野球界のレジェンドたちが口をそろえて「天才」と呼ぶ打者は、広島カープ一筋だった前田智徳選手です。
今回は前田智徳選手のプロフィール、天才エピソード、引退試合動画、成績や年俸、結婚した嫁や息子、現在の活動をまとめました。
前田智徳のプロフィール
前田智徳
生年月日:1971年6月14日
出身:熊本県玉名市
身長:176cm
所属:元広島東洋カープ
活動:元プロ野球選手、野球解説者
前田智徳さんは、熊本県出身のプロ野球選手です。1990年に入団後、2013年に引退するまで、ずっと広島カープの選手で、生涯広島カープ一筋でした。
バットコントロールが非常に巧みであり、バッティングフォームは理想的だと称されています。
バッティングは求めるレベルがとても高く、「求道者」や「侍」と呼ばれることもありました。また、その野球への姿勢と才能から「孤高の天才」という異名を持つ選手です。
たくさんのレジェンドに天才と呼ばれ、異を唱える人がいないほどの選手なのに、個人タイトルを取ったことがないという不思議な選手でもあります。
前田智徳の経歴
前田智徳さんの経歴を見ていきましょう。
プロ入り前
出典:youtube.com
熊本県出身の前田智徳さんは、中学では軟式野球部に入部し、高校は野球の名門の熊本工業に進学します。
高校時代は春2回、夏1回の合計3回も甲子園に出場し、高校3年の夏は主将で4番、センターとして甲子園に出場しました。
2回戦で敗れたものの、プロ野球のスカウトから注目される存在になり、高校には11球団のスカウトが訪れ、自宅には8球団が訪れています。
本人は、地元九州のダイエーへの入団を希望していました。ダイエーも前田智徳さんの上位指名を匂わせていましたが、実際は指名せずに、広島カープが4位指名しました。
広島に4位指名された前田智徳さんは、ダイエーに指名されなかったショックで一度はプロ入りを拒否。
しかし、広島の宮川スカウトに説得されたことで広島入りを決意し、広島カープに入団することになりました。
ダイエーが前田智徳さんを指名しなかった理由は定かではありません。
ただ、「後輩が他校の生徒に殴られたと知った前田が、単身その学校に乗り込んで仕返しをした」という内容の文書がドラフト会議前に各球団に出回ったとのこと。
その文書の真偽は不明ですが、ダイエーは前田智徳さんの素行を心配したのかもしれませんね。
広島カープ時代~2000本安打達成まで
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1989年のドラフト会議で広島に4位指名された前田智徳さんは、高卒ルーキーながら1990年に一軍出場、しかも、デビュー戦で4打数2安打1打点という華々しいデビューでした。
1991年は1番センターで開幕スタメンで出場し、開幕戦で初回先頭打者ホームランを放ちます。
その後も、レギュラーとして安定した成績を残しますが、1995年シーズンになると、アキレス腱の痛みに悩まされることになります。
そして、1995年5月に右アキレス腱を断裂し、このシーズンはそれ以降の出場はありませんでした。その後も、ケガと付き合いながらの出場になりました。
そして、2007年に2000本安打を達成します。
広島カープ時代~2000本安打達成後
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2000本安打を達成した後も、現役を続けた前田智徳さん。
2008年シーズンは開幕当初はスタメン出場していましたが、徐々にスタメンではなく代打での出場が増えていきます。
勝負強いバッティングで代打の切り札として出場を続け、2013年は一軍打撃コーチ補佐兼任としての登録になります。
しかし、4月23日にデッドボールを受け、手首を骨折。そのまま9月に引退を発表し、引退試合を最後に現役を引退しています。
前田智徳が「孤高の天才」と呼ばれる理由
前田智徳選手は、「孤高の天才」と呼ばれることが多かったです。個人タイトルを獲得していないのに、なぜ「孤高の天才」と呼ばれたのか?
