元検事、元衆議院議員の経歴を持つ若狭勝弁護士の若い頃や経歴が話題です。
この記事では若狭勝弁護士の若い頃の生い立ちや出身高校や大学でのエピソード、現在までの経歴、結婚した嫁や子供、再婚した現在の嫁や政界引退後の現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
若狭勝弁護士のプロフィール
若狭勝弁護士のプロフィール
生年月日:1956年12月6日
出生地 :東京都葛飾区
出身地 :東京都足立区
若狭勝(わかさ・まさる)弁護士は、「弁護士法人わかさ」の代表弁護士で、過去には検察官や衆議院議員も務め、現在はテレビの情報番組のコメンテーターとしても人気を集めている人物です。
フジテレビ系「めざまし8」、TBS系「ひるおび!」、日本テレビ系列「スッキリ」など、各局の情報・ニュース番組で活躍されています。
ここでは、そんな若狭勝さんの若い頃やこれまでの経歴、結婚、嫁、子供などの家族情報などについて紹介していきます。
若狭勝弁護士の若い頃① 生い立ち
若狭勝弁護士は、1956年12月6日、東京都葛飾区の生まれで、父親はタクシー運転手をされていたそうです。
その後、若狭勝弁護士が小学生の頃に、東京都足立区へと家族で移住し、両親はそこで零細の町工場を開業して、家族経営されていたそうです。
父は、若いとき、タクシーの運転手をし、その後、足立区内で零細の町工場を営み、母とともに、毎日、プレス機械やけとばしという機械を踏んでは、一個につき何十銭の価格で下請け製品を加工していた。
若狭勝さんも子供時代は休みの日などに工場の手伝いをされていたそうで、毎日汗水垂らして働く人々の苦労を知ったこの頃の経験が、「働く人が報われる法律でなければならない」という若狭勝さんの法律家としての信念へとつながっているという事です。
若狭勝さんの出身小学校と出身中学校は不明ですが、プロフィール情報によると地元の公立の小学校・中学校を卒業されているという事です。
ちなみに、若狭勝弁護士は小学校時代は名前をもじった「さる」という愛称で呼ばれていたそうで、同級生達から愛されるキャラクターだったようです。現在も幼馴染はこのニックネームで若狭勝さんの事を呼んでいるのとか。
ところで、私のニックネームは、小学校時代から「サル」でした。未だに、幼なじみは、私のことを「サル」と呼びます。サル年生まれでもありますが、それだけではないんです。わたしの姓と名前をじっくりと見て下さい。
わかさ・ま・さる です。
区切り位置によっては「わかさま」・「さる」なのです。
また、若狭勝弁護士は小学校低学年の頃からずっと役者への憧れを持たれていたのだそうで、自分でクラス会の劇の台本を作ったり、同級生に振り付けのアドバイスを送ったりされていたそうです。
小学校の低学年くらいの時から自分で台本をつくってクラス会での劇を構成したり、同級生に振り付けをアドバイスするなどもしていたのですが、そういうことがあったので、シナリオを書いたり、演技することがとても好きでした。今もまだ、役者になりたいと思っていますよ(笑)
このように、同級生に親しまれる一方で、小学校時代、中学校時代は学級委員長を務めるなど、正義感の強い模範的な生徒だったとも本人がインタビューなどで語られています。
当時、若狭勝弁護士が通っていた小学校や中学校は、時代もあって相当荒れていたそうで、若狭勝さんは学級委員長という立場上、いじめっ子といじめられる方の板挟みのような状態になって相当苦労されたのだそうです。
私は、学級委員長やりながら板挟みになってまして。いじめられっこといじめるほうの板挟みの形になっていて。学級委員長であるわけですからそういうことを止めさせなきゃ行けないんではないかという想いをずっと抱きながら,悶々として学校に通うと。
「学級委員を辞職します」という辞表をカバンの中に入れながら毎日学校に通ったという覚えがあります。
若狭勝弁護士の若い頃② 出身高校は東京都立江北高等学校
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若狭勝弁護士は地元の小学校・中学校を卒業後は、地元の東京都足立区にある公立高校「東京都立江北高等学校」へと進学されています。
若狭勝弁護士の出身高校「都立江北高等学校」の最新の偏差値は「55」となっています。
