タレント飯島愛さんは2007年に芸能界を引退した翌年2008年12月24日に亡くなってしまいました。飯島愛さんの死因は少しずつ真相が追求されていましたが、エイズ説・薬説・病気説・他殺説などを全て検証して総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
飯島愛のプロフィール
飯島愛の不信な死は自殺?他殺?
『とんねるずのみなさんのおかげです(フジテレビ系)』や『ギルガメッシュないと(テレビ東京系)』などで人気を集めていたタレントの飯島愛さんが突如引退し翌2008年12月24日に謎の死を遂げました。真相について様々な憶測がネットで飛び交いましたが現在までの流れを総まとめしましたのでご紹介します。
故・飯島愛さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 大久保 松恵(おおくぼ まつえ)
愛称: 愛珍(あいちん)
生年月日: 1972年10月31日
没年月日: 2008年12月17日
没年齢: 36歳(数え37)
出身地: 東京都江東区
死没地: 東京都渋谷区
血液型: A型
身長: 163 cm
体重: 43 kg
BMI: 16.2
デビュー: 1992年
備考: 1992年 – 2007年
引用:Wikipedia – 飯島愛
飯島愛さんの死因については、急死する約2年前から「トマトジュースみたいな尿が出る」として著しい体調不良から芸能界を引退したため、健康を害しての病気が原因だとされていました。
検死の結果は肺炎だということでしたが、飯島愛さんは死亡する直前までイベントへ出演していたそうです。
飯島愛さんさんは芸能界での目標や夢が見いだせずに活動に疲れたことから引退が決まりましたが、その後もブログ『飯島愛のポルノ・ホスピタル』で死の直前まで日常を綴っていました。
2008年12月24日に謎の死を遂げた飯島愛さんですが、この間に何があったのか、飯島愛さんの死の真相について総まとめしましたのでご紹介していきます。
事実を受け入れられない苦しみからもがき、あがいていた10年前。タイムスリップしたい。ブーメランてあるもんだな。飯島愛の真偽は死んだ今となっては本人にしかわからない。ネットはこわい。嘘は書かないほうがいいな。あの芸人もTVみないから疑ってはいたけど、なんか可哀そう。カルマはなんだろう
— YUMA@猫 (@andoukaoru08) 2018年1月17日
飯島愛の生い立ちと家族&経歴
飯島愛は非常に厳しい両親の元に生まれた
飯島愛さんの両親はともて教育熱心で躾に厳しく、飯島愛さんは小学校の頃は成績が良かったものの押さえつけられていたため大人しい子供だったそうです。
飯島愛さんは東京都江東区の亀戸で生まれ育ちました。
中学校に上がってからも飯島愛さんは成績が学年で常に10位以内にいるような、芸能界でのおバカなキャラクターからは意外にも秀才だったようです。
飯島愛さんは両親には反発していたようで、唯一祖父だけには心を開いていたようですが、祖父が亡くなったことで心の均衡を失って両親への反抗から非行に走るようになったそうです。
飯島愛さんは中学校時代から不良仲間と毎晩ディスコに入り浸るようになり、遊ぶお金を工面するために万引きや恐喝を繰り返していたそうです。
一応高校には進学した飯島愛さんでしたが通学はほとんどしておらず退学しました。
高校に入るまでには飯島愛さんは家出しており、当時の彼氏の部屋で同棲生活をしていました。
飯島愛さんは高校中退後は六本木のクラブでホステスとして働き始めたようです。
飯島愛、芸能界デビューとテレビデビュー
ホステスから成人向け女優となった飯島愛
飯島愛さんはしばらく六本木のホステスとして働いていたそうですが、その容姿から成人向けビデオの女優として関係者にスカウトされて、1992年にその業界に飛び込みました。
”飯島愛”という芸名は当時勤務していたクラブのママが「誰からも愛されるように」という想いを込めて名づけてくれたそうです。
飯島愛さんは成人向け女優として一世を風靡し、当時ではトップクラスの女優となっていました。
