家系ラーメンの元祖である吉村家の直弟子の石川聡さんのラーメン店「ときわ家」が閉店した理由が話題です。
この記事ではときわ家の店主の石川聡さんの吉村家での修行からときわ家オープンまでの経歴、突然の閉店の理由、現在は嫁の美智子さんとの離婚や死亡の噂についてまとめました。
この記事の目次
ときわ家は家系元祖・吉村家で修行の石川聡が経営していたラーメン店
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「ときわ家」は、東京都町田市常盤町で2011年まで営業していたラーメン店です。
ときわ家の店主は石川聡さんという人物で、家系ラーメンの元祖として知られる伝説的ラーメン店「吉村家」で半年間修行されていました。
石川聡さんが吉村家の店主の吉村実さんの下で修行した半年間は、テレビ東京系のドキュメンタリー「横浜家系ラーメン 〜地獄の修行180日〜」としてテレビで放送され大きな話題となりました。
この番組では、脱サラしてラーメン屋を志すために吉村家に弟子入りした石川聡さんと、もう1人、東大出身でラーメン店を開業するも失敗し、一から修行し直すために吉村家に弟子入りした津村進さんにスポットが当てられました。
石川聡さんは津村進さんと吉村家の直系1号店として知られるラーメン店「杉田家」を共同でオープンさせますが、1年を待たずして津村さんと元を分ち、紆余曲折を経てときわ家をオープンさせたのでした。
しかし、杉田家が数ある家系ラーメンの中でも屈指の人気店として現在も君臨しているのに対し、石川聡さんの「ときわ家」は大きく人気を上げられないまま2011年に閉店し、店主の石川聡さんは現在消息不明となっています。
ときわ家の店主・石川聡のラーメン屋としての経歴
家系ラーメン店「ときわ家」の石川聡さんのラーメン屋としての経歴を改めて紹介していきます。
石川聡の経歴① 脱サラし1500万円を借金して吉村家で半年間修行
石川聡さんは、嫁の美智子さん(当時32歳)、長男の優さん(当時7歳)、次男の慧さん(当時4歳)の4人家族で、一流大学出身で元々は大手企業(東芝横浜事業所だと言われている)に勤務するサラリーマンでした。
しかし、不況の影響で40代を超えたら給与の4割カットなどの条件提示を受けて実質的に自主退社を迫られた事で、元々ラーメン好きだった事からラーメン屋の修行をしようと決意。1999年、37歳の時に弟子入りさせて欲しいと開業資金として450万円を持って、嫁の美智子さんと共に直談判しに吉村家の吉村実さんの元へ訪れました。
最初、吉村家の吉村実さんは「450万円程度では店は持てない、親の家を担保にして金を借りるしかない、そんなファイトがあるのか、37歳にもなってそんなの持てないだろう」と追い返しました。
しかし石川聡さんは諦めず、友人から1500万円を借りて再び吉村家に弟子入りを志願し、吉村実さんもついに弟子入りを認めました。
この弟子入りと修行の経緯はテレビ東京系「横浜家系ラーメン 〜地獄の修行180日〜」で放送されましたが、吉村家の修行はビンタされるは、蹴り入れられるは、罵声を浴びせられるはの超スパルタで、現在ならコンプライアンス上、絶対にテレビで放送できないような内容でした。
石川聡の経歴② 1999年9月に杉田家を兄弟子の津村進さんと共同でオープン
1999年9月27日、石川聡さんは吉村家での半年間の超スパルタ修行を経て、同じく吉村家で修行していた津村進さんと共同で、吉村家の直系1号店として、家系ラーメン「杉田家」をオープンさせました。
共同経営をする事になったのは、石川聡さんにも津村進さんにも共に小さな子供がいるため、1組の夫婦だけでラーメン店を切り盛りしていくのは難しいと考えた師匠の吉村実さんの親心でした。
また、店舗をオープンした場所も、元々吉村家が店を構えていた横浜の新杉田駅前の道路を挟んだ向かいの場所で、本家の吉村家が横浜駅西口に移転する事になり、その常連客がそのまま味を引き継いだ杉田家に流れるようにとの吉村実さんの親心によるものでした。
こうした吉村実さんのはからいもあり、杉田家はオープン当初から多くのお客が来店する人気店になります。
