元女子アナであり現在は政治家でもある龍円愛梨さんですが、その人生は苦労に見舞われたものだったりもします。
この記事では、龍円さんの過去のスキャンダルに加えて、病気の子供や家族情報に関してまとめてみました。
この記事の目次
龍円愛梨のプロフィール
名前:龍円愛梨(りゅうえん あいり)
出身地:スウェーデン・ウプサラ県ウプサラ市
生年月日: 1977年3月31日
学歴:法政大学法学部卒業
政治学者であり、帝京大学名教授でもある龍円恵喜ニ(えきじ)さんを父に持つ龍円愛梨さんは、父親の留学先のスウェーデンで生まれた帰国子女だったりします。
そんな偉大の父親の影響は大きかったのか、大学時代は出版社・経済界の編集部でアルバイトをするなど、女子大生離れをした経験も積んでいた龍円さん。
大学を卒業後は女子アナとしてテレビ朝日に入社し、「『ぷっ』すま」や「朝いち!!やじうま」といった番組で活躍をしていた時期もあった龍円さんでしたが、もっと硬派な仕事がしてみたくなったのか報道社会部への転属を希望し、2006年からは報道記者に転身しました。
その後は、2011年いっぱいでテレビ朝日を退職し、渡米することとなった龍円さんですが、この人生の選択こそが、恵まれたお嬢様人生から一転した人生を送るきっかけとなってしまいました。
龍円愛梨はハーフ?~日本人離れした容姿も純日本人
龍円愛梨さんは、本人がハーフとは一言も言っていないのに、ネット上では、ハーフでは?といわれています。
写真を見ても分かる通り、龍円さんのハーフのような日本人離れした容姿となります。
父親である龍円恵喜ニさんは「THE日本人的な容姿」だけに、娘がここまでハーフ顔ということは、母親の影響が大きいと考えるしかありません。
そのため、恵喜ニさんがスウェーデン留学時代に現地の白人女性とでも結婚しているのかと思いきや、そういった情報は特にないようですね。
つまりは、龍円さんは日本人の両親の元に生まれた生粋の日本人という捉え方をして問題がないという結論になります。
タレントのスザンヌさんなどもそうですが、両親とも日本人なのに外国人っぽい顔に生まれてしまう方は昔から一定数いるようなので、その中の1人が龍円さんということなのでしょうね。
龍円愛梨のスキャンダル~週刊誌がガセネタ掲載で裁判沙汰にまで
龍円愛梨、「ランジェリーパブでアルバイト」は根も葉もないでっち上げ
龍円愛梨さんは、テレビ朝日入社したばかりの1999年に、「週刊現代」により「大学時代にランジェリーパブでアルバイトをしていた」というスキャンダル記事を書き立てられたことがあります。
具体的には、龍円さんがユカという源氏名で六本木にあった「キューティーハニー」というランジェリーパブに勤務していたという内容のスキャンダル記事となります。
「週刊現代」記事によると、龍円さんは法政大学3年生となる1997年5月からの1ヶ月間「キューティハニー」でアルバイトをしていたとされており、あまりに詳細すぎる記事内容から、うっかりと信じてしまう読者も続出してしまったようですね。
女子アナと水商売のアルバイトというと、日本テレビの笹崎里菜さんが、学生時代にキャバクラでアルバイトをしていた過去が週刊誌により暴かれて、一旦は内定が取り消しとなった騒動もありました。
龍円さんのケースでは、週刊誌により根も葉もないガセネタを書き立てられたという立場だったようで、龍円さんのみならずテレビ朝日側も「週刊現代」を名誉毀損で訴え、謝罪広告掲載にまで追い込んでおります。
「週刊現代」が何故こんな根も葉もないガセネタを記事にしてしまったかという問題に関しては、龍円さんが学生時代にイベントコンパニオンのアルバイトをしていた時期があったことに、尾ひれがついた情報を売り込んできたフリーライターがいたためだったとか。
内縁の夫とアメリカ移住した龍円愛梨~夫は実業家・船木三秀か?
龍園愛梨、事実婚の日系アメリカ人男性と渡米
龍円愛梨さんは、2011年12月にテレビ朝日を退職しています。
龍円さんは、テレビ朝日退社半年前くらいには、取材現場に行くこともなくなり、半休職状態だったとも言われているため、転属はしてみたものの報道記者の仕事が合わないといった悩みなどがあったのかもしれませんね。
30代になってからは報道記者として警視庁の生活安全課を担当していましたが、仕事にストレスを感じていたようで、カリフォルニアのサドルバックカレッジに留学した。エコに傾倒しているらしく、テレ朝時代の友人とやりとりしてもサーフィンや海の話ばかりらしいです。警視庁のお偉方は、彼女に会えなくなって寂しがっているみたいですけど(笑い)
テレビ朝日退社後は、アメリカの大学で学ぶために留学をしたとも伝えられていた龍円さんでしたが、実際のところは、2011年に貿易商を営む日系アメリカ人と男性と事実婚をした状況となり、生活基盤をアメリカ・カリフォルニア州へ移したというのが真相だったようですね。
龍円愛梨の内縁の夫は船木三秀なのか?
