アルペンスキーのレジェンドである皆川賢太郎さんとモーグルの上村愛子さんの離婚が発表されました。
この記事では皆川賢太郎さんの実家や家族、若い頃の活躍、元嫁の上村愛子さんとのFRIDAYや馴れ初めと結婚、子供の有無、自宅、離婚の原因や現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
- 皆川賢太郎のプロフィール
- 皆川賢太郎の実家はペンション「Heidi Guest House」
- 皆川賢太郎の実家の家族
- 皆川賢太郎の若い頃① 小・中学生時代からプロスキー選手を目指す
- 皆川賢太郎の若い頃② 高校でプロになり大学時代に五輪代表に初選出
- 皆川賢太郎の若い頃③ 世界でも注目され日本のエースの地位を確立
- 皆川賢太郎の若い頃④ トリノオリンピックで4位入賞で50年ぶりの快挙
- 皆川賢太郎の元嫁は元スキー選手の上村愛子
- 皆川賢太郎はFRIDAYに元嫁・上村愛子との密会がスクープされていた
- 皆川賢太郎と元嫁・上村愛子の馴れ初め
- 皆川賢太郎と元嫁・上村愛子の結婚
- 皆川賢太郎と元嫁・上村愛子の子供
- 皆川賢太郎と元嫁・上村愛子の自宅
- 皆川賢太郎と元嫁・上村愛子の離婚
- 皆川賢太郎と元嫁・上村愛子の離婚原因
- 皆川賢太郎の現在…リゾート特化型ビジネスで実業家として成功
- まとめ
皆川賢太郎のプロフィール
皆川賢太郎のプロフィール
生年月日:1977年5月17日
出身地 :新潟県南魚沼郡湯沢町
身長 :173cm
血液型 :A型
皆川賢太郎さんは、1998年の長野オリンピックや2002年のソルトレークシティオリンピック、2006年のトリノオリンピック、2010年のバンクーバーオリンピック、世界選手権やワールドカップ、コンチネンタルカップなどの世界大会で活躍した、日本を代表する元アルペンスキー選手です。
2014年にアルペンスキー選手を引退した後は、FISアルペンワールドカップ2016湯沢苗場大会の大会実行委員会副会長、全日本スキー連盟理事、アルペンスキー・ワールドカップ2016実行委員会副委員長、全日本スキー連盟競技本部長、日本オリンピック委員会(JOC)選手強化常任委員、アルペンスキー・ワールドカップ2020実行委員会副委員長、ユニバーシアード冬季大会日本選手団団長などを歴任した、国内のスキースポーツ界の重鎮として活躍されています。
またその一方で、スキーリゾート経営を手掛ける実業家としても手腕を発揮しています。
皆川賢太郎さんはプライベートでは2009年にフリースタイルスキー・モーグルの国内トップ選手として活躍していた上村愛子さんと結婚し、スキー界のビッグカップルとして大きく報じられました。しかし、2024年10月に2023年12月に皆川賢太郎さんと上村愛子さんが離婚していた事が発表されネット上でも話題になっています。
皆川賢太郎の実家はペンション「Heidi Guest House」
皆川賢太郎さんの実家は新潟県南魚沼郡湯沢町三国で、「Heidi Guest House(ハイジ ゲストハウス)」というペンションを経営されていました。元々は皆川賢太郎さんの両親が始めたペンションで2013年に一時閉館しています。
その後、皆川賢太郎さんが代表を務める株式会社HEIDIの経営により再びオープンしています。
そんな皆川賢太郎さんの実家のペンション「Heidi Guest House」ですが、じゃらんやBooking.comなどの旅行サイトから予約可能です。Googleの口コミも5点満点中4.8点ととても評判が良いようです。
皆川賢太郎の実家の家族
出典:https://www.naeba-heidi.com/
皆川賢太郎さんの実家の家族についてもみていきます。
