人気コラムニストの勝谷誠彦さんですが、2018年11月に3ヶ月間の闘病生活の末に58歳の若さで死去しております。
この記事では、勝谷誠彦のの経歴や嫁と娘など家族情報に加えて、死因と言われているお酒エピソードに関してまとめてみました。
この記事の目次
勝谷誠彦のプロフィール
名前:勝谷誠彦(かつや まさひこ)
生年月日:1960年12月6日
出身地:兵庫県尼崎市
最終学歴:早稲田大学第一文学部卒業
勝谷誠彦、開業医を営む裕福な家庭に育つ
1960年12月6日に、兵庫県尼崎市に生まれた勝谷誠彦さんですが、実家は同市で開業医を営む「勝谷医院」でした。
勝谷さんの父親である勝谷積治さんは大阪医科大学を卒業後、1959年に31歳の若さで「勝谷医院」を開業するなど、かなり順調に一国一城の主となりました。
勝谷さんの母親に関しては、元バレリーナの経歴を持っていたうえ、米女優のオードリー・ヘップバーン似の美女だったらしく、父・積治さんにとっては自慢の妻だったとか。
勝谷さんの母親は、作家の三島由紀夫さんの大ファンでもあったそうで、その影響により勝谷さんは小学時代から三島さんの著作を読むような文学少年に育っています。
ちなみに、勝谷さんには幼少期に亡くなった兄もいたそうで、一見幸せそうに見える勝谷家でしたが、不幸な歴史もあったようですね。
勝谷誠彦の経歴~名門・灘中高から医学部受験に失敗した過去も
勝谷誠彦、医学部進学を諦め早稲田大学へ進学
少年時代の勝谷誠彦さんはかなりの神童だったようで、中学受験を経て名門・私立灘中学校に進学しております。
内部進学した灘高校時代には、生徒会長を務めるほど目立った生徒だった勝谷さんでしたが、勉強の方は英語や数学が苦手となってしまい、学内でも落ちこぼれの部類だったとか。
そんな状況下でも「勝谷医院」の跡取り息子として、両親から医学部進学が求められていた勝谷さんは、神戸大学医学部や日本医科大学などを受験したもののすべて不合格となってしまいました。
とはいえ、灘高校の落ちこぼれでも世間では秀才の部類ではあった勝谷さんは、1浪後には慶応大学法学部や早稲田大学第一文学部などに合格し、早稲田大学に進学しています。
勝谷誠彦、実家の「勝谷医院」は弟の勝谷友宏さんが跡を継いでいた
勝谷誠彦さんが医学部進学を断念したため、実家の「勝谷医院」は、和歌山県立医科大学に進学をした弟・勝谷友宏さんが継ぐことになりました。
友宏さんは、和歌山県立医科大学を卒業後は大阪大学医学部の大学院に進学をし、研究者の道を志しております。
現在では「大阪大学大学院 医学系研究科 臨床遺伝子治療学 特任准教授」の肩書も持っている友宏さんは、2009年頃に「勝谷医院」の院長に就任しました。
勝谷誠彦、早稲田大学在学に編集プロダクションを起業
早稲田大学進学後の勝谷誠彦さんですが、親から仕送りを止められてしまい、家賃の支払いにも苦労とするという金欠生活が待っていました。
勝谷さんが仕送りを止められた理由に関しては、両親としては医学部が無理ならせめて東京大学に進学して欲しいという気持ちがあったにも関わらず、勝谷さんが無断で早稲田大学に進学してしまったことが原因でした。
何とか生活費を捻出しようと、色々なアルバイトに挑戦することとなった勝谷さんでしたが、しばらくの間はまともな食事をとることが出来ずに、一時期は体重が48kgになるほど激やせしてしまっております。
そんな勝谷さんを経済苦から救うこととなったのが、大学在学中に三尋狂人名義で始めた風俗ライターの仕事となります。
筆が早かった勝谷さんは、風俗ルポ関連の仕事を大量にこなすことが出来た結果、大企業の管理職並の月給を稼ぐことが出来たそうですね。
