福岡県田川市の1歳児・常慶唯雅ちゃん虐待死事件で保護責任者遺棄致死罪で逮捕起訴されている常慶藍が注目されています。
この記事では常慶藍の生い立ち、親などの家族、出身高校や学歴、知的障害と精神年齢、旦那の常慶雅則との結婚経緯、5人の子供と虐待の動機、現在などについてまとめました。
この記事の目次
常慶藍は福岡県田川市の1歳児虐待死事件の犯人
出典:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/
常慶藍(じょうけい・あい、逮捕当時24歳)は、2018年12月1日に、自らの子供である福岡県田川市の当時1歳の常慶唯雅ちゃんを肺炎による急性呼吸不全で死亡させたとして、保護責任者遺棄致死罪で逮捕起訴された女です。2022年3月11日に福岡地裁で懲役8年の有罪判決が下されています。
この記事ではこの常慶藍について現在までに判明している内容をまとめていきます。
常慶藍が逮捕起訴された福岡県田川市1歳児虐待死事件の概要
まず最初に、常慶藍が犯人として逮捕起訴された福岡県田川市の1歳児虐待死事件について簡単にですが概要を確認しておきます。
事件が発覚するきっかけは、2018年12月1日に福岡県田川市に住む当時1歳4ヶ月の男児・常慶唯雅(じょうけい・ゆいが)ちゃんが自宅で重度の低栄養状態が原因となった肺感染症による急性呼吸不全で死亡した状態で発見された事でした。
常慶唯雅ちゃんの遺体にはエアガンで撃たれたものと見られる複数のアザが残されており、当時4歳の長男(常慶唯雅ちゃんの兄)が「パパが撃った」と証言した事から福岡県警が捜査を開始しました。
その後、2019年11月7日に常慶唯雅ちゃんの父親の常慶雅則(自称建設業、逮捕当時24歳)と母親の常慶藍が傷害の容疑で福岡県警察に逮捕されています。
当時1歳の三男にライフル型のエアガンを連射してけがをさせたとして、福岡県警は6日、傷害の疑いで、同県田川市伊加利、自営業常慶雅則容疑者(24)と妻藍容疑者(24)を逮捕した。
その後、2019年12月19日に、福岡地検は常慶藍と常慶雅則を保護責任者遺棄致死の罪で起訴、父親の常慶雅則に関しては傷害罪でも起訴されています。
起訴状やその後の裁判記録などによると、常慶藍と常慶雅則は共謀して自分達の子供の常慶唯雅ちゃんに虐待を加えていたようです。
2018年10月の下旬には、常慶唯雅ちゃんは、両親の虐待によって重度の低栄養状態に陥り、同年11月上旬には両腕5カ所、両足4カ所、胸部1カ所の合計10カ所を骨折し、同年11月下旬には肺感染症を起こしました。またその後の常慶藍の裁判での判決文から、常慶唯雅ちゃんの骨折箇所は31カ所にのぼったという事も判明しています。
それにもかかわらず、常慶藍と常慶雅則は医師の診察を受けさせず、さらに同年11月30日までの2週間に合計で約50時間51分もの間、常慶唯雅ちゃんを自宅に置き去りにし、12月1日に肺感染症による急性呼吸不全で死なせたという事でした。
常慶唯雅ちゃんの死亡時の体重は、1歳児の平均の10kgを大きく下回る約6kgしかなかったとの内容も報じられています。
以上が常慶藍らが逮捕起訴された福岡県田川市の1歳児虐待死事件の概要です。
常慶藍の生い立ち
出典:https://cdn-ak.f.st-hatena.com/
続けて、常慶藍の生い立ちについて現在までに判明している内容をまとめていきます。
「週刊女性」2019年12月3日号によると、常慶藍の生い立ちは小さい頃に両親が離婚し、父親に引き取られたものの、父親の仕事が忙しく父方の祖父母と曾祖母に育てられたようです。
藍容疑者の生い立ちをたどると、雅則容疑者同様に、小さいころに父親と母親が離婚。
父親は仕事で忙しかったため、祖父母と曾祖母に育てられたそう。
また、「週刊文春」の2019年11月21日号にも常慶藍の生い立ちに関する内容が掲載されています。
それによると、常慶藍は田川市に隣接する村の出身で、小学生の頃は兄と弟と一緒に少年野球チームに入り、中学校ではバレーボール部でキャプテンを務めるなど活発な少女だったという事です。
常慶藍の出身の村についてですが、田川市の東に位置する「赤村」という地域ではないかと見られていますが、確定情報ではありません。
常慶藍の中学卒業後については後の見出しで改めて紹介します。
常慶藍の親などの家族
