リヴァプールFCでプレーしていた世界的プロサッカー選手のディオゴ・ジョタが自動車事故で不慮の死を遂げました。
この記事ではディオゴ・ジョタの年俸やプレースタイル、背番号の永久欠番、結婚や嫁、子供、兄弟などの家族、ランボルギーニでの自動車事故と死因についてまとめました。
この記事の目次
ディオゴ・ジョタのプロフィール
ディオゴ・ジョタのプロフィール
本名 :Diogo José Teixeira da Silva
生年月日:1996年12月4日
没年月日:2025年7月3日(28歳没)
身長 :178cm
ディオゴ・ジョタ(Diogo Jota)は、ポルトガル出身のプロサッカー選手で、2020年から2025年に自動車事故で突然亡くなるまでイングランドの名門クラブ「リヴァプールFC」でプレーし昨季は26試合6得点でリーグ制覇に貢献。長くポルトガル代表としても活躍(通算49試合14得点)し、世界的に知られる名フォワードでした。
ディオゴ・ジョタは、2022年までリヴァプールに在籍した南野拓実さん(現在はモナコ)や2023年からリヴァプールに在籍する遠藤航さんのチームメイトとして、日本のサッカーファンの間でもよく認知されていました。
世界的な人気選手だったディオゴ・ジョタでしたが、2025年7月3日に自らが運転する高級車ランボルギーニで自動車事故を起こし28歳という若さで死去したが報じられ世界のサッカーファンに衝撃と悲しみが広がっています。また、この自動車事故では、ディオゴ・ジョタの実の弟であるサッカー選手のアンドレ・シルバ(ポルトガル2部ペナフィエル)も同乗していて共に死去しています。
ディオゴ・ジョタの年俸

最新の報道によると、ディオゴ・ジョタはリヴァプールと週約14万ポンド(現在のレートで約18万7000ドル、日本円にして約2800万円)で契約を結んでおり、年俸にして700万ドル(日本円にして10億円以上)だった事がわかっています。
ディオゴ・ジョタはリヴァプールでプレーした5年間で年俸とインセンティブを合わせて4500万ドル(日本円にして66億円以上)の報酬を得たとも報じられています。
Capologyによると、ジョッタのリバプールでの年俸は週約14万ポンド(約18万7000ドル)、年間700万ドルに相当する。リバプールでプレーした5年間で、ジョッタは年俸とボーナスを合わせて4500万ドルを受け取った。
ディオゴ・ジョタのプレースタイル

ディオゴ・ジョタのプレースタイルはトッププレイヤー達の中でも特別に際立ったものでした。
ディオゴ・ジョタのプレースタイルとして真っ先に挙げられるのが、圧倒的なドリブルでの突進力です。
ディオゴ・ジョタは相手ディフェンスの懐に入り込むのが抜群に上手く、高い加速力によって相手守備を置き去りにしてボールを前に運ぶ能力はスタープレーヤーが揃うリヴァプールでも随一でした。
ディオゴ・ジョタのプレースタイルとして2つ目に挙げられるのが、左右両足をバランスよく使えるボールスキルの高さです。
ディオゴ・ジョタのパス時の左右足の使用比率はおよそ3.5:6.5の割合でこれはプレミアリーグ全体でもトップレベルの数値です。また、シュート時の左右使用比率は2018-19シーズン6:4の割合で逆足でのシュート数の方が多く、2019-20シーズンも左右5:5の割合でシュートを放っています。
ディオゴ・ジョタのポジションは得点力を求められるフォワードであり、一瞬のシュートチャンスをものにする必要がある局面において、左右の足を遜色なく使いこなせるディオゴ・ジョタの能力はずば抜けた得点能力に直結していました。
ディオゴ・ジョタのプレースタイルとして3つ目に挙げられるのは、ポジショニングと相手ディフェンスとの駆け引き能力の高さを活かした知的なプレーです。
ディオゴ・ジョタは相手ディフェンスとの距離の取り方が絶妙で、相手にマークの受け渡しを強要させたり、微妙な位置取りにより相手からの警戒を外し、隙をついてラインを突破して味方からのパスを引き出してシュートに繋げるというプレーが多くみられました。
ディオゴ・ジョタの背番号20はリヴァプールの永久欠番に

