日本における元祖不良的な存在である愚連隊(ぐれんたい)ですが、そのビッグネームたちの大半がヤクザ化したのにも関わらず、独自の美学を貫きカタギのまま生きた人間たちもいました。
この記事では、愚連隊の概要と伝説と言われる代表的なメンバー(万年東一・加納貢・黒石高大)、そして現在についてまとめてみたいと思います。
この記事の目次
愚連隊とは
愚連隊とは、日本における元祖不良的な存在であり、古くは明治時代末には自らを愚連隊と名乗る集団が発生していたそうですね。
愚連隊の最盛期については終戦直後となっており、荒廃した時代を反映するかのように闇市の用心棒をしていたグループもいれば、窃盗団と化して御尋ね者となってしまったグループもいました。
愚連隊という存在は、戦後の一瞬だけ起こった全国的なムーブメントである。簡単に言えば組織に属していない与太者、チンピラ、不良のことだ。敗戦により既存の秩序がぶちこわされ、暴力社会にもこれらの人間を中心にした新勢力が台頭した。混乱時におきる一過性の感冒のようなもので、社会が落ち着きを取り戻すと次第に沈静化し、一部は既存のヤクザ組織に取り込まれ、大半は自然消滅し、いまに至る。
終戦直後における愚連隊の中で、後にヤクザに転身したビッグネームには、山口組の若頭補佐であった菅谷政雄さんや安藤組の幹部だった花形敬さんなどがいます。
・安藤昇(安藤組組長)
・町井久之(東声会会長)
・柳川次郎(山口組系柳川組組長)
・谷川康太郎(山口組系柳川組組長)
・三木恢(東声会系三声会会長)
伝説の愚連隊その①…右翼活動家や総会屋として活躍した万年東一
万年東一、裕福な家庭に生まれながらもグレた
伝説の愚連隊として真っ先に名前の挙がる存在が、万年東一さんとなります。
1908年9月生まれというバリバリの戦前派だった万年さんは、山形県飽海郡松嶺町(現:酒田市)生まれであり、父親は小学校の教頭をしていたそうですね。
その後、1919年になると、東京で事業を営む親戚から誘われて上京することとなった万年一家でしたが、上京早々に親戚の会社が倒産するといったアクシデントに巻き込まれます。
しかしながら、父親がすぐに裁判所の書記官の仕事を見つけてきたため、一家が路頭に迷うことはありませんでした。
甲斐性のあり過ぎる父親のおかげで何不自由なく育った万年さんでしたが、東洋商業学校(現:東洋高校)に入学した頃からグレ始めて街で喧嘩に明け暮れるようになり、新宿や渋谷周辺の不良たちを束ねるリーダー化していたとか。
万年東一、育ちの良いインテリすぎて子分に優しすぎた
万年東一さんに関しては、グレた後も勉強面は優秀だったそうで、東京高等工商学校(現:芝浦工業大学)に入学して卒業した後、明治大学にも進学しています。
そんなインテリすぎるアウトローだった万年さんは、「1日10人の相手と喧嘩をして全員ブチのめした」との喧嘩最強伝説を残している一方で、子分には優しくまったく怒らない性格でもあったようですね。
また、裕福な家に育った影響からか金銭欲はまったくなかったという万年さんは、まとまったお金が入ると子分たちに分配していたため、常に金欠状態で60過ぎまで借家暮らしだったとのエピソードも存在します。
子分に優しすぎた万年さんの性格は裏目に出ることも多く、明治大学中退後に父親からお金を借りて玩具製造会社やタクシー会社を立ち上げた際には、従業員にお金を持ち逃げされて倒産の憂き目となってしまったとか。
そんな愛すべき豪傑だった万年さんの元には、当然ながら本職の暴力団からのスカウトもあったようですが、お金や面子のことばかり気にして自由に喧嘩も出来ないヤクザ稼業を嫌っていたため、盃を交わすことはありませんでした。
万年東一、右翼活動家や総会屋としても活躍した
ヤクザ嫌いだった万年東一さんでしたが、右翼団体には思想面で共鳴するものがあったようで、戦前は「風雲倶楽部」主催者・千々波敬太郎さんと行動を共にしていた時代もありました。
右翼活動家時代の万年さんは、1938年に当時の社会大衆党党首・安部磯雄さんを襲撃する「安部磯雄襲撃事件」を起こすなど、歴史の1ページを飾ったこともあったとか。
とはいえ、万年さんの右翼活動も1943年に集令状が届いたため中断し、中国へ出征する羽目になりました。
復員後の万年さんは、実業家の用心棒や総会屋として活躍していた時期もあったそうですが、基本的に金欠の状況は変わらなかったため、生活費などはパトロンたちにたかっていたと言われております。
昭和21年(1946年)以降、金が必要になると、クライアントの元に行き、テーブルの上に空の財布を置いて、雑談を始めた。帰るころには、財布に金が入れられていた。日本船舶振興会・笹川良一会長は、万年東一が来ると、露骨に嫌な顔をした。財布は、自分と若衆用の物と、家庭用の物の2つがあった。
引用:万年東一
そんな愛すべき無頼漢だった万年さんは、晩年になっても精力的に活動をしており、60歳を過ぎてから「大日本一誠会」という右翼団体を結成したり、全日本女子プロレスの初代会長に就任したりと、充実した日々を過ごしていたようですね。
伝説の愚連隊その②…喧嘩最強伝説を誇った加納貢