龍円愛梨さんの気になる内縁の夫ですが、船木三秀さんという男性だと言われております。
龍円さんより12歳年上である船木さんは、ナキの愛称で知られている元プロサーファーであり、フォトグラファーとしても有名な方だそうですね。
船木さんは、詳しい出身地は公開されていないものの、湘南や鎌倉でサーフィンデビューしたとの記述が公式プロフィールなどにあるため、日系アメリカ人といっても、アメリカの永住権を取得した日本人というパターンではないかと思われます。
1994年には、カリフォルニア州・サンクレメンテ市にアップサイド・ダウン社というサーフィン関連の映像や製品などを日本へ輸出する会社を設立している船木さん。
マスコミが用いている船木さんの貿易商という肩書は、おそらくはこのアップサイド・ダウン社を経営していることを指しているのでしょうね。
現在では、このアップサイド・ダウン社の他にも、日本向けに「nakisurf.com」というサーフィン関連の通販サイトも運営している船木さんは、それなりにやり手の実業といえるのかもしれません。
ちなみに、船木さんが龍円さんの内縁の夫扱いされている理由に関しては、龍円さんが以前に運営していた公式ブログに、船木さんと一緒に渡米するとの記述があったためです。
内縁の夫という立場であった船木さんですが、龍円さん側には船木さんの素性を隠そうという意思はなかったことになります。
龍円愛梨と船木三秀はサーフィンが縁で知り合った
テレビ局の報道記者とアメリカ在住の実業家。
一見するとあまり接点のなさそうな2人が知り合ったきっかけは、サーフィンだったと言われております。
女子アナから報道記者へ転属したという経歴だけを見ると、堅物な女性という印象が強い龍円愛梨さんになりますが、実際のところはサーフィンなどカジュアルな趣味を持つ女性でした。
船木三秀さんも拠点はアメリカにあるものの、日本に来日してサーフィンに明け暮れている時期も結構あるらしく、有名人のサーフィン好き同士という立場上、お節介を焼いて2人の知り合う機会を作ってくれた知人でもいたのでしょうね。
龍円愛梨の子供・ニコ君はダウン症~出産前検査では障害が発覚せず
2013年に第一子・ニコ君を出産した龍円愛梨
龍円愛梨さんは、2013年5月に、アメリカ・カリフォルニア州にて、第一子となるニコ君を出産しております。
龍円さんの長男となるニコ君ですが、ニコという名前は本名ではなくニックネームとなり、ダウン症の障害があることでも知られています。
症状としては、身体的発達の遅延、特徴的な顔つき、軽度の知的障害が特徴である。平均して8-9歳の精神年齢に対応する軽度から中度の知的障害であるが、それぞれのばらつきは大きく、現時点で治療法は存在しない。教育と早期ケアによりQoLが改善されることが見込まれる。
引用:ダウン症候群
龍円さん本人は「子供の障害の有無で出産の判断したくない」という気持ちが強く、出産前の検査などは望まなかったそうですが、担当医師から諭されたため、結局、最低限の検査自体はすることになったとか。
龍円さんは、アメリカの病院でクアトロテストやエコー検査など、ダウン症を事前に発見出来る検査も受けていたようですが、検査時に異常は発見されなかったそうです。
クアトロテストは、「母体年齢固有の確率」に、胎児が対象疾患であった場合の母体血清中の4つのマーカーの増減から得られる「Likelihood Ratio」を乗じて算出します。それにより、クアトロテストは、母体年齢のみに依存しない妊婦さん一人ひとりの確率を算出します。この確率と基準となる確率(カットオフ値)を比較し、カットオフ値より高い場合はスクリーニング陽性、低い場合はスクリーニング陰性と報告されます。
出産直後もニコ君に何か障害のある兆候は見受けられずに、龍円さんは2泊3日で病院から退院することになりました。
当時36歳という高齢出産の身の上だった龍円さんにとっては、肩の荷が下りた思いだったのかもしれませんね。
ニコ君のダウン症は生後1ヶ月で発覚した
無事退院し、我が子と共に自宅に帰ってきた龍円愛梨さんですが、ニコ君の身の上には早々に異変が起こっていたとか。
ニコさんの異変は哺乳が出来ないという、赤ちゃんにとっては生死に関わる障害となりました。
1回の授乳で5~10ミリ程度のミルクしか飲めないため、常時栄養失調状態にあったニコ君は、1日に20時間以上眠っており、龍円さんの目から見ると昏睡状態に陥っているように見えたそうです。
そのため、退院後10日間で8回も病院に相談に行くこととなった龍円さんでしたが、異常の原因がニコ君のダウン症のせいだったことが判明するまでには、1ヶ月ほどかかりました。
一言に高齢出産といっても、36~40歳での出産の場合は、ダウン症の発症確率は300人に1人という低い数値なうえ、妊娠中の各種検査でもニコ君に異常が発見されていなかったことが、原因究明の妨げとなってしまったのではないかと思われます。
龍円愛梨と船木三秀は2015年に破局をしている?