ディオゴ・ジョタが自身が運転するランボルギーニでの自動車事故により、2025年7月3日に28歳の若さで不慮の死を遂げた事を受けて、所属チームのリヴァプールはディオゴ・ジョタの背番号「20」を永久欠番にすると発表しています。
イングランド・プレミアリーグのリバプールは11日(日本時間12日)、交通事故で亡くなったポルトガル代表FWディオゴ・ジョタ選手(享年28)の背番号「20」を、女子チームとアカデミーを含む全カテゴリーでクラブの永久欠番にすると発表した。 クラブは4日に「20」を永久欠番とする方針を明らかにしていたが、夫人や家族と協議した上で対象を全カテゴリーに広げることを決めた。
ちなみに、ディオゴ・ジョタはリヴァプールに移籍する前に所属していた「ウルヴァーハンプトン」では背番号「18」、「FCポルト」では背番号「19」、「アトレティコ・マドリード」では背番号「18」、「パソス・デ・フェレイラ」では背番号「18」を背負っていました。
ディオゴ・ジョタの家族① 両親

出典:https://s2-oglobo.glbimg.com/
ディエゴ・ジョタの家族は、父親はジョアキン・シルバ(Joaquim Silva)、母親はイザベル・シルバ(Isabel Silva)と、祖父が健在である事がわかっています。
ディエゴ・ジョタと弟のアンドレ・シルバがランボルギーニの自動車事故で死去し、兄弟を一度に突然失った両親ら家族の衝撃は計り知れず、両親や祖母が悲観に暮れた様子である事を一部の海外系のスポーツメディアが報じています。
ディオゴ・ジョッタとアンドレ・シルバの母親、父親、祖父は悲嘆に暮れている様子だった。
ディオゴ・ジョタの家族② 兄弟のアンドレ・シルバもサッカー選手だった
ディオゴ・ジョタの兄弟のアンドレ・シルバ
本名 :André Filipe Teixeira da Silva
生年月日:2000年4月28日
没年月日:2025年7月3日(25歳没)
出身地 :ポルトガル・ゴンドマール
身長 :173cm
ディオゴ・ジョタの兄弟では、3歳下の実弟のアンドレ・シルバがプロサッカー選手として活躍していました。
ディオゴ・ジョタが死去した2025年7月3日のランボルギーニでの自動車事故では、この弟のアンドレ・シルバも車に同乗しており兄弟が共に亡くなるという悲惨な事故となりました。
ディオゴ・ジョタの兄弟であるアンドレ・シルバは2023年から2025年にかけてポルトガル2部リーグのペナフィエルでプレーし、エルデル監督の下でレギュラーとして活躍し攻撃的ミッドフィルダーとして通算で62試合に出場し7得点3アシストの成績を残しました。
ディオゴ・ジョタの家族③ 結婚したばかりの嫁と3人の子供がいた