そのためとんねるずの木梨憲武さんが大ファンであったことがきっかけで、『とんねるずのみなさんのおかげです』にゲスト出演しました。
飯島愛さんはこの出演を皮切りにテレビ番組に出演するようになり、1992年2月から『ギルガメッシュないと(テレビ東京系)』でレギュラーメンバーとして出演するようになりました。
飯島愛、1993年に歌手デビュー
飯島愛さんは1993年にデビューシングル「ナイショ DE アイ!アイ!」で歌手デビューしており、オリコンチャートランキングで87位を記録しました。
タレントとして安定した飯島愛さんは1994年にアダルト向け女優を引退し、完全にテレビタレントとして活躍していきました。
主にセクシーな深夜番組を中心に活躍を続けた飯島愛さんでしたが、2000年に自身の自叙伝的小説である『プラトニック~』を出版し、自身の半生で体験した暴力事件や成人向け動画出演と性病感染、妊娠と中絶、美容整形をしていたことなど赤裸々に綴ってベストセラーとなりました。
同作品は映画化もされましたが、飯島愛さんは以降作家としても活動を開始し、「週刊朝日」にコラム『飯島愛の錦糸町風印税生活』を執筆する傍らで性病感染予防のイベントなどに出演して啓蒙活動に務めるなど社会貢献もしていました。
そして、飯島愛さんの口癖だった「ワタシ的には…」が2000年の流行語大賞でトップテン入りし、飯島愛さんは授賞式に参加していました。
2005年にブログの執筆を開始した飯島愛さんでしたが、この頃には相当心身ともに疲れきっていたようで、ブログ内では個人事務所の経理担当から数千万円を着服されたことなど赤裸々に綴っていました。
飯島愛、芸能界を引退する
2007年、飯島愛が芸能界引退を表明する
2007年3月3日に3月末を以て飯島愛さんが芸能界を引退することが事務所から発表されました。
その発表があった翌日に生出演した番組『サンデージャポン』で、飯島愛さんは引退することについて「いつかは引退する」とほのめかしていたものの、3月11日の放送では発表のとおり3月末で芸能界を引退することを飯島愛さん自ら発表しました。
当時、飯島愛さんの引退理由として腎臓病である腎盂腎炎を患っており、症状が重いことから芸能活動を続けていくことが困難になっていると言われていました。
2007年3月25日に能登半島地震が起きる
飯島愛さんが現役最後の出演となる2007年3月25日の『サンデージャポン』の放送直前に能登半島地震が起きました。
飯島愛さんが最後の出演となった『サンデージャポン』は能登半島地震の影響で急遽地震情報に差し変わったため、飯島愛さんの引退についての報道はわずか15分に短縮され、飯島愛さんが出演した場面は3分程度となってしまいました。
それでも、飯島愛さんはブログで自身の引退と地震で失われた人命は比べるまでもないとして、被害が拡大しないように見守ることを綴っていました。
しかし、テリー伊藤さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『テリー伊藤のってけラジオ』で、飯島愛さんの収録はちゃんと行っていたことを伝え、4月1日に改めて放送することを明かしました。
テリー伊藤さんがアナウンスした通り、4月1日の『サンデージャポン』の終了10分前から、「飯島愛 引退ファイナルカウントダウン」が放送され、その中では飯島愛さんが週刊誌などで報じられていた”ニューヨーク渡米説”や”ITビジネス転身説”などを否定し、「医療関係の仕事に就きたいが今から勉強しても遅いので、カウンセリングの仕事をしたい」と語りました。
そしてさらに、飯島愛さんは芸人や歌手、女優のように舞台に立てる仕事ができないと芸能界での活動は限界があることを語り、病気で休養している間に自分の代わりはいくらでもいることを悟ったことも打ち明けました。
なお、噂として流れていた「精子バンクを利用してシングルマサーになる」という説については考えたことがあることを飯島愛さんは打ち明けています。
2007年3月31日に、飯島愛さんの事務所から「芸能界で生き残っていくことは不可能」として正式に芸能界の引退が発表されました。