この杉田家ですが、現在も津村進さんが店主として経営を続けており、今では千葉県内に2号店と3号店を展開する家系ラーメンの大人気店へと成長しています。
石川聡の経歴③ 津村さんと袂を分ち2000年オープンの環2家を手伝う事に
津村進さんと共同で開店させた家系ラーメン店「杉田家」は順調なスタートを切りましたが、1年を待たずして石川聡さんはこの杉田家を離れて、2000年12月に、兄弟子の鶴巻孝平を店主にオープンした吉村家の直系店舗「環2家」という店へ移り厨房を手伝っています。
この時、石川聡さんがどういう経緯で津村進さんと袂を分ち、環2家へと移る事になった理由の詳細な経緯は明かされていませんが、何か2人の間のトラブルが理由ではないかという噂も出ているようです。
またこのすぐ後、石川聡さんが吉村家の一門から破門されたとの情報も出ています。破門されたとの真偽も不明で、その理由についても明かされていません。
石川聡の経歴④ 2001年に東京町田にときわ家をオープン
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石川聡さんは2001年に東京都町田市に家系ラーメン店「ときわ家」をオープンし独立しています。
ただ、このときわ家は師匠筋の吉村家からの免許皆伝は受けておらず吉村家の直系店ではありません。
提供されるラーメンの味やスタイルも本家の吉村家とはかなり違っていたようで、吉村家で修行した店主の経営するお店とは思えないという声もネット上で見られました。
石川聡の経歴⑤ 2005年にはときわ屋2号店開店も2011年に2店舗とも閉店
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石川聡さんの「ときわ家」は、それなりに人気を得ていたようで、2005年には東京都八王子市大塚に2号店として「ときわ家 帝京大学前店」をオープンさせています。
こちらも一定の集客は得ていたようですが、ネットの口コミではやはり、本家の吉村家とは大きく違い、かといって独自の個性を放っているというわけではないので、まずいわけではないが少しがっかりしたといった若干ネガティブ寄りの内容が目立ちました。
その後、2011年にときわ家の1号店も2号店も同時に閉店しており、石川聡さんがそれから新たにラーメン店を開いたという情報は現在まで出ていません。
ときわ家が閉店した理由① 吉村家の味と違ったためファンが離れた
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石川聡さんの「ときわ家」が、2011年に1号店、2号店ともに閉店した理由にも関心が集まっているようです。
結論から言うと、ときわ家が閉店した理由はわかっていません。なので推定になるのですが、ときわ家が閉店してしまった理由は、本来の修行元である吉村家の路線から外れ、独自路線を追求したものの、それが支持されなかったためではないかと言われています。
石川聡さんのときわ家は、当初こそ吉村家の象徴ともいうべき酒井製麺の麺を使っていたものの、途中で別の製麺所の麺に変わりました。この麺は太いがコシがなく柔らかすぎるという評価が多く出ていました。
また、味が濃いが深みがないという意見や、家系といえば半熟トロトロの煮卵が定番なのに、硬いゆで卵でスープに合わないといった声も多く見られました。
こうした過去の口コミを見ると、石川聡さんのときわ家は、吉村家の直弟子という経歴がありながら、本家の吉村家の味とはかけ離れていて、クオリティ自体も劣っていたため、家系ラーメンファンから見放されていったところがあったようです。
結果として売り上げが伸びなかったのが閉店の理由ではないかとの見方が有力となっています。
ときわ家が閉店した理由② 病気
石川聡さんがときわ家を閉店した理由としては、大きな病気を患って厨房に立つ事が難しくなったという説もあります。
これは、ネットの匿名掲示板に、石川聡さんの近所に住んでいるという方が「一度大病を患った」と書き込んでいるためです。