生い立ちのところでも触れていますが、常慶藍の家族としては両親が子供の頃に離婚している事、両親の離婚後は父親に引き取られて、父方の祖父母に育てられた事、兄と弟がいる事、などが明らかになっています。
また、常慶藍の家族の情報としては、曾祖母が認知症を患っていて子供時代の常慶藍はその曽祖母の世話もしていたという同級生からの証言が「週刊女性」2019年11月21日号に掲載されています。
「曾祖母が認知症で、その世話もやっとった。そんな環境で育ってきたから、彼女は中学校を出たあと介護士になったとです。そういう、ホントに優しい子だから」(同級生)
その他、「週刊文春」2019年11月21日号の記事では、常慶藍の父親が取材に応じていますが、この父親自身に関する情報は書かれておらず不明です。この週刊文春の記事では、常慶藍の父親が、常慶藍と旦那の常慶雅則が結婚の前に自宅近くの団地で同棲をしていた事や、常慶雅則の父親と3人で結婚を許してもらいに訪れて、結婚を許可した時の事などを話しています。
常慶藍と旦那の常慶雅則の出会いから結婚までの経緯についてはこの後改めて紹介します。
また、常慶藍の父親は、常慶藍が逮捕された事を受けて、残された幼い子供達(常慶藍の父親にとっては孫達)を預かりたい気持ちがあるという事でしたが、児童相談所からは何の連絡がないという事で、「孫を誘拐されたみたいな気分」とも話しています。
現在、常慶藍と常慶雅則は裁判を受けていますが、残された3人の幼い子供達はこの常慶藍の父親に引き取られている可能性なども考えられます。常慶藍の子供らについては後の見出しで紹介しています。
常慶藍は高校へは進学せずに職業訓練所に通ってホームヘルパー2級を取得して介護士に
「女性自身」2019年12月3日号や「週刊文春」2019年11月21日号の記事によると、常慶藍は中学を卒業後、高校へは進学せずに職業訓練所に通ってホームヘルパー2級の資格を取得し、それから、老人ホームに勤めて介護士として働いていた時期があったようです。
「曾祖母が認知症で、その世話もやっとった。そんな環境で育ってきたから、彼女は中学校を出たあと介護士になったとです。そういう、ホントに優しい子だから」(同級生)
「週刊文春」2019年11月21日号の記事はオンラインでは無料公開されていないので前後の文脈の引用は控えますが、「老人ホームで介護職員として働いていた時期があった」と書かれています。
常慶藍には知的障害があり精神年齢が12歳である事を弁護側が裁判で主張
週刊誌などで明かされた常慶藍の生い立ちでは、知的障害があったといった内容はありませんでしたが、虐待死事件の裁判では常慶藍には知的障害があり精神年齢は12歳程度であるため、育児スキルが十分ではなく、子供を死に至らしめたのは故意ではなかったといった主張をしています。
弁護側の主張: 藍被告には知的障害があり、育児スキルが十分ではなかった。精神年齢が12歳の母親です。故意があったとは認められない
常慶藍に軽度の知的障害があった事や精神年齢が12歳だったというのは、弁護側によれば医師の鑑定結果に基づくという事で、これ自体は事実のようです。
常慶藍の弁護側は、この知的障害や精神年齢を理由に無罪を主張しました。しかし、常慶藍には死亡した常慶唯雅ちゃんの他にも子供がおり、この子らが体調不良になった時には医師の診断を受けさせるなどしていた事から、福岡地裁の裁判長は、知的障害があったにしても常慶唯雅ちゃんの異常を認識できていたはずだとして無罪の主張を退けています。
常慶藍と旦那・常慶雅則の結婚は19歳の時でデキ婚
常慶藍と旦那の常慶雅則の結婚の経緯についてもわかっている内容を見ていきます。
「週刊文春」2019年11月21日号では、常慶藍の父親や友人などの証言内容も掲載されています。それによると、常慶藍と旦那の常慶雅則は、18歳の時に福岡県田川市内の自動車教習所で出会ったようです。
常慶藍の父親によると、その後、常慶藍と常慶雅則はすぐに自宅近くの団地で同棲を始めたのだそうです。そして、同棲を始めて間もなく常慶藍が1人目の子供を妊娠。
そして、常慶藍の父親の元に、常慶藍と常慶雅則、常慶雅則の父親が訪れ、子供ができたから結婚を許して欲しいと頼みに来たという事です。
常慶藍の父親は、常慶雅則の父親が土木関係の会社を経営していたという事から、その会社で常慶雅則が働くという事を条件に結婚を許可したようです。
