オリンピックで2大会連続で金メダルを獲得した羽生結弦選手。日本国内のみならず、海外でも高い人気と注目を集めています。
今回はそんな羽生結弦選手の実家、そして父親・母親・兄弟・姉妹など家族の情報を総まとめしました。
羽生結弦プロフィール
名前:羽生 結弦(はにゅう ゆづる)
生年月日:1994年12月7日
出身:宮城県仙台市泉区
身長: 172cm
体重: 57kg
喘息を克服する為にフィギュアスケートをはじめた羽生結弦
羽生結弦選手の名前は「弓の弦を結ぶように凛とした生き方をして欲しい」と父が命名したものだそうです。2歳の頃から喘息の持病があり、スケートを始めた当初の目的のひとつは、喘息を克服することにありました。
肺を大きく開いて息を吸い込むことができないため、特に10代の頃は体力や持久力の面で劣ると指摘されてきたが、投薬治療、吸入薬、鍼治療、気道を開く施術、移動時や練習時にマスクを着用することで心肺機能を上げるなどの対策を続け、現在では体力面のハンデは大幅に改善されています。
しかし完治したわけではなく、特に練習拠点をカナダに移してからは、環境の変化により激しい発作に襲われることが増え、現在も発作を起こすがあるそうです。
羽生結弦選手は仙台でのフィギュアスケートブームでスケートをはじめ、当時は友達と遊びたい時期に練習ばかりがハードになっていったため、この時ばかりはスケートが嫌になり野球をやりたいとも言い出したこともありました。
しかし「好きで始めたことに屈したくない」と練習を続け、翌2004年10月に初出場した全日本ノービス(Bクラス)で優勝を飾り、なんと9歳で初めて金メダルを獲得しています。
世界歴代最高得点記録を持つ羽生結弦
羽生結弦選手は全日本空輸 (ANA) 所属のフィギュアスケート選手で、主な戦績として、2014年ソチオリンピック・2018年平昌オリンピック優勝、2014年世界選手権・2017年世界選手権優勝、グランプリファイナル4連覇、全日本選手権4連覇などが挙げられます。
男子シングル競技における、ショートプログラム、フリースケーティング、トータルスコアの現世界歴代最高得点記録保持者でもあり、世界ランキング最高位1位の記録を持っています。
影響を受けた選手として、エフゲニー・プルシェンコ、ジョニー・ウィアー、ステファン・ランビエール、ハビエル・フェルナンデス、ディック・バトンを挙げており、同郷の荒川静香さんは東北高、早稲田大でも先輩にあたり、彼女の代名詞であるレイバック・イナバウワーを自身の演技に取り入れ、リスペクトの姿勢を示しています。
羽生結弦は全方位に秀でた天才スケーター
羽生結弦選手の選手としての特徴はジャンプ、スピン、ステップの全方位に秀でたオールラウンダーという部分です。ジャンプは踏み切りから着氷後の流れまで美しく跳び幅があり、GOE加点を得るための8つの評価要素を全て満たしている質の高さもまた特徴的です。
試合では4種類の4回転ジャンプを跳んでいますが、最大の武器は確実に加点の付くトリプルアクセルです。質の高さに加え、踏み切り直前に「カウンター」と呼ばれる難しいターンを行ったり、両足のつま先を外側に向けたスプレッドイーグルから踏み切り、着氷後に即イーグルに戻るなど、ジャンプへの入り方や出方の難度の高さなどからも常に2〜3点のGOEがつき、トリプルアクセルだけで確実に11点以上を稼いでいるのです。
このように、基礎点の高い高難度のジャンプ構成を成功させたうえで、かつ高いGOE加点を獲得できるのが羽生結弦選手の強さだと言えます。
フリップは踏み切りがアウトサイドになる癖がありエッジエラーの判定を受けていましたが、2011-2012シーズンに矯正することに成功しています。
