タレントの羽野晶紀さんと旦那である和泉元彌さんは一時離婚疑惑が出ていました。
この記事では、羽野晶紀さんと旦那・和泉元彌さんの離婚疑惑や子供の情報、羽野晶紀さんの若い頃から現在までを総まとめしました。
この記事の目次
羽野晶紀プロフィール
名前:羽野 晶紀(はの あき)
本名:山脇 晶(やまわき あき)
生年月日:1968年8月22日
出身:京都府宇治市出身
血液型:B型
「北野誠の妹分」として認知度を上げた羽野晶紀
羽野晶紀さんは、日本の女優であり、タレントしても活動されています。実家の父親は八百屋を経営しており、芸能界とは無関係な家で育ったものの、笑福亭鶴瓶さんが司会を務めた関西ローカル番組「年9組つるべ学級」に出演したことがきっかけで芸能界デビューを飾ります。
大学在学中に朝日放送の関西ローカルテレビ番組「ナイトinナイト「おっちゃんVSギャル」に女子大生レギュラー回答者として出演、特異なキャラクターで、司会の桂三枝さんの格好のイジラレキャラクター「八百屋の娘」として笑いと注目を集めていきます。
また、大学在学中に学生劇団であった劇団☆新感線に所属し、関西の小劇場演劇ブームに乗り、関西を中心にテレビ番組に出演を果たし、1989年から1年間にわたって放送された読売テレビの深夜のコント番組「現代用語の基礎体力」で、毎週、生瀬勝久さん扮する怪人にさらわれるお嬢様役がウケて、ブレイクしました。
その後はCDデビュー果もたし、ほぼランジェリーの衣装を身につけてライブも精力的に行っていた頃もあり、関西地方ではアイドル的な存在でした。
また、芝居とは別に「北野誠の妹分」という役割でタレントとしてのテレビ出演も増え、認知度をさらに上げていきます。
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「現代用語の基礎体力」出演以後も1990年の「ムイミダス」、1991年の「未確認飛行ぶっとい」などの読売テレビ放送の深夜番組に、1990年代には「笑っていいとも!」出演を機に全国進出し、TVドラマ、舞台、映画など活躍の幅を広げていきます。
2002年 舞台共演をきっかけに狂言師・和泉元彌と結婚
そして2002年、舞台「ロミオとジュリエット」で共演したことがきっかけで交際していた、狂言師和泉元彌さんと妊娠を機に結婚し、芸能界を休業、2002年5月に女児、2004年7月には男児を出産しています。
しかし2007年に11月には東宝芸能への所属も決まったことが報じられ、芸能界への復帰も着々と準備を進め、テレビやラジオなどに出演しはじめ、2008年にはコンとに出演したり、オフィシャルブログを立ち上げ、着々と芸能界へ復帰しています。
羽野晶紀の旦那・和泉元彌プロフィール
名前:和泉 元彌(いずみ もとや)
本名:山脇 元彌(やまわき もとひさ)
生年月日:1974年6月4日
出身:岐阜県
血液型:A型
和泉元彌さんは「能楽狂言方和泉流二十世宗家」を自称する狂言師でもあり俳優としても活動されています。
1歳半の頃から父、和泉元秀さんの元で狂言を学び、1977年、3歳の時に「靫猿」で初舞台を踏み、9歳で「三番叟」、10歳で「奈須与市語」、16歳で「木六駄」「釣狐」を披き、1994年には秘曲「花子」、1998年に一子相伝の秘曲「狸腹鼓」を披きます。
2002年 能楽協会から退会処分された和泉元彌
1995年、父の死後に「和泉流二十世宗家 和泉元彌」を名乗るものの、能楽協会・能楽宗家会・和泉流職分会は宗家と認めていません。
更に2002年には能楽協会から退会処分を受けて以降は能楽協会関連の舞台に立てず、能の間に演じる「間狂言(あいきょうげん)」を演じることが不可能となってしまいました。
それ以降の活動舞台は株式会社和泉宗家の主催する自主公演のみであり、主な活動は歌やトークを交えたショー形式の狂言ライブと狂言教室となりました。
また、変わった活動もしており、2005年10月には記者会見を開き、「今後は狂言の世界で培った「狂言力」を生かし、本場アメリカのエンターテイメントプロレスに挑戦したい」と、電撃的にプロレス参戦を発表し2005年11月3日、横浜アリーナで開催のハッスルマニアでプロレスデビューをしています。
羽野晶紀と和泉元彌の離婚疑惑はどうなった?現在は?
姑・和泉節子との確執で離婚危機?