そして、常慶藍と常慶雅則は、常慶雅則の父親が住む県営団地で同居する形で結婚生活をスタートさせたという事でした。
常慶藍と旦那・常慶雅則のこうした結婚までの経緯については「女性自身」2019年12月3日号に、常慶藍の友人の証言として同様の内容が書かれているので概ね間違いないと思われます。
そのころ自動車学校で出会ったのが、介護士をしていた藍容疑者だった。やがて2人は隣町で同棲を始めるが、すぐに長男が生まれた。
「デキ婚だったので、2人は雅則容疑者の父親が住む団地に転がり込み、雅則容疑者は大学を中退。お父さんの仕事を一緒にするようになったとよ」(先の藍容疑者の友人)
常慶藍の旦那・常慶雅則の生い立ち
常慶藍の旦那の常慶雅則の生い立ちについてもわかっている内容をまとめていきます。
常慶藍の旦那の常慶雅則の生い立ちについても、「週刊文春」や「女性自身」でいくつかの情報が明かされています。
「週刊文春」2019年11月21日号によると、常慶雅則は福岡県田川市内で小学校から高校まで通っていたという事です。両親は幼い頃に離婚しており、こちらも常慶藍と同じように父親側に引き取られて県営団地で2人で暮らしていたようです。また、子供時代には少年野球チームに所属していたという事で、この点も常慶藍の生い立ちとの類似点があります。
その他、高校生くらいになると駐車場でバイクをよくいじっていたとの情報も明かされています。
地元・田川市内で小学校から高校までを過ごした雅則は、幼い頃に両親が離婚。土木業を営む父親と2人で、事件現場となった県営団地に暮らしていた。
「小さい頃は少年野球チームに入っていた。高校生くらいになると団地の駐車場で、よくバイクをいじっていました」(近隣住民)
また、「女性自身」2019年12月3日号によれば、常慶雅則の父親は役所からの土木関係の仕事を個人で請け負っていたそうです。しかし、20年前に両親が離婚したという事で、常慶雅則が小学校に上がる前に母親が姉を連れて出て行っているという事です。
高校時代は何かで停学になったという事で、住んでいた団地の住人からはあまり素行の良い人物ではないと見られていたようです。
「父親は市役所の土木関係の仕事を個人で請け負っとった。でも、20年前に両親が離婚。母親は雅則の姉を連れて出ていきよったと。雅則は高校のときだったか、何かをやらかして停学になったと聞いとるけど、決してまじめな青年じゃなかった」(団地の住人)
常慶雅則は高校を卒業後に地元の私立大学に入学しています。
シングルファーザーに育てられた雅則容疑者は高校を出たあと、地元の私立大学に入学。
常慶雅則の出身高校は不明ですが、進学した大学については、北九州市の九州共立大学だった事が週刊文春の記事内で明かされています。九州共立大学はスポーツには力を入れているようですが、学力偏差値はボーダーフリー〜37.5と学力レベルはかなり低い水準の大学です。
常慶藍と旦那・常慶雅則の子供は唯雅ちゃんを含め5人で次男も過去に不審死
常慶藍と旦那・常慶雅則の子供は、今回の虐待事件で亡くなった常慶唯雅ちゃんを含めて5人です。
常慶藍の1人目の子供は2018年12月時点で3歳だった長男。
常慶藍の2人目の子供は2016年に生まれた次男ですが、生後2ヶ月で死亡しています。死因は乳幼児突然死症候群とされていますが、今回の虐待死事件もあって、本当は次男に対しても虐待があったのではないかといった疑いの目も向けられています。
事実、「女性自身」の記事では、常慶藍の友人が亡くなった次男について以下の証言をしていました。
「死に顔は鼻がつぶれとって、もう見られんやった。生後数か月の子どもは、首も据わっとらんし、寝返りうてんのは当然たい。親がやってやらんと。酒を飲んで、そういうのもせんかったんやないかと。“ミルクのかわりに指をなめさせとる”なんて話しとったよ」(同・友人)
常慶藍の3人目の子供が、2018年12月に1歳4ヶ月で亡くなった常慶唯雅ちゃんです。
常慶藍の4人目の子供は、2018年12月の時点で生後3ヶ月の長女。
そして、5人目の子供の次女は2019年7月生まれ、つまり常慶唯雅ちゃんが虐待死した時に妊娠中だったという事になります。
長男と長女の2人は、常慶唯雅ちゃんが亡くなった直後に児童相談所が保護、次女も生まれた直後に同じく保護されています。