また、スピンの技術も高く、プログラム中のスピンは全て最高評価の「レベル4」が取れるように組まれており、完璧にレベルを満たせば、こちらも高い加点を獲得出来ます。特に、柔軟性の高さを生かしたビールマンスピンやドーナツスピンなどを、積極的に演技に取り入れているます。
ジャンプに関しては4回転ループは、アイスショーやエキシビションのフィナーレなどで跳んでいましたが、2016-2017シーズンより競技に取り入れる様になりました。
4回転ルッツは公式練習でも着氷していましたが「2017年のロステレコム杯」のフリーよりプログラムに組み込み、公式戦初挑戦で成功させました。4回転の連続ジャンプにも挑戦しており、「2017年国別対抗戦」のフリーでは、4回転トウループ-1回転ループ-3回転サルコーの3連続ジャンプを初めて成功させています。
ケガを乗り越え平昌オリンピックで金メダルを獲得した羽生結弦
羽生結弦選手の2018年の平昌オリンピックでの結果ですが、見事金メダルを獲得し、2連覇を達成しています。
日本の羽生結弦選手(23)が17日、平昌五輪の男子フィギュアスケートで金メダルを獲得し、2連覇を果たした。オリンピック男子フィギュアスケートでの連覇は1952年以来。
羽生結弦選手は2017年11月に練習中に右足首靱帯を負傷してしまい、約3カ月間、公の場に出ていませんでした。
その右足のことに関しても心配されていましたが、やはりその右足のことで悩まされたこともあったそうです。
「右足ががんばってくれました。けがのせいで練習できなかったことを含めて、たくさんの方に心配をかけた。今まで以上の応援があって、恵まれていました」
練習が出来ない時期があったのはそうとう辛かったと思います。しかし、応援があったからこその金メダルだったのでしょう。
北京オリンピックではメダルを逃すも4回転アクセルが初認定
出典:https://spread-sports.jp/
3連覇の期待がかかった2022年の北京オリンピック。羽生結弦選手は前半のショートプログラムで8位と大幅に出遅れてしまいます。
フリーでは逆転を狙い果敢に攻め順位を上げますが、4位という結果に終わりメダル獲得とはなりませんでした。
フィギュアスケート男子フリーが2022年2月10日に行われ、五輪3連覇を狙った羽生結弦(27)は188.06点をマークし、合計283.21点で4位に終わった。ショートプログラム(SP)8位と出遅れた羽生は、フリーの冒頭に挑んだクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)で転倒。逆転優勝をかけた大技に失敗し、SPから大きく順位を上げたものの惜しくも表彰台を逃した。
羽生結弦選手はフリーで、練習でも一度も成功していない最高の難度を誇る4回転半アクセルに挑戦。回転不足で成功とはなりませんでしたが、ジャンプの種類としては4回転半として扱われ、国際スケート連盟の公認大会で史上初めて4回転半ジャンプとして認定されることとなりました。
実は試合の前日に捻挫していたという羽生結弦選手。「今できる羽生結弦のアクセルのベスト」「最高のアクセルができた」と語っていました。
羽生は、試合後に「4回転アクセルはたぶん今までの中で一番近かったと思いますし、今できる羽生結弦のアクセルのベストがあれかなという感じもしています」とコメントしていた。
また今日、4回転アクセルの挑戦に関する質問について「(本番の)前日の練習で足を痛めて捻挫した。思ったよりも酷く、普通の試合なら棄権していた。あと10日は安静にしないといけない状況で、6分間練習の前に痛み止めを打ちました。ただ、最高のアクセルができた」と話した。
羽生結弦の実家は仙台の県営住宅!
