八千草薫さんは、戦後から活躍する日本の名女優の一人でしたが、2019年に亡くなりました。私生活では映画監督の谷口千吉さんと結婚しており、旦那さんが亡くなるまでの50年の月日を連れ添いました。
ここでは八千草薫さんの若い頃や宝塚時代の秘蔵画像、夫と子供など家族情報、そして死因のすい臓がんなどについてまとめています。
この記事の目次
八千草薫のプロフィール
芸名:八千草薫(やちぐさかおる)
本名:谷口瞳(たにぐちひとみ)※旧姓松田
出身地:大阪府
生年月日:1931年1月6日
没年月日:2019年10月24日
身長:154cm
出身高校:プール学院中学校・高等学校→宝塚音楽学校
職業:女優
所属事務所:柊企画
活動期間:1947年〜2019年
八千草薫さんは、宝塚音楽学校を経て宝塚歌劇団に入団。やがて清純派の娘役として名を馳せ、また在団中から外部の映画にも出演しており「お嫁さんにしたい有名人」では上位に食い込むほどの人気女優でした。
宝塚歌劇団には1947年に入団し1957年に退団。以降は映画・ドラマを中心に多数の作品に出演しました。
出演作品には、ドラマ『岸辺のアルバム』(1977年)、ドラマ『阿修羅のごとく』(1979年)、朝ドラ『やんちゃくれ』(1998年)、ドラマ『最高の離婚』(2013年)、映画『蝶々夫人』(1954年)、映画『宮本武蔵』(1954年)など。
八千草薫さんはこれまでに新旧の名作に出演し、往年のスターや次世代を担う俳優など幅広い世代と共演し、多くの作品を残しました。
八千草薫の若い頃が美人すぎる~宝塚時代のお宝画像も紹介
八千草薫の宝塚時代①
若かりし頃の八千草薫さん。高等女学校在学中に、宝塚音楽学校に合格し入学しました。そして1947年に宝塚歌劇団に入団。当初はたぬき役やカッパ役などコミカルな役柄で人気となり、その後は正統清純派の娘役としての地位を確立しました。
八千草薫の宝塚時代②
実力も評価され、当時は外部の映画などにも引っ張りだこでした。
八千草薫の宝塚時代③
八千草薫さんといえば日本美人的なイメージもありますが、この頃はやはり宝塚美人!
八千草薫さんの若い頃
若かりし頃は女優として往年のスターたちと多数共演。共演者には三船敏郎さんや三國連太郎さん、鶴田浩二さん、山口淑子さんなどなど名だたるスターの名前が並びます。
昔の八千草薫さん
もちろん昔の写真で若いですが、年を召してからの姿とも変わらない気品を感じます。
若い頃の八千草薫さん
良妻賢母役から不倫する主婦役までをこなす演技派でもありました。
八千草薫さん
若い頃も年を取っても変わらない存在感は、まさに往年のスターの一人と言えるでしょう。
八千草薫の結婚した旦那と子供について~略奪婚だった噂も
八千草薫の旦那は映画監督の谷口千吉
名前:谷口千吉(たにぐちせんきち)
生年月日:1912年2月19日
没年月日:2007年10月29日
死因:誤嚥性肺炎
学歴:早稲田大学文学部英文科中退
職業:映画監督
監督作品:『銀嶺の果て』(1947年)(三船敏郎デビュー作)、『潮騒』(1954年)、『国際秘密警察』シリーズ
谷口千吉さんは1933年にPCLに入社し助監督として活動。当時一緒に仕事をしていた黒澤明さんとは親友でした。後年、映画監督として始動すると「芸術の黒澤、娯楽の谷口」と言われるように東宝のアクション映画などを主に担当。
しかし1975年の映画『アサンテサーテ』を最後に映画作品に関わることはなくなり、表舞台に立つこともほとんどありませんでした。その理由としては谷口さん自身が積極的に製作を行わなかったことと私生活でのスキャンダル(八千草との不倫疑惑)があったためとされます。
また谷口千吉さんには3度の結婚歴があります。