しかし、芸能界引退後も飯島愛さんはブログ『飯島愛のポルノ・ホスピタル』の更新を死の直前まで続けていました。
飯島愛が自宅マンションで死去
飯島愛、自宅マンションで孤独死をしていた
飯島愛さんは2008年12月24日に自宅マンションで死亡しているところが親戚女性により発見され、すでに腐乱が進んでいたそうです。
飯島愛さんは2008年12月5日に最後のブログを更新しました。
この最後の記事は前日に開催された「ニコニコ大会議2008冬」に飯島愛さんが参加してきた様子を綴ったもので、2ちゃんねるの生みの親である西村博之さんと会ってきたことを報告し、ツーショット写真も公開していました。
この頃は元気な姿を見せていた飯島愛さんでしたが、2008年12月24日に東京都渋谷区桜丘町にある自宅マンション・渋谷インフォスタワーの部屋で亡くなっているところが親戚女性により発見されました。
腐乱の進み具合から飯島愛さんが亡くなったのは12月17日前後だとされていますが、検死の結果死因は肺炎ということで、「ニコニコ大会議2008冬」の直後から数日の内に発症したことになります。
『金スマ』で飯島愛の追悼番組が組まれる
2009年2月6日に放送された『中居正広の金曜日のスマたちへ』では、放送300回記念スペシャルとして飯島愛さんの追悼特集を放送しました。
出演者である中居正広さんやベッキーさん、大竹しのぶさんらが飯島愛さんへの追悼メッセージを送り、涙ながらに追悼していました。
2009年3月1日に東京プリンスホテルにて飯島愛さんの告別式が行われ、芸能界で親交のあった芸能人らを合わせて1500人あまりが参列する大掛かりなものとなりました。
島田紳助さんと中山秀征さんがそれぞれ弔辞を読み上げ、飯島愛さんへの別れを惜しんでいました。
飯島愛の死因は自殺・他殺どっち?
様々な憶測を読んだ飯島愛の死因
飯島愛さんの衝撃的な死からまもなく、週刊誌やネットメディアなどが報じた内容から様々な憶測がネットで論議されるようになり、それはあらぬ方向へ加速していきました。
飯島愛さんは亡くなる1ヶ月前まで主治医の赤枝恒雄さんが開いている医院・赤枝六本木診療所の2階に治療のために住んでいたそうです。
赤枝恒雄さんによれば、当時飯島愛さんは精神的に相当追い詰められて疲弊はしていたものの、生きることに対しての熱意は失っていなかったそうです。
飯島愛の死の真相① エイズ(HIV)に感染していた?
赤枝恒雄さんは飯島愛さんのHIV感染を疑っていた
赤枝恒雄さんは飯島愛さんがエイズに感染している可能性があったことから3度に渡る検査をしていたそうです。
赤枝恒雄さんが飯島愛さんの血清抗体検査を3度行ったところいずれも陰性だったことからHIVへの感染は無かったようですが、その疑いがあるほど飯島愛さんの病状は深刻だったということでしょう。
飯島愛の死の真相② 精神病を患っていた?
死因に睡眠薬のオーバードーズも噂された飯島愛
亡くなる前に飯島愛さんは幻聴に悩まされるほど精神的に追い詰められており、睡眠薬も常用していたことから睡眠薬の過剰摂取・オーバードーズによるものだと噂が立ちました。
飯島愛さんは確かに睡眠薬を常用していたようですが、オーバードーズではなかったと言われています。
当時、飯島愛さんは深夜の真っ暗なエレベーター内の隅にうずくまって膝を抱えていたところが目撃されており、「てめぇバカャロウ!」という幻聴に悩まされていたことから赤枝恒雄さんが心療内科を紹介したものの治ることはなかったそうです。
飯島愛さんが亡くなる直前だと推測される12月15日の午前1時頃に、赤枝恒雄さんの医院に飯島愛さんが訪れたそうです。
明け方5時頃まで放心したように座り込んでいたそうですが、飯島愛さんは弱々しく「大丈夫」と言い残して出て行ったそうです。
飯島愛さんはこの日から数日の内に何かしらの理由で亡くなった可能性が高いようですが、極度のうつ病を患っていたことから免疫力が著しく低下しており、それが起因になって突発的な病気を引き起こした可能性があるとされています。
飯島愛の死の真相③ 腎盂腎炎を患っていた?