勢いに乗り、学生の身でありながら編集プロダクション「ブレーメン・ファイブ」を設立した勝谷さんは、リクルートや女性誌などから記事執筆の依頼が来るほどの評判を集めました。
「ブレーメン・ファイブ」は、最盛期には数人の学生ライターを雇うほどの成功を収めていたと言われております。
勝谷誠彦、早稲田大学卒業後に文藝春秋に就職
早稲田大学を卒業後の勝谷誠彦さんですが、電通に就職したもののすぐに退職し、文藝春秋に再就職しております。
学生起業家として成功を収めていた勝谷さんが一般就職の道を選んだ理由については、とある企業スキャンダルを掴んだ際に脅しを受け、「ブレーメン・ファイブ」での活動の限界を感じたためでした。
そこでひとつ大きな企業のスキャンダルをつかんでゲラの状態までいってたのを、その出版社が売りやがったんだよね、広告と引き換えに。こっちは子どもだったから、大人の世界ってえげつないなーと思った。
そしたらもう、家のドアに靴跡がべったりついてたり、郵便受けに汚いものが入れられてたり、脅しみたいなことがあって……やばい、これは殺されるって、一度だけ売り込みに行ったことのある文藝春秋に駆け込んだの。そしたらかくまってくれて、そのスキャンダルも記事になった。文春すげーなって思いましたね。
引用:なぜ戦う、なぜ生きる
ちなみに、「ブレーメン・ファイブ」解散のための残務整理は、勝谷さんが文藝春秋に入社した後まで続いたそうですね。
勝谷誠彦、「マルコポーロ事件」で文藝春秋を退社しコラムニストの道へ
文藝春秋に入社後の勝谷誠彦さんは、「週刊文春」や「文藝春秋」といった看板雑誌に記者として携わっております。
「週刊文春」に配属されていた時代の勝谷さんは、「女子高校生コンクリート詰め殺人事件」も担当しており、編集長だった花田紀凱さんの許可を取り、加害少年たちの実名報道に踏み切った社会派記者でもありました。
記者として順調にキャリアを積んでいた勝谷さんでしたが、ビジュアル誌「マルコポーロ」に移動した1995年2月に「マルコポーロ事件」が起こったことが、人生を変えるきっかけとなってしまいました。
マルコポーロ事件とは、1995年2月に日本の文藝春秋が発行していた雑誌『マルコポーロ』が、内科医西岡昌紀が寄稿したホロコーストを否定する内容の記事を掲載したことに対して、アメリカのユダヤ人団体サイモン・ウィーゼンタール・センターなどからの抗議を受けて同誌を自主廃刊したこと、及び当時の社長や編集長が辞任解任された事態を指す。
引用:マルコポーロ事件
「マルコポーロ」の編集長を務めていた花田紀凱さんが、騒動の責任を取り退職に追い込まれたことに反発をした勝谷さんは、自身も文藝春秋に辞表を提出しました。
「あれで花田さんが辞めて、僕は辞める必要なかったんだけど、あの人をクビにするような、追い込んで辞めさすような会社はクズだと思ったから自分も喜んで退職しましたよ。
引用:なぜ戦う、なぜ生きる
文藝春秋退社後は、コラムニストの肩書でタレント活動もするようになった勝谷さんは、「たかじんのそこまで言って委員会」や「ビートたけしのTVタックル」といった政治討論番組などでお馴染みのコメンテーターとなりました。
2017年には、兵庫県知事選に立候補したものの落選をするなど、晩年はやや不遇だった感もある勝谷さんでしたが、太く短い人生を生きた人物だったと言えます。
勝谷誠彦の家族情報~離婚した元嫁・森谷明子との間に子供もいた
勝谷誠彦、作家・森谷明子と結婚し子供も誕生していた
