1986年4月26日に発生した人類史上最悪の原発事故と呼ばれる「チェルノブイリ原発事故」ですが、現地では2019年現在も深刻な状況が続いています。
この記事では、「チェルノブイリ原発事故」の詳細や原因、「福島原発事故」との比較など現在までの情報を詳しくまとめましたのでご紹介します。
この記事の目次
「チェルノブイリ原発事故」概要
人類史上最悪の原子力事故
「チェルノブイリ原発事故」が発生したのは1986年4月26日1時23分(モスクワ時間)で、当時独立前のウクライナ・ソビエト社会主義共和国、キエフ州プリピャチにあるチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故です。
日本は第二次世界大戦中の広島と長崎の原爆投下により、世界で最も核に多くの人を殺された過去を持つ国ですが、商用施設での核による死者は「チェルノブイリ原発事故」が初めてでした。
この事故後に定められた国際スケール「国際原子力事象評価尺度(INES)」では最悪のレベル7に分類されており、これは2011年3月11日に発生した「福島原発事故」と同等ですが、その被害規模は圧倒的に「チェルノブイリ原発事故」が上回っています。
場所: ソビエト連邦 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 キエフ州プリピャチ(現: ウクライナキエフ州プリピャチ)
日付: 1986年4月26日午前1時23分 (UTC+3)
概要: チェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故死亡者: 4,000人 (IAEA公式見解、異論有)
負傷者: 不明
他の被害者: 強制移住等:数十万人以上
損害
爆発:チェルノブイリ原子力発電所4号炉
放棄:チェルノブイリ、プリピャチ
他多数
対処: 4号炉を石棺及び新安全閉じ込め構造物で封じ込め
引用:Wikipedia – チェルノブイリ原子力発電所事故
「チェルノブイリ原発事故」原因~構造的欠陥と人為的ミスが招いた事故
「チェルノブイリ原発事故」が発生した原因は主に2つだと言われており、1つ目は原子炉の構造上の致命的な欠陥、2つ目は管理者の知識不足による人為的ミスでした。
制御棒など根本的設計の欠陥
運転員への教育が不十分だった
特殊な運転を行ったために事態を予測できなかった
低出力では不安定な炉で低出力運転を続けた
計画とは異なる状況になったが実験を強行した
実験のために安全装置を無効化した
後にこの2つの欠陥をはらむ「チェルノブイリ原子力発電所」を指して、ノーベル賞受賞の物理学者ハンス・ベーテは「内蔵された不安定性」と呼びました。
このチェルノブイリ原子力発電所は当時のソ連が独自に開発した黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉で、4つの原子炉が稼働し、さらに2つの原子炉が建設中でした。
これらの原発に共通する問題は、鉄の補強が無いコンクリート製の格納容器の構造にありました。
「チェルノブイリ原発事故」発生の直前である1986年4月26日午前1時23分に、4号炉においてタービンが慣性で回っている状況で電力供給が可能かどうかをテストするため、エンジニアがシステムの一部電源を止めました。
これは突発的な停電が発生した場合に対処するための重要な実験でした。
しかし、エンジニアは原子炉がすでに不安定な状態にあったことを知らないまま、自動安全装置の多くを解除し、核分裂を制御するための制御棒を引き抜いた状態で電源を止めてしまったこと、時間に追われて原子炉の出力レベルを急激に下げたことなどが最悪な状況を招くお膳立てとなってしまいました。
電力供給がされなくなったタービンは速度が遅くなり、原子炉に流し込む冷却水が減ったことで大量の蒸気が発生し原子炉内の圧力を急上昇させました。
オペレーターは緊急事態に気づいて対応しようとしましたが、その時にはすでに時は遅く、水蒸気の圧力により原子炉の蓋が吹き飛ばされ、大量の原子核が大気中にさらされました。
「チェルノブイリ原発事故」の真実と画像~死者は関連死を含め数十万人
チェルノブイリ原発事故、放射能被ばくにより数十万人が死亡
長期的には数十万人が関連死したと言われる
前述の原子炉の蓋が吹き飛ばされた時には2人が死亡し、その後メルトダウンを起こして大爆発を起こした「チェルノブイリ原発事故」発生による死者数は、当時のソ連政府は33人と発表しました。