若狭勝弁護士は高校生時代も模範的な生徒だったという事で、学級委員長を務めていたそうです。また、高校時代の若狭勝さんは司法ではなく、医者になりたいとの想いを持っていたそうで、“町のお医者さん”を目指していた事もあったそうです。
ただ、その後、(町のお医者さんよりも)もう少し大きな事をしたいという気持ちが湧き上がり、司法の道へと方針転換して大学は医学部ではなく法学部を目指すようになったという事でした。
-若狭議員
実は高校生の時はお医者さんになろうかなと思いました。当時描いていたのは町のお医者さんだったのですが、もう少し大きなことをしたいと思い、大学進学時には医学部ではなく、法学部に進みました。
若狭勝弁護士は、1975年3月にこの都立江北高校を卒業されています。
若狭勝弁護士の若い頃③ 出身大学は中央大学法学部
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若狭勝弁護士は高校卒業後は私立の「中央大学」の法学部へと進学されています。
若狭勝弁護士の出身大学である中央大学法学部の最新の偏差値は「57.5〜62.5」となっています。(学科によって異なる)
若狭勝弁護士は大学進学後も役者の道をかなり本気で目指されていたのだそうで、英語劇を作ったりと本格的に活動されていたそうです。そして、かなり衝撃的なのですが、司法試験を受けたのは役者のすべり止めのような気持ちだったのだそうです。
若狭勝弁護士は中央大学卒業後の1980年10月に司法試験に合格されていますが、合格後も役者を目指して劇団員の入団試験を受けていたのだとか。
司法試験に受かっておけば、下積み生活が長い役者の道を選んでも、生活基盤を支えられると思ったんです。
大学時代にも英語の劇をつくったり、実際に司法試験合格後も劇団員の入団試験に行ったりしていましたよ。
若狭勝弁護士の経歴① 検事として活躍
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若狭勝弁護士は、入学から6年後の1980年3月に中央大学法学部を卒業されています。
そして、その年の10月に司法試験に合格し、司法試験修習生へと進んでいます。この時点では、若狭勝弁護士は司法試験修習生までやっておいた方が、役者の道へ進んでもつぶしが効くという気持ちだったそうです。
ところが、この司法試験修習生の時代に経験したある強制わいせつの事件に関わった際に、検察側と弁護士側の双方の視点から見た事で、この事件は冤罪なのではないか?という疑問を抱くようになり、自分の中での「正義」を意識するようになって、次第にこのまま司法の道へと進もうという気持ちが固まったそうです。
そして、若狭勝弁護士は1983年4月に検事に任官され東京地検検事、福島地検検事(1984年4月〜)、横浜地検検事刑事部(1988年4月〜)を経て、1990年4月に東京法務局に訟務検事として出向、1993年4月には東京地検特捜部検事に任命され、法務総合研究所教官、司法研修所の検察教官・司法試験考査委員を経て、2004年4月に東京地検特捜部副部長に任命されています。
その後は、横浜地検刑事部長(2005年9月〜)、東京高等検察庁検事(2005年10月)、東京地検公安部長(2007年10月〜)などを歴任されています。
検事時代の若狭勝弁護士は、「ミッチー・サッチー騒動」での、2001年の野村沙知代さんの公職選挙法違反(虚偽事実公表罪)の捜査や、2004年の日歯連事件の捜査、2009年の小向美奈子さんの覚醒剤取締法違反の捜査などを担当されています。
若狭勝弁護士の経歴② 弁護士に転身
若狭勝弁護士は、2009年3月に検事を退官し、同年4月に弁護士登録をして弁護士に転身されています。
若狭勝弁護士が検事から弁護士に転身した理由は、その年から裁判員裁判が始まり、冤罪を防ぐために弁護士の役割が重要になると考え、裁判員裁判に弁護士として立ちたいと考えたからだったそうです。
その後、若狭勝弁護士は、2013年1月に、同じく検事出身の弁護士の高橋壮志弁護士と共同で、弁護士法人若狭・高橋法律事務所を設立し、その後、衆議院議員(後述)を務められた後の2018年12月に現在の「弁護士法人わかさ」を設立し、同代表社員に就任されています。
また、若狭勝弁護士は弁護士転向を機に、新聞、テレビ番組などメディアにも出演するようになり、一般にも広く知られた存在となりました。
若狭勝弁護士の経歴③ 政界へ進出し衆議院議員に
