俳優の平幹二朗さんが、2016年10月に自宅の浴槽にて亡くなっているのが発見されました。82歳というご高齢ながらも、舞台にドラマと精力的に活動されていた平幹二朗さんの急逝には惜しむ声が多く聞かれています。
この記事では、平幹二朗さんの死因とかつて夫婦だった佐久間良子さんとの離婚原因、二人の間に生まれた双子の子供たち(息子・娘)についてまとめています。
平幹二朗さんのプロフィール
名前:平幹二朗(ひら・みきじろう)
出身地:広島県広島市中区
生年月日:1933年11月21日
没年月日:2016年10月23日(満82歳没)
身長:180cm
血液型:B型
所属:ケイファクトリー
平幹二朗さんは、日本を代表する俳優の一人です。
俳優座の養成所に応募したことをきっかけに舞台に立つようになり、1960年代後半には「ハムレット」「狂気と天才」などに主演し、一躍日本を代表する舞台俳優として知られるようになりました。平幹二朗さんは2016年5月に亡くなった蜷川幸雄さんの葬儀で弔辞を読んでいますが、蜷川作品にも多く出演しています。
また舞台だけではなく、テレビ・映画俳優としての活動も著名で、NHK大河ドラマにも多数出演し、『樅ノ木は残った』(1970年)、「国盗り物語」(1973年)では主演も務めました。
平幹二朗さんは、舞台・テレビ・映画など晩年に至るまで数多くの作品に出演してきた日本が誇る名優の一人で、1998年に紫綬褒章、2005年に旭日小綬章を受章しています。
遺作は月9「カインとアベル」。
番組公式サイトや放映中テロップにて、追悼メッセージが掲載されました。
平幹二朗さんの死因について
平幹二朗さん急死!死因はヒートショック?
平幹二朗さんは、2016年10月23日に自宅の浴槽で倒れていたところを訪れた息子・平岳大さんに発見されています。
岳大は、22日から平さんと連絡が取れなかったため翌23日夜に自宅を訪れ、「浴槽で穏やかに眠っている父を見つけました」と明かした。自ら119番通報し、警視庁北沢署員が駆け付けたが心肺停止状態だった。死因は不明。一人暮らしで、事件性はないとみられている。20年前に肺がんの手術を受けているものの、所属事務所は「持病はなく健康だった」と話した。
平幹二朗さんは、所属事務所のコメントにもある通りに、以前から持病はなく健康な状態で10月9日までは舞台「クレシダ」で主演を行うなど精力的に俳優活動をされていました。
また近所の住人たちからも、健康的に生活する様子をたびたび見かけられていたといいます。
自宅で一人暮らしをしていた平さんは近隣の住民にも頻繁に目撃されていたという。70代男性は「近所のスーパーで平さんを見たことがありますよ。果物や野菜を買っているようで、健康に気を使われていたのかな、と。私が見た時は元気そうな姿で、まさか急死するなんて…」と絶句。別の女性住民は「最寄りの駅まで歩いている姿を何度か見かけたことがあります。散歩をしているようで、歩くことが好きな方なのかなと。もしかして仕事場にも、電車で通われているのかなと思ってました」と明かした。
平幹二朗さんの死因は判明していませんが、以前からの健康な状態および、亡くなっていた状況(浴槽で亡くなっていた)などから、ヒートショックによる関連死ではないかと一部報道にあります。
平幹二朗さんの死因は明らかになっていないが、急激な温度変化によって血圧が大きく変動し、体に悪影響をもたらす「ヒートショック」によるものだった可能性がある。
高齢者に多い家庭内事故死の原因・ヒートショックとは?
