2013年に、山口県内の限界集落を舞台にして起こった「山口連続殺人放火事件」ですが、犯人・保見光成の被害妄想を元にして起こってしまった痛ましい事件となります。
この記事では、「山口連続殺人放火事件」の場所や詳細と真相、犯人・保見光成の夜這い事件や被害妄想、そしてその後・現在についてまとめてみました。
この記事の目次
「山口連続殺人放火事件」とは…限界集落で起こった悲劇だった
山口連続殺人放火事件、保見光成による連続殺人事件だった
「山口連続放火殺人事件」とは、2013年9月に、山口県周南市金峰郷で起こってしまった痛ましい事件となります。
最初の事件は21日に発生。午後9時ごろ、約80メートル離れた民家2軒がほぼ同時に出火し、それぞれの住人だった山本ミヤ子さん(79)と、貞森誠さん(71)、妻喜代子さん(72)の遺体が見つかった。
翌22日正午ごろ、別の民家2軒で河村聡子さん(73)と石村文人さん(80)の遺体を発見。5人はいずれも頭部を複数回、同一とみられる鈍器で殴られ、ほぼ即死状態だった。
同事件では、近所に住む保見光成(当時63)の家に奇妙な張り紙がしてあったことから、重要参考人としてすぐに家宅捜索を受けました。
とはいえ、無駄にアクティブだった保見光成が、警察の家宅捜索が入る前に近くの山へ逃げて行方をくらませていたため、山狩りが行われて逮捕までに6日間かかるといった顛末もありました。
山口連続殺人事件、舞台となった金峰郷の場所とは?
「山口連続殺人放火事件」の舞台となった山口県周南市金峰郷に関しては、平家の落人伝説が残っているような辺鄙な山奥にある集落でした。
駅前の市街地を抜けると、後は街灯なき暗闇が延々と続く。JR徳山駅(山口県)から車で約1時間──。中国山地の一画を形成する金峰山(標高790メートル)への一本道を縫うように進むと、斜面にへばりつくような家々がポツポツと見えてくる。
奥深くいけば横穴や洞窟がたくさんあって、そういうところに潜めば山狩りしたってなかなか見つけられるものじゃない。
林業とシイタケ栽培が主要産業だったという金峰郷は、1946年頃には地元にある金峰小学校の生徒数が169人を数えるなど、それなりに賑わっていた時代もあったそうですね。
しかしながら、輸入木材の増加による林業の斜陽化の流れには逆らえずに、1995年頃には金峰小学校に通う生徒もいなくなり休校してしまうなど、過疎化が進む一方になっていたとか。
そんな事情もあり、「山口連続殺人放火事件」直前の金峰郷には、8世帯14人の住民しか住んでいなかったうえに、その7割以上が高齢者という有様でした。
「山口連続殺人放火事件」犯人・保見光成の生い立ちと経歴とは…元々は腕の良い職人だった
山口連続殺人放火事件、犯人・保見光成の生い立ちとは?
保見光成(ほみ こうせい)
生年月日:1949年12月
出身地:山口県周南市金峰郷
「山口連続殺人放火事件」の犯人・保見光成については、1949年12月に保見家の次男(5人兄妹の末っ子)として生まれてきており、元々は中(わたる)という名前でした。
金峰郷がまだ賑わっていた時代に少年期を過ごしていた保見光成は、子供の頃はガキ大将だったらしく、近所の子供たちから敬遠されていた一方で、イジメられっ子を庇ってあげるなど優しい一面もあったとか。
地元の中学校を卒業後は、山口県岩国市内にある会社に就職した保見光成でしたが、労働環境がイマイチだったため、すぐに辞めて東京へ上京することになりました。
上京後は、東京で左官をしていた20歳年上の兄の仕事を手伝っていた保見光成でしたが、17歳の頃にボクサーを志して兄とは決別しています。
その後パチンコ屋で住み込みで働いていた時期もあった保見光成でしたが、結局ボクサーの夢は挫折してしまい、建築関連の仕事を渡り歩きながら左官業に落ち着いたそうですね。
保見光成、腕の良い左官で社会性もあった
左官としての保見光成は、真面目な働きぶりと腕の良さから周囲の職人たちにも信用されており、最盛期には月収200万円を稼いでいたこともあったそうですね。
東京時代の晩年は、神奈川県川崎市多摩区のアパートに住んでいたという保見光成は、友人たちと一緒に魚釣りに行くこともあれば、行きつけの焼き鳥屋の経営者夫婦と仲良くなり、娘を預かったりすることもあったとか。
そんな充実した日々を過ごしてきた保見光成が帰郷を決意したきっかけは、父・保見友一さんより「体の調子が悪いから帰ってきて欲しい」との要請を受けたためでした。
そのため、1994年10月に実家隣の土地を購入し、関東と金峰郷を往復しながら自力で新宅を建てることとなった保見光成でしたが、1996年5月に新宅が完成した時点で1000万円の貯金が残っていたと言われております。
保見光成、帰郷後に挫折して孤立していた