その多くは収束作業に当たった原発所員や消防士などで、その後に収束作業に参加した軍人やトンネルの掘削作業に従事した炭鉱労働者なども多く亡くなりました。
長期的な関連死を含めると最大で数十万人が死亡したとも言われていますが、「チェルノブイリ原発事故」で拡散した放射能とがんや白血病などの病死を結びつける因果関係は証明されていないため、あくまで推測の域を出ていないようです。
しかし、事故後にチェルノブイリ周辺では小児甲状腺癌などの放射線が原因だと考えられる病気が急増しているという調査結果が出ていました。
チェルノブイリ原発事故、収束作業に600万人が従事
リクビダートル(後始末者)が600万人投じられた
「チェルノブイリ原発事故」発生後、火災を鎮火してがれきを撤去し、汚染された廃棄物を地中深く埋める作業が行われました。
事故現場には放射線が充満しているため、遠隔操作のロボットや重機などは電気回路が破壊されることから、当時のソ連政府は収束作業期間中に生身の人間600万人あまりを投じました。
これらの人びとの多くは消防士や軍人、鉱夫といった普段から肉体労働に慣れている男性で、「リクビダートル(ロシア語で「後始末をする人」の意味)」 と呼ばれて英雄視されました。
リクビダートルの仕事は現場のがれき撤去作業から周辺の街にホースで散水して放射性物質の洗浄、汚染された木々の伐採、そして激しく放射性物質を放出し続ける原子炉の周囲にコンクリートの石棺を建築することでした。
チェルノブイリ原発事故、死者に勲章が贈られた
リクビダートルに勇気の勲章や十月革命勲章が授与された
原子炉の異常な挙動から実験の中止を進言し、制御棒とスクラムの操作を行い最も重大な被ばくをしたアキーモフさんは、事故から15日後の5月10日に死亡しました。
また、アキーモフさんとともに操作にあたっていたトゥプトノフさんも5月14日に死亡しました。
リクビダートルは機械すら故障するような放射線にさらされながらも収束作業を続け、4,000人以上ががんを発症して死亡しました。
そして、70,000万人が放射線による被ばくで身体障害を抱えており、年々死亡者は増えている状況のようです。
2000年4月26日に行われた14周年追悼式典で発表された内容では、事故後に収束作業に当たった86万人中、5万5,000人が死亡しており、ウクライナ国内での被爆者342万7,000人のうち、作業員は86.9%が病気にかかっていました。
事故から数ヶ月以内に死亡した運転員や作業員などには、ソ連政府から勇気の勲章や十月革命勲章が授与されました。
チェルノブイリ原発事故、放射能汚染が酷い場合は鉛製の棺で埋葬
鉛製の棺で埋葬
現場で収束作業に当たっていたエンジニアや消防士などは次々と放射線障害により倒れていき、特に最初に急性放射性障害を発症して5月21日に亡くなったサヴェンコフさんは、タービン技師として重度の被ばくをしたことから遺体の放射能汚染が酷く、鉛製の棺で埋葬されました。
203人が緊急入院してその内31人が間もなく死亡し、28人は急性放射線障害でした。
なお、これらの作業に当たった人びとには放射能の危険性は伝えられていませんでしたので、ソ連政府による確信犯的な殺人とも呼べるかもしれません。
チェルノブイリ原発事故、画像でわかる衝撃的な事実
「チェルノブイリ原発事故」の画像を検索する時は注意が必要
「チェルノブイリ原発事故」は放射能による深刻な自然破壊や、人間や動物の奇形が多く生まれるなど深刻な被害をもたらしました。
ネット上でもいくらか画像の検索はできますが、中には目を背けたくなるようなショッキングな画像も含まれるため、自己責任において検索したほうが良いでしょう。
「チェルノブイリ原発事故」ソ連の対応~個人に責任を押し付けて収束
チェルノブイリ原発事故、所長ら責任者を逮捕
ソ連政府は個人の責任にして収束させた
チェルノブイリ原子力発電所の所長であるブリュハーノフさん、技師長のフォーミンさん、副技師長のディアトロフさんは、1986年8月に安全規則違反に問われて刑事裁判にかけられ、禁固10年を言い渡されて労働収容所に送られました。
ブリュハーノフさんはさらに職権乱用の罪にも問われて5年が追加されました。
フォーミンさんは絶望するあまり裁判前に自殺未遂を図っており、発狂したということで釈放されました。