加納貢、大地主の息子で喧嘩無双だった
伝説の愚連隊には、加納貢さんもいました。
加納さんについては、1926年に八千代銀行の創業者で銀行家の加納直さんの長男として生まれています。
ただですら恵まれた生い立ちだった加納さんでしたが、加納家は東京・初台一帯から新宿にかけての大地主でもあり、桁違いの富豪一族でした。
そんな加納さんが愚連隊化したのは、少年兵を経て復員し専修大学に通っていた戦後の話だったようで、「象さんパンチ」と呼ばれる一撃必殺のパンチを武器に喧嘩に明け暮れる毎日だったとか。
とはいえ、弱い者に対して暴力を振るうタイプのならず者ではなかった加納さんは、商店街の用心棒的な役割も担っていたそうで、みかじめ料を要求する暴力団や街中で狼藉を働く進駐軍の兵士たちを相手に戦うケースも多かったそうですね。
暴力団に売り上げをガジられ、ゴロツキに悩んだ新宿の商店主たちは、加納を徹底的に持ち上げ利用した。頼りにならない警察とは違い、どんな相手であっても臆せず、自警団の先頭に立ってくれたのだから、便利な存在になっていった。商店主たちは加納を守護神とあがめ、「神様、仏様、加納様」と、あちこちで褒め称えた。戦後の一時期、新宿で加納の人気は絶大だった。
加納貢、事業に失敗して先祖伝来の土地を失っていた
地元の商店街にとってはヒーロー的な存在だった加納貢さんでしたが、お坊ちゃん育ちでお金を稼ぐ必要性がなかったため、用心棒を務めてもただ飯を要求する程度でした。
そのため、日銭を稼げないと生活出来なかった庶民育ちの部下たちは、加納さんの流儀では食っていけずに次々と離反して行ったそうですね。
そんな加納さんも下手に事業欲があったことが裏目に出てしまい、ジャマイカからコーヒー豆を輸入する事業や台湾との貿易事業に手を出しては失敗続きだったため、親から受け継いだ資産の大半を食いつぶしてしまったとも言われております。
そのため、晩年は不遇でもあった加納さんでしたが、2004年に亡くなるまでの間、新宿の高級ホテルを常宿にしていたそうなので、庶民とは別世界に生きていた高等遊民と言えます。
伝説の愚連隊その③…元格闘家で俳優の黒石高大
黒石高大(くろいし たかひろ)
生年月日:1986年9月8日
出身地:神奈川県横浜市
身長:175㎝
伝説の愚連隊には、黒石高大さんもいます。
他の2人とは違い戦後生まれだった黒石さんは、母子家庭を理由にイジメを受けたせいで小学時代よりグレてしまい、16歳で交番を襲撃して少年院送りにされるレベルのワルのエリートとなります。
年齢的にはカラーギャング世代ではないかと思われる黒石さんでしたが、ギャングは窃盗や違法薬物の売買など暴力団顔負けの犯罪を犯す連中との認識があったため、仲間内では愚連隊を自称していたそうですね。
少年院から出所後も相変わらず更生をするつもりはなかった黒石さんは、「横浜義道会」という愚連隊を結成して総長にもなっていますが、就寝中に母親に包丁を突き付けられ「お前がこれ以上人に迷惑をかけるなら母としてお前を殺して私も死ぬ」と迫られたことをきっかけに改心をしたとか。
成人後は、愚連隊の元総長の肩書を引っ提げて総合格闘技大会「THE OUTSIDER」に参戦した黒石さんですが、デビュー戦で本業が保育士だった秋山翼さんに1ラウンドKO負けをするなど挫折を味わうことになりました。
その後も負けが込み、格闘家としての通算成績は「7勝8敗2分1ノーコンテスト」で終わった黒石さんでしたが、気負い過ぎて試合開始前に対戦相手を殴ってしまうといったハチャメチャな行動が話題を呼び、人気選手だったようです。
近年の黒石さんは、悪役をメインに俳優として活躍していますが、2019年から2020年にかけて少女向けの特撮ドラマ「ひみつ×戦士 ファントミラージュ!」にマギャク巡査役で出演するなど、順調に役幅を広げています。
愚連隊の現在…不良グループOBなどが新たな愚連隊化していた
愚連隊の現在については、成人後もカタギにもヤクザにもならない不良グループのOB集団などが、21世紀の愚連隊と称されている状況です。
2000年代以降も、新たな形態の愚連隊が現れ、社会問題となっている。問題となっている集団には、暴走族やチーマー等の不良少年集団のOBで集まったもの(「関東連合OBグループ」等と呼ばれる一団、怒羅権)、アマチュア格闘技団体から派生したもの(「強者」もしくは「関西連合」と自称する一団)などがあり、いずれも成人を中心に、派生先とは直接関係のない若者や少年を加えた形で構成されている。マスコミでは「ネオ愚連隊」や「半グレ集団」とも呼ばれている。
引用:愚連隊
そのため、終戦直後の面々とは違い、ヤクザ顔負けのシノギを持ち一般人を食い物にしているグループが多い現在の愚連隊は、次々に準暴力団認定を受けて警察の取り締まり対象となっています。
愚連隊についてまとめてみると…
愚連隊については、元々はヤクザとは一線を引く街の不良集団だったものの、現在は既存の組に属さないだけの暴力団化してしまったという話になります。
そのため、不良の美学や浪漫などは微塵もない存在に成り下がったと言えます。