斉藤静香さん強姦殺人事件で無期懲役判決を受け服役していた那須野亮が2度目の殺人を犯しました。
この記事では那須野亮の生い立ちと親などの家族、大学など経歴、世田谷の斉藤静香さん強姦殺人事件での合鍵などの手口、無期懲役判決とその後の藤江彰に対する2度目の殺人、現在についてまとめました。
この記事の目次
- 那須野亮は世田谷強姦殺人での無期懲役服役中に受刑者を殺害した凶悪犯
- 那須野亮の生い立ち…親や家族は裕福だったと推測されている
- 那須野亮の経歴…青山学院大学中退後はフリーターになっていた
- 那須野亮の世田谷強姦殺人事件① 被害者の斉藤静香さんについて
- 那須野亮の世田谷強姦殺人事件② 斉藤静香さんに一方的な好意を抱いた
- 那須野亮の世田谷強姦殺人事件③ 合鍵を作るなど周到かつ悪質な犯行計画
- 那須野亮の世田谷強姦殺人事件④ 合鍵で斉藤静香さん宅に侵入し犯行へ
- 那須野亮の世田谷強姦殺人事件⑤ 証拠隠滅から逮捕まで
- 那須野亮の世田谷強姦殺人事件のその後① 裁判では無期懲役に
- 那須野亮の世田谷強姦殺人事件のその後② 刑務所内で藤江彰受刑者を殺害
- 那須野亮の現在① 再逮捕と今後の司法手続き
- 那須野亮の現在② 無期懲役制度への警鐘と刑務所管理の限界への問題提起
- まとめ
那須野亮は世田谷強姦殺人での無期懲役服役中に受刑者を殺害した凶悪犯

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那須野亮(なすの・まこと)は、2006年12月28日に当時22歳だった世田谷区のアルバイト店員・斉藤静香さんを強姦目的で暴行して殺害した罪で無期懲役の判決を受けて服役。
その後、2025年8月24日に服役していた千葉刑務所内で藤江彰受刑者を金属製の水筒で頭部を複数回殴って2度目の殺人事件を起こした凶悪犯です。
斉藤静香さんを殺害した世田谷強姦殺人事件でも、その手口の残忍さと身勝手さで社会に大きな衝撃を与えた那須野亮が、刑務所内で再び殺人事件を犯すという日本の犯罪史上でも類を見ない事件は、多くの人々に戦慄を与え、司法制度そのものへの根源的な問いを投げかけました。
ここでは、那須野亮がどのような家族や親のもとで育ち、2度までも殺人を犯すに至ったのか、その生い立ちや2つの事件の経緯と概要、裁判での判決や現在の状況などについて紹介していきます。
那須野亮の生い立ち…親や家族は裕福だったと推測されている

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那須野亮の生い立ちについて、現在までに明らかになっている内容はあまり多くはありませんがまとめていきます。
那須野亮は1978年頃に、福岡県糟屋郡志免町で生まれています。ただ、那須野亮の幼少期や少年時代に関する具体的な情報は極めて少なく、生い立ちに関わる両親や家族構成、家庭環境についての報道は1度目の斉藤静香さん強姦殺人事件の報道当時でもほぼ何もありませんでした。
那須野亮の人間形成に影響を与えたであろう原風景は厚いベールに覆われていますが、断片的な情報から生い立ちをある程度推測する事は可能です。
那須野亮が卒業した高校は、福岡市にある私立「東福岡高等学校」(現在の偏差値は49〜62、コースにより異なる)でした。同高校はスポーツの強豪校として全国的に名高いですが、進学校としての一面も持ちます。
その後、那須野亮は上京し、名門私立大学である青山学院大学の理工学部へと進学しています。私立高校から東京の有名私立大学へ進学できる経済力から、那須野亮の親や家族は決して貧しくはなく、むしろ比較的裕福であった可能性が高いとみられています。
高校時代までの那須野亮は、学業面では優秀な学生だった可能性が高いです。青山学院大学理工学部(現在の偏差値は52.5〜57.5)は決して容易に入学できる学部ではない事から、那須野亮が相応の学力を持ち、真面目に勉学に励んでいた時期があった事は間違いないと思われます。
しかし、この「真面目で優秀な生徒」という仮説は、後にこの男が犯した残虐な事件とは大きく乖離しており、この男の内面でどのような変化が起きたのかは、その後の経歴を追う事で推測するしかありません。
