イトマン事件の主役・伊藤寿永光は山口組と深いつながりがあり、「住友銀行の天皇の娘」との関係も話題です。
今回はイトマン事件の概要や伊藤寿永光の経歴、山口組や黒川園子との関係、結婚した嫁や息子、自宅や判決、現在を紹介します。
この記事の目次
- 伊藤寿永光はイトマン事件の主役で地上げの帝王
- 伊藤寿永光が逮捕されたイトマン事件とは① 登場人物
- 伊藤寿永光が逮捕されたイトマン事件とは② イトマンは不動産投資に励む
- 伊藤寿永光が逮捕されたイトマン事件とは③ 伊藤寿永光の270億円が焦げ付く
- 伊藤寿永光が逮捕されたイトマン事件とは④ 伊藤寿永光が河村良彦に取り入る
- 伊藤寿永光が逮捕されたイトマン事件とは⑤ 伊藤寿永光主導で金を引き出す
- 伊藤寿永光が逮捕されたイトマン事件とは⑥ 1991年に事件発覚
- 伊藤寿永光の経歴
- 伊藤寿永光は山口組の企業舎弟だった
- 伊藤寿永光は黒川園子と男女の仲だった?
- 伊藤寿永光はなぜ河村良彦と磯田一郎の信頼を得ることができたのか?
- 伊藤寿永光の結婚や嫁と息子
- 伊藤寿永光の自宅
- 伊藤寿永光の判決
- 伊藤寿永光の現在
- 伊藤寿永光のまとめ
伊藤寿永光はイトマン事件の主役で地上げの帝王
伊藤寿永光はイトマン事件の主役と言われた人物です。
イトマン元社長の河村良彦、元不動産管理会社社長の許永中と共にイトマン事件を起こし、総合商社の伊藤萬株式会社から巨額の資金を引き出し、特別背任の罪で逮捕されています。
この伊藤寿永光は地上げのプロ・地上げの帝王と呼ばれていて、山口組とのつながりも深く、裏社会と太いパイプを持っていました。
そこにバブル期が到来し、イトマンを食い物にしていったのです。
イトマン事件では、合計3000億円が暴力団などの闇社会に消えていったと言われており、バブルを象徴する事件とも言われています。
伊藤寿永光が逮捕されたイトマン事件とは① 登場人物
出典:sankei.com
イトマン事件の概要・流れを説明する前に、イトマン事件の主な登場人物を確認しておきましょう。
・伊藤寿永光:イトマン常務+協和綜合開発研究所
・許永中:在日韓国人実業家
・河村良彦:イトマン社長
・磯田一郎:住友銀行会長(住友銀行の天皇)
この4人が主な登場人物です。
「住友銀行の天皇」と言われた磯田一郎の腹心である河村良彦が、イトマン(当時の伊藤萬)の債権のためにイトマンの社長に就任。
そして、伊藤寿永光と許永中らを介して、イトマンの資金を外部に流出させました。
また、磯田一郎は伊藤寿永光に不正融資を行い、結果として、住友銀行は闇社会・暴力団にむしばまれていくようになりました。
伊藤寿永光が逮捕されたイトマン事件とは② イトマンは不動産投資に励む
住友銀行の常務であり磯田一郎の腹心だった河村良彦は、イトマン(伊藤萬)再建のために住友銀行から派遣されてイトマンの社長に就任し、老舗繊維商社から総合商社に転身を図ります。
しかし、新規事業はうまくいかず、経営に陰りが見えていました。
焦った河村良彦は、バブル景気に乗っかる形で過剰な不動産投資に活路を見出していきます。
伊藤寿永光が逮捕されたイトマン事件とは③ 伊藤寿永光の270億円が焦げ付く
河村良彦社長が不動産投資に活路を見出していたのと時を同じくして、協和綜合開発研究所という経営コンサルタント会社を経営していた伊藤寿永光は270億円を焦げ付かせていました。
仕手集団のコスモポリタンは東証一部上場のホテル経営会社「雅叙園観光」の株を買い占めていて、その資金として伊藤寿永光はコスモポリタンに270億円もの融資をしていました。
しかし、1987年10月のブラックマンデーで株が大暴落し、このことで、コスモポリタンは資金繰りが難しくなります。
そして、コスモポリタンの会長だった山口組系暴力団元組長の池田保次は融通手形を乱発して金を調達し、1988年8月12日にJR新大阪駅で「東京に行く」と告げたのを最後に失踪しました。