一人目の奥さんは水木洋子さん。彼女は映画『女の一生』や『ひめゆりの塔』、『浮雲』などを手がけた当時の映画界を代表する脚本家です。しかし谷口千吉さんとの婚姻期間は長く続かず、1年も続かずスピード離婚となりました。(婚姻期間1938〜1939年)
二人目の奥さんは岩山セツ子さん。東宝清純派スターの一人で女優として活動していましたが、1956年の谷口さんとの離婚後の1961年に病気のため引退。1971年に復帰するも、1973年に再び引退。引退後は精神状態が悪く、1984年に実母の死をきっかけにさらに悪化し、翌年自殺しています。(婚姻期間:1949年〜1956年)
そして三人目の奥さんが、八千草薫さんとなります。
八千草薫、19歳年上の谷口千吉と結婚
1957年に結婚
当時の八千草薫さんは「結婚したい有名人」でも毎回上位に食い込む清純派スターでした。
しかし、そんな彼女がお相手に選んだのは2度の結婚・離婚経験者で、年の差約19歳という映画監督・谷口千吉さんでした。当時八千草さんは26歳で人気絶頂の頃です。
2人は1957年7月に結婚。東京会館で結婚式をあげ、その後のインタビューでは以下のように語っていたと言います。
八千草は「子供は好きですからたくさんほしい」となごやかな笑顔。水木洋子、若山セツコと10年ごとに伴侶が代わってきた谷口監督は、「最初奥さんにしてあげたいことは何か」という問いに、「今度は終わりをまっとうしたい」と泰然と語り、いかにも2度の離婚の経験者らしい言い方であった。
八千草薫、谷口千吉とは略奪婚だった?
一方で、八千草薫さんと谷口千吉さんの結婚は、当時から略奪結婚の噂が流れていました。
ふたりの出会いは1956年の映画『乱菊物語』での撮影でしたが、当時谷口千吉さんは若山セツ子さんという奥さんのいる妻帯者。そして1956年に谷口・若山元夫妻は離婚し、翌年にふたりは結婚しました。
当時のことについては、2通りの見方が存在します。
①不倫略奪婚で、八千草薫が前妻に嫌がらせ電話し離婚させた説
②離婚後付き合いが始まり、周囲の反対にあいながらも、思いを再確認しあいゴールイン説
また前妻の若山セツ子さんについては、ご紹介している通り、離婚後は芸能界引退や精神的な病気などで最期は自殺してしまったという顛末もあります。一説には、谷口さんとの離婚が彼女ののちのちに影響したのではとも言われます。
八千草薫と谷口千吉に子供はいる?
おしどり夫婦として知られた八千草薫・谷口千吉
元々、結婚会見で「子供はたくさんほしい」と語っていた八千草薫さんでしたが、夫妻の間に子供はいませんでした。
一説には谷口さんがかつてマラリア罹患歴があり、それが原因だとも言われています。
八千草薫の旦那・谷口千吉が2007年10月に死去
八千草薫さんと谷口千吉さんは、おしどり夫婦として知られており、谷口千吉さんの趣味であった登山は、結婚後は八千草薫さんの趣味ともなり、夫婦で山登りすることも珍しくなかったそう。
そして結婚から50年経った2007年に、谷口千吉さんは亡くなっています。八千草薫さんは旦那さんとの生活を懐古しています。
今でもよく思い出すのは、主人がお風呂に入っているときの記憶です。お湯加減がいいのか、「ああ、いい気持ちだな」「いやあ、いい気持ちだな」と、何度も何度も声に出して言うのです。とても大きな声なので、リビングにいる私のところまで聞こえてきます。何か返事をしなくちゃという気になって、「それはよかったですね!」とわざわざお風呂場まで言いに行ってあげていました。
長い結婚生活の中で喧嘩をしたことはほとんどありませんでした。私たちは好きなもの、面白いと思うことの価値観があい、主人といる時の私はすごくリラックスした状態になれていました。どこか似たもの同士で、ウマがあった、ということなのかもしれません。