ヒートショックとは、寒暖の差によって体の血圧が大きく変動し、それによって引き起こされる悪影響を言います。
「ヒートショック」とは、温度の急激な変化で血圧が上下に大きく変動することなどが原因となり起こる健康被害のこと。失神や心筋梗塞、不整脈、脳梗塞を起こすことがある。入浴時に急激な血圧低下により失神し、溺れて死亡するケースは、入浴時のヒートショックの典型的な例
冬場に多い家庭浴槽での死亡者数。
部屋と浴室の寒暖の差が大きいときに、起きやすい傾向にあります。10月も寒くなり始める季節ですので、油断はできません。
近年増加傾向にある溺死者数。
家庭の浴槽内での死因で、溺死以外を含めればその数は1万9千人ほどにものぼると言われます。
(なお2011年の交通事故死数を参考にすると4611名となり、その倍以上の数の死者数を出していることに)
その多くが65歳以上の高齢者。
健康な人でも起こりうるヒートショック。ただ、「自分は大丈夫」と、しっかりと対策をとって入浴している人は少ないと言われています。
一説には、65歳以上の家庭内死亡事故では、その約3割程度がこの浴室での死亡によるものとも。
ダントツに多い日本の浴室死者数。
その訳は日本独自のお風呂の入り方(熱いお湯に肩まで浸かる・長湯等)が関連しているとみられています。
安全にお風呂に入るためには、以下のようなことを守ることが大切です。
安全に入浴するために、以下の点に注意しましょう。
(1)入浴前に脱衣所や浴室を暖めましょう。
(2)湯温は41 度以下、湯に漬かる時間は 10 分までを目安にしましょう。
(3)浴槽から急に立ち上がらないようにしましょう。
(4)アルコールが抜けるまで、また、食後すぐの入浴は控えましょう。
(5)入浴する前に同居者に一声掛けて、見回ってもらいましょう。
平幹二朗さんと佐久間良子さんの離婚原因について
元妻・佐久間良子さんのプロフィール
名前:佐久間良子(さくまよしこ)
出身地:東京都練馬区
生年月日:1939年2月24日
身長:158cm
デビュー:1958年
経歴:練馬区桜台にある良家の子女で箱入り娘だった佐久間良子さんは、親族の反対を押し切り芸能界入り。1960年代には東映の看板にもなった往年の美人女優です。
既婚者だった先輩俳優・鶴田浩二さんとの独身時代の不倫を暴露したこともあります。女優・佐久間良子、大俳優との“不倫”告白!止まらぬ“灼熱の恋”
2013年頃の佐久間良子さん。
綺麗なおばあさんですね。
14年間の結婚生活、そして離婚へ
平幹二朗さんは、1970年4月にテレビ共演がきっかけで交際していた女優・佐久間良子さんと結婚。1974年7月27日には男女の双子が生まれています。
離婚会見。
1984年に離婚。二人は離婚会見を開き、その原因を語っています。
離婚会見で、平さんは「原因は、彼女も仕事を大事にする人で生活のずれがあったこと。それが14年間積み重なってしまった」と説明。佐久間も「不器用な女なので、母と女優と妻の3役を全うできなかった」と話し、きれいにまとめようと努めた。
二人の関係は以前から冷め切っており円満だったのは最初の4年ほどで、その後10年ほどの仮面夫婦時代があったそうです。
また双方の”男性問題”も当時の週刊誌で報じられています。
以前から平さんは街中で堂々と男の人と手をつないで歩くなど、“男のウワサ”が絶えなかった。佐久間さんも番組プロデューサーの男性との“親密交際”が報じられていた。
離婚会見では、男性問題に対する芸能リポーターから質問を受けたと言いますが、かわしています。
平さんにはズバッと「男性問題が原因では?」の問いもぶつけられたが、余裕の笑みを浮かべながら「僕がお答えするより、彼女に…」と水を向け、佐久間が「そんなことは全くありません」と否定してみせる一幕もあった。のちに最後の夫婦共同作業と言われたものだ。それでも平さんが求めた握手を佐久間が拒否する場面もあって、芸能史に残る愛憎渦巻く離婚会見となった。
後々語られた離婚の真実とは
1984年時は”愛憎渦巻く離婚会見”などと言われていますが、のちに元夫婦が結婚・離婚について語ったことがありました。