その理由がわかるエピソードを紹介していきます。
落合博満やイチローが認めた天才
前田智徳さんは、あの落合博満さんやイチローさんが認めた天才でした。
落合博満さんは1999年に「今の日本球界に、俺は2人の天才打者がいると思っている。1人がオリックスのイチローで、もう1人が前田なんだ」とインタビューで答えています。
イチローさんも「あの人(前田)のバッティングにはかなわない」と語っていて、1994年のオールスターに出場した時には、一番最初に前田智徳さんのところに挨拶に行っているほどです。
その他の一流選手も、前田智徳さんのことを特別な存在・天才のように称していますし、「天才」と呼ばれることに異を唱える人はいませんでした。
広島でチームメイトだった緒方耕一さんは、前田智徳さんを次のように語っています。
「23年間、いろんな選手を見て、 それで言うと自分の中でナンバー1は前田智徳。それこそ武士みたいな表現をよくされるけど、まさにそのとおり。 独特の世界を持ってるし、あれは何か命かけた真剣勝負してますよ。野球じゃない何かに自分の命かけてる感じ」
ナンバー1と称され、さらに「野球じゃない何かに自分の命を懸けている」という表現がまさに前田智徳さんを表していると思います。
エラー後のホームランで涙
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野球をしていれば、どんな守備の名手でもエラーはするものです。あまりにエラーが多いと閉口したくなりますが、ある程度のエラーは仕方がないもの。
ただ、前田智徳さんにとっては違うようです。
1992年に前田智徳さんがエラーをして後逸したために、巨人の川相選手にランニングホームランを許したことがありました。
そのランニングホームランで広島は同点にされてしまうのですが、その後、前田智徳さんは2ランホームランを放ち、広島が勝利しました。
エラーを打ち消すホームランを放ったのにも関わらず、前田智徳さんはガッツポーズをした後に涙を流してダイヤモンドを一周し、さらに帰りのバスの中でも涙を流していたと言います。
前田智徳さんはこのことについて、次のように語っています。
「自分に悔しくて涙が出た。ミスを取り返さなければいけなかった次の打席で中飛。それに腹が立って泣いたんです。最後に本塁打を打ったところでミスは消えない。あの日、自分は負けたんです」
エラーをして決勝ホームランを打ったのに、「あの日、自分は負けたんです」と語れるのは、まさに孤高の天才ですよね。
求めるレベルが高くて奇行が目立つ
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前田智徳さんは天才だからこそ、自分のバッティングに対して求めるレベルが高く、周囲から見ると奇行とも思える言動がありました。
高校時代には黙々とティーバッティングを続け、思うようなバッティングができないと、スパイクで土を蹴り上げたり、バットを叩きつけて怒りだしたり、頭を抱えて悩んだりしていたそう。
いかに野球に対して真剣に向き合っていたかが分かるエピソードですが、そんな様子を見たら、周囲の人は「ちょっと変な人だな」と思ってしまいますよね。
打席に入る理由が凄い
スポーツジャーナリストとして有名な二宮清純さんからインタビューをされた時、「打席に入る目的は?」という質問に、「理想の打球を打ってみたい、ということかなぁ」と答えています。
このインタビューは1992年のことですから、プロ3年目での答えです。つまり、高卒3年目で21歳。21歳の若者の答えとは思えないですよね。ベテランの選手のような答えです。
アキレス腱断裂後のコメントが天才
前田智徳さんは、1995年に右足のアキレス腱を断裂した際、次のように語っています。
・「俺の野球人生は終わった」
・「前田智徳という打者はもう死にました」
こんなことを言えるのは天才だけです。
そして、こういうことを言っても、「何言ってんの?この人」と言われないだけの才能を持っていたということですよね。
前田智徳の引退試合動画を紹介
前田智徳さんは、2013年4月に手首にデッドボールを受けて骨折、それからリハビリをするものの、復帰することなく、現役引退を発表しました。
そして、2013年10月3日の中日ドラゴンズ戦が引退試合となりました。この引退試合の始球式は、前田智徳さんの長男がキャッチャー、次男がピッチャーを務めています。
最終打席はピッチャーゴロでしたが、その後9回に広島カープファンが待つライトの守備位置についています。
マツダスタジアムは2009年にオープンしましたが、2009年以降、前田智徳さんは守備についていないので、引退試合で初めてマツダスタジアムの守備についたことになります。
前田智徳の成績や年俸の推移
前田智徳の成績
出典:carp-v.com
打率 | 打点 | 本塁打 | OPS | |
1990年 | .256 | 5 | 0 | .598 |