石川聡さんは現在は元気に過ごされているという事ですが、大病という事なので、ラーメン店を続けていく事が難しくなったのが閉店の理由だったと見られています。元々、石川聡さんは若干肥満気味なように見えたため、ラーメン店での激務もあって何か病気を患い、無理をする事が難しくなったのかも知れません。
ときわ家の店主だった石川聡の現在① 嫁の美智子さんと離婚した噂
「ときわ家」の店主だった石川聡さんの嫁は、美智子さんという女性で、吉村家での修行に密着したドキュメンタリー「横浜家系ラーメン 〜地獄の修行180日〜」にも登場しました。
石川聡さんの嫁の美智子さんですが、かなり美人な方で、しかも脱サラしてラーメン店をやりたいなどと突然言い出し1500万円も借金した石川聡さんの夢を応援し、自らもラーメン店を手伝って健気に支えるというまるで女神様のような女性でした。
そのため、ネット上でも石川聡さんの嫁の美智子さんはかなり人気になっていました。
美智子さんはときわ家でも店頭に立って石川聡さんを手伝っていましたが、2011年にときわ家が閉店したため、その後どうなったのか気になるという声が多く見られます。
5ちゃんねるなどのネットの匿名掲示板では、石川聡さんと美智子さんが離婚したという情報が書き込まれていますが、いずれもネタのような投稿で本当に離婚しているとは思えません。
ある意味無謀な挑戦をした石川聡さんを応援し、ときわ家での独立後も一緒に頑張っていた美智子さんが、そう簡単に石川聡さんを見捨てるとは思えず離婚したという噂はガセネタである可能性の方が高いのではないかと思います。
また、2016年に、5ちゃんねるに、石川聡さんの近所に住んでいるという方の「今は素敵な奥さんと元気に暮らしています」と書き込みが確認できます。この書き込みはネタで書き込んだようには見えないため、現在も離婚はせずに夫婦仲良く暮らしている可能性の方が高いのではないかと思います。
ときわ家の店主だった石川聡の現在② 死亡説もあるがデマの可能性が高い
2011年に家系ラーメン店「ときわ家」が突然閉店し、店主だった石川聡さんのその後の様子が一切何も伝わっていないため、ネット上では死亡説が浮上しています。
こちらについても匿名掲示板にネタのようにして書き込まれた内容ばかりで、本当に石川聡さんが死亡したと信じさせるような信憑性のある情報は1つも出ていません。
2016年の時点では元気にされていたようですし、現在も石川聡さんは元気でいる可能性の方が高いと思われます。
まとめ
今回は、家系ラーメンの元祖で、伝説的ラーメン店「吉村家」の直弟子である石川聡さんが2011年まで経営していたラーメン店「ときわ家」についてまとめてみました。
ときわ家の店主の石川聡さんは、大手メーカーに勤務するサラリーマンでしたが、37歳の時に脱サラして吉村家に弟子入りし、半年の超スパルタ修行を経て、同じく弟子だった津村進さんと「杉田家」を共同でオープンしました。
ところが、1年も経たないうちに石川聡さんは杉田家を離れ、2000年12月にオープンした吉村家の直系ラーメン店「環2家」に移ってその厨房を手伝っていました。そして、2001年に独立し「ときわ家」をオープンしますが、これは吉村実さんの免許皆伝を受けておらず、吉村家の直系店とは認められていません。
その後、ときわ家は2005年に2号店をオープンさせましたが、2011年に1号店、2号店ともに突如閉店しました。ときわ家が閉店した理由は明かされておらず、吉村家と違いすぎる味にファンが離れたためではという説や石川聡さんが病気になり店を続けられなくなったのが理由ではという説が出ています。
その後は石川聡さんが新たにラーメン店を始めたという情報は現在まで出ていません。
石川聡さんの現在については、嫁の美智子さんと離婚したという噂や、死亡したという噂が匿名掲示板などで飛び交っていますが、いずれもデマ情報の可能性が高いようです。
2016年に、石川聡さんの近所に住んでいるという方からの「1度大病を患ったが、現在は元気に素敵な奥さんと暮らしている」との情報が出ていて、こちらの情報の方が信憑性が高いとみられています。