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若狭勝弁護士は政界への進出を表明し、2013年7月の第23回参議院議員通常選挙に自民党の比例区から立候補しましたが、比例代表最後の1議席にわずかに届かずに落選(344票差)しています。
しかし、若狭勝弁護士は、翌2014年12月の第47回衆議院議員総選挙に自民党から比例東京ブロックから立候補して当選を果たし衆議院議員となっています。
東京地検特捜部元副部長で弁護士の自民党・若狭勝氏(58)が、比例東京ブロックで初当選を果たした。344票差の次点で落選した昨年7月の参院選は、投票から一夜明けた翌朝6時40分に地元・東京都足立区の事務所で敗戦の弁を述べたが、今回は石原宏高氏(東京3区)の当確が出たのと同タイミングの深夜0時6分に当確が出た。
衆議院議員時代の若狭勝弁護士は、2016年の東京都知事選で、自民党が推薦する増田寛也さんではなく、小池百合子さんの応援を行い、当時の自民党幹事長の二階俊博さんから厳重注意を受けました。
ただその後、自民党は小池百合子さんとの関係を修復する意向もあって、引き続き若狭勝弁護士を公認候補とする事を決定しています。これを受けて、若狭勝弁護士は2016年10月の小池百合子東京都知事の東京都知事就任に伴う衆院議員失職による東京10区補欠選挙に出馬し他の候補者を大きく引き離して当選しています。
若狭勝弁護士の経歴④ 日本ファーストの会を設立し代表に就任
東京都知事選などを通じて小池百合子さんと盟友関係にあった若狭勝弁護士は、2017年5月の東京都議会議員選挙で自民党ではなく、小池百合子さん率いる都民ファーストの会を支援するために、自民党に離党届を提出しました。
その後、都民ファーストの会は東京都議選において圧勝し、同年7月3日に自民党は若狭勝さんの離党届を受理し離党を了承。7月13日に、若狭勝さんは新たに政治団体「日本ファーストの会」を設立して代表に就任しています。
また、9月16日には、若狭勝弁護士は細野豪志さんらと設立を目指す新党の国政進出を見据えて、政治塾「輝照塾」を開講しています。そして、若狭勝さんは9月25日に、細野豪志さんや中山恭子さんらと共に新党「希望の党」を結党しています。
そして、若狭勝さんは同年10月22日開催の第48回衆議院議員総選挙に東京10区から出馬しますが、得票数3位で落選。重複立候補していた比例東京ブロックでも敗れ落選しています。
元々65歳になれば若い人や女性に席を譲るべきという考えをされていた若狭勝さんはこの落選を機に政治活動から退かれています。また、2018年2月17日は政治塾「輝照塾」を閉塾、同3月1日には「日本ファーストの会」も解散しています。
若狭勝さんはその後は、再び、テレビの新聞での解説や情報番組のコメンテーターとして活躍されています。
若狭勝弁護士の結婚と嫁との死別
若狭勝弁護士は、自身のプライベートについてはあまり話されないので情報が少ないのですが、1980年代に1度目の結婚をされているようです。
若狭勝弁護士は自身のオフィシャルブログで、自身が42歳の時に前妻を病気で亡くしている事を明かされています。
若狭勝弁護士が42歳の時なので、嫁は1998年か1999年に亡くなられたようです。
私も、6回目の年男(申年)ですので、本厄にあたります。
確かに、私が42歳の大厄の時に、前妻を病気で失いました。
この嫁(前妻)といつ結婚したのか、どのような女性だったのかについては語られておらず不明です。
ただ、若狭勝弁護士は嫁(前妻)の葬儀の時に以下のように挨拶された事をブログで明かされています。
私の妻が40歳そこそこで亡くなった際、私は、葬儀において、
「人の死に早い遅いはなく、その人が亡くなった時がその人の
人生であるという教えがあるようです。それはそうかもしれません。
しかし、そうはいっても、私にとって早すぎる死としか言いようがないです」
と挨拶したことがありました。
この内容から、若狭勝弁護士の嫁(前妻)は40歳そこそこで亡くなられた事と、若狭勝弁護士が嫁(前妻)を深く愛されていた事がわかります。
若狭勝弁護士の子供① 息子
若狭勝弁護士は1度目の結婚の嫁との間に少なくとも息子さんと娘さんの2人の子供がいるようです。
若狭勝弁護士の子供のうち息子さんについては、若狭勝弁護士のオフィシャルブログに、前妻が亡くなったときに中学2年生だった事が書かれています。
前妻が亡くなった時、多感な息子は、未だ中学2年生でした。
最愛の母親を亡くしたショックは大きかったと思います。