1991年 | .271 | 25 | 14 | .688 |
1992年 | .308 | 89 | 19 | .858 |
1993年 | .317 | 70 | 27 | .945 |
1994年 | .321 | 66 | 20 | .885 |
1995年 | .256 | 11 | 4 | .809 |
1996年 | .313 | 65 | 19 | .885 |
1997年 | .304 | 68 | 15 | .835 |
1998年 | .335 | 80 | 24 | .938 |
1999年 | .301 | 65 | 12 | .781 |
2000年 | .237 | 44 | 13 | .722 |
2001年 | .296 | 7 | 0 | .737 |
2002年 | .308 | 59 | 20 | .845 |
2003年 | .290 | 71 | 21 | .826 |
2004年 | .312 | 70 | 21 | .895 |
2005年 | .319 | 87 | 32 | .923 |
2006年 | .314 | 75 | 23 | .882 |
2007年 | .285 | 71 | 15 | .762 |
2008年 | .270 | 29 | 4 | .680 |
2009年 | 一軍出場なし | |||
2010年 | .221 | 19 | 2 | .617 |
2011年 | .250 | 13 | 0 | .652 |
2012年 | .327 | 19 | 0 | .783 |
2013年 | .364 | 4 | 0 | .780 |
打率の安定感がヤバイですよね。個人タイトルは取っていませんが、これだけ安定した成績を残しているのを見たら、2000本安打を達成するのも納得です。
また、打撃ばかりが注目されますが、守備も上手い選手で、ゴールデングラブ賞を受賞しています。
・ゴールデングラブ賞:4回
また、広島県民栄誉賞も受賞しています。
前田智徳の年俸
出典:spaia.jp
前田智徳選手の年俸の推移を見ていきましょう。
・1991年:530万円
・1992年:1590万円
・1993年:4800万円
・1994年:8500万円
・1995年:1億3500万円
・1996年:1億3500万円
・1997年:1億6000万円
・1998年:1億6000万円
・1999年:1億9500万円
・2000年:2億1500万円
・2001年:1億9000万円
・2002年:1億7000万円
・2003年:1億7000万円
・2004年:1億7000万円
・2005年:1億5500万円
・2006年:1億8800万円
・2007年:2億1000万円
・2008年:1億7000万円
・2009年:1億2000万円
・2010年:7200万円
・2011年:7000万円
・2012年:5600万円
・2013年:5600万円
生涯獲得年俸は29億5600万円です。ここに入団時の契約金4000万円が加わりますので、プロ野球選手として稼いだのは、29億9600万円となります。
前田智徳が結婚した嫁・息子
前田智徳さんは、2001年にフリーアナウンサーの西岡英美さんと結婚しています。
アナウンサーと野球選手の結婚は、ある意味、定番ですよね。引退試合の時には球場に来ていましたが、さすがアナウンサー!おキレイですよね。
お子さんは3人います。
・次男:前田晃宏
・長女
長男と次男は、2013年の引退試合で始球式のバッテリーを務めています。長男は前田智徳さんにそっくりですね。
次男は「NOMOジャパン」に選ばれ、慶応高校に進学して野球を続けています。
前田智徳の現在
2013年に現役を引退した前田智徳さんは、現役引退後は野球解説者として活動しています。また、タレントとしてもテレビに出演していますね。
現役時代は命をすり減らして野球に打ち込んでいるような武骨なイメージでしたが、現役を引退した後は、スイーツ大好きおじさんになっています。
出典:akinomono.jp
出典:akinomono.jp
出典:twitter.com
現役時代のヒリヒリした印象は全くなくなり、面白スイーツおじさんになっているというギャップが凄いです。
現役時代のファンからすると、若干違和感はあるかもしれませんが、ほほえましいですよね。
まとめ
前田智徳さんのプロフィールや経歴、天才と呼ばれたエピソード、引退試合、成績や年俸の推移、結婚した嫁や息子の情報、現在の活動をまとめました。
・カープ一筋だった
・個人タイトルはないものの、2000本安打を達成
・引退試合で初めてマツダスタジアムで守備についた
・嫁はフリーアナウンサーで息子の1人は野球をしている
・現在は解説者でスイーツ大好きおじさんになっている
前田智徳さんは今後、カープ(もしくはそれ以外の球団)のユニフォームを着ることはあるのでしょうか?また、コーチや監督をすることはあるのでしょうか?
動向に注目していきたいですね。