皆川賢太郎さんの実家がペンション「Heidi Guest House」である事は既に触れましたが、このペンションは皆川賢太郎さんの父親の皆川賢治さんと母親の則子さんがオープンさせたものです。
皆川賢太郎さんの父親の皆川賢治さんは元プロの競輪選手だったそうなのですが、現役引退後に雪山で宿泊業を営みたいという夢を夫婦で持たれていたそうで、その夢を叶える形で「Heidi Guest House」をオープンされたとの事です。
創業者 皆川賢治(故)・則子 降雪地帯 新潟県出身。
皆川賢治はプロの競輪選手だった。
則子と出会い、スポーツ選手として生計を立て過ごした現役時代。
将来の夢は雪山で宿泊業を営み人生を豊かにする事だった。
皆川賢太郎さんがアルペンスキーの選手になったのも、元プロ競輪選手の父親の影響で家族でスポーツに親しむ環境だった事が影響したようです。
父は競輪選手だったため小さな頃から一緒にスポーツをする家庭環境でした。また、父が観光地でペンションを開く夢をかなえ、家族で新潟県湯沢町に移住したことで、スキーと親しむ機会にも恵まれたのです。夏は自転車、冬はスキーという生活を送り、父は競輪選手になってほしかったようですが、自分はスキーの道に進みました
2008年頃、皆川賢太郎さんの実家の「Heidi Guest House」に宿泊されたという方がブログに皆川賢太郎さんの母親の則子さんとの写真をアップロードされていました。
また、皆川賢太郎さんは子供時代の実家での家族との暮らしを語られていた事がありました。それによると、皆川賢太郎さんの家族構成は両親と姉、本人の4人家族で、シーズン中はペンション経営という事もあって中々家族でゲレンデに出かける事はできなかったそうです。
なので、トップシーズンを過ぎて春を迎えた頃に、家族4人でおにぎりとお茶を持ってゲレンデへ滑りに行ったそうで、ゲレンデの頂上で家族でおにぎりを食べたのが思い出なのだとか。
皆川賢太郎さんの父親の皆川賢治さんが亡くなり、実家の「Heidi Guest House」は2013年に一時閉館となりましたが、その後、皆川賢太郎さんが経営を引き継ぎ復活させています。
皆川賢太郎の若い頃① 小・中学生時代からプロスキー選手を目指す
皆川賢太郎さんはプロ競輪選手の父親・皆川賢治さんの影響もあって幼少期からスポーツに親しみ、両親が雪山でペンションを経営する夢を叶えるのために家族で新潟県南魚沼郡湯沢町に引っ越した後は、夏は自転車、冬はスキーに打ち込む少年時代を送られたそうです。
皆川賢太郎さんは小・中学時代は地元の苗場のスキー場に通い詰め、中学時代には将来はプロスキーヤーになる事を決めていたそうです。ただ、中学にはスキー部がなかったためバスケ部に所属し、学校が終わった後にスキーの練習に打ち込まれていたそうです。中学2年生の時には年間100日ほど海外遠征に出かけるなど有力選手として注目されています。
皆川賢太郎の若い頃② 高校でプロになり大学時代に五輪代表に初選出
皆川賢太郎さんは中学校卒業後は新潟県上越市の関根学園高校へ一時進学しますが、2年生時に北海道小樽市の北照高校のスポーツコースに編入してプロアルペンスキー選手になり、全日本スキー選手権大会アルペン競技などに出場。
北照高校卒業後は日本体育大学体育学部体育学科へと進み、大学在学中の1998年の長野オリンピックに男子回転(スラローム)と男子大回転(ジャイアント・スラローム)種目の日本代表に選出されました。ただ両種目とも途中棄権と理想的な結果は残せませんでした。
皆川賢太郎の若い頃③ 世界でも注目され日本のエースの地位を確立
皆川賢太郎さんは、長野オリンピック出場後の1999年-2000年シーズンのワールドカップにて大きく成績を伸ばしました。