常慶藍と常慶雅則の3人の子供達は2019年11月の時点ではまだ児童相談所が保護し、家族とは別の場所で暮らしているという事でした。現在の子供達については情報がなく不明です。
常慶藍の唯雅ちゃん虐待の動機
常慶藍が常慶唯雅ちゃんを虐待死させた動機も注目されています。
常慶藍は裁判で、常慶唯雅ちゃんが衰弱していた事や、旦那の常慶雅則がエアガンで撃ってできた唯雅ちゃんの怪我を認識できていなかったなどとして無罪を主張しています。したがってそもそも罪を認めておらず、動機についても本人の口からは語られていません。
しかし、福岡地裁では常慶藍が唯雅ちゃんが病院に連れて行くべき状態だったと認識できていたとの判断を下して有罪判決を下しています。
常慶藍が唯雅ちゃんを虐待した、あるいは旦那の常慶雅則の虐待を止めようとせず病院にも連れて行かずに唯雅ちゃんを死に至らしめた動機については、日常的にDVを行なっていたとの証言も出てい常慶雅則に逆らう事ができなかったという可能性や、日頃のストレスを唯雅ちゃんにぶつけていたなどの推測がネット上で出ていますが、現在のところ真相は明らかにされていません。
常慶藍の現在…福岡地裁での一審判決は懲役8年の実刑も控訴の方針
出典:https://img.topics.smt.news.goo.ne.jp/
常慶藍の現在については、保護責任者遺棄致死罪で起訴されて裁判を受けており、2022年3月11日に福岡地裁で開かれた第一審で懲役8年の実刑判決が言い渡されています。
しかし、常慶藍の弁護側は知的障害や精神年齢12歳などを理由に無罪を主張しており、この判決を不服として控訴する方針だという事です。
福岡県田川市で2018年、重度の低栄養状態だった1歳4カ月の三男に必要な治療を受けさせず死亡させたとして、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の無職常慶(じょうけい)藍被告(27)の裁判員裁判で、福岡地裁(溝国禎久裁判長)は11日、「悪質性が相当高い」として懲役8年(求刑懲役12年)の実刑判決を言い渡した。無罪を主張した弁護側は控訴する方針。
常慶藍の旦那・常慶雅則の現在…初公判に向けた手続き中
常慶藍の旦那の常慶雅則は、保護責任者遺棄致死罪と傷害罪で起訴されていますが、現在はまだ裁判は始まっておらず、初公判に向けた準備(公判準備)が進められています。
父親の雅則被告は、唯雅ちゃんに向けてエアガンを多数回撃ち、全身に全治約3週間のけがをさせたとして傷害の罪にも問われていて、初公判に向けた手続きが進められている。
常慶雅則の裁判で、自らの子供を虐待死させた動機の解明がされるかにも注目が集まっています。
まとめ
今回は、2018年12月に発覚した福岡県田川市の1歳児虐待死事件で、保護責任者遺棄致死罪で逮捕起訴された被害者の母親の常慶藍についてまとめてみました。
常慶藍の生い立ちについては、幼い頃に両親が離婚して父親に引き取られ、祖父母と曽祖母に育てられた事や、子供の頃には兄や弟と少年野球チームに入り、中学時代はバレー部のキャプテンを務めていた事などがわかっています。
中学卒業後は高校へは進学せずに、職業訓練所でホームヘルパー2級の資格を取得し、老人ホームで介護士として働いていた時期もあったという事です。
その後、18歳の時に自動車教習所で旦那の常慶雅則と出会い同棲をはじめ、19歳の時に最初の子供ができたのをきっかけに結婚しています。
その後、立て続けに子供を産んでいますが、2人目の子供は生後2ヶ月目に乳幼児突然死症候群で死亡しており、3人目の子供である三男の唯雅ちゃんは1歳4ヶ月で亡くなっています。この唯雅ちゃんの死亡時の体重が1歳児の平均の半分にも満たなかった事や、両腕や胸などを骨折し、全身にエアガンで撃たれた傷跡が残っていた事などから、両親による虐待行為が判明しました。
常慶藍と旦那の常慶雅則にはさらに、4人目の子供の長女(事件発覚当時生後3ヶ月)と、5人目の子供の次女(事件後の2019年7月に誕生)がいます。
裁判では、常慶藍には知的障害があり、精神年齢が12歳相当だったとして弁護側が無罪を主張しましたが、福岡地裁での第一審判決は懲役8年の有罪判決でした。なお、常慶藍は起訴内容を否認しており動機は解明されていません。
常慶藍の現在については、一審判決を不服として控訴の方針である事が報じられています。