「福井女子中学生殺人事件」で冤罪を訴える前川彰司さんの再審裁判開始が確定しました。
この記事では前川彰司さんの経歴と父親や結婚などの家族、シンナー中毒で素行不良者とされた当時や事件の被害者、犯人となぜ疑われたのか、毛髪の証拠能力、真犯人や現在についてまとめました。
この記事の目次
- 前川彰司さんは福井女子中学生殺人事件で有罪判決を受け服役も冤罪を主張
- 前川彰司さんの経歴
- 前川彰司さんの家族① 父親の礼三さんは現在も健在
- 前川彰司さんの家族② 母親は2004年6月に他界
- 前川彰司さんの家族③ きょうだいは少なくとも姉が1人いる
- 前川彰司さんの結婚
- 前川彰司さんが冤罪で犯人とされた福井女子中学生殺人事件の概要
- 前川彰司さんの福井女子中学生殺人事件の被害者・高橋智子さん
- 前川彰司さんはなぜ疑われたのか① 複数の知人による証言(ほぼ出鱈目)
- 前川彰司さんはなぜ疑われたのか② 事件現場に毛髪が落ちていた
- 前川彰司さんはなぜ疑われたのか③ シンナー中毒など素行が悪かった
- 前川彰司さんが冤罪で犯人とされた福井女子中学生殺人事件の真犯人は誰か
- 前川彰司さんの現在…再審裁判が確定し冤罪である事が認められる公算が大
- まとめ
前川彰司さんは福井女子中学生殺人事件で有罪判決を受け服役も冤罪を主張
前川彰司さんは、1986年3月19日の夜に福井県福井市豊岡2丁目の市営住宅で1人で留守番中だった福井市立光陽中学校3年(同日卒業式を迎えた)の女子中学生・高橋智子さん(事件当時15歳)が何者かに殺害された「福井女子中学生殺人事件」で、十分な証拠がないまま逮捕されて有罪判決を受け7年間服役した男性で、一貫して冤罪を主張し現在も裁判のやり直しと無罪判決を求めています。
前川彰司さんは福井女子中学生殺人事件発生から1年が経過した1987年3月29日に殺人容疑で福井県警に逮捕され、起訴された後も一貫して容疑を否認。
1990年の福井地方裁判所での一審判決は無罪となるも、検察側が控訴して開かれた名古屋高等裁判所金沢支部での控訴審では一転して懲役7年の有罪判決が言い渡され、その後1997年に最高裁で有罪判決が確定。前川彰司さんは7年間服役しました。
前川彰司さんは有罪判決が確定した後も冤罪を主張し続け、2004年に日本弁護士連合会の支援のもと名古屋高等裁判所金沢支部に再審を請求。2011年11月に名古屋高裁金沢支部は再審開始を決定するも、検察が異議申し立てを行い名古屋高裁は異議審で再審開始取り消しを決定。
前川彰司さんはこれを不服として最高裁に特別抗告を行うも、最高裁はそれを退けて再審請求棄却の決定を下しました。
しかし、前川彰司さんは2022年10月に第二次再審請求を行い、2024年10月23日、名古屋高等裁判所金沢支部は再審請求開始を決定。10月28日には検察が異議申し立てを断念した事で、不当逮捕から約40年を経てようやく再審開始が確定し大きく報道されています。
前川彰司さんの経歴
出典:https://www.fukui-tv.co.jp/
前川彰司さんの経歴に関する詳しい情報は明かされていません。
前川彰司さんは2024年10月の時点で「59歳」、1987年3月の逮捕当時の年齢が「21歳」という事なので、生年は「1965年」だと思われます。
家族構成は父親と母親、姉の存在が明かされており父親の礼三さんは当時は福井市の財政部長の要職についていて家庭環境にも特に問題はなかったようです。
一方で、前川彰司さんは中学生の頃から常習使用のシンナー中毒の素行不良者として警察にマークされていたとの内容が裁判記録などで確認できるため、当時は非行少年ではあったようです。