フォーミンさん以外の2人はソ連崩壊により5年での出所となりましたが、ディアトロフさんは5.5シーベルトの放射線を被ばくしていたため、1995年に心不全で亡くなるまで放射線障害に苦しみ続けました。
ちなみに日本で設定されている被ばくの安全基準は年間100ミリシーベルト以下であり、ディアトロフさんの5.5シーベルトというのは5500ミリシーベルトに置き換えられるため、安全基準の55年分の被ばくをしたことになります。
チェルノブイリ原発事故、ソ連は個人の責任として収束させた
ソ連は責任を追って莫大な損害賠償を逃れた
致命的な欠陥があった原子炉「RBMK-1000型」の設計者や、政府の原子力政策関係者らの責任は追求されず、ソ連政府はチェルノブイリ原子力発電所の所長・ブリュハーノフさんら3人の怠慢が招いた結果だとして個人の責任にしました。
これは明らかにソ連政府が莫大な賠償金を被害者に支払わないための措置であり、ディアトロフさんはこうした閉鎖的なソ連の体制が生んだ悲劇だと訴え続けました。
釈放後、発狂したとされるフォーミンさんのその後の所在は不明ですが、ブリュハーノフさんはソ連崩壊後に独立したウクライナの国営企業に技術者として雇用されたようです。
「チェルノブイリ原発事故」と「福島原発事故」の比較
チェルノブイリ原発事故に比べ福島原発事故の規模は小さかった
「チェルノブイリ原発事故」は規模が違う
2011年3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」により生じた激震と津波により、東京電力の福島第一原子力発電所は炉心溶融(メルトダウン)などの原子力事故を起こしました。
この事故は、前述のとおり「国際原子力事象評価尺度 (INES)」 において「チェルノブイリ原発事故」と並ぶ最悪のレベル7に分類されていますが、総被害の規模で言えば「チェルノブイリ原発事故」の方が一桁上という印象が強いようです。
チェルノブイリ原発事故と福島原発事故の死者数比較
「チェルノブイリ原発事故」の方が圧倒的に多い
前述しましたが、「チェルノブイリ原発事故」直後の発表死者数は33人、「福島原発事故」は0人(地震による死者は2人)となります。
その後の収束作業で前者のリクビダートルは4,000人以上が放射線による関連死で死亡、後者は0人となります。
前者の70,000人以上が被ばくによる後遺障害に苦しんでいるのに対し、後者は6人が労災認定され、5人の認定が不明となっています。
前者のリクビダートルの86.9%が病気にかかったのに対し、福島の原発作業員は20,000人中、6人のため0.0003%となります。
「チェルノブイリ原発事故」の人的被害は、「福島原発事故」の比ではないほどの凄まじさです。
チェルノブイリ原発事故と福島原発事故の被爆範囲比較
「チェルノブイリ原発事故」は日本にも影響した
「チェルノブイリ原発事故」後、放射性物質は風に乗って北半球の全域に拡散し、日本では1986年5月3日に雨水中から放射性物質が確認されました。
それに対して「福島原発事故」の放射性物質の拡散範囲は福島を中心に北海道から神奈川あたりまでの関東圏までとなっています。
なお、これは1号機のみのメルトダウンで済んだことによる被害であり、福島原子力発電所所長だった故・吉田昌郎さんによれば、他の2号機以降も同様の状況になっていれば東日本が壊滅していたと言われています。
それでも九州大学が行った調査によれば、「福島原発事故」後に東京都だけでも2兆個あまりのセシウムボールが降り注いだと言われており、短期的に健康被害が出るレベルではないものの関東よりも上に住む人々は多かれ少なかれ被ばくしたことになるようです。
論文(九大から):セシウムボールの挙動。肺に吸引されたセシウムボールは何十年も溶けないだろう、と。https://t.co/ru33HVJxRr pic.twitter.com/U4cDTmKMNq
— レイジ (@sinwanohate) October 23, 2019
チェルノブイリ原発事故と福島原発事故の残存放射性核種比較
ヨウ素131もセシウム137も「チェルノブイリ原発事故」の方が飛散量が多い
原発事故後に原子炉が停止している状態で計測された放射性核種の残存量は、「チェルノブイリ原発事故」4号機よりも「福島原発事故」の1~3号機の合計の方が約1.9倍となり、セシウム137も約2.5倍となりました。
このことから言えるのは、「チェルノブイリ原発事故」の方がはるかに放射性核種が拡散されたということですが、逆の見方をすると放射性核種がまだ多く残っている福島原発の方が今後の処理が難しいということになります。
