2018年6月に富山市で交番を襲撃し警察官を殺害して拳銃を奪い、その銃で警備員を殺害した島津慧大の生い立ちが注目されています。
この記事では島津慧大の生い立ち、実家の家族や姉、高校や事件後の半身不随、事件の概要や裁判での判決、現在の状況などについてまとめました。
この記事の目次
- 島津慧大は富山市奥田交番襲撃事件の犯人
- 島津慧大の生い立ち① 幼い頃から人間関係を築くのが苦手だった
- 島津慧大の生い立ち② 地元の小中学校に通うもいじめを受け引きこもりに
- 島津慧大の生い立ち③ 高校には進学せず家族を追い出し実家で一人暮らし
- 島津慧大の生い立ち④ 中学卒業の数年後に陸上自衛隊に入隊も2年で退職
- 島津慧大の実家は富山県中新川郡立山町
- 島津慧大の家族① 父親はPTA会長も務めた厳格な人物
- 島津慧大の家族② 姉がいる
- 島津慧大の家族③ 母親は裁判で被害者遺族に謝罪
- 島津慧大が起こした「富山市奥田交番襲撃事件」の概要
- 島津慧大は事件で銃撃された後遺症で下半身不随に
- 島津慧大の一審判決は無期懲役(求刑は死刑)
- 島津慧大の現在① 控訴審は一審判決を破棄し差し戻しの判決
- 島津慧大の現在② 弁護団は控訴審の判決を不服として上告
- まとめ
島津慧大は富山市奥田交番襲撃事件の犯人
島津慧大(しまづ・けいた)は、2018年6月26日に富山県富山市久方町の富山中央警察署奥田交番で当時46歳の警察官が殺害されて拳銃が奪われ、その後、すぐ近くの富山市立奥田小学校正門前にいた当時68歳の警備員男性が射殺された「富山市奥田交番襲撃事件」の犯人です。
島津慧大は犯行当時21歳の元自衛官で、当時は実家で両親と同居しており、職業はファーストフード店のアルバイトでした。
2021年3月、この島津慧大に無期懲役の判決が下されましたが、2022年3月の控訴審では一審判決破棄、差し戻しの判決が下され世間の注目を集めています。
今回はこの島津慧大の生い立ちや家族、事件の概要や現在の状況などについてみていきます。
島津慧大の生い立ち① 幼い頃から人間関係を築くのが苦手だった
最初に、島津慧大の生い立ちについてみていきます。
島津慧大は、事件のあった富山市久方町から南東へ約11km離れた立山町の出身です。家族については後述しますが、母親の証言などによると島津慧大は幼少時代から人間関係を築くのが苦手だったそうです。
判決や母親の法廷証言などによれば、被告は幼いころから人間関係を築くのが苦手だった。
幼い頃から周囲とトラブルになる事が多かったという事ですが、両親はそんな幼い頃の島津慧大に対して、”しつけ”として暴力を振るっていたという事です。
その後の裁判の中で明らかにされた被告の生い立ちです。
島津被告は、北アルプスの立山連峰を望む静かな町で生まれ育ちました。
幼い頃から周囲とうまくコミュニケーションが取れず、トラブルが起こることが頻繁にありました。
両親はそんな被告に対して“しつけ”として、暴力を振るっていたといいます。
島津慧大は、逮捕後に「自閉症スペクトラム障害(ASD)」と診断されています。
島津慧大の生い立ち② 地元の小中学校に通うもいじめを受け引きこもりに
島津慧大は地元の公立の小・中学校に通っています。
この当時も周囲とうまく馴染めずに、いじめを受けるようになり、不登校になってそのまま実家に引きこもってしまったという事です。
さらに、引きこもっていた頃には両親に暴力を振るうようになり、警察沙汰になった事もあったようです。
読売新聞によると、島津慧大が不登校になった時期は中学2年生の頃だったようです。
検察側の冒頭陳述によると、島津被告は小中学校時代からいじめを受け、中学2年時から不登校になった。自宅に引きこもり、両親に暴力を振るうようになると、警察沙汰になることもあったという。
一方、産経新聞によると中学3年生の頃から欠席がちになったという事です。