前川彰司さんの中学時代の1学年上の先輩に暴力団組員がおり、当時はその先輩に使いパシリのようにされるなどしていたという事なので、反社会的な人物との交流があった事は確かなようです。
前川彰司さんは「福井女子中学生殺人事件」で、21歳だった1987年3月29日に不当な形で逮捕され、裁判では冤罪により実刑判決を受けて7年間服役し、2003年に刑期を終えて出所しています。
出所後の経歴も詳しくは公開されていないものの、2013年3月当時の報道で、福井市内で1人暮らしをしている事と、通信制高校を卒業したばかりである事が明かされています。
現在は福井市内で一人暮らしをしており、今月、復学した通信制高校を卒業したばかりだった。
前川彰司さんの家族① 父親の礼三さんは現在も健在
出典:https://chugoku-np.ismcdn.jp/
前川彰司さんの家族構成は、経歴のところでも触れたように父親の礼三さん、母親、きょうだいは少なくとも姉が1人いる事がわかっています。
前川彰司さんの父親の礼三さんは、前川彰司さんが不当に逮捕された1987年当時は、福井市に勤務して財政部長を務めており、将来は市長候補とも目されるなど地域で一目置かれる人物でした。しかし、前川彰司さんが「福井女子中学生殺人事件」で不当に逮捕された事で、父親の礼三さんもそうした出世の道が閉ざされる事になり、この冤罪事件の被害者の1人だと言えます。
前川彰司さんの父親の礼三さんは息子の前川彰司さんが福井女子中学生殺人事件で不当に逮捕された後、福井市役所の辞職も考えたという事でしたが、「それでは息子の非を認めることになる」として思いとどまり、定年まで勤め上げています。
前川彰司さんの父親の礼三さんは冤罪で服役した前川彰司さんを信じ、刑務所にも頻繁に面会に訪れていたとの事です。また、前川彰司さんが出所した後の冤罪を訴え再審を求める運動も家族として近くで支え続けました。
前川彰司さんの父親の礼三さんは2024年時点で91歳となっており、福井市内の高齢者施設に入居されているという事です。
再審開始決定を受けた前川彰司さん(59)が24日、父礼三さん(91)が生活する福井市内の高齢者施設を訪れ、決定を報告した。2人は「良かった」と言い合い、握手して喜んだ。
前川さんを長年支えてきた礼三さんだったが、足腰が衰えるなどし、約2年前から施設で暮らす。
前川彰司さんの家族② 母親は2004年6月に他界
前川彰司さんの家族のうち母親は、シンナー中毒になるなど非行に走る当時の前川彰司さんを匙を投げずに支え続けた方で、前川彰司さんが福井女子中学生殺人事件の犯人だと疑われて警察に尾行された際にも「悪い遊びができなくていいわ」と冗談を言って気丈に振る舞って、前川彰司さんを励ましていたそうです。
しかし、やはり前川彰司さんに有罪判決が言い渡されて確定した際には打ちのめされて精神的に大きなダメージを受け、次第に認知症の症状が進んだという事でした。
前川彰司さんの母親は、前川彰司さんが2003年3月6日に出所した際には存命でしたが寝たきりの状態で、翌2004年の6月に亡くなられています。
前川彰司さんの家族③ きょうだいは少なくとも姉が1人いる
前川彰司さんの家族のうち姉については、福井女子中学生殺人事件の裁判記録などで、前川彰司さんが事件の被害者の女子中学生・高橋智子さんが殺害されたと推定される時間帯に、自宅で家族と夕食をとっており、その際に既に結婚して家を出ていた姉の家族が実家を訪れて一緒に食卓を囲んでいた事が明らかになっています。
前川彰司さんの姉についてはこれ以外には情報がなく、現在どうされているのかは不明です。
前川彰司さんの結婚
前川彰司さんの結婚の有無については情報がありません。
前川彰司さんは、福井女子中学生殺人事件で不当に逮捕された1987年当時は結婚はしておらず独身でした。
