広島東洋カープで活躍していた赤松真人さんですが、胃がんが発覚し一時は余命も限られているのではと言われていました。
そんな赤松真人さんを支える嫁や子供の存在、赤松真人さんの胃がんの余命や現在の病状などについて詳しくまとめました。
赤松真人プロフィール
名前:赤松 真人(あかまつ まさと)
生年月日:1982年9月6日
出身:京都府京都市伏見区
身長:182cm
体重:75kg
野球への興味は幼稚園児の頃からで、地元の少年野球チームに参加していた兄の影響で野球を始めます。
小学校時代は一塁手以外全てのポジションを守れる程の選手になっていました。
平安高校に進み、2年に投手兼外野手として春の甲子園に出場し、ベスト8へ進出、高校時代には唯一カープスカウトからプロ入りの打診をされたが、当時はまだプロでやれる自信がなかったため、監督と相談して進学を選択します。
プロ入りは2004年、ドラフトで右打ちの外野手の補強を目指していた阪神タイガースから6巡目指名を受け入団しました。
阪神時代は新人ながら二軍で安打を積み重ね、フレッシュオールスターゲームに出場し、一軍では代走として2試合に出場し、プロ初盗塁を記録します。2006年6月には22番中堅手で一軍初スタメン出場果たします。
そして2007年、オフに阪神の独身寮を退寮し、交際中の女性と同棲生活を始めることを自ら公表し、さらに12月14日にはその女性と入籍したことを自身のブログで発表し、その直後2008年1月6日に、広島東洋カープに移籍しました。
広島時代は2008年、開幕直後に右肩関節上方関節唇損傷で登録抹消されてしまうものの4月中旬には復帰を飾り、4月29日の対読売ジャイアンツ戦でプロ初本塁打となる初回先頭打者本塁打を放つと、同カード・同球場の翌日の試合でも2試合連続となる先頭打者本塁打を放つなど、早速活躍を見せます。
2009年には、4月3日の開幕戦に1番センターでスタメン出場し、自身初の開幕スタメン入りを果たし、さらにこの試合では勝ち越しとなる2点タイムリーヒットを放ち、ヒーローインタビューを受ける程の活躍を見せました。
しかし翌年2010年2月のキャンプで左太もも裏肉離れで三軍でリハビリを送るという苦いスタートとなってしまいますが、3月には二軍の教育リーグで実戦復帰、4月4日に一軍登録され、3割を超える勝負強い打撃で3番でも起用されるなど、出遅れながらも活躍を見せていきます。
2011年以降は、毎年80試合前後に出場、足のスペシャリストとして代走の切り札としての出場を中心に、守備固め、代打、外野のスタメンと色々な場面で活躍しています。
赤松真人はこんなに凄い!
どんな守備でも幅広くこなせる赤松真人さんですが、50メートル走5秒5の脚と遠投125メートルの強肩を持ちあわせています。
その為守備面では、俊足を生かした広い守備範囲を持ち、普通なら外野を抜けたり野手の間に落ちたりする打球も、追いついてアウトにすることもできてしまう程です。
そんな赤松真人さんが国内外で名前を知らしめるきっかけとなったのが2010年8月4日の対横浜ベイスターズ戦です。
村田修一選手が放った左中間のスタンドに入りかけたホームラン性の当たりをフェンスを一足飛びによじ登りキャッチするというプレーを見せました。
このプレーは海外メディアでもトップニュースに掲載されるなど注目を集め、米CBSでは「日本の野球史上、もっとも衝撃的なキャッチだ」と紹介されました。
米スポーツ専門テレビESPNでも、全世界のあらゆるスポーツの中から選ばれるその週の「トップ10」にて1位で選出されるなど大きく取り上げられ、インターネット動画サイトでも動画が100万件以上再生されており、一夜にして日本の内外から多くの反響を呼ぶ結果となりました。
赤松真人の胃がんはステージ3で余命宣告も…?