実家話は良く口にしていたものの、自身の家庭の話には長年口を閉ざしてきた勝谷誠彦さんでしたが、2007年より開始していた有料メールマガジン「勝谷誠彦の××な日々。」にて、自身の結婚歴を語ったこともありました。
それによると、勝谷さんは早稲田大学第一文学部の同級生だった、ミステリー作家の森谷明子さんと結婚をしていた時期があり、子供も生まれていたとか。
森谷明子さんの作品リスト
2人が結婚をしたのは、勝谷さんが文藝春秋に勤めていた記者時代であり、結婚後も仕事第一だった勝谷さんが張り込みに出かけたきり帰宅しない日々が続いたことが、離婚の原因となってしまったと言われております。
森谷さんが作家としてデビューをしたのは、2003年に「第13回鮎川哲也賞」を受賞したことがきっかけだったため、離婚後の森谷さんは司書として働きながら子供たちを育てていたようですね。
勝谷誠彦、子供(長女)は京都大学卒業の才女だった
勝谷誠彦さんの子供に関しては、「勝谷誠彦の××な日々。」にて長女の話題に触れた際の「上の娘」という表現を踏まえる限り、森谷明子さんとの間に2人以上の子供が生まれていることは確実なようです。
勝谷さんの長女は香子さんという女性のようで、京都大学に進学するほどの才女に育っています。
勝谷さんが「勝谷誠彦の××な日々。」にて、突然家族話をし始めた理由については、自慢の長女の話を読者に聞いて欲しかったからという可能性が高いと言えますね。
勝谷誠彦に内縁の妻が発覚~2017年に甲賀瑞穂と事実婚していた
勝谷誠彦、2017年7月にタレント・甲賀瑞穂との事実婚が発覚
勝谷誠彦さんは2017年7月5日と、タレントの甲賀瑞穂さんと事実婚状態であったことが明らかとなっています。
甲賀さんは、若かりし頃はファッション雑誌「ViVi」の専属モデルだった他、2001年に情報バラエティ番組「トゥナイト2」のコーナーに勝谷さんのアシスタントとして出演していた過去もあります。
もっとも、出演半年で妊娠が発覚した甲賀さんは、すぐに「トゥナイト2」を降板してしまいましたが、勝谷さんとはその頃から友人関係にあったと言われております。
そんな甲賀さんと勝谷さんの事実婚が発覚した理由は、週刊誌などのスクープではなく、甲賀さんが自身のブログにて読者に向けてカミングアウトしたことがきっかけでした。
2014年から夫と別居中だった甲賀さんの離婚が2017年1月に成立したことに加えて、2017年7月2日に勝谷さんが出馬していた兵庫県知事選が終了したことが、2人の間で事実婚をカミングアウトするケジメのタイミングとなったようですね。
隠してはないけどわざわざ自ら言わなくても良いと思っていたのですが何かの時に発覚してから言い訳みたいにしたくないので公表させて頂きますね私、甲賀瑞穂はコラムニストでもある勝谷誠彦氏とパートナー関係にあります
引用:私のパートナーです
ちなみに、甲賀さんは前夫との間に2人の子供がいたため、子供たちが成人するまでの間、勝谷さんとは同居をしない方針でもありました。
甲賀さんの2人の息子に関しては、2018年時点で長男が高校2年生、次男が中学3年生という年齢だったため、勝谷さんと甲賀さんの同居生活は、実現するにしてもかなり先の話だったということになります。
勝谷誠彦が2018年11月に病気で死去~死因はアルコールによる肝不全
勝谷誠彦、2018年11月28日に57歳の若さで死去
勝谷誠彦さんは、2018年11月28日に57歳の若さで肝不全のため病死しております。
テレビ番組のコメンテーターなどで活動したコラムニストの勝谷誠彦(かつや・まさひこ)さんが28日、肝不全のため死去した。57歳だった。通夜は28日午後7時、葬儀は29日午後1時から兵庫県尼崎市西長洲町3の7の7の阪神平安祭典会館1階式場で。喪主は弟友宏さん。