新宅完成後に金峰郷に移住をした保見光成ですが、当時46歳とまだまだ働き盛りだったため、リフォーム業を中心とした何でも屋で生計を立てようと考えていたそうですね。
そのための拠点として、新宅の敷地内でカラオケバーも備えた「シルバーハウスHOMI」を開業した保見光成でしたが、少年時代の顔見知りたちも外に働き出てしまった金峰郷では、バーに顔を出してくれるような地元民もいませんでした。
都会での成功体験により自信と気力がみなぎっていた保見光成は、帰郷するなり金峰郷の自治会で村おこしを提案したこともあったそうですが、同世代の住職が1人賛成してくれただけで、残りの地元民たちからは反対の憂き目にあいました。
帰郷早々に地元民たちから出鼻をくじかれたダメージは大きかったようで、以降の保見光成は、自治会や集落の催しにも顔を出すこともなく孤立した状態に陥っていたとか。
Iターン移住者というわけではなく、元々は金峰郷で生まれ育った保見光成に対して地元民が冷淡だった背景には、現役時代の父・保見友一さんが定職につかずぶらぶらしていたことで、集落内で浮いていたことも影響していたようですね。
ちなみに、友一さんは終始無職だったというわけではなく、地元の産業の1つだった竹籠の仲買をしたり植林関連の仕事をしていた時期もあったようですが、基本的には集落の人間に安いお酒を高値で売りつけるような胡散臭い人物だったと言われております。
「山口連続殺人放火事件」保見光成が語った犯行動機とは?…地元民から夜這い事件の件で嫌がらせをされていた?
保見光成、犯行は嫌がらせを受け続けた復讐だった?
「山口連続殺人放火事件」の犯人である保見光成ですが、逮捕後は「地元集落の人間から数々の嫌がらせを受けた復讐に事件を起こした」と主張していたようですね。
「“都会から来たんじゃから、金も持っとろう。みんなのために草刈り機買って、草でも刈れ”言うてな。無理矢理やらせとった」(別の近所の住民)
保見容疑者は言われるがまま草刈り機を購入し、燃料代も自分で負担した。しかし、謝礼などは一切なかったという。
・草刈り機を燃やされた
・酒の席で口論になって被害者男性(貞森誠)に刃物で刺された。
・寝たきりの母がいる部屋に隣人が入ってきて「ウンコくさい」と言われた
・犬の飲み水に農薬を入れられた
・カレーに農薬を入れられた
・庭に除草剤を巻かれた
・犬が臭いと文句を言われた
・家の門の前で車で挑発された
・自分が運転する車の前に隣人が飛び出してきた
そのため、「山口連続殺人放火事件」に対しては、閉鎖的な村社会で起こったイジメに対する報復殺人事件とのイメージを持つネットユーザーたちが続出することになりました。
山口の連続殺人放火事件、容疑者が確保されましたが、事情が分かってくれるにつけ、被害者達から陰湿ないじめにあっていた容疑者が我慢の緒が切れて凶行に走った様子が見えて来ました。
— ハニワ星人 (@Haniwaseizin) July 28, 2013
まだ未確定ではありますが、少なくともマスコミの報道とはかなり趣が違って来ましたね。
保見光成、大昔の夜這い事件の因縁でいじめを受けていた?
「金峰郷へ帰郷後に地元集落の人間たちから嫌がらせを受け続けた」と供述している保見光成ですが、イジメが始まった理由についても心当たりがあると主張しています。
保見光成の主張によると、戦時中に自分の母親に対して夜這いをかけようとした集落の住民Aがいたため、現場に居合わせた(当時10代半ばの)兄が返り討ちにしたといった騒動があったそうですね。
そのことを根に持っていたAの長男Bこそが、自分に対するイジメを主導した張本人であり、帰郷した保見光成に対して「兄貴にはイジメられたぞ」と凄んできた人物だとか。
ちなみに、Bは保見光成に殺害された河村聡子さんの夫であり、「山口連続殺人放火事件」時には、友人たちと一緒に温泉旅行に出かけて難を逃れていました。
「山口連続殺人放火事件」の真相と詳細…すべては保見光成の被害妄想だった
保見光成、実は妄想性障害だった
「地元集落の住民たちから嫌がらせを受けていた」との発言により、ネット界隈から同情を集めていた保見光成ですが、逮捕後に精神鑑定を受けた結果、妄想性障害があったことが判明しています。
保見光成が精神を病んだきっかけについては、2000年代前半から中盤にかけて相次いで両親を失ったことが原因だったと言われております。
また、保見光成の両親は要介護度が高い状態だったため、1人で老齢の親2人の面倒を見続けたことで、心身共に疲れ果てて精神に異常が出てしまったのかもしれませんね。
「両親とも認知症です。そのほか色んな病気がありました。父に一番苦労しました。耳も聞こえません。ジェスチャーだけです。手を抜くことができません。母は痰を吸引しなければいけません。眠れませんでした。昼、デイサービスがくるので、その間、寝ていました。もちろん、おしめも換えます。慣れると簡単です。洗うことはありませんから」