その後、前川彰司さんは裁判を受けて冤罪の有罪判決により7年間服役し2003年に満期で出所されていますが、その後も結婚されたという情報は出ていません。
2013年3月の報道では、福井市内で1人暮らしをしているとの情報が明らかにされているため、この時点でも結婚はされていなかった可能性が高いと思われます。
前川彰司さんが冤罪で犯人とされた福井女子中学生殺人事件の概要
前川彰司さんが冤罪により犯人とされた「福井女子中学生殺人事件」自体についても見ていきます。
福井女子中学生殺人事件の被害者発見時の状況
1986年3月20日の午前1時半頃、福井県福井市豊岡2丁目の公営住宅に、スナックでの仕事を終えた高橋静代さん(当時39歳)が帰宅したところ、1人で留守番をしていた娘の女子中学生・高橋智子さん(当時15歳)が、6畳間で血まみれになって死亡しているのを見つけ警察に通報し、事件が発覚しました。
被害者の高橋智子さんの遺体は仰向けに倒れ、右首筋には包丁が突き立てられたままの状態でした。頭部や顔面にはガラス製の灰皿で殴られた痕跡があり、首には電気コードで絞められた二重条痕、顔や首などを中心に45ヶ所もの刺し傷があり、死因は刺し傷からの失血死と判定されました。また、着衣に乱れはなく性的な乱暴を受けた形跡はありませんでした。
警察による現場検証により、犯人はまず灰皿で被害者の頭を殴りつけた後、電気カーペットのコードで首を絞め、さらにその後に上半身にこたつのカバーをかけた上から包丁滅多刺しにして殺害したと推測されました。
凶器は全て被害者の自宅内にあったもので、被害者を滅多刺しにするのに使われた包丁は、被害者の首に刺さったままになっていた刃渡約18cmの文化包丁と、遺体の傍に「くの字」に折れ曲がった包丁の少なくとも2本が使用されていました。
被害者の高橋智子さんは3月19日の21時頃に母親の勤め先のスナックに1度電話を入れている事と、21時半頃に同公営住宅の住民らが激しい物音を聞いている事から、被害者の死亡推定時刻は21時40分頃と推認されました。
被害者の高橋智子さんは毎日1人で留守番をしており、その際にはいつも施錠していた事や遺体には抵抗してできた傷や争った形跡がなく、室内も荒らされた形跡もありませんでした。
室内にも犯人に直接繋がるような指紋や遺留品は見つからず、警察は物盗りなどの行きずりの犯行でなく、顔見知りによる犯行の可能性が高いと見て捜査を進めました。
また、あまりにも残忍な殺害方法から、精神異常者による犯行、被害者に強い恨みを持つ者の犯行、非行グループによるリンチ殺人などの可能性を視野に捜査を進める方針をとっています。
福井女子中学生殺人事件発生からおよそ1年後に前川彰司さんが逮捕され有罪判決
福井女子中学生殺人事件の捜査は進展せずに暗礁に乗り上げて長期化し、警察は焦りもあってか信ぴょう性の薄い目撃証言などを根拠に、事件からおよそ1年後の1987年3月29日に前川彰司さんを殺人の容疑で逮捕に踏み切りました。当時、前川彰司さんは21歳で無職でした。
犯人だとして逮捕された前川彰司さんは一貫して冤罪を訴えましたが、警察はそのまま起訴に踏み切り、裁判では一審では検察側が示した証拠の信用性がないとして無罪判決が言い渡されたものの、控訴審で逆転有罪とされて懲役7年の判決が言い渡されます。
弁護側は判決を不服として上告したものの1997年11月14日、最高裁は弁護側の上告を棄却する決定を下し有罪判決が確定しました。
前川彰司さんが福井女子中学生殺人事件の犯人とされて逮捕され裁判でも有罪判決を受けるほどになぜ疑われたのかについては後述します。
前川彰司さんの福井女子中学生殺人事件の被害者・高橋智子さん
前川彰司さんが犯人だとして冤罪での有罪判決を受けた「福井女子中学生殺人事件」の被害者は、事件当時15歳だった高橋智子さんです。