チェルノブイリ原発事故と福島原発事故の比較結果
単純な比較はできないものの規模で言えば「チェルノブイリ原発事故」の方が深刻
数字の上では「チェルノブイリ原発事故」の方が「福島原発事故」よりも圧倒的に深刻ですが、とはいえ後者も今後の放射性廃棄物や汚染水の処理など深刻な課題が山積みであり、現在も事故は続いている状況です。
菊池 「チェルノブイリ事故と比較してどうか」という問いへの答えかたはひととおりじゃないよね。チェルノブイリ事故に匹敵する大変な事故だったという言い方はもちろんできるし、様々な数字を比較すると、チェルノブイリ事故より規模は小さかったと言うこともできる。
小峰 何を問題にしたいかによりますね。
菊池 そう、観点によって答は変わる。ただ、少なくともチェルノブイリ事故よりもひどくはなかった。
引用:SYNODOS – 東電福島第一原発の事故はチェルノブイリより実はひどいのか?――原発事故のデマや誤解を考える 菊池誠×小峰公子
「福島原発事故」は廃炉を巡って今後予期せぬ問題が発生して、結果的に「チェルノブイリ原発事故」を超える深刻な被害を出す可能性もあると言えるでしょう。
そして、二度と原発事故を起こさないためにも、他の原発も廃止の方向に持っていく必要があるのかもしれません。
チェルノブイリ原発事故後「『食生活に気を付けた人』と『食生活に気をつけなかった人』とでは、汚染度に2倍近くの差がある」というデータが報告されているそうです。被ばく経路の割合は、地面からの外部被ばくが15%、食品を通した内部被ばくが80%と言われています。
— 放射能汚染から子どもを守る (@savethechild311) October 29, 2019
「チェルノブイリ原発事故」その後~現在は動物の楽園になっていた
動物たちには住みやすい環境となったチェルノブイリ
「チェルノブイリ原発事故」により周辺住民30万人あまりが他の地へ移住を余儀なくされましたが、人間がいなくなったチェルノブイリを中心とした広大な立ち入り禁止区域は現在動物の楽園になっているようです。
この数十年の同区域の研究では、植物や動物の生命は奪われ、残った生命も汚染されて病にむしばまれているだろうと考えられていた。
しかし最新の研究では、これとは逆のことが述べられている。植物が再び育ち、動物の生態系が事故以前よりも多様性を増しているというのだ。自然を取り戻すための取り組みが行われたわけではない。人間がいなくなっただけである。しかし結果として、人類が壊滅的な被害をもたらして去ったあとに世界がどうなるかを示す“生体実験場”になっているのである。
チェルノブイリ原子力発電所の西に広がる針葉樹林は深刻な放射線汚染を受けて木々が赤く変色して死滅し「赤い森」と呼ばれていますが、動物に限っては事故後の調査では一時的に生息数の現象が見られたものの、死滅することは無くその後も増え続けてきたようです。
これは、たとえ全体の10%が放射線障害により死滅したとしても、種全体が死滅するほどの影響が無いため繁殖が上回ったと見られています。
つまり、もし今後世界が核戦争により人類が絶滅した場合、動物たちにとっては楽園に変わるという実験になったようです。
Toys in a Pripyat school.
— じゃじゃまる (@jax2marux1) October 29, 2019
ウクライナ プリピャチ市の学校に放置された人形たち
(プリピャチ市は1986年に起きたチェルノブイリ原発事故によって住民が避難したため現在は無人となっている)@retoro_mode pic.twitter.com/vRWT74kTwU
「チェルノブイリ原発事故」についてまとめると…
・チェルノブイリ原発事故による死者は、関連死を含め数十万人にのぼるといわれており、最大で数百万人の健康に被害を与えた可能性がある
・チェルノブイリ原発事故は福島原発事故よりも圧倒的に被害が大きかった
・チェルノブイリ原発事故による立ち入り禁止区域は、現在動物の楽園になっている
人類史上最悪の原子力事故と言われた「チェルノブイリ原発事故」についてご紹介してきました。
原発は膨大な電力を使う現代において重要なものですが、原発事故のようなリスクを考えるとすぐにでも廃炉にするべきだという声は多く、コストパフォーマンスに優れる火力発電所を増設する方が将来的には良いようです。