腎盂腎炎は直接的な死因ではない?
飯島愛さんは亡くなる約2年前の2007年3月頃に「トマトジュースのような尿が出る」と訴えていたことから体調不良により芸能界を引退しましたが、すでに体はボロボロだったのでしょうか?
この「トマトジュースのような尿」というのは腎臓病である腎盂腎炎の可能性が疑われるようで、尿道から入った細菌が膀胱を経由して腎臓まで運ばれて感染を引き起こす恐ろしい病気のようで、死亡率は10~20%と死の危険も十分にある病気のようです。
腎盂腎炎の主な症状として専門サイトでは以下のように紹介されています。
ぞくぞくするような寒けや、震えをともなった高熱(38℃を超える)で始まり、悪心(おしん)(むかつき)、嘔吐(おうと)、全身の倦怠感(けんたいかん)(だるさ)などの症状が強く出ます。
局所の症状としては、腎臓のあたりの痛み、腰痛(ようつう)があり、また頻繁(ひんぱん)に尿意を感じたり、残尿感、排尿時の痛みなど(膀胱炎症状)をともなうことがよくあります。
飯島愛さんの死因は肺炎だということですが、腎盂腎炎を発症した頃から病気にかかり易い状態にあり、うつ病により発病リスクが高まっていたのかもしれません。
飯島愛の死の真相④ 覚せい剤を使用していた?
覚せい剤使用も疑われていた飯島愛
飯島愛さんは生前裏社会とのつながりも噂されていたため、死因には覚せい剤を使用したことによるものだという噂もありました。
週刊誌などで飯島愛さんの遺体を検死した結果覚せい剤の陽性反応が出たという報道がされたことがあったようですが、それはデタラメであり事実は血液や毛髪のDNA鑑定では薬物反応は出なかったそうです。
薬物と死因に関係が無いことが分かりましたが、麻薬取締官の推察では、飯島愛さんが常用していた歯の痛み止めが原因で急死した可能性があるということです。
飯島愛さんは当時重度のうつ病により極端に体力、免疫が低下している状態で痛み止めを使用したことでトリップ状態に陥り、幻覚症状が出たことで呼吸困難などから昏倒してしてしまいそのまま死に繋がったというものです。
飯島愛さんの死因は突発的な事故により昏倒した可能性が高いと言われていたため、こうした理由が飯島愛さんの死因の真相なのかもしれません。
飯島愛の死の真相⑤ 肺炎を悪化させた?
肺炎が死因なら間質性肺炎だった可能性がある
当時飯島愛さんは36歳でしたが、この年齢の女性が肺炎で亡くなるということは非常に珍しいケースだと言われており、仮に肺炎で亡くなるなら間質性肺炎だった可能性が高いようです。
専門家の見立てによれば、飯島愛さんの死因が肺炎であるなら間質性肺炎の可能性が高いそうです。
飯島愛さんは芸能界を引退した直後で次の目標も希望も定まらないまま闘病生活をしており、過剰なストレスの中でうつ病になったことで極端に免疫力が低下していたなら急性間質性肺炎に罹患して死に至ることが考えられるようです。
警察からは検死の結果が肺炎としか伝えられなかったためあらゆる憶測を呼びましたが、死因が本当に肺炎だったとするなら飯島愛さんは急性間質性肺炎で昏倒し、急逝した可能性が高いようです。
飯島愛の死の真相⑥ 他殺だった?