そして、那須野亮の親や家族が、この男をどう見ていたのか家族内で何らかの問題を抱えていたのか、そういった全ては謎のままとなっています。
当時の報道では、那須野亮の父親が息子の事件について取材を受けて「息子はもう社会人だから、自分の責任は自分で取りますよ」などと、自分や家族は関係ないとでも言いたげな発言をした事が明らかにされています。
この父親の発言が事実であれば、当時の那須野亮と親や家族の間には距離があったのではないかと推測する事もできます。
那須野亮の経歴…青山学院大学中退後はフリーターになっていた

那須野亮の大学進学後の経歴についても断片的な情報しかわかっていませんがまとめていきます。
那須野亮は上京し、青山学院大学理工学部へと入学していますが、理由は不明ながら中途退学している事がわかっています。
逮捕後の報道によると、那須野亮は知人に対して「理工学部と違うことを目指す」と語っていたようです。この言葉の真意は明らかになっていませんが、本当に他に目指す道が見つかったのか、それとも学業不振や人間関係の悩みから逃れるための口実だったのかはわかりません。
いずれにせよ、大学中退が那須野亮の経歴における最初の、そして決定的なつまづきとなった事は想像に難しくありません。
エリートコースから外れた那須野量は、定職に就く事なく、フリーターとしてアルバイトで生計を立てる不安定な生活へと身を投じて行ったようです。
推測になりますが、那須野亮のプライドがこの時期に大きく傷つけられ、思い通りにならない現実への不満や社会に対する疎外感が、歪んだ形で心の中に蓄積されていき、それが世田谷の斉藤静香さん強姦殺人事件の遠因になったのではないのかとの見方も出ていました。
那須野亮の世田谷強姦殺人事件① 被害者の斉藤静香さんについて
続けて、那須野亮が犯した最初の殺人、世田谷強姦殺人事件についてみていきます。
この事件を語る上で、最初に被害者である斉藤静香さんの人物像について語る必要があります。
斉藤静香さんは事件当時22歳。青森県五所川原市で、地元の私立高校を卒業後に上京し、渋谷のメイクアップの専門学校を卒業して、一時は食品関係の会社に就職した経歴が明かされていました。
その後、斉藤静香さんは「接客業が好き」という思いから居酒屋などの飲食店でアルバイトとして働くようになり、そのアルバイト先で那須野亮と出会った事が人生を大きく狂わせる事になりました。
彼女を知る人々は、斉藤静香さんの人柄について口を揃えて称賛しており、。勤務していた居酒屋の店長は、事件後「明るい笑顔が好きだった。今も『おはよう』って来てくれるんじゃないかと信じられない」と声を詰まらせています。
事件当時、斉藤静香さんは新しくオープンした新宿の店舗に移ってまだ2週間ほどでしたが、すでに彼女目当てに来店するお客さんもいるほどで、誰からも好かれる明るさと優しさを持ち、夢に向かってひたむきに生きていたとの証言も出ています。
那須野亮の世田谷強姦殺人事件② 斉藤静香さんに一方的な好意を抱いた
2006年10月、当時28歳だった那須野亮は、居酒屋チェーンのアルバイトとして採用され、その研修の場で斉藤静香さんと知り合っています。
那須野亮は斉藤静香さんに好意を抱き、メールアドレスを交換しています。しかし、それは完全に一方的な感情で、斉藤静香さんの方は那須野量に対して特別な感情は抱いていなかったようです。那須野亮からメールを送っても積極的に返事が来る事もなく、2人きりで会う事もありませんでした。
そして、那須野亮はある日、斉藤静香さんを食事に誘ったものの断られ、この出来事が那須野亮の心のうちに潜んでいた悪魔を呼び覚ますきっかけになりました。逮捕後の調べに対して、那須野亮は「食事に誘ったが断られた。振られてもうダメだと思った」などと供述しています。
女性に振られたとしても、普通であれば、諦めるか、あるいは悲しんで失恋として終わるような出来事ですが、那須野亮は「もうダメだ」などと極端な結論に至り、自分を拒絶した相手を力ずくで手に入れて支配しようという身勝手な発想を抱きました。
そしてこれが、世田谷の斉藤静香さん強姦殺人事件へと発展していく事になります。
那須野亮の世田谷強姦殺人事件③ 合鍵を作るなど周到かつ悪質な犯行計画