高橋智子さんの両親は事件から見て6年前に離婚していて、当時18歳の姉は父親に引き取られて、高橋智子さんは事件現場となった福井県福井市豊岡2丁目の公営住宅で母親の高橋静代さんと2人で暮らしていました。
被害者の高橋智子さんは事件当日の1986年3月19日に福井市立光陽中学校を卒業したばかりで、卒業式には母親の高橋静代さんと出席し、式を終えて2人は1度別れ、母親が先に帰宅して17時半頃に高橋智子さんが自宅に帰宅。18時頃に母親の高橋静代さんが出勤し、以降は高橋智子さんが1人で留守番をしていて、21時40分頃に何者かによって殺害されました。
前川彰司さんはなぜ疑われたのか① 複数の知人による証言(ほぼ出鱈目)
前川彰司さんが「福井女子中学生殺人事件」の犯人としてなぜ疑われたのかについてみていきます。
前川彰司さんがなぜ疑われたのかの原因の1つ目は複数の知人による証言があった事でした。
事件後の1986年10月下旬、同年8月半ば頃に覚醒剤がらみの事件で逮捕されて福井署に未決勾留されていた暴力団組員A(当時22歳)が、「殺人事件の犯人を知っている」などと言い始めました。最初は警察も相手にしませんでしたが、この暴力団組員の男は「後輩Bが顔や服に血のついた男を白い車に乗せてきた」などと具体的な内容を話し始めました。
この暴力団組員Aは前川彰司さんの中学時代の1学年先輩で、前川彰司さんは使いパシリのようにしていた人物でした。
話は前後しますが、前川彰司さんは以前からシンナー中毒の素行不良者として警察にマークされていため容疑者リストに上がり福井女子中学生殺人事件が発生した2週間後の1986年4月上旬に事情聴取を受けていました。
しかしこの時には、事件当日に姉の家族が実家に訪問していて家族で食卓を囲んで団欒しており、アリバイがあったため容疑者リストから除外されています。
しかし、福井女子中学生殺人事件の犯人の手がかりが一向に掴めない事に焦りを覚えた福井県警は、前川彰司さんの知人である暴力団組員Aの証言に食いついて再び前川彰司さんに目ぼしをつけて内偵を進め、半ば強引に前川彰司さんを犯人に仕立て上げるための証言を集め始めました。
警察はまず、暴力団組員が証言した、白い車で血のついた男を乗せてきたという後輩Bの取り調べを行いました。後輩Bは「身に覚えがない」と主張するも警察は犯人秘匿の容疑で後輩Bを逮捕。しかし後輩Bは事件との関与を否認し続けて10日余りで釈放されています。
しかしその後、後輩Bが血のついた男を乗せてきたという白い車(日産スカイラインと判明)は、シンナー仲間のC(当時27歳)が人から借りて乗っていたものである事が判明。警察はこの白いスカイラインを特定して調べ、助手席付近から被害者と同じO型の血痕が出た事を発表しました。
警察はこれを根拠に前川彰司さんを犯人だと断定し、最初に証言した暴力団組員Aを含め前川彰司さんの不良仲間ら6人の証言から、以下のような筋書きを作り上げました。
① 3月19日21時頃、前川彰司さんが暴力団組員Aの同棲相手の自宅を訪れ、そこにいた暴力団組員Aからシンナーの一斗缶を受け取った。
② そこへたまたま白のスカイラインに乗って現れた不良仲間Dに出くわし、前川彰司さんは車に同乗して被害者の住む公共住宅に向かった。
③ 前川彰司さんは車にDを残して1人で被害者の高橋智子さんの住む部屋へ向かい、シンナー遊びに誘うも、むげに断られたために激昂して高橋智子さんを殺害した。
④ 前川彰司さんは返り血を浴びた状態で車に戻り、Dに頼んで義兄(姉の夫)のところへ送ってもらうも留守だっため、同棲相手の元にいる暴力団員Aの元へ送ってもらった。
⑤ 暴力団員Aは不在だったため、同棲相手に頼んで事務所に連絡をとってもらい居場所を聞き出した。