なぜ失踪したのかはわかっていませんが、「奄美大島まで拉致されて、クルーザーに引っ張られてサメの餌にされた」という噂もあります。
伊藤寿永光はこの池田保次の失踪によって、融資していた270億円を焦げ付かせることになりました。
その1人が、伊藤寿永光だった。伊藤は池田のコスモポリタンにおよそ270億円もの大金を貸していた。コスモポリタンの借用書だけでは不安で、池田が実質的に支配していた雅叙園観光にも連帯保証をさせてはいたが、もはやその約束が守られるかどうかさえ危うくなっていた。
伊藤寿永光は雅叙園観光の債権者であり、また許永中も同じく雅叙園観光の債権者でした。この雅叙園観光の債権者という共通点で、伊藤寿永光と許永中は手を結ぶことになります。
伊藤寿永光が逮捕されたイトマン事件とは④ 伊藤寿永光が河村良彦に取り入る
伊藤寿永光は270億円回収のために、住友銀行の磯田一郎の腹心でイトマン社長だった河村良彦に取り入ります。元々は、住友銀行栄町支店・大野斌代の紹介で知り合いました。
伊藤と許とが急接近していたちょうどその頃、伊藤はイトマン社長、河村良彦を紹介される。2人を結びつけたのは、住友銀行栄町支店の支店長、大野斌代だった。
引用:(3ページ目)「怪文書紛いが国会で取り上げられた」“イトマン事件”の告発で“住友銀行の救世主”になった男の告白 | 文春オンライン
伊藤寿永光は当時「地上げの帝王」と呼ばれていて、不動産融資・地上げに関しては有名人でした。
ただし、そこまで実績があるわけではなく、伊藤寿永光の地上げ実績は銀座一丁目の1,300平方メートルの土地の地上げくらいのものでした。
しかし、実績はそこまでなくても、伊藤寿永光は天才的に口がうまい人物だったので、自分を大きく見せることができて、信用を得ていったのです。
詐欺師と言っては言い過ぎかもしれないが、伊藤にかかると、「あの、結婚式場全国チェーンの、平安閣あるでしょう、あれは私(の所有)なんですよ」ということになってしまう。
自称“不動産のプロ”の伊藤は、すぐに河村を虜にする。人の弱み、人の欲望、虚栄心を瞬時に読み取るある種の“天才”を前に、河村は赤子も同然だった。
引用:(3ページ目)「怪文書紛いが国会で取り上げられた」“イトマン事件”の告発で“住友銀行の救世主”になった男の告白 | 文春オンライン
しかも、当時の河村良彦は不動産投資に力を入れていて、1兆3000億円もの不動産投融資の処理が急務だったため、伊藤寿永光に取り込まれていきました。
伊藤寿永光が河村良彦に初めて会ったのは1989年8月のこと。この時、イトマンは東京の青山に本社建設のための地上げが進んでいなかったようです。
そのため、「地上げの帝王」と呼ばれた伊藤寿永光が「力になりますよ」と協力を申し出て、河村良彦に取り入っていったようです。
伊藤寿永光が逮捕されたイトマン事件とは⑤ 伊藤寿永光主導で金を引き出す
伊藤寿永光は、河村良彦に「美術品や貴金属に投資すれば経営が安定する」と吹き込み、1989年11月には高額の絵画を購入し、ここからイトマン事件が本格的に始まります。
1990年1月にはイトマンが雅叙園観光の筆頭株主となりました。伊藤寿永光の狙い通りになったと言っても良いでしょう。
ここまで、伊藤寿永光と河村良彦が出会ってからわずか5ヶ月程度しか経っていません。
1990年2月には伊藤寿永光はイトマンに入社、同年4月には常務に昇進しています。
そして、この頃に伊藤寿永光は初めて住友銀行の天皇である磯田一郎に会い、河村良彦の時と同様に一気に取り込んでいきました。
そして、法外な値段で融資という名の資金をイトマンからどんどん引き出していきます。
<イトマン事件の主な内容>
・絵画取引:鑑定書を偽造してイトマンに時価の2~3倍で売りつける
・瑞浪ゴルフ場への融資:開発許可がない伊藤寿永光関係のゴルフ場にイトマンが融資
・さつま観光への融資:許永中が関係するさつま観光にイトマンが融資
・霊園開発:開発の見込みがない霊園開発にイトマン子会社が融資
・株券や証明書の偽造:融資を受ける際の担保のために株券や買付証明書を偽造する