実家は仙台泉区にある県営住宅の羽生結弦
羽生結弦選手の実家は仙台です。実際スケートを始めたばかりの幼い頃は「アイスリンク仙台」でスケートの練習をしていました。
実家の写真などはさすがにありませんが、羽生結弦選手が育った実家は仙台市泉区で、県営住宅だそうです。
仙台市泉区
羽生結弦選手の知名度があがり人気が出てからは自宅の場所がバレてしまい、ファンが周辺に推しかけてしまうことがあったとか。そのため、現在は実家は別の場所にあるようです。
羽生結弦選手は上品な雰囲気から豪邸に住んでいそうなイメージもありますが、一般的な県営住宅で生活していたんですね。
羽生結弦の家族情報~父・母の情報まとめ
今では大スターとなった羽生結弦選手ですが、そんな羽生結弦選手を支え、育ててきた羽生結弦選手の両親に関しても調べてみました。
特にお家が豪邸というわけでもないので、凄いお金持ちなお仕事をされているというわけでもなさそうですね。
羽生結弦の父親・羽生秀利さんは中学教師
羽生結弦選手の父親の名前は秀利さんというお名前で、なんと公立の中学校教師で教頭先生をされているのだそうです。
前述でお金持ちなお仕事ではなさそうと推測していますが、教頭先生ともなると収入も多いでしょう。
秀利さんの教育は自主性を重視するという教育方法だそうで、子供のやりたいことは思いっきりサポートする方針だそうですから、羽生結弦選手のスケートに関しても思いっきり応援してくれたのでしょう。
羽生結弦の母親・羽生由美さんはパート勤務
母親の名前は由美さんというお名前で、羽生結弦選手が有名になる前はデパートやクリーニング店でパートをしていたのだそうです。
フィギュアスケート選手の両親は物凄くお金持ちな印象もあるので、パートをしているというのは意外ですね!
また、羽生結弦選手の髪を切ったり、衣装を手作りでしていることもあり、これらはファンの間では有名な話だそうで、他にも栄養バランスを考えた料理を作ったり、全面的に羽生結弦選手をサポートしている存在です。
羽生結弦の兄弟・姉妹の情報まとめ
フィギュアスケートをはじめたきっかけは姉・羽生さやさん
羽生結弦選手の家族構成は父・母とそして姉の4人家族です。姉の名前は「さや」さんというお名前で、実は羽生結弦選手をフィギュアスケートに導いたのはこのお姉さんなんです。
元々姉のさやさんがフィギュアスケート教室に通っており、羽生結弦選手はその姿を見て興味本位で体験教室に行き、それがきっかけで本格的にフィギュアスケートを始める様になったのです。
そんなさやさんは1990年生まれで羽生結弦選手の4歳年上、お姉さんもフィギュアスケートをやっていたとのことで、なんとダブルアクセルまで跳べるのだそうです。
お姉さんも8歳から18歳と10年間スケートをやっていて、スケート選手としてかなりのレベルの選手でした。
普通にフィギュアスケートをやっていればそのままスケート部に入部し、国体や全日本選手権に挑戦できる選手だったはずですが、フィギュアスケートは大変お金のかかるスポーツで、弟の羽生結弦選手とお姉さんの両方を選手続行させるのは、不可能でした。
そこでお姉さんは羽生結弦選手のために選手を引退することを決意しました。父や母のサポートももちろんですが、羽生結弦選手がここまで有名になったのは、姉のサポートもあったからなんです。
まとめ
・羽生結弦の母親・羽生由美さんは羽生が有名になるまではデパートやクリーニング店でパート勤務していた。
・羽生結弦の4歳年上の姉・さやさんもフィギュアスケート選手だったが、金銭面の負担を考え引退した。
・羽生結弦の実家は仙台市泉区にある県営住宅である。
爆発的な人気を持つ羽生結弦選手の実家や家族のことなどをまとめさせて頂きました。羽生結弦選手がここに来るまで、徹底的な家族のサポートがあったことがわかります。
フィギュアスケートは大変お金がかかるスポーツの為お金持ちの家庭の子が多いです。しかし、羽生結弦選手はごくごく一般の家庭出身です。これには大変驚きました。才能ある息子にフィギュアスケートを続けさせるため、相当苦労されたのではないでしょうか?
ただ、これだけの結果を残してきた羽生結弦選手ですから、両親にも十分恩返しをした親孝行の息子といえるでしょうね。
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