那須野亮の犯行は衝動的なものでは決してありませんでした。極めて計画的であり、執念深く、そして悪質なものでした。
まず、那須野亮は斉藤静香さんを仕事帰りに尾行するという卑劣なストーカー的行為により自宅アパートを突き止めています。
次に那須野亮は、部屋に侵入するために合鍵の作成を計画。犯行の約1週間前に那須野亮はアルバイトの更衣室で斉藤静香さんのバッグから無断で鍵を盗み出し、彼女の勤務中にその鍵を使って合鍵を作成して、発覚しないように元の鍵をバッグに戻すという極めて用意周到な手口を用いています。
逮捕後、那須野亮は複数の鍵が所持していた事が発覚しており、いくつかの合鍵を作成していたとも報じられています。
事件の当日、那須野亮は粘着テープやビニールひもなどの道具を準備し、覆面姿で自転車に乗り、合鍵を使用して斉藤静香さんの部屋に侵入しました。
さらに、那須野亮は部屋の電気をつかないように蛍光灯の管を外すなど周到な準備をし、斉藤静香さんがアルバイトを終えて帰宅するのを暗い部屋の中で息を潜めて待ち続けました。
この一連の行動は、那須野亮の異常な執着心と計画性の高さを物語っていると言えます。
那須野亮の世田谷強姦殺人事件④ 合鍵で斉藤静香さん宅に侵入し犯行へ
2006年12月28日の午前5時頃、斉藤静香さんは新宿でのアルバイトを終えて、世田谷区大原の自宅アパートへと帰宅しました。
その瞬間、室内に潜んでいた覆面姿の那須野亮は、斉藤静香さんに襲い掛かりました。斉藤静香さんは抵抗しましたが、那須野亮は斉藤静香さんの首を絞めて意識を失わせ、抵抗できなくなった彼女に対して性的な暴行に及びました。
犯行はそれだけにとどまらず、那須野亮は携帯電話を取り出して斉藤静香さんの裸の写真を撮影するという卑劣極まりない行為にも及んでいます。
しばらくして斉藤静香さんが意識を取り戻すと、犯行の発覚を恐れた那須野亮は、彼女の口を封じるために殺害を決意し、用意していたビニール紐などで執拗に斎藤静香さんの首を絞めて殺害。
斉藤静香さんの遺体はベッドの上で、全裸でうつ伏せの状態だったという事です。
那須野亮の世田谷強姦殺人事件⑤ 証拠隠滅から逮捕まで
那須野亮は斉藤静香さん殺害後、昼過ぎまで現場に留まって、自らの痕跡を消そうと試みています。
その後、那須野亮は合鍵で部屋に鍵をかけて逃走。しかし、那須野亮は自らの指紋が現場に残っている事に気がつくと、翌日の朝に通勤ラッシュの時間帯を狙って現場のアパートに火を放ち、証拠を完全に隠滅する計画を立てています。
わざわた通勤ラッシュの時間を狙ったのは、渋滞によって消防車の到着が遅れる事を計算に入れた周到なものでした。
しかし、この計画が実行される事はありませんでした。斉藤静香さんと連絡が取れない事を心配した姉がアパートを訪れて、変わり果てた斉藤静香さんの遺体を発見。通報により事件が発覚して警察による捜査が開始されたためでした。
捜査線上にはすぐに、アルバイト先の同僚であり、斉藤静香さんに執拗につきまとっていた那須野亮が浮上。事件翌日の12月29日に那須野亮は殺人の容疑で逮捕されています。
逮捕後、報道陣のカメラが警察車両で護送される際の那須野亮が、知人らに向かって不気味な笑みを浮かべていたとの情報もありますが、この真偽は不明です。
那須野亮の世田谷強姦殺人事件のその後① 裁判では無期懲役に
続けて、那須野亮の犯した世田谷強姦殺人事件のその後について見ていきます。
裁判の争点は計画性と殺意の有無
那須野亮の裁判は、東京地方裁判所で開かれました。この裁判での最大の争点は「殺意の有無」でした。
検察側は、那須野亮の犯行が極めて計画的であり悪質であると厳しく追及しました。尾行による自宅の特定、勤務中の鍵の窃盗と合鍵作成、覆面やビニール紐などの事前準備をし、証拠隠滅のために放火の計画まで立てていた事などを挙げて「強固な殺意に基づく残忍な犯行」であると主張しました。
そして、被害者の無念や遺族の処罰感情は峻烈であり、反省の態度も全く見られない事から、極刑である死刑を求刑しました。
一方では、弁護側は「殺意はなかった」として殺人罪の適用を争いました。あくまでも目的は性的暴行であり、抵抗されたためやむなく首を絞めたに過ぎないと主