週刊誌に煽られて浮上したネット民による”他殺説”
飯島愛さんが死去した後に、”殺した犯人”としてネット上で悪質ユーザーらに誹謗中傷を受けていたのは、飯島愛さんの親友であるホステス・倉地明美さんでした。
倉地明美さんは飯島愛さんが六本木でホステスをしていた頃からの親友で、現在は銀座でホステスをしながらノンフィクション作家として活動しています。
しかし、飯島愛さんの死去後からネット上に”殺した犯人”として名前が何故か挙がるようになり、倉地明美さんは自身のブログが炎上して誹謗中傷を受けるようになったそうです。
「彼女の“過去の秘密”を握っている人間が、それをネタに彼女を脅していた」
「脅迫したのは飯島が出る前から親友で、同居するほどの仲だった女性」
などと報じられると、ネット上には、いよいよ私は写真付きで「愛を殺した犯人」呼ばわりされたんです。
悪質ユーザーらによる誹謗中傷が過激になっていったため、精神的に追い詰められた倉地明美さんは自殺を図ったこともあったようです。
幸い首吊りに使用したタオルが切れて未遂に終わったようですが、倉地明美さんは親友・飯島愛さんが亡くなるまでの真相を公開する決意をして「アサ芸」の取材を受けたようです。
飯島愛さんとは19歳の頃に勤め先の六本木のクラブで知り合ったようで、当時は飯島愛さんは19歳と同年代を装っていたものの16歳だったそうです。
16歳だと法律違反となるため飯島愛さんは嘘をついていたのでしょう。
当時から飯島愛さんの居場所を失いたくないという追い詰められた心理が見えるようですね。
飯島愛は母親の愛に飢えていた
”愛”という芸名からは皮肉な話ですが、飯島愛さんは実母から適切な愛を受けていなかったようで、倉地明美さんの母親に愛情を求めていたようです。
当時、飯島愛さんと倉地明美さんはそれぞれ一人暮らししていたようですが、よく倉地明美さんの部屋に入り浸っていたようで、倉地明美さんの母親が泊まりに来ると「お母さん」と言って抱きついていたそうです。
当時10代の子供だった飯島愛さんを倉地明美さんの母親も可愛がっていたようですが、飯島愛さんにとってはそれほど母親の愛情に飢えていたのでしょう。
そうした日が続いたある日に、飯島愛さんは成人向けビデオへの出演をしたいと打ち明けてきたそうです。
飯島愛のプラトニックセックスを読んだ。 大概の親って「ごめんね」と子に思ってそして親子が和解して行くプロセスがある。 引き離された親子、捨てられた(と思わされた)子供にそのプロセスすら存在しないそんな社会ってどうなのだろう… 共同親権はやっぱ必要だよ。 認知も絶対化するべきだよ。
— とある甘味の言霊語録 (自動送信) (@kanmin_bot) 2018年1月8日
成人向け女優としてブレークした飯島愛
飯島愛さんは実母や実父の愛を受けて育たなかったため体を売ることに何の抵抗もなかったのでしょう。瞬く間に成人向け女優としてブレークを果たしました。
飯島愛さんがブレークした後も倉地明美さんとの関係は変わらず、ふたりで飯島愛さんの作品を観ることもあったそうです。
それから飯島愛さんはタレント業が忙しくなる一方で、倉地明美さんとも会う回数が少なくなっていったそうです。
そして、飯島愛さんが執筆した自伝的小説が発売された時、倉地明美さんは悪者として書かれている部分があり電話で抗議したそうです。
飯島愛さんはエンターテインメントとして面白く書く必要があったとお詫びをしてきたものの、その後放送されたドラマでは倉地明美さんが飯島愛さんの彼氏を寝取る役として演じられていたため再び講義したようですが、軽いノリで返してきたため倉地明美さんは頭に来て電話を切りそれ以降飯島愛さんからの電話にでないようにしました。
飯島愛さんは留守電で寂しそうに謝りの言葉を入れていたようですが、しばらく倉地明美さんはコンタクトを取らなくなったようです。
倉地明美さんは自身のサイトを立ち上げて銀座ホステス業界の裏側を暴露し始め、本として出版もし飯島愛さんとの関係も明るみになりました。
しかし、この頃から大阪在住のカメラマンを名乗る男から付きまとわれるようになり、倉地明美さんはその男からメールや電話で嫌がらせをするようになったそうです。