2000年1月のオーストリア・キッツビュール大会では60番スタートでありながら見事な滑りで6位入賞を果たし、3月の韓国・平昌郡龍平面大会でも6位に入賞し世界でも注目される選手になります。
その後も皆川賢太郎さんは安定した成績を残し、2000年のセストリエール大会6位、2001年キッツビュール大会で8位、シュラトミング大会10位、サンクト・アントンの世界選手権10位と好成績を残して日本人選手として史上4人目の第1シード選手となるなど日本のアルペンスキーのエースの地位を確かなものにしました。
その後、2001年11月に足首捻挫の怪我を負うも、その状態でシュラドミング大会でベストタイムを獲得し、2002年2月のソルトレークシティオリンピックに回転種目の日本代表として出場。メダルを目標に掲げて出場した皆川賢太郎さんでしたが、スラローム1回目でコースアウトし無念の失格となりました。
さらに、ソルトレークシティ五輪直後の2002年3月の大会中に左膝前十字靱帯断裂の怪我を負い、長期の離脱を余儀なくされ、以降2年間は調子の上がらず結果の出ない時期が続きました。
皆川賢太郎の若い頃④ トリノオリンピックで4位入賞で50年ぶりの快挙
怪我からの復帰後も調子の上がらない日々が続いていた皆川賢太郎さんでしたが、2004-2005年シーズンのワールドカップ第8戦で4年ぶりとなる入賞を果たして復調の兆しを見せ、2005-2006年シーズンのワールドカップでも自己最高の4位入賞を果たすなど安定した成績を残しました。
そして、3大会連続の出場となった2006年のトリノオリンピックでは回転種目で、3位と100分の3秒差で4位に入賞し、日本人選手として50年ぶりとなるオリンピックアルペン種目での入賞という快挙を成し遂げました。
その後は、2006年11月にコンチネンタルカップの北米カップで優勝を果たすなど活躍するも、練習中に右膝前十字靭帯を損傷の怪我を負い、2006年-2007年シーズンの残りの期間を治療に専念。
2007-2008年シーズンのワールドカップシリーズには全戦出場を果たし2010年のバンクーバーオリンピックの日本代表に選出され、4大会連続の五輪出場を果たすも、本戦ではスタート直後の棄権となり結果を残せませんでした。
その後も皆川賢太郎さんは現役を続け、2012-2013シーズンはFar East Cupで総合優勝を果たしています。
そして2014年に現役を引退されています。
皆川賢太郎の元嫁は元スキー選手の上村愛子
皆川賢太郎の元嫁・上村愛子のプロフィール
生年月日:1979年12月9日
出生地 :兵庫県伊丹市鴻池
出身地 :長野県北安曇郡白馬村
身長 :156cm
血液型 :AB型
皆川賢太郎さんの元嫁は、長野オリンピック、ソルトレークシティオリンピック、トリノオリンピック、バンクーバーオリンピック、ソチオリンピックと5大会連続で出場しいずれも入賞という成績を残し、日本人として史上初のワールドカップ総合優勝の快挙も成し遂げた、女子フリースタイルスキー・モーグル選手の上村愛子さんです。
女子スキー競技界を代表する選手で、同じく男子スキー競技界を代表する選手であった皆川賢太郎さんとの結婚は業界のビッグカップルとして大きな話題になりました。
皆川賢太郎はFRIDAYに元嫁・上村愛子との密会がスクープされていた
出典:https://assets.friday.gold/
皆川賢太郎さんと元嫁の上村愛子さんの結婚は2009年でしたが、2008年に2人が東京四谷の焼肉デートを楽しんでいるところを写真週刊誌「FRIDAY」がスクープしていました。
この頃には2人は既にペアリングをしていて結婚を決めていたという事です。
皆川賢太郎と元嫁・上村愛子の馴れ初め