伊藤寿永光と許永中はイトマン本体から360億円、全体で3000億円以上の資金を引き出しました。
これを見ると、イトマン社長の河村良彦は伊藤寿永光と許永中に騙されて言いなりになっているように見えますが、河村良彦も将来的に損失になることはわかっていました。
ただ、住友銀行に対して優良な決算を見せることで、自分自身の立場を良くするために、イトマン事件に関与していたのです。
伊藤寿永光が逮捕されたイトマン事件とは⑥ 1991年に事件発覚
1991年1月1日、朝日新聞がイトマンの高額絵画取引の不正疑惑をスクープします。
このスクープをきっかけに捜査が行われ、イトマンの絵画取引額は678億円にものぼることが判明しました。
そして、1991年7月には特別背任の疑いで、伊藤寿永光と河村良彦、許永中は逮捕されています。
ただ、3人が逮捕された後も、3000億円以上の資金は住友銀行からイトマンを通じて、反社会的勢力・闇社会に消えていったと言われていて、巨額資金の行方は分かっていません。
伊藤寿永光の経歴
伊藤寿永光は1945年に生まれます。中京商業高校に進学し、野球部に入っていました。
卒業後は西武ポリマーなどで会社員として働き、1977年にコンサルタント会社である協和綜合開発研究所を設立します。
最初は名古屋を拠点に結婚式場や賃貸ビル、貸し駐車場などを手掛け、1982年には東京の八重洲に本店を移しました。そして、銀座一丁目の土地の地上げなどを行います。
有名冠婚葬祭チェーン「平安閣」の総帥を名乗っていたこともあるそうですが、実際は平安閣グループの1つの会社を捨て値で買っただけでした。
実際には、平安閣グループに名を連ねていた北海道の会社を捨て値で買い、所有していただけだが、本当に平安閣の総帥なんじゃないかと思わされるほど、話しぶりは堂に入っていた。
・1977年(32歳):協和綜合開発研究所設立
・1982年(37歳):東京に進出
・1987年ごろ(42歳):雅叙園観光株取得のためのコスモポリタンに融資
・1988年:270億円の焦げ付き発生
・1989年4月(44歳):雅叙園観光の経営権を持つ
・1989年8月:河村良彦と初めて会う
・1989年11月:河村に絵画を買わせる
・1990年2月:イトマンに入社
・1990年4月:磯田一郎に初めて会う
・1990年6月:イトマン常務に昇進
・1990年11月:イトマン退社
・1991年7月:特別背任で逮捕
バブル期とは言え、すごいスピードでビジネスをしていることがわかります。口がうまいだけではなく、確かなビジネスセンスがあったことは間違いありません。
伊藤寿永光は山口組の企業舎弟だった
伊藤寿永光は山口組と深いつながりがあり、5代目山口組の宅見勝と親しい仲だったと言われています。
伊藤寿永光が山口組と深いつながりがあったというのは、前述の経歴からも納得でしょう。
大きな資金源を持つバックがないと、ただの会社員だった高卒の男が32歳でコンサルタント会社を設立し、42歳で270億円ものお金を動かすビジネスができるとは思えませんから。
宅見勝は5代目山口組ナンバー2
出典:amazon.co.jp
伊藤寿永光が親しくしていたのは、5代目山口組ナンバー2(若頭)だった宅見勝です。
宅見勝は兵庫県神戸市出身で、19歳の頃にヤクザの世界に足を踏み入れました。
それから、裏社会で実力を認められ、どんどんのし上がっていき、1970年には自分の組である宅見組を大阪で立ち上げます。
1977年には3代目山口組組長の田岡一雄から盃をもらい、山口組直参に昇格。
山口組4代目跡目問題の時には竹中正久側につき、山一抗争を経て5代目山口組組長に渡辺芳則が就任すると、ナンバー2である山口組若頭に就きます。
しかし、1996年に中野会会長襲撃事件が発生して、宅見勝と中野会が対立することになり、1997年には中野会系組員に銃撃を受け暗殺されています。
西城秀樹の紹介で知り合う?
伊藤寿永光と宅見勝はどうやって知り合ったのでしょうか?