赤松真人さんは2016年12月15日に胃がんが発見されるものの、2017年には、胃から癌細胞を摘出する目的で、1月5日に胃の半分を切除する手術を受け、1月16日に退院しています。
しかし手術後の病理検査で癌細胞の一部がリンパ節へ転移していることが判明したため、療養とリハビリへ専念することとなってしまいました。
この胃がんは初期段階と公表されたものの、実はステージ3aだったそうです。
担当医は「正直なところ、僕たちが予想していたよりも、(がんは)進行した状態でした。最終的にはステージ3a期ということになります」と説明。
がんは最も進行した段階がステージ4なので、ステージ3aとなるとかなり進行した状態です。ステージ3aの場合の生存率は5年後50.1%だそうです。
多く見えますが3aにもなってしまうと半数の方は亡くなってしまっているということになり、更に3bは30.8%、3cは30%に届かないと言われています。
こういったことからも赤松真人さんの余命に関してはかなり心配の声も応援の声もあがっていました。
胃を切除してもだんだん食べれるようになって元気に90くらいまで生きた人知ってるし、辛いだろうけど諦めずに頑張り続けてほしい。 #赤松真人 選手
— いちご大福 (@1go_daifuku) 2017年7月17日
代走赤松!が聞けることがあるのかなぁと寂しくなってきたな
— ぱんだ🐼 (@koharunnrunn) 2017年4月1日
現役選手で胃の摘出からの復帰は聞いたことがないしがんばってほしい
赤松真人の嫁や子供は?
そんな赤松真人さんを支えていたのが赤松真人さんのご家族の嫁や子供です。赤松真人さんが嫁と結婚したのは2007年の12月のことでした。
ちなみに嫁の名前は寛子さんというとても美人な女性なのですが、それもそのはずです。嫁の寛子さんは過去に「ミス茨木」に選出されたこともあり、大阪では「歌唱指導者」をしていた経験をもっています。
2006年には「揺葉~YURIHA~」というアーティスト名でCDデビューも果たしており、ドラマの主題歌にもなっていました。
また、社長令嬢という噂もありますがその点に関しては噂だけで確実な情報は出回っていませんでした。
しかし気品溢れる美人さんということもあり、もしかしたら社長令嬢の可能性もあるかもしれません。
二人の間に子供は?
そんな二人の間には男の子の息子さんがいます。お子さんの名前などの情報は出回っていませんが、画像はこちらです。
ネット上でも赤松真人さんと瓜二つだと話題になりましたが、男の子ということで、顔だけでなく身体能力に関しても赤松真人さんのDNAをしっかり受け継いでいると思うので、この先子供の成長や活躍にも期待していきたいですね。
赤松真人の現在!復帰している?
2017年の手術の後、術後の病理検査で癌細胞の一部がリンパ節へ転移していることが判明したため、療養とリハビリへ専念しますが、早期の復帰を優先すべく、自らの意思で半年間にわたって副作用の強い治療を受け続け、2017年7月11日には三軍練習への合流を果たしています。
復帰後は赤松真人さんこの様なコメントを残しています。
手紙やブログを通じて多くの励ましのメッセージを受け取った。「もちろん(励みに)なりました。特に同じ病気をされてる方、もっと大きい病気をされている方からも手紙をもらった。言ってみれば僕は運動も出来るし食事も出来る状況なので。やらないと逆に失礼だと思うから。僕がしっかり運動をして、回復をして、そういう方々に勇気を与えるのが僕の使命。
少しずつ完全復活までの道のりを歩んでいる赤松真人さんには多くのエールも送られています。
ユニがぶかぶか、か…あかまっちゃん、急ぐこたあねえから、いつか帰ってこいよ。
— こしひかり (@ko_shi_hi_ka_ri) 2017年3月18日
広島 闘病中の赤松がセレモニーに参加 1月に胃の半分を切除(デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース https://t.co/kN3qZvREFT #Yahooニュース
赤松どのくらい胃摘出したんだろうか……良くて半分でしょ……プロの選手がご飯の量減るのは致命的だよね……でも2ヶ月くらいで運動再開出来るみたいだし交流戦には間に合うといいなぁ
— ここあ🔌トプステの04bお手伝い (@kokoa62) 2017年1月5日
ファンからのエールも多く見られるので、是非この先赤松真人さんには頑張ってほしいですね。
赤松真人さんが頑張ることで沢山の人への勇気も与えられるでしょう。その為にも是非完全復活を目指してほしいです。
まとめ
胃がんを克服し、現在は3軍でキャッチボールなどから少しずつ完全復活を目指しているそうですが、そんな赤松真人さんの努力や行動には野球に興味のない方、同じ様に胃がんで苦しんでいる方にもとても勇気を与えられる行動だと思います。
最近では芸能界や有名人などで胃がんが発見されることが多くありますが、そういった方にも勇気を与えることが出来るでしょう。
家族の為、野球ファンの為、同じ様に苦しんでいる人の為、もちろん赤松真人さん自身の為にも本格的な復帰を応援していきましょう。