産経新聞の記事では、当時の知人や中学時代の同級生の証言も掲載しており、それによるとおとなしい性格の一方で、カッとなりやすい一面があったという事です。具体的には友人に意見されて舌打ちをしたり、テストの採点が気に食わずに教師に反抗したりといった事があったそうです。
地元の小中学校に通ったが、中学3年時から欠席しがちだった。
多くの知人らが「おとなしい性格」と口をそろえる一方、中学校の同級生の男性は「カッとなりやすい面があった」と振り返る。友人に意見されると舌打ちをしたり、テストの採点に納得できず教師に反抗的な態度を取ったりすることもあった。
島津慧大の生い立ち③ 高校には進学せず家族を追い出し実家で一人暮らし
島津慧大は中学2年生〜3年生の頃に不登校になって高校へは進学せず、そのまま実家に引きこもって生活していたようです。
引きこもった島津慧大は家族に暴力を振るうようになり、家族は激しい暴力から逃げ出すような形で別居状態になったという事です。
家族に暴力を振るうこともあり、家族は一時、被告と別居した。
実家から家族が出て行ったのは、島津慧大が16歳の頃だったようで、当時は島津慧大が実家で一人暮らしをし、両親が食事だけ届けに行くという生活だったようです。
被告の家庭内暴力はさらに激しくなり、耐えきれなくなった両親は家を出て暮らすようになります。親が食事を届けるなどはしていましたが、16歳の頃から被告は実家に1人で暮らすことになったのです。
島津慧大の生い立ち④ 中学卒業の数年後に陸上自衛隊に入隊も2年で退職
島津慧大は実家で一人引きこもりの生活を続けていた中、17歳の時に自衛官募集の広告に興味を示し、勉強をして入隊試験を受け合格して18歳だった2015年3月に陸上自衛隊に入隊しています。
島津慧大は金沢市にある陸上自衛隊金沢駐屯地の部隊に配属されましたが、ここでも同僚と口論や殴り合いの喧嘩を起こすなど人間関係でのトラブルを起こし、約2年後に半ば除隊という形で退職したようです。
なお、島津慧大は交番襲撃事件を起こした当時も即応予備自衛官(自衛隊退職者の志願者からなる予備自衛官)だったという事です。
自衛隊を退職した後は、再び実家に戻って引きこもり生活を送り、2018年4月から短期契約でファーストフード店で働き始めています。そして、それからわずか数ヶ月後に「富山市奥田交番襲撃事件」を起こしました。
島津慧大の実家は富山県中新川郡立山町
島津慧大の実家は富山県中新川郡の立山町末三賀だという事です。
交番襲撃事件で、殺人未遂容疑で逮捕された島津慧大容疑者(21)=富山県立山町末三賀=は両親と同居していた。
交番襲撃事件を起こした当時は、この立山町の実家で両親と3人で暮らしていたという事です。
同県立山町で両親と3人暮らし。
実家周辺住民の島津慧大の印象は「おとなしい」、「挨拶をすると会釈をする」といったもので、特段おかしい人物だとは思われていなかったようです。
島津慧大の家族① 父親はPTA会長も務めた厳格な人物
島津慧大の家族については、父親は過去にPTA会長を務めた経歴もある厳格な人物だったとの証言があります。島津慧大の家族の事情を知る人の証言によれば、父親が島津慧大を無理矢理自衛隊に入隊させたのだそうです。
父親はPTA会長をしたりかなり厳格な人。18歳になったとき、自衛隊に無理やり入れたのも父親だと聞きました。
島津慧大は中学生の頃から父親や家族と衝突し、家庭内暴力を振るっていたという事です。事件の少し前にも家族に対する暴力があったとの証言もあるようです。
家庭内では父親と衝突していたといい、「家庭内暴力を振るったことがあるようだ」との証言もある。
父親に無理矢理自衛隊に入隊させられたとの報道が出ている島津慧大ですが、別の報道では島津慧大は元々ミリタリーマニアで、自ら自衛隊に興味を持って父親の協力を得て勉強し、自衛隊入隊試験に合格したとの情報も出ています。
被告は17歳の春、自衛隊の募集案内に興味を持ち、父親に教わりながら勉強をした。合格すると、入隊前に過去の暴力を謝り、初めての給料で両親に食事をごちそうした。