そしてある日深夜に電話をかけられたことに頭に来たため倉地明美さんは注意したところ、男は逆上してそれ以降2ちゃんねるで倉地明美さんと飯島愛さんの関係についてでっち上げた内容を投稿し始めたそうです。
飯島愛を脅している犯人に仕立て上げられる
男は大阪在住の無職女(45)と共謀して、飯島愛さんが世間から関わりを疑われていた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」をダシに、倉地明美さんが飯島愛さんを脅していると吹聴したそうです。
そのため、倉地明美さんは2ちゃんねるで犯罪者扱いされることになり、自宅住所を特定され、家族への誹謗中傷もエスカレートしたため倉地明美さんの娘はショックのあまり失神したこともあったそうです。
家にも脅迫の電話がかかるようになっても警察は動いてくれなかったようですが、倉地明美さんはそんな中で飯島愛さんと久しぶりに三宿にある飲食店で会ったそうです。
飯島愛さんが亡くなる数ヶ月前だったようですが、この頃すでに異常にやせ細っておりどう考えても健康な状態ではないことは明らかだったようです。
そして、それから数ヵ月後に倉地明美さんは親友・飯島愛さんの訃報を聞くことになったそうです。
それから、倉地明美さんは飯島愛さんを間接的に殺した張本人として誹謗中傷がさらに酷くなっていったそうです。
ネットでの私への中傷は、いよいよ残酷を極めたんです。「人殺し!」「愛ちゃんを返せ!」「お前が死ねばよかった!」「愛ちゃんを追い詰め、脅迫、殺した犯人」「愛ちゃんを毒殺した」‥‥。そして冒頭で触れたように、一部週刊誌と夕刊紙で倉地さんが飯島愛の死に関与していたかのような記事が掲載されると「週刊誌が書くなら真実だ」と書き込まれ、倉地さんはタオルを使い、自宅で首つり自殺を図る。幸いタオルはちぎれ大事には至らなかった。
しかし、皮肉にも飯島愛さんが亡くなったことと誹謗中傷が激化したことで警察が動き、男と無職女は名誉棄損容疑で逮捕されました。
飯島愛さんの死後、倉地明美さんはしばらく喧嘩別れすることなった『プラトニック・セックス』の映画版を見たそうですが、そこには飯島愛さんからのメッセージとも取れる内容になっていたようです。
私が当初、観ようとしなかった映画版「プラトニック─」は、愛が亡くなってしばらくして、ネット中傷に苦しむ中、DVDで観ました。私の目からは自然と涙があふれ出しました。映画には原作本やドラマ版で私を怒らせたことをわびるように、2人しか知らな い思い出の場面がいくつも描かれていたんです。
飯島愛さんの死因の最有力な説はやはり急性間質性肺炎だということになりますが、闇の多い芸能界のことなので断定はできないでしょう。
飯島愛さんの死の真相は解明されることは無いかもしれませんね。
それでも、現在までに飯島愛さんの死因についてあらゆる憶測がまだされていることから、完全に終わったこととは言えないのかもしれません。
色んな人がメディアから発信される情報だけで色々言ってる中、ダイスケさんのこのツイートが1番腑に落ちました…
— なおち (@naochichi) 2018年1月19日
飯島愛が引退した時も本人の意思では無いと言われて結局あの結末でしたしね。げーのーかいこわい
マツコデラックスさんと飯島愛さんが深夜にトーク番組やったら
— しげる最中【来たれ高個体ヒンバス‼️】 (@rikakunokuse) 2018年1月15日
きっと面白かったろなぁ
申し訳ないけどあまり覚えてない「飯島愛さん」について調べると「肺炎暖房遺体腐敗」とはなるけどコンクリート事件と結びつけたりしてまさに「死人に口なし」にして死体蹴りして飯食ってるマスメディア本当に許されない。事実無根らしいですからねぇ…
— ユッキー@叛逆聖杯戦争 (@jokiupmnhy) 2017年9月20日
飯島愛の死因の真相について総まとめすると・・・
成人向け女優として人気を博し、セクシータレントとして一時代を築いた飯島愛さんについて総まとめしてきました。
飯島愛さんの死には表向きに報道された内容以外に隠れた闇を感じさせますが、例え何か事件性があったとしても今後追求されることは無さそうですね。
2023年は飯島愛さんの死から15年目に当たるため、交流のあった芸能人が故人に思いを偲ばせ、ネットでも再び話題に上りつつあるようです。