出典:https://www.sponichi.co.jp/
皆川賢太郎さんと元嫁の上村愛子さんの馴れ初めは、長野県の野沢温泉で開かれたスキー関連のイベントでの共演だったそうです。
それまで皆川賢太郎さんと上村愛子さんは顔を合わせたら挨拶をするくらいの関係だったそうなのですが、このイベントをきっかけに意気投合し、上村愛子さんの嘘のない純粋な性格に惹かれたという皆川賢太郎さんの方から食事に誘い、2007年に交際がスタートしたのだそうです。
その後、約2年半の交際期間を経た2008年12月25日に、東京タワーの見える夜景の綺麗な場所で皆川賢太郎さんの方から上村愛子さんに「結婚してください」とプロポーズし、それに上村愛子さんが「はい、よろしくお願いします。」と答え、結婚が決まったそうです。
皆川賢太郎と元嫁・上村愛子の結婚
出典:https://www.sponichi.co.jp/
皆川賢太郎さんと元嫁の上村愛子さんは2009年6月11日に結婚し、バンクーバー五輪終了後の2010年9月に結婚式と結婚披露宴を行っています。
皆川賢太郎さんと上村愛子さんの結婚披露宴は長野軽井沢のプリンスホテルで開催され、歌手の松任谷由実さんも出席されています。
アルペンスキーの皆川賢太郎(33=竹村総合設備)とフリースタイルスキーモーグルの上村愛子(30=北野建設)の結婚披露パーティーが26日、長野・軽井沢プリンスホテルで行われ、シンガー・ソングライターのユーミンこと松任谷由実ら約600人が出席した。
皆川賢太郎と元嫁・上村愛子の子供
出典:https://news.tv-asahi.co.jp/
皆川賢太郎さんと元嫁の上村愛子さんの間には子供はいないようです。
皆川賢太郎さんと上村愛子さんは子供を望んでいたものの何らかの理由で恵まれなかったのか、最初から子供を作らない選択をしたのかといった事は情報がなく不明です。
皆川賢太郎と元嫁・上村愛子の自宅
皆川賢太郎さんと元嫁の上村愛子さんは、結婚後は東京都と長野県白馬村の2ヶ所に自宅を置いて生活されていたそうです。
2人の離婚を報じた写真週刊誌「FLASH」によると、2024年からみて3年〜4年前頃から、皆川賢太郎さんが東京の自宅で、上村愛子さんが白馬村の自宅で完全に別居状態になっていたのだそうです。
離婚後の現在は、皆川賢太郎さんの自宅は東京、上村愛子さんの自宅は白馬村という事のようです。
皆川賢太郎と元嫁・上村愛子の離婚
2024年10月2日、皆川賢太郎さんと上村愛子さんはそれぞれのInstagramで連名で離婚を発表しています。
皆川賢太郎さんと上村愛子さんの連名の離婚発表文によると、離婚したのは2023年12月9日で、ウインタースポーツのシーズンや2024年7月〜8月のパリオリンピックが終了するのを待っての離婚発表となったという事です。
皆川賢太郎と元嫁・上村愛子の離婚原因
出典:https://muji-pctr.c.yimg.jp/
皆川賢太郎さんと元嫁の上村愛子さんの離婚原因は、連名の離婚発表文の中でお互いに話し合って離婚を決めたという内容が語られているのみで、具体的な離婚原因については何も書かれていませんでした。
引退からコロナ禍など、移り変わる社会や時間の中で、私たちもお互いの人生観について話し合う機会が自然と増えていき、お互いを尊敬し合いながら、人生の目的や大切に思う事を尊重し合いながら話し合いを続ける中で導き出した結論です。
引用:皆川賢太郎と上村愛子の連名の離婚発表文より
ただ、離婚発表当日に、以前から皆川賢太郎さんと上村愛子さんの離婚について取材していたという「FLASH」が発表した記事の中で、2人の離婚原因について触れられていました。
この記事では、スキー関係者の証言だとして、皆川賢太郎さんに女性の影があり、それが離婚の原因ではないかとの噂が広まっているとの内容が紹介されています。