八千草薫さんの好きな言葉「馬馬虎虎(まぁまぁふぅふぅ)」は、いい加減などという意味の古事成語ですが、彼女は「ちょうど良い加減」と解釈しているそうです。これもまたご主人の影響から好きになった言葉だそうです。
八千草薫が88歳で死去~死因はすい臓がんだった
八千草薫、2019年10月24日にすい臓がんのため死去
八千草薫の死因はすい蔵がん
没年月日:2019年10月24日午前7時45分
死因:すい臓がん
80歳をすぎても民放のドラマ「やすらぎの郷」に出演するなど活躍を続けてきましたが、去年1月にすい臓がんの手術を受けたあとことしに入って肝臓がんが見つかり、治療に専念していました。所属事務所によりますと、八千草さんは今月24日午前7時45分、東京都内の病院ですい臓がんのため88歳で亡くなったということです。八千草さんの希望で葬儀は近親者がすでに済ませ、お別れの会などの予定はないということです。
死後には、多くの人が追悼のメッセージを出しています。
八千草薫、肝臓にもがんが転移していた
2017年にがんが発覚
報道によると八千草薫さんに最初にすい臓がんが見つかったのは、2017年末のこと。その後2018年1月に手術をし仕事にも復帰していましたが、2019年に入り肝臓にも転移したがんが見つかり、同年2月にはがん闘病を公表とともに女優業を休業しています。
ただ八千草薫さんの著書によると、最初の闘病の始まりは2017年春の乳がん発見だったそう。
著書の中で、がん闘病は一昨年春に乳がんになったのが始まりだったと初告白。「小さながん細胞だった」と説明し、手術を受けた日に帰宅したという。しかし、同12月にすい臓がんと診断され、昨年1月に6時間の摘出手術を受けた。八千草は大病の経験がなかったため、「病院での日々の生活もリハビリも『こういうものだ』と妙に納得して、受け入れていました」と気丈に振り返った。
そして2019年の肝臓に転移し休養に入った後、2019年5月に八千草薫さんは理事をつとめる日本生態系協会のイベントに出席。その頃は体調もまだ良好だったようです。(上画像)
2月9日にがんを公表後、公の場に初登場。炎天下の中、帽子姿の八千草は足取りや口調もしっかりとしており、「いいお天気ですけども、昨日よりは少し涼しくなるように祈ってましたが、ダメでした」と柔和な笑顔でおちゃめにあいさつ。
関係者によると、八千草は先週に抗がん剤治療を終えて体調も良好で、仕事復帰を目指し、自宅で過ごしているという。
ただ八千草薫さんが患ったすい臓がんは症状が乏しく早期に発見しにくいため、気づいた時には手が施しようがなくなっているケースや、また再発が多いがんとしても知られています。
生存率もがんの中でも最悪の部類で、トータルでも5年生存率が約9%となっています。(ステージ4だと1.4%)
膵臓がんは、がんが小さいうちから膵臓周囲のリンパ節や肝臓などに転移しやすい特徴があります。再度手術できる場合はまれで、薬物療法や放射線治療のほか、痛みや食欲の低下といった症状に応じた緩和ケアを行うことが一般的です。
引用:膵臓がん(すいぞうがん)
八千草薫についてまとめると…
・八千草薫は1957年に映画監督の谷口千吉と結婚、噂では略奪婚だったといわれている
・八千草薫と谷口千吉の間に子供はいない
・八千草薫は2019年10月、すい臓がんのため88歳で死去した
八千草薫さんは戦後から活躍した往年のスターの一人です。戦後の名優は何人もいますが、こんなにも彼女ほど長く第一線で活躍し続けた人は稀かもしれませんね。
ご冥福をお祈りします。