2002年に結婚したお二人ですが、その二人の間は順調ではありませんでした。伝統的な文化を引き継いでいる和泉家では多くのルールがあり、その中には、嫁の車の運転禁止や、ノースリーブ着用禁止などのルールもあったそうで、芸能界の仕事を辞めるという条件もあり、羽野晶紀さんは結婚を機に、一度はきっぱりと芸能界から離れています。
また、羽野晶紀さんと姑の和泉節子さんとの確執が絶えないと何度も報道され、和泉家で行われる家族会議にも入れてもらえなかったという羽野晶紀さんは、ストレスのあまり、蕁麻疹まで出てしまったそうです。
そして2007年9月11日、大多数のスポーツ紙が和泉元彌さんとの別居を報じています。9月初めから羽野晶紀さんが子供を連れて宇治の実家に帰っているというもので、ワイドショーでも2人の離婚危機が報じられました。
和泉元彌さんサイドは当初、羽野晶紀さんの母親が手術をするので看病に帰っただけと説明していたが、その後のコメントでは、別居の理由は「別火」という心眼成就の為に女性と生活を分ける狂言の儀式のためとコメントしており、羽野晶紀さんも離婚を否定しています。
また、羽野晶紀さんは芸能活動休業後にテレビに出た際には和泉家の決まりを守り、関西弁をおさえていましたが、テレビ番組出演復帰後には番組内では結婚後封印していたはずの関西弁で怒濤のトークを繰り広げており、和泉家との確執は決定的だと思われていました。
しかし実際現在は離婚したという報道もなく、2008年から始めた羽野晶紀さんブログでは、和泉元彌さんや子供達に関する記事や写真もアップされており、別居騒動の影も感じられないほど、家庭円満な光景があがっています。
このことから離婚や別居に関しても落ち着いているのではないかと思います。
旦那・和泉元彌のキツすぎる束縛で新たな離婚危機も?!
どうにか騒動は落ち着いて円満な家庭になったと思いきや、またもや離婚の危機に直面しています。
タレントの羽野晶紀(49)が、15日放送の日本テレビ系「ダウンタウンDX」(木曜後10・00)に出演。夫で狂言師の和泉元彌(43)によるキツすぎる束縛を告白した。
番組内で紹介されていた束縛の内容は
・女子会に行くと、2時間でメールが10件届く
・病院に行く時は女医を指定する
・子どものイベントで弁当を持って行って他のパパがおにぎりを食べようとすると、
「それは亜紀が握ったおにぎりだよね」と言い、その場がシーンとなる
などのエピソードが紹介されています。
バラエティ番組で面白おかしく紹介している位ですから、離婚に繋がるかはわかりませんが、常に何かある夫婦なんですね。
羽野晶紀と和泉元彌には子供が2人
2002年に長女、2004年に長男を出産した羽野晶紀
家族写真
2002年1月に狂言師和泉元彌と結婚。困難続きだった結婚生活の中でも2002年5月に女児、2004年7月には男児と2人の子宝に恵まれています。
2002年に生まれたのは長女の和泉采明(あやめ)さん、2004年には誕生した長男は元聖(もときよ)さんという名前です。
2人の子供たちも狂言師の道へ
長女の和泉采明さんは、筑波大学附属小学校を受験したものの不合格だったため、公立の文京区立関口台町小学校に通い、中学受験で成城学園に合格し、和泉元彌さんの姉、淳子さんの長女である和泉慶子さんと共に、2006年2月26日に「国立能楽堂」にて初舞台を踏んで、現在は、株式会社和泉宗家の子方として活動しています。
また、長男の和泉元聖さんも2008年に初舞台を踏んでいます。羽野晶紀さんのブログでは、子供たちの話題も頻繁に登場しているので夫婦親子共に仲良い生活を送っているのがわかります。
羽野晶紀の若い頃は可愛い?【若い頃の画像あり】
羽野晶紀さんはプロフィールを見てもわかる通り、昔はアイドル的な人気を誇っていました。今でも美しいですが、若い頃のアイドル的な人気の頃の羽野晶紀さんも気になりますよね。
そんな羽野晶紀さんの当時の姿がコチラです。
上品な雰囲気で可愛くも美人でもある若い頃の羽野晶紀さん。
もちろん本人なので面影がありますが、上品な雰囲気も漂っていますね。露出の激しい服装で歌を歌っていた姿はこの写真からは想像できませんが、上品に見えるからこそそれが人気のきっかけにもなったのでしょう。
まとめ
・羽野晶紀と和泉元彌には2002年5月に女児、2004年7月には男児の2人の子供がいる。
・羽野晶紀は姑・和泉節子との確執や、旦那・和泉元彌の束縛で別居報道、離婚危機が噂されたが、現在離婚はしていない。
・羽野晶紀の若い頃はアイドル的な人気を誇っていた。
羽野晶紀さんと和泉元彌さんの離婚危機騒動から現在のお二人の生活などをまとめましたが、一時の別居や離婚騒動と比べると、今はだいぶ落ち着いた夫婦生活を送っている様です。
伝統を継ぐ家庭に入るのはかなり大変なことなので、羽野晶紀さんもさぞ苦労したことでしょう。このまま無事に仲良く暮らしてほしいですね。
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