⑥ 前川彰司さんはDに暴力団員Aがいるというゲーム喫茶に向かって送ってもらおうとするも詳しい場所がわからず、Aの後輩のEが迎えにきて白いスカイラインの運転を代わりゲーム喫茶に送り届けてもらった。
⑦ 前川彰司さんは暴力団組員Aと落ち合い、近くに住む暴力団組員Fの同棲相手の家へ行き、AとFは覚醒剤を使用し、前川彰司さんはシンナーを吸引した。
⑧ その後、20日の午前6時頃、前川彰司さんは暴力団組員Aの同棲相手の自宅へ行ってシャワーを借り、午後まで眠った。
⑨ 15時頃、前川彰司さんは暴力団組員Aに自宅まで送ってもらう途中に血の付いていた着衣等を袋に入れて近くの底食川に捨てた。
この筋書きでは、前川彰司さんは被害者の高橋智子さんのシンナー仲間という事になっていますが、そもそも前川彰司さんと被害者に面識はありませんでした。
また、最初に証言をした暴力団組員Aは覚醒剤に絡んだ事件で逮捕されて勾留されており、自分の罪を見逃してもらうために警察取引をして嘘の目撃証言をした事が明らかになっています。
男性は無罪とされた1審・福井地裁で、弁護側の尋問に「事件当日、前川さんと会っていない」と証言したが、2審で翻していた。 この日、男性は証言の変遷について「1審後、自分の薬物犯罪で警察署に出頭した際、警官から『控訴審で調書通りに話すなら見逃す』と持ちかけられ、受け入れてしまった」と説明。2審での証言の後に警官から結婚祝いに贈られたとする祝儀袋も証拠として提出したという。
また、他の知人らの証言にも矛盾点が多く、ある1人は前川彰司さんと事件当日にあった際の記憶として、あるテレビ番組の内容を話しましたが、その番組の放映日が別の日だった事も判明し、当時の知人らの証言の信用性のなさが浮き彫りになりました。
高裁支部はまず、男性の供述を支えた別の知人(59)の証言を検討した。その知人はテレビ番組の場面をもとに「事件当夜の記憶」として前川さんと会ったと話してきたが、検察側が第2次再審請求で開示した捜査書類によって、番組の放映は別の日だったことが判明。この証言は「客観的な裏付けを失った」と高裁支部は指摘した。
前川彰司さんはなぜ疑われたのか② 事件現場に毛髪が落ちていた
前川彰司さんが福井女子中学生殺人事件でなぜ疑われたのかの2つ目は、事件現場で採取された毛髪のうち2本が、被害者や被害者の母親の毛髪と明らかに異なる毛質で、その毛髪が検察側の鑑定で「前川彰司さんの毛髪と同一」とされた事でした。
福井女子中学生殺人事件の裁判で唯一物証とされたのがこの毛髪でしたが、第一審ではこの毛髪鑑定は科学的根拠欠いていて、前川彰司さんの毛髪と同一とは断定できないとの判断が下されました。
当時はDNA型鑑定がなく、当時の毛髪鑑定は血液型や性別、高齢者か若者かなどを大別できるだけで、個人の識別まではできず、その特徴の一致だけで前川彰司さんの毛髪だと断定する事は不可能で裁判でも証拠能力は認められていません。
前川彰司さんはなぜ疑われたのか③ シンナー中毒など素行が悪かった
前川彰司さんがなぜ疑われたのかの3つ目ですが、これはそもそも前川彰司さんが当時はシンナー中毒で素行不良者として警察に目をつけられていた事が挙げられます。
当時の警察は最初から、素行不良者と目していた前川彰司さんを犯人に仕立て上げるように動いていた節があり、かなり強引に捜査を進めて逮捕と起訴に踏み切っています。
当時はこうした強引な捜査手法が横行していて、福井女子中学生殺人事件以外にも多くの冤罪が生み出されたと言われています。
前川彰司さんが冤罪で犯人とされた福井女子中学生殺人事件の真犯人は誰か
現在、「福井女子中学生殺人事件」の犯人は、弁護側が示した証拠により明らかに前川彰司さんではないと見られています。
それでは福井女子中学生殺人事件の真犯人は誰なのかという事になりますが、現在の時点では真犯人が誰なのかは全くわかっていない状態です。