実は、あの昭和のスター歌手・西城秀樹さんの紹介で2人は出会っています。
伊藤寿永光は、1983年に芸映から独立した西城秀樹さんをずっとバックアップしていて、タニマチのような存在でした。
山口組の元顧問弁護士の山之内幸夫氏によると、伊藤寿永光と西城秀樹さんは身内同然の関係だったそうです。
そして、その西城秀樹さんの姉の内縁の夫が宅見勝でした。
西城秀樹さんの誕生パーティーの時に、伊藤寿永光は「義理の兄です」として西城秀樹さんから宅見勝を紹介されました。そこから一気に親しくなったとのことです。
宅見勝と旧知の仲
伊藤寿永光は宅見勝と親しい間柄でした。
伊藤が宅見組長を「お兄ちゃん」と呼ぶのを聞いたことがある。
そして、伊藤寿永光から宅見勝にお金が流れていた。つまり、伊藤寿永光は山口組と宅見組の企業舎弟だった可能性があります。
イトマン事件は、伊藤寿永光がイトマンに法外な融資を持ち掛け、イトマンと住友銀行からお金を引き出した事件ですが、合計で3000億円が山口組や闇社会に消えたと言われています。
ちなみに、当時山口組直参だった宅見勝の資産は2000億円で、その豊富な資金を使って、渡辺芳則を山口組5代目組長にに押し上げました。そして、自分が若頭に就任したんです。
イトマン事件で消えたお金は合計3000億円。宅見勝の資産は2000億円。
イトマン事件の主役である伊藤寿永光は、イトマンと住友銀行から得たお金を宅見勝と山口組にそのまま流していたんだな、となんとなく思えませんか?
伊藤寿永光は黒川園子と男女の仲だった?
伊藤寿永光と黒川園子はどのような関係だったのでしょうか?
黒川園子は磯田一郎の娘
黒川園子は、住友銀行の天皇である磯田一郎の長女です。
黒川園子は同志社女子大学を卒業後、住友特殊金属社長の長男と1970年に結婚して、娘を出産します。
しかし、その後ほかの男性とアメリカに駆け落ちするという奔放な一面を持っていて、1980年に離婚しました。
それから、駆け落ち相手である黒川洋と再婚し、2人で会社を経営しています。
また、黒川園子は1982年にセゾングループの高級美術品・宝飾品販売店の「ピサ」に美術品担当の嘱託社員として入社しています。この入社は磯田一郎のコネでした。
当時は“ピサの女帝”と呼ばれ、「役員ではないが絶大な権力を持っていた」と西武関係者の間では噂されていた。
嘱託社員なのに「ピサの女帝」と呼ばれていたということは、やはり磯田一郎のコネ入社だったからということですね。
磯田一郎は黒川園子のことを溺愛していて、黒川夫妻のビジネスも住友銀行やイトマンを通じて支援していました。
黒川園子からイトマン事件は始まった
黒川園子は1989年11月に、父親の磯田一郎の腹心でイトマン社長だった河村良彦に電話をかけて、絵画(ロートレック・コレクション)の取引を持ち掛けます。
河村良彦は「前向きに検討する」と答え、伊藤寿永光に買い手探しを依頼します。
そして、伊藤寿永光は帝国ホテルで黒川園子と会い、さらに許永中を紹介して、買取価格の3~4倍で転売できると吹き込み、イトマン事件が進んでいくことになるのです。
河村良彦としても、磯田一郎の娘である黒川園子のからの頼みであれば、断れない状態だったのでしょう。
伊藤寿永光と黒川園子の関係は噂されていた
伊藤寿永光と黒川園子はどちらも既婚者でしたが、2人は男女の仲ではないかという噂がありました。
真偽は定かではないが、伊藤と園子の男女の仲をささやく裁判関係者も少なくなかった
引用:「最後のバンカー」元三井住友銀行頭取の西川善文氏死去~戦後最大の経済事件「イトマン事件」を振り返る(1)|NetIB-News
伊藤寿永光は女性にマメでモテたようです。
伊藤はもっともっと、やり方がマメだ。伊藤は酒を飲まず、バーやクラブなど女性のいる夜の店にもいっさい行かないが、出入りする会社の秘書や受付嬢といつのまにか仲良くなってしまう「特技」があった。
写真を見ても、イケメンというほどではありませんが、年齢・立場の割にはかっこよくスマートな印象を受けます。
また、黒川園子はアメリカに駆け落ちしてしまうくらい奔放なタイプですから、伊藤寿永光と黒川園子が男女の関係だったという可能性はゼロではありません。
ただ、あくまでも噂でしかなく、イトマン事件を取材した「住友銀行秘史」でも2人の関係はベールに包まれたままになっています。
伊藤寿永光はなぜ河村良彦と磯田一郎の信頼を得ることができたのか?
伊藤寿永光は愛知県から上京してきた経営コンサルタントでした。
西城秀樹さんの紹介で宅見勝という後ろ盾はいましたが、今ほどではないものの、銀行・企業にとっては、反社会的勢力とのつながりがある人と深く付き合うことはリスクがあったはずです。
それなのに、なぜ伊藤寿永光は河村良彦と磯田一郎の信頼を得ることができたのでしょうか?