ニコさんの障害が発覚した際は、龍円愛梨さんも泣き崩れてしまったとか。
障害児を産んでしまった多くの母親がそうであるように、子供への罪悪感から自分を責める日々が続いていたという龍円さん。
そんな龍円さんを救ってくれたのは、内縁の夫である船木三秀さんではなく、実家の母親だったそうですね。
落ち込んだ龍円だったが、気持ちが救われたきっかけは自身の母親からの言葉だったという。
「ニコちゃん(=龍円の息子)はニコちゃんで変わってないから大丈夫よ! 子供が幸せだったらそれでいいじゃない」
そう言われ、それをきっかけに「息子から未来が奪われる訳ではない。息子は幸せになれる」と気付いたそうだ。
カリフォルニアでは、2015年まで子育てをしていた龍円さんでしたが、船木さんがそれに協力してくれていたというようなエピソードは特になく、最終的にはニコ君と2人きりで日本に帰国しています。
一般論として、障害児の生まれてしまった家庭の離婚率は高いと言われており、ニコ君の子育て方針をめぐり、2人の間で何かしら軋轢が生じてしまったのかもしれませんね。
龍円さん本人は、帰国後、内縁の夫に対する話題は公の場では語っておりませんので、すべては憶測の話となりますが、2015年頃に龍円さんと船木さんが破局を迎えてしまったことは確かなようですね。
龍円愛梨の現在の活動~都議会議員として活躍中
帰国後は子育て教室を主催している龍円愛梨
日本に帰国後の龍円愛梨さんは、マスメディアに向けて我が子の障害をカミングアウトし、大きな反響を呼ぶことになりました。
テレビ朝日時代はそれほど目立った存在でもなかったため、ニコ君関連の話題で龍円さんを初めて知ったという方も多かったのではないかと思われます。
日本に戻ってからは、実家で両親やニコ君たちと暮らしている龍円さんですが、知名度を活かして社会活動なども始めています。
龍円さんが始めた社会活動は、ダウン症の子供を持つ母親向けの育児教室兼交流会である「DS SMILE CLASS」となりました。
ダウン症の子供は言葉の発育が遅れるという特徴があるため、母子間のコミュニケーションを円滑に取るための手話なども教えていた「DS SMILE CLASS」。
龍円さんがアメリカで学んだ実践的な育児知識が詰まった教室だったことが評判を呼び、「DS SMILE CLASS」は、募集の度に予約枠が満杯となるほどの大盛況ぶりだったとか。
現在の「DS SMILE CLASS」は、社団法人「ベビーサイン」に合流し、「DSベビーサイン」という形で教室が継続しております。
関心のある方は、龍円さんのオフィシャルブログなどを確認して、スケジュールのあうタイミングで教室に参加して見るのも良いでしょうね。
龍円愛梨、政治家へ転身!現在は都議会議員として活躍
日本に帰国後は忙しい日々が続いている龍円愛梨さんは、現在では新たなステージへと進んでいます。
2016年10月より、現・東京都知事である小池百合子さんが主宰していた政治塾「希望の塾」に参加していた龍円さん。
マスコミからは、政治家転身への下準備かと報じられていた龍円さんでしたが、周囲の憶測通りに2017年7月の東京都議会議員選挙に立候補することになりました。
龍円さんが政治家を志した理由は、「障害をもつ子供がいる家庭が安心して暮らせる環境を作りたい」という理想のためとなります。
龍円さんが公認を受けたのは「都民ファーストの会」のため、当時の小池百合子ブームの後押しもあり、難なく都議会議員選挙に当選しております。
理想実現のためには、都議会議員ではやや力不足のようにも思えますので、龍円さんの中では、将来的には国政選挙にでも打って出るプランもあるのかもしれませんね。
まとめ
・テレビ朝日入社直後に、週刊誌にランジェリーパブでアルバイトの過去があると、根も葉もないでっち上げ記事を掲載され、裁判沙汰になった。
・2011年にテレビ朝日を退職。事実婚状態にあった12歳年上の日系アメリカ人男性と渡米し、2013年5月に、アメリカ・カリフォルニア州にて、第一子となるニコ君を出産した。
・2015年、日本に帰国し、愛息・ニコ君がダウン症であることをマスメディアに公表。事実婚状態にあった男性とは破局したと思われる。現在は、都議会議員として活躍中。
シングルマザーとして、障害児を持つ親として、逞しく生きている龍円愛梨さん。
現在の日本では小池百合子ブームも終わり、小池百合子さんが関与している「希望の党」も「都民ファーストの会」も逆風下にある状況になっています。
そのため、都議会議員とはいえ、龍円さんが2期3期と当選実績を積んで行くことは容易ではない状況になってしまったと言えます。
ニコ君の育児面も含めて、これからはさらなる苦労が重なると思われる龍円さんの人生となりますが、困難に負けることなく頑張って欲しいものです。
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