ただ、事件のあった福井県福井市豊岡の地元地域では、真犯人ではないかと疑われている人物が1人いるようです。
2024年10月にYahoo!知恵袋に、福井女子中学生殺人事件の真犯人をどうにかして捕まえられないのかという内容の質問が投稿されましたが、それに以下のような回答がつけられています。
福井在住で当時の事件を知ってる人たちの間では、「あいつ絶対犯人だ」って男がいることは有名。なんでその男が犯人なんだって理由は、自分も又聞きだし信憑性もどうなんだろって事で、ここでは詳しく書かないけど。 その人、昔しばらく自分が働いてる店の客として来てたけど、イキりまくりの変な人だったよ。 何しろ、真犯人がいるなら捕まってほしいよ。でも物証がほとんど無いっていうのが痛いよね。
ただ、この回答をされた方もこの真犯人と疑われている男については「イキりまくりの変な人」と書いているのみで、ここからこの人物を特定するのは難しそうです。また、この回答者の方も「信憑性もどうなんだろ」と書かれているようにこの人物が真犯人であるとする決定的な証拠があるわけではないようです。
前川彰司さんの現在…再審裁判が確定し冤罪である事が認められる公算が大
前川彰司さんは、2024年12月の現在59歳になられています。
ここまででも書いているように前川彰司さんは現在も「福井女子中学生殺人事件」の冤罪を訴え続けており、改めて裁判での無罪判決を求めて再審請求を続けられてきました。
ようやくその粘り強い行動が実る形で、2024年10月28日に再審の開始がほぼ確定的となっており、ここまでの経緯から再審裁判では前川彰司さんに無罪判決が言い渡される公算が大きいと見られています。
福井市で1986年に起きた女子中学生殺害事件で、名古屋高検は28日、殺人罪で懲役7年が確定し、服役した前川彰司さん(59)の再審開始を認めた名古屋高裁金沢支部の決定を受け入れて、異議申し立てをしないと発表した。再審開始決定が確定し、再審公判で前川さんが無罪となる公算が大きくなった。
まとめ
今回は、1986年3月19日に発生した「福井女子中学生殺人事件」で不当に逮捕され、冤罪で有罪判決を受けて服役した前川彰司さんについてまとめてみました。
前川彰司さんの詳しい経歴は公開されていませんが、1965年の生まれでこの事件で逮捕されるまでは素行が悪く、シンナー中毒で警察からマークされており、それもあって福井女子中学生殺人事件の犯人に仕立て上げられてしまった側面があったと思われます。
前川彰司さんの家族は、父親の礼三さんは元福井市に勤めて財政部長も務めた方で福井市長候補として名前が上がるほどの方でした。他には母親と姉の存在が明らかになっています。
前川彰司さんの結婚の有無は不明ですが、少なくとも事件当時は結婚はしておらず独身で、刑期を終えて出所した後も2013年の時点では結婚はしておらず独身であった可能性が高いです。
前川彰司さんが不当に逮捕された福井女子中学生殺人事件の被害者は、当時15歳の高橋智子さんで、事件当日に福井市立光陽中学校を卒業したばかりでした。
前川彰司さんが福井女子中学生殺人事件の犯人としてなぜ疑われたかですが、これは不良仲間らの出鱈目な証言を警察が強引にでっち上げて犯人仕立て上げたというの真相だとみられています。検察側は事件現場に毛髪が落ちていた事を物証としてあげましたが、当時はDNA鑑定がなく、毛髪に証拠能力はありませんでした。
福井女子中学生殺人事件の真犯人は現在も不明なままです。
前川彰司さんは現在も冤罪である事を訴え、無罪判決を求めて再審請求を行なっています。2024年10月にようやく再審裁判の開始が確定しており、無罪判決が言い渡される公算が大きいと見られています。