島津慧大の父親はこの時の事について「嬉しかった」と裁判の証人尋問で話しているため、こちらの情報が事実の可能性が高いようです。
島津慧大の家族② 姉がいる
産経新聞の2018年7月12日配信記事によると、島津慧大は「両親と姉の4人家族」という事なので、姉が1人いるようです。
両親と姉の4人家族
一方、2018年7月3日発売の「週刊女性」の7月17日号には、「3人きょうだいの末っ子」と書かれていました。
島津容疑者は3人きょうだいの末っ子で、同県立山町で両親と3人暮らし。
どちらが正確な情報かは特定できていませんが、週刊誌と全国紙ではやはり全国紙の方が信用度が高いので、島津慧大は姉が1人いる4人家族で育った可能性が高いようです。
また、週刊女性の記事でも「きょうだいの末っ子」という書き方がされている事から、島津慧大に姉がいる事は間違いないようです。
島津慧大の家族③ 母親は裁判で被害者遺族に謝罪
島津慧大の母親も裁判で証人尋問に出廷して島津慧大の子供時代の事について語り、被害者遺族に謝罪して涙を見せています。
母親は精神科の病院で診察を受けさせた。診断は出なかった。ひきこもりの相談会や自立支援施設も訪れたが、適切な支援にいきつかなかった。
母親は「あきらめず病院を回ったらどうなったかなと。やりようがあったのにできなかった。申し訳ない」と法廷で泣いた。
生い立ちのところでも見たように、島津慧大は子供の頃から人間関係がうまくいかず、母親もそれに悩み、病院での診察を受けさせた事があったようです。しかし、当時はなんの診断も出ず、ひきこもり相談や自立支援施設でも適切な支援を受けられなかったようです。
島津慧大は逮捕後の鑑定で発達障害の一種である「自閉症スペクトラム障害(ASD)」と診断されているため、これが適切にフォローされず放置された結果、今回の事件につながったのではとの見方も一部から出ています。
島津慧大が起こした「富山市奥田交番襲撃事件」の概要
島津慧大は事件を起こす当日の2018年6月26日の昼12時半頃、同年4月から短期雇用で勤めていたファーストフード店での勤務中に同僚とトラブルになり、制止に入った店長を殴って左肋骨骨折と左手親指脱臼の重傷を負わせ、13時過ぎに店を飛び出しました。
その後の14時すぎ頃、島津慧大は、富山市久方町の富山県警察富山中央署奥田交番へと向かい、裏口をノックして勤務中の警察官(稲泉健一さん)に鍵を開けさせて侵入。島津慧大はいきなり警察官を刃物で30カ所以上滅多刺しにして殺害し拳銃を奪いました。
事件発生時、交番内には当時60代の相談員(警察OB)がおり、交番前の美容室へと駆け込んで110番通報した事で事件発覚となりました。
島津慧大はその後、奪った拳銃を構えながら、裏道の農道を通って、交番から直線距離80メートルほどの富山市立奥田小学校へと向かいました。
14時25分頃、奥田小学校の道路を挟んで向かいの住宅街から姿を現した島津慧大は、正門前で小学校改修工事の警備をしていた当時68歳の警備員(中村信一さん)に至近距離から発砲しました。警備員には2発が命中し、搬送先の病院で死亡が確認されました。
島津慧大は弾丸を撃ち尽くした拳銃を投げ捨てると、そのまま奥田小学校敷地内に侵入しています。直後、通報を受けて駆けつけた警察官に用意していた斧を持って襲い掛かろうとしたところ、警告を受けたのちに銃撃され左腹部に銃弾を受けて倒れたところを現行犯逮捕されました。
その後、島津慧大は意識不明の重体となったため一時釈放されて富山県内の病院に入院。回復後に再逮捕され、強盗殺人や殺人、銃刀法違反、公務執行妨害など複数の罪で起訴されました。
島津慧大は事件で銃撃された後遺症で下半身不随に
島津慧大は事件時に警察官に銃撃されて負傷した影響で下半身不随になっています。
下半身不随のため島津慧大は自立歩行が困難になり裁判には車椅子で出廷しているという事です。
被告は事件での身柄確保時に警察官から発砲を受けて負傷した影響で、下半身不随となり、自力歩行が困難になったとみられる。