もちろん、伊藤寿永光はビジネスセンスがあるし、詐欺師と表現されるほど口がうまかったこともあるでしょう。
しかし、金額を見るとそれだけでは説明がつきませんよね。
伊藤寿永光と河村良彦の利害関係が一致したということもありますが、伊藤寿永光は短期間でイトマンに多額の利益をもたらしたために、信頼を勝ち取りました。
伊藤寿永光は河村良彦と知り合った直後、イトマン所有の株を譲渡する相手を紹介することで、10億円の利益を生み出しました。
Kw社長は.It氏が持ち込む事業が,短期間に巨大な利益を生んだことに驚き,伊藤萬の経営多角化方針ともあいまって. It氏への信頼を厚くすることになる。
最初に驚くほどの利益を生み出したことで信頼を得て、さらにお金を引き出していくのは、投資詐欺によくある手口ですよね。
また、磯田一郎の信頼を得た理由は明確にはわかっていませんが、1つの噂として、黒川園子がらみで磯田一郎を助けたからではないかというものがあります。
イトマン事件とは、住銀の天皇の一人娘磯田園子が山口組のヤクザと関係を持ち、そのビデオを伊藤寿永光が回収したことから磯田一郎に食い込むとマスコミでは語られている。
これはどこまで信ぴょう性があるのかは不明ですが、山口組の宅見勝と懇意だった伊藤寿永光ならヤクザが所有していた性的動画を回収することは可能でしょう。
これが本当だとすると、伊藤寿永光はバブルの申し子だったし、イトマン事件は魑魅魍魎としていることがわかりますね。
伊藤寿永光の結婚や嫁と息子
伊藤寿永光は結婚していて息子さんは2人、現在は孫も2人いるとのことです。
ただし、結婚相手がどんな方なのかは不明です。息子さんの年齢などを考えると、おそらく東京に来る前、もしかしたら起業前の会社員時代に結婚したものと思われます。
息子さんに関して詳しい情報はありませんが、X(旧Twitter)に次のような情報がありました。
パイセンと飲んでたら驚きの話が!
— ウハウハ (@ultladeep) June 9, 2017
イトマン事件に出てくる伊藤寿永光の息子と同級生らしい
その息子のうち一人は上場企業のa○○xで現役で敏腕振るってて、もう一人は社員数百名いる挙式場を運営してる
住友銀行秘史読んだ事ないけどこんな事書いてないよね#会社の隣の席は犯罪者の息子
これが本当なら、1人はavexで、もう1人は挙式場(平安閣?)で働いているということかもしれません。
伊藤寿永光の自宅
イトマン事件当時、伊藤寿永光の自宅は愛知県名古屋市にありました。
イトマン事件では伊藤寿永光の自宅に家宅捜索が入りましたが、その時のニュースは「自宅は名古屋市天白区表台」と表記されていたんです。
では、伊藤寿永光が東京で仕事をする時はどうしていたのでしょうか?東京にも自宅があった可能性はありますが、伊藤寿永光は帝国ホテルを定宿にしていました。
河村から買い取りを一任された伊藤寿永光は、定宿にしていた帝国ホテルの一室で黒川園子とピサの美術事業部長に会い、どういう段取りでイトマンが買い取るか、具体的な交渉に入った。
伊藤寿永光は、帝国ホテルが東京の自宅だったということでしょうか。
伊藤寿永光の判決
伊藤寿永光は1991年7月に特別背任罪で逮捕されました。
裁判では最高裁まで争いましたが、伊藤寿永光の判決は懲役10年となり、2005年に確定。
裁判中は伊藤寿永光は保釈されていましたが、2003年にケイ・ワン脱税事件における証拠隠滅罪で逮捕され、この事件では懲役1年6ヶ月執行猶予3年の実刑判決となりました。
伊藤寿永光の現在
出典:youtube.com
伊藤寿永光は現在、完全に引退しています。
2023年には、元山口組顧問弁護士である山之内幸夫氏のYouTubeの動画に出演していました。
この動画の中では、イトマン事件は冤罪であり、3000億円は消えたわけではなくバブル崩壊で値下がりしただけで、住友銀行から山口組・宅見勝に流れたわけではないと主張しています。
また、脳梗塞を患い、脚に麻痺が残っているので、リハビリをしているそうです。
伊藤寿永光のまとめ
イトマン事件の経緯と伊藤寿永光の経歴、山口組や黒川園子との関係、結婚した嫁や息子、自宅や裁判の判決、現在をまとめました。
伊藤寿永光は非常に謎が多い人物で、口のうまさとビジネスセンスはまさにバブルの申し子と言えるでしょう。