元々勝谷さんは、2018年8月頃に右脇腹に激痛が走り、病院で診断を受けた結果「劇症肝炎」であることが発覚し、集中治療室へ即日入院の憂き目となっていました。
勝谷さんは8月21日に自身のメールマガジンで、「まえ屈みだと、右脇腹に激痛が走る」などと明かし、緊急入院。翌日には公式サイトでスタッフが、勝谷さんが集中治療室に入っていることを明かしたほか、その後の一部報道では勝谷さんが劇症肝炎を患っているとの報道があった。
いわゆる、肝不全症状に見舞われる劇症肝炎。わが国の患者数は年間約400人と推定され、これは急性肝炎患者の約1%にすぎない稀少例だ。1カ月後の生存率は50%の重症。
緊急入院後は容態が持ち直し、2018年10月1日から「勝谷誠彦の××な日々。」の配信を再開していた勝谷さんは、同月の10日には病院から退院するなど、一時期は病も回復傾向にありました。
しかしながら、同年の10月下旬になると勝谷さんの体調は再度悪化してしまい、以降は回復に向かうこともなかったようですね。
ただ、10月31日には公式ブログに、「勝谷の体調悪化にともない、11月からは新体制のもと、新しい内容にてメールをお送りします」と、メルマガの内容が変更されるとのメッセージが掲載され、その4週間後となる11月28日に、勝谷さんは帰らぬ人となった。
勝谷誠彦は重度のアルコール依存症だった
内縁の妻を残して、57歳の若さでこの世から去ってしまった勝谷誠彦さんですが、「劇症肝炎」を患ってしまったそもそもの原因はアルコールとなります。
15歳の頃からお酒を飲み始めたという勝谷さんは、休肝日を作ることもなく、毎日お酒を飲み続けるタイプの酒豪でした。
そのため、文藝春秋の記者時代に既にアルコール中毒状態になっていた勝谷さんは、1990年代中盤頃には、お酒を飲むと幻覚が見えるという症状が出ていた時期もあったそうですね。
勝谷:いや、会社には夕方にしか行かないから。で、朝にまず飲んで、もう一回寝ていると、バスの「ピンポン、ピンポン」っていう音が聞こえてくるんですよ。それから、突然お巡りさんが自分を逮捕しにくるっていう幻覚も見えてくる。
中川:それって左翼が「公安がオレを見張ってる」って言い始めるみたいなことですか?
勝谷:そういうのと同じなんだけど、僕の場合は殺人罪で(警察が逮捕をしに)くるんだよなあ。これは最悪でしたね。ただ、アルコールの量からいうと、そこまで飲んでいたわけでもなかったので、いろんな精神的な状況のせいだと思うねえ。
2015年頃にうつ病を発症していたこともある勝谷さんですが、今から考えるとアルコールが起因だった可能性が高く、その時点で禁酒などの措置を取っていれば、また運命も変わっていたのかもしませんね。
勝谷誠彦について総まとめすると…
・勝谷誠彦には子供は2人以上いると推測され、長女は京都大学卒の才女である。
・勝谷誠彦は2017年7月、タレントの甲賀瑞穂と事実婚状態にあることが発覚した。
・勝谷誠彦は2018年11月28日、57歳の若さで死去。死因はアルコールが原因の肝不全だった。
2018年11月に57歳の若さで亡くなってしまった勝谷誠彦さんですが、甲賀瑞穂さんとは最後まで恋人関係が続いていたようですね。
甲賀さんは立派な息子が2人いる身の上ですので、勝谷さんも自分が死んだ後のことを心配をする必要もなかったのでしょうが、正式な結婚を果たせなかった心残りなどはあったものと思われます。
勝谷さんのご冥福を祈りながら、この記事のまとめを終了させて頂きます。