若い頃の二人。
平幹二朗さんからは、離婚について自身が結婚不適合者だったと語りながら、後悔はなかったとも言います。
離婚の後悔がないか聞いたことがあった。「昔の僕はセリフを覚え始めると他が一切見えず、ホテルに泊まり込む。たまに家に戻って『奥さん久しぶり』と。家庭を持つのにふさわしくない人間でした」といい、「でも子供が2人。結婚しといて本当に良かったなと思いますよ」。
佐久間良子さんは2012年に日本経済新聞の「私の履歴書」というコラムに登場し、平幹二朗さんとの離婚問題について触れています。
〈夫婦となるとこちらが見たくないものまで見えてしまう。相手を十分に見極める時間が少なかったせいもあるだろう。「結婚してから初めて分かった」ということも少なくはなかった〉(2月19日付)
〈平さんとの意識のズレは、子どもができてから一気に広がっていったような気がする〉(2月20日付)
〈夫婦の会話は途絶え、すれ違いの生活が続いていた〉(2月21日付)
離婚当時話題になった互いの男性問題には触れられずに、夫婦生活の問題点を語っています。男性問題よりも夫婦関係の破綻が先にあったのかもしれませんね。
また佐久間良子さんは、2016年10月の元夫の訃報を受けコメントを発表しています。
「遠くから静かに、ご冥福をお祈りします」
平幹二朗さんと佐久間良子さんの間に子供は二人!(双子の息子・娘)
平幹二朗さんと佐久間良子さんには、1974年7月27日に二卵性双生児が生まれています。息子と娘で、両親の離婚後はともに佐久間良子さん側に引き取られました。
息子・平岳大
名前:平岳大(ひらたけひろ)
出身地:東京都
生年月日:1974年7月27日
身長:183cm
出身校:暁星高等学校
出身大学:ブラウン大学理学部応用数学科
最終学歴:コロンビア大学大学院修士課程中退
デビュー:2002年
所属事務所:シス・カンパニー
経歴:平岳大さんは、コロンビア大学院中退後に会社員時代(投資顧問会社・ソフトバンク系列会社等)を経て、27歳時に俳優デビューしました。
2003年のデビュー作は両親との親子共演も。
デビューとなった舞台「鹿鳴館」では、父親・母親と共演しています。以降は、父親の後を継ぐように多くのテレビ・映画・舞台などに出演する実力派俳優です。
また元夫婦は、舞台共演後に再び交流をすることもなく、この時だけ息子のために手をとった形だったようです。
なお平岳大さんは2016年7月に結婚を発表し、12月に予定されていた挙式では元夫婦が再会する場面になるのではとみられていました。
平岳大さんは、俳優となった際に父親にその思いを打ち解け、それに応える形で平幹二朗さんもその指導に熱心に当たったと言います。
「佐久間さんに育てて頂いた岳大を、今度は僕がいい役者に育てる。それが2人の間の約束」
父親の死に対して、平岳大さんはコメントを発表。
父が俳優として恵まれた人生を送れたのも、偏に皆様との出会いによるものだと感謝致しております。
子供の頃、長い間、父と会わないで居る時間がありました。私が俳優になってからは、その失われた時間を取り戻すように、先輩として、演技の師として、そして父として濃密な時間を過ごすことができました。
過去には親子対談をしており、離婚前の親子エピソードが語られています。
平幹二郎×平岳大 父から息子へ、久しぶりのレター 交錯する思い、継承される情熱
娘・朋子さん
娘・朋子さん
生年月日:1974年7月27日
母親・佐久間良子さんと双子の兄妹。
二人とも父親似ですね。
平岳大さんの双子の妹である朋子さんは、芸能界とは無縁の生活をされています。お兄さんと同じように高校卒業後に渡米し、その後は現地で就職・知り合った方(日本人という噂も)と結婚し子供もいるそうです。
一般の方なのであまり情報は出てきませんでしたが、超エリートだった平岳大さんの経歴を見ていると、妹さんもただ者ではないのだろうなという気がしますね。
まとめ
平幹二朗さんは、2016年10月に満82歳でお亡くなりになりました。演劇界の巨星の急逝には多くの方からお悔やみの声が聞かれました。
ご冥福をお祈りします。