離婚の原因は定かではありませんが、皆川さんに近しい人物によると、彼には数年来の深い関係にある女性の存在があったといいます。
皆川さんはスキー関係の仕事はもちろん、飲食店など幅広く事業を展開していますが、その女性は皆川さんの秘書的存在で、出張にも随行しているとか。『仕事以外の関係があるのでは?』と噂する関係者は少なくありません」(スキー関係者)
そしてこの記事では、このスキー関係者の証言を得たFLASHの記者が上村愛子さんが長野県白馬村の自宅に帰ってきたところに直撃し、離婚原因の真相についてのコメントを得ています。
上村愛子さんは、離婚の原因は女性問題ではないと否定し、離婚の原因は「距離的な問題」だと説明しています。
離婚の原因は、皆川の女性問題なのだろうか。
「なにか問題あってとか、喧嘩したとか、そういうのはなくて。お互いがいろんなところに行ってて、距離的な問題もあって、そういうふうになっちゃったのかなと思いますね。 ああ、それ(女性問題)はないですね。お互いに相手がいたから離婚とかもないです。いまも連絡はしていますし、今後も彼とお仕事を一緒にやる機会はありますし」
また、皆川賢太郎さんにもメールで離婚原因について問い合わせをしたところ、皆川賢太郎さんから、(離婚前に)別居した事はないし、離婚原因は女性関係ではないと返信があったという事でした。
「出張がお互い多いなか、別々で過ごす時間はありましたが、別居したことはございません。昨年の12月9日に届け出をいたしました。(離婚は)女性関係が原因でもございません」
皆川賢太郎さんと上村愛子さんはあくまでも円満離婚であると説明されています。
皆川賢太郎の現在…リゾート特化型ビジネスで実業家として成功
皆川賢太郎さん現在は実業家として活躍されています。
皆川賢太郎さんは株式会社HEIDIの代表取締役を務めており、地元である新潟県南魚沼郡湯沢町の苗場スキー場にて、「NAEBA1961.com」など複数の飲食店や、元は実家の家族が経営していた「Heidi Guest House」などの宿泊施設を運営されています。
また、スノーリゾート関連の経営だけでなく、夏場は神奈川県の大磯ロングビーチにて飲食店やサウナ事業を展開し成功されています。
まとめ
今回は、オリンピック4大会に出場した元アルペンスキーのレジェンド選手で、現在は実業家として活躍している皆川賢太郎さんについてまとめてみました。
皆川賢太郎さんの実家は、新潟県南魚沼郡湯沢町三国で「Heidi Guest House」というペンションを家族で経営されていました。現在は皆川賢太郎さんが代表を務める会社「株式会社HEIDI」がリニューアルして運営しており、苗場スキー場を中心に複数の飲食店も展開しています。
皆川賢太郎さんは若い頃からプロスキー選手として世界を舞台に活躍し、引退後に実業家として本格的に経営を広げ、現在ではスノーリゾートだけでなく夏場は神奈川県の大磯ロングビーチでもリゾートビジネスを展開しています。
プライベートでは2009年に女子モーグル選手の上村愛子さんと結婚し、FRIDAYのスクープでも話題になりました。
皆川賢太郎さんと上村愛子さんの馴れ初めは2007年頃で、スキー関連のイベントの共演で距離を縮め皆川賢太郎さんのプロポーズで結婚を決められたそうです。
しかし、2023年12月に皆川賢太郎さんと上村愛子さんは離婚しています。皆川賢太郎さんと元嫁の上村愛子さんの間には子供はいませんでした。
皆川賢太郎さんと元嫁の上村愛子さんは東京と白馬村の2ヶ所の自宅を拠点にしており、お互いの仕事で離れている時間が多かったため「距離的な問題」が原因となって離婚を決めたと説明されています。