ちなみに、自分が病んだ自覚のあった保見光成は、事件前より病院の精神科に通院していたようで、投薬治療などを受けていたとか。
山口連続殺人放火事件の真相は保見光成の被害妄想だった
保見光成が事件前より精神を病んでいたことで、その主張の信憑性に疑問の出てくることとなった「山口連続殺人放火事件」ですが、裁判では保見光成の訴えたイジメ被害のすべてが被害妄想認定されることになりました。
実際の話、現地取材に出かけた雑誌記者やルポライターたちも、保見光成の訴えるような陰湿な村社会の実態は掴めなかったそうですね。
それどころか、所有していた田畑に農薬を撒いていたBさんに因縁をつけて廃業に追い込んだり、近所の鳥居で井戸端会議をしていた住民たちに罵詈雑言を浴びせたりと、保見光成こそが集落の迷惑人物でした。
精神を病む一方だった保見光成は、毎日夕方になると、バーの窓を全開にしてカラオケを熱唱する迷惑行為まで続けていたと言われております。
ちなみに、大昔の夜這い事件の因縁が原因でイジメが始まったとの主張についてもまったくのデマだったようで、戦時中は小学生くらいの年齢だったBさんの認知する限り、父・Aさんがそのようなトラブルを起こした記憶はないとか。
また、Aさんの長男にあたる人物は数十年前に交通事故死していたそうで、Bさんは実家の跡取りが死んだせいで金峰郷に帰郷した身の上だったそうですね。
唯一被害妄想ではなかった「貞森誠さんに刃物で刺された一件」についても、保見光成の母親の葬儀に顔を出してくれた貞森さんの家にお礼の挨拶に行った際に、酒の席に誘われて起こってしまった騒動でした。
こちらの一件に関しても貞森さん側に悪意はなく、酒乱同士が酒に酔って口論になった末に手が出てしまったらしく、保見光成の怪我も軽傷だったと言われております。
そのうえ、保見光成が警察に被害届を出した結果、貞森さんは罰金刑まで受けていました。
保見光成、証言を信じて擁護してくれる人間もいた
精神病のせいとはいえ、被害妄想から5人もの人間を殺害してしまった保見光成でしたが、帰郷後も悪評一辺倒の人間というわけではありませんでした。
金峰郷では孤立していた保見光成ですが、周南市内には保見光成の何でも屋稼業を利用してくれるお客もいたようで、リフォーム業からお年寄りの買い物代行業まで請け負っていた時期もありました。
基本的には老齢の両親を介護し続けた優しい人間である保見光成は、お客からの評判は良かったようで、事件前より保見光成のこぼす被害妄想を耳にしていた人物たちが、マスコミの取材に対して擁護意見を展開してくれたこともあったようですね。
また、ネット上でも自身の田舎暮らし体験から保見光成に同情を示す人間も実在しました。
同情する気はさらさらないけど、被害妄想扱いされている言葉ほぼ真実だろうね、って自分の地元を早々に捨てた身としては思ってしまう内容だった
— みつ (@honey_beeeee) July 26, 2019
山口「八つ墓村事件」、保見光成死刑囚が弁護士にも語らなかった“田舎暮らしの地獄”(デイリー新潮) – Yahoo!ニュース https://t.co/RCVZbOBUoV
とはいえ、現実の保見光成は、妄想性障害の症状が進み事件当時の記憶すら維持出来ない状態になっているため、彼の訴えることに真実が含まれている可能性は少なそうです。
高橋さんは2017年、裁判所に「妄想性障害」であると認定されている保見と、文通と面会を行なっている。事件前から当時までも、妄想の内容は変化し続けており、もはや当時、事件を起こした動機も、殺害した村人らにどういった感情を持っていたのかも、確かめることができない状態にあった。
「山口連続殺人放火事件」の現在…保見光成の死刑判決が確定した
「山口連続殺人放火事件」の現在については、2019年8月になると、保見光成の死刑判決が確定しています。
保見被告は起訴後の精神鑑定で「妄想性障害」と診断されており、弁護側は「心神耗弱状態」を主張して死刑の破棄を求めた。しかし、第一小法廷は「自らの価値観に基づいて犯行に及んでおり、妄想の影響は大きくない」と退けた。判決は、5人の裁判官の一致した意見だった。
病気のため仕方がないこととはいえ、公判中の保見光成は、逮捕後の供述を一変させて「火はつけていません。頭を叩いてもいません。私は無実です」と主張していたため、裁判官の心象を損ねていたのかもしれませんね。
「山口連続殺人放火事件」についてまとめてみると…
「山口連続殺人放火事件」に関しては、保見光成の被害妄想により起こってしまった凄惨な事件だったということになります。
「山口連続殺人放火事件」の被害者たちのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。