ディエゴ・ジョタは以前からのパートナー(正式に結婚し嫁に)との間に3人の子供がおり、2025年6月22日に結婚式を挙げたばかりでした。

ディエゴ・ジョタの結婚した嫁は、ルーテ・カルドーゾ(Rute Cardoso)という女性で、2人は高校生の時に知り合い2012年から交際をスタートして、2022年7月にディエゴ・ジョタがプロポーズをして婚約しました。欧州では法的に結婚していなくても婚約していればパートナーとして公に認知されて嫁として認められます。
その後、ディエゴ・ジョタは嫁のルーテ・カルドーゾとの間には3人の子供が誕生。1人目の子供は2021年に生まれた長男のデニス(Dinis)、2人目の子供は2023年に生まれた次男のドゥアルテ(Duarte)、2024年に生まれた娘(長女、名前は非公開)でした。
そして、ディオゴ・ジョタは嫁のルーテ・カルドーゾと2025年6月22日に結婚式を挙げ、これには世界中のサポーターから祝福のコメントが寄せられていました。
しかし、その幸せの絶頂からわずか10数日後の2025年7月3日に、ディオゴ・ジョタは悲惨な自動車事故によりこの世を去る事になりました。
ディオゴ・ジョタの死因はランボルギーニでの自動車事故

ここまででも書いているように、ディオゴ・ジョタの死因は高級車ランボルギーニでの自動車事故でした。
ディオゴ・ジョタの死因となったランボルギーニでの自動車事故発生までの経緯
報道によると、このシーズンオフにディオゴ・ジョタは弟のアンドレ・シルバと地元のポルトガルに戻っていました。
ディオゴ・ジョタはこのポルトガルへの帰省時、嫁のルーテ・カルドーゾとの結婚式を挙げる前に、ポルトガルの第2の都市ポルトのサン・ジョアン大学病院で簡単な肺の手術を受けており、医師に飛行機に乗らないように指示を受けたため、フェリーでリヴァプールへ戻るため、ランボルギーニ・ウラカンを運転し、弟のアンドレ・シルバとともに、スペインのサンタンデール港へと向かっていたようです。
そして、ディオゴ・ジョタは、その途中の2025年7月3日の中央ヨーロッパの夏時間午前0:30 〜0:40の間、スペインのA-52高速道路を走行中に別の車に追い越しをかけたところ、運転するランボルギーニのタイヤがバーストし、セルナディラ市の64km地点付近で道から外れて衝突。それによってランボルギーニは炎上し、これがディオゴ・ジョタとアンドレ・シルバの死因になりました。
スペインの捜査当局によると、自動車事故発生時にランボルギーニを運転していたのはディオゴ・ジョタで、車は高速道路の制限速度を大幅に超過していたという事です。
まとめ
今回は、イングランドプレミアリーグの名門「リヴァプールFC」でプレーしていたサッカー選手で、2025年7月3日に自ら運転するランボルギーニで自動車事故を起こし、28歳の若さで不慮の死を遂げたディオゴ・ジョタについてまとめてみました。
ディオゴ・ジョタは年俸700万ドル(日本円にして10億円以上)を稼ぐ、世界トップクラスのプロサッカー選手でドリブルでの卓越した突進力、両足を遜色なく使えるボールスキル、駆け引きに長けた知的な能力を活かしたプレースタイルでリヴァプールやポルトガル代表として活躍しました。
ディオゴ・ジョタの突然の死を受けて、リヴァプールは彼の背番号「20」を永久欠番にする事を発表しています。
ディオゴ・ジョタの家族は、父親のジョアキン・シルバ、母親のイザベル・シルバ、祖父がおり、2025年6月に結婚式を挙げたばかりだった嫁のルーテ・カルドーゾと、まだ幼い3人の子供がいました。また、兄弟では実弟のアンドレ・シルバがプロサッカー選手として活躍していましたが、今回の自動車事故で兄の運転するランボルギーニに同乗していて共に亡くなっています。
ディオゴ・ジョタの起こしたランボルギーニでの自動車事故は、ディオゴ・ジョタと弟のアンドレ・シルバが、帰省していたポルトガルからリヴァプールへとフェリー戻るためにスペインのサンタンデール港へ向かう途中に発生しました。
事故発生時にランボルギーニを運転していたのはディオゴ・ジョタ本人で高速道路で追い越しをかけた際にタイヤがバーストし、車が道路外へ外れて衝突して炎上し、これがディオゴ・ジョタとアンドレ・シルバの直接的な死因になったと発表されています。




