島津慧大の一審判決は無期懲役(求刑は死刑)
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「富山市奥田交番襲撃事件」での島津慧大の裁判は、2021年1月にはじまりました。
裁判では、島津慧大の「自閉症スペクトラム障害」が事件に及ぼした影響が焦点となりました。検察側は障害が犯行に及ぼした影響は限定的だとして強盗殺人罪を主張し死刑を求刑しました。
一方の弁護側は、計画性はなく殺人と窃盗罪に当たるとして無期懲役刑が相当だと主張しました。
2021年3月、富山地方裁判所は強盗殺人罪の成立を認めず、無期懲役の判決を下しました。
弁護側の主張が認められる形となりましたが、島津慧大はこの判決を不服とし、自ら控訴しています。また、検察側もこの判決を不服として控訴しています。
富山市の交番で平成30年6月、警察官を刺殺し、奪った拳銃で警備員を射殺したとして強盗殺人や殺人などの罪に問われた元陸上自衛官、島津慧大(けいた)被告(24)の裁判員裁判で、富山地裁(大村泰平裁判長)は5日、無期懲役の判決を言い渡した。求刑は死刑。
島津慧大の現在① 控訴審は一審判決を破棄し差し戻しの判決
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島津慧大は現在も「富山市奥田交番襲撃事件」の裁判を受けています。
島津慧大の控訴審は2022年1月にはじまり、検察側は改めて死刑を求刑。一方の弁護側は自閉症スペクトラム障害による心神耗弱状態などを理由として、無期懲役よりもさらに減刑した有期懲役を求めました。
2022年3月、名古屋高裁金沢支部は、「一審判決には明らかな事実誤認がある」として富山地裁の無期懲役判決を破棄し、強盗殺人罪の成立を前提にして裁判員裁判をやり直す事を命じる判決を下しました。
4年前、富山市の交番で警察官を刃物で殺害したうえ、その拳銃を使って警備員を殺害した罪に問われた25歳の元自衛官の2審の裁判で、名古屋高等裁判所金沢支部は「強盗殺人罪を適用せずに無期懲役を言い渡した1審判決には明らかな事実誤認がある」として取り消し、裁判員裁判をやり直すよう命じました。
島津慧大の現在② 弁護団は控訴審の判決を不服として上告
2022年4月、島津慧大の弁護側は控訴審判決を不服として最高裁判所に上告しています。
富山市で2018年に起きた交番襲撃事件で、強盗殺人罪などに問われた元自衛官島津慧大被告(25)の弁護側は5日までに、無期懲役とした一審富山地裁判決を破棄し、審理を差し戻した名古屋高裁金沢支部の判決を不服として最高裁に上告した。
まとめ
今回は2018年6月26日に富山県富山市久方町で発生した「富山市奥田交番襲撃事件」の犯人である島津慧大についてまとめてみました。
島津慧大は、富山県中新川郡立山町末三賀で、両親と姉の4人家族(3人きょうだいという情報も)に生まれていますが、幼少時から周囲との人間関係がうまくいかず、小中学校時代にいじめにあって中学2年から3年の頃に不登校になった生い立ちを持ちます。
中学卒業後は高校には進学せず、実家に引きこもるようになり、家族に対して暴力を振るうなどしたため、家族は実家を出ていき、16歳の頃から実家で一人暮らしをしていた時期があったようです。
その後、18歳の時に陸上自衛隊に入隊し、一時実家を離れるも、約2年で退職して実家へと戻り、2018年4月からは短期契約のアルバイトを始めていたものの、職場でトラブルを起こしたその日に、交番を襲撃して警察官を殺害して拳銃を奪い、付近の小学校正門前で警備員の男性を射殺しています。
島津慧大は駆けつけた警察官からの銃撃を受けて倒れ、その場で確保されています。この時の怪我の影響で島津慧大は下半身不随になっています。
裁判では、一審判決で無期懲役判決が下されましたが、2022年3月の控訴審にて、一審判決への差し戻しの判決が下されています。
現在も島津慧大の裁判は続いています。