きを習うなど真っ当な道で生きる教育を受けた一方で、15歳の時に独り立ちした後は街のチンピラ化してしまいました。
その後、22歳の時に山口組系の暴力団と盃を交わした石原さんは、窃盗品などを取り扱う闇ブローカーをシノギにしていたそうですね。
事情通は「事務所を構えていた暴力団時代、窃盗犯が盗品を売りにきていた。石原さんが転売ルートを持っていたからです。石原さんは高い貴金属、腕時計だけは買い取っていた。安物や偽物を売りつける役に立たない窃盗犯がいたら、裏で警察に通報し、警察に恩を売っていた。目利きは確かなんでしょうね」と指摘した。
【夜回り組長】石原伸司の嘘…実は組長でも幹部でもなかった
本人が山口組系の組長だったことを自称していたため、マスコミからは「夜回り組長」との愛称をつけられていた石原伸司さんですが、死後になると、極道の世界で役職についた経験はなかったことが関係者より暴露されています。
また、石原さんが東京の繁華街を夜回りしていた本当の目的は、セフレを探すためだったとの噂も存在します。
実際の話、石原さんは路上で声をかけて親しくなった女性たちに手を出していたとの情報もあるそうですね。
石原さんが「夜回り組長」となったのは60代以降の話となりますが、声をかける対象が非行少女や覚せい剤中毒の女性といったメンヘラ気質な人物ばかりだったため、上手く取り入ることが出来たのかもしれませんね。
【夜回り組長】石原伸司の結婚情報…獄中結婚をしたが離婚していた
石原伸司、獄中結婚をした過去があった
石原伸司さんは、過去に獄中結婚をした経験もあったそうですね。
石原さんが元妻・Aさんと知り合ったのは、1993年に拳銃不法所持の容疑で逮捕されたことがきっかけでした。
公判のために東京地方裁判所の地下監房に収容されていた石原さんは、そこで略取誘拐と傷害の容疑で逮捕された50代の男・Bと知り合ったそうですね。
これから続く長い拘置所暮らし中の暇つぶしのために、女性の文通相手が欲しかった石原さんは、Bより愛人兼共犯者だったAさんを紹介してもらい、文通を開始することになりました。
その後、手紙だけでAさんを口説き落とす神業ぶりを発揮することになった石原さんは、1994年にAさんと獄中結婚したと言われております。
とはいえ、Aさんが1995年頃に仮出所出来た一方で、石原さんは2001年4月まで徳島刑務所に服役をする羽目になってしまいました。
そのため、2人がようやく同棲生活を送れるようになった頃には、石原さんは62歳、Aさんは46歳になっていたそうですね。
石原伸司、「夜回り組長」活動が原因で離婚していた
徳島刑務所を出所後は、獄中結婚をしたAさんと同棲生活を送っていた石原伸司さんですが、2006年8月に離婚をしています。
2人の離婚原因となったのは、石原さんの著作「歌舞伎町のシャブ女王 覚醒剤に堕ちたアスカの青春」の主人公でもあった太田アスカでした。
義父のいるネグレクト家庭に育ったアスカは、13歳にしてヤクザの愛人となりシャブ中になった他、非行で何回も少年院や刑務所に入っていた曰くつきの人物となります。
石原さんがアスカと知り合ったのは、彼女が6年に渡る服役を終えて出所した2006年7月頃だったと言われております。
その後、更生のためにアスカを自宅へ泊めるようになった石原さんでしたが、家でゴロゴロしてビールを飲むだけなアスカの態度に激怒したAさんに、「あの子と縁を切らないなら離婚をする」と詰め寄られたそうですね。
とはいえ、アスカを「夜回りお姉さん」としてマスコミに売り込む計画を立てていた石原さんは、今更引くことは出来ずにAさんと離婚をする羽目になりました。
以降は自分の「夜回り組長」活動にアスカを同行させ、新聞や雑誌に特集記事を書かせることに成功した石原さんですが、当のアスカは、社会復帰のために働いていたキャバクラで男を作りすぐに出奔してしまったとか。
【夜回り組長】石原伸司のその後…落ちぶれて困窮していた
離婚後の石原伸司さんに関しては、資産家女性と交際をしていたらしく、一時期は赤坂や新宿で豪遊していたそうですね。
とはいえ、その女性と別れた頃から金欠状態に陥ってしまったそうで、2017年頃より知り合いに数万円単位の借金をして回った他、生活保護を受けていたとの噂も存在します。
それでも浪費癖が治らなかった石原さんは、知人にいらない服を勝手に送り付けて購入を迫っていた他、ヤミ金筋からお金でも借りていたのか、東京都荒川区にある自宅アパートに借金取りと思わしきコワモテの男たちが押し寄せたことまでありました。
そのため、晩年の石原さんは、ビジネスホテルを転々としながら潜伏生活を送っていたと言われております。
【夜回り組長】石原伸司の殺人事件と最期…死因は入水自殺だった
石原伸司、2017年に殺人事件を起こしていた
石原伸司さんのその後については、2017年10月になると、東京都豊島区駒込にあるサウナ付き簡易宿泊施設の仮眠室にて殺人事件を起こしています。
被害者が71歳の男性だった他、石原さんが時価100万円相当の腕時計を奪って逃走していた経緯から、事件はお金目当ての犯行だったものと思われます。
ちなみに、石原さんの死後、遺留品の中から他人名義のクレジットカードが大量に見つかったとの情報もあります。
そのため、石原さんは、サウナ付き簡易宿泊施設の仮眠室の利用客を狙い、窃盗行為を繰り返して生活費を捻出していた可能性が高い状況です。
この時の事件も、窃盗目的で仮眠室で眠る利用客の懐を探っていたところ、目を覚まして騒がれたために殺害に至ってしまったのかもしれませんね。
石原伸司、逃亡生活の果てに入水自殺をしていた
殺人事件後の石原伸司さんですが、質屋で盗んだ腕時計を換金している姿が防犯カメラに映っていたため、警察からは重要参考人扱いをされていたそうですね。
とはいえ、この頃になるとビジネスホテルに泊まるお金すらなかったのか、ドヤを拠点に潜伏生活を送っていたことが功を奏し、警察に逮捕されることはありませんでした。
その後の石原さんは、2018年3月になると、東京都墨田区の公園で知人男性を刃物で切りつけた後、墨田川に飛び込み自殺をしています。
自殺後の石原さんは、警察より容疑者死亡のまま書類送検されることになりました。
石原さんのあまりに無残な転落劇に対しては、ネット上でも「がっかりした」との声が多い状況でした。
え?石原伸司は強殺やって自殺したの?著書に興味なかったけど絶対読まなきゃという気になった。偉そうに更生だなんだフカしてこの終わり方はすごすぎる。所詮こんなものか
— 兵務局 (@Truppenamt) April 5, 2018
【夜回り組長】石原伸司についてまとめてみると…
石原伸司さんに関しては、「夜回り組長」として一世を風靡した一方で、最期は身持ちを崩して殺人犯となってしまった挙句に、自殺してしまったということになります。
石原さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。