この事から、若狭勝弁護士の子供のうち息子さんは1984年か1985年頃に誕生されていると推測できます。
また、若狭勝弁護士は2015年12月のブログ投稿にて、息子さんは成人して結婚し、自身の初孫にあたる子供(男の子)も誕生した事を書かれています。
その息子もやがて成人し、このほど、息子夫婦に男子が生まれました。
私にとっては初孫になります。
若狭勝の子供② 娘
若狭勝弁護士は、2021年12月に女優で歌手の神田沙也加さんが亡くなった時に、自分には神田沙也加さんと同じ1986年10月に生まれた娘がいる事を明かされています。
若狭勝弁護士は、神田沙也加さんの早すぎる死に、自分の娘さんを重ねてしまい涙が止まらなかったと話されていました。
自身の娘が沙也加さんが生まれた1986年の10月に生まれたことを明かした上で「先ほどもずっとVTRを見ていると、まさに私の娘をダブらせて見てしまうんですが、仮に私が今、娘がこういう形で急に、ということになったとしたら、私はどういう思いというか、どういう気持ちになるかってことを思いながらVTRを見ていると、涙が止まらなかったですね」と沈痛な表情で話した。
若狭勝弁護士は再婚している
1度目の結婚の嫁を42歳の時に病気で亡くされているという若狭勝弁護士ですが、2013年11月に再婚されています。
若狭勝さんの再婚相手の現在の嫁がどのような方かは明かされておらず詳細は不明ですが、2017年12月11日にTBSで放送された医療バラエティ「名医のTHE太鼓判!」に若狭勝弁護士がゲスト出演された際にこの再婚した嫁のコメントが紹介されています。
若狭氏は選挙戦の間、早朝から深夜まで事務所にこもり事務作業。夜中になって小池都知事や細野豪志衆院議員(46)に呼び出されることも。挙句の果てには落選。心労により精密検査の数値はぼろぼろ。精神的に追い込まれていたのか、「寝言で謝罪している」事実も妻の口から発覚する。
さらに、この再婚相手の名前が智津子さんである事も明かされています。
精神的な負担も相当なものだ。妻の智津子さんによると、寝言で「申し訳ございません、すみません」とはっきり言っていたとか。
この若狭勝弁護士の再婚相手で現在の嫁の智津子さんですが、ネットに書き込まれた匿名の情報によると、元東京高等検察庁総務部検務第一課長補佐で、現在は「弁護士法人わかさ」で行政書士を務めている岩﨑智津子さんと同一人物だという事ですが、真偽は不明です。
ちなみに、若狭勝弁護士は現在は再婚相手の智津子さんと駅前のマンションに夫婦2人で暮らされているようです。
若狭勝弁護士の現在
若狭勝弁護士は現在は政治の世界からは退き、フジテレビ系「めざまし8」へのレギュラー出演、TBS系「ひるおび!」、日本テレビ系「スッキリ」などの情報番組のコメンテーターとして活躍されています。
また、弁護士としては「弁護士法人わかさ」の代表を務められています。
若狭勝弁護士は、2022年8月現在は65歳を迎えていますが、2022年8月に詐欺の容疑で逮捕された大阪府寝屋川市議の吉羽美華容疑者が、かつて若狭勝弁護士が主催した政治塾「輝照塾」の塾生であった事が取り沙汰されたり(若狭勝弁護士が責任を追求されているわけではない)、統一教会と政治家の関係の問題への批判的なコメントがピックアップされたりと何かと注目を集め存在感を示しています。
まとめ
今回は、元検事、元衆議院議員などの肩書きを持つ弁護士で、テレビの情報番組のコメンテーターとしても人気の高い若狭勝弁護士についてまとめてみました。
若狭勝弁護士は、若い頃は検事として活躍し東京地検特捜部副部長や東京地検公安部長などを歴任されています。
その後の経歴は弁護士へと転身後、政治の世界へと進出して衆議院議員となり、小池百合子さんとタッグを組んで、日本ファーストの会や希望の党の設立など大きな動きを見せましたが、選挙で惨敗し、そのまま政界からは引退されています。
学歴については、「東京都立江北高校」を経て、「中央大学」法学部を卒業されています。
家族については、1980年代に1度目の結婚をし息子さんと娘さんら子供が誕生していますが、この最初の嫁は若狭勝弁護士が42歳の時に病気で他界されています。
その後、若狭勝弁護士は2013年に現在の嫁の智津子さんと再婚されています。
若狭勝弁護士の現在は、政界を引退後は再びテレビの情報番組のコメンテーターとして人気を博し、弁護士としては「弁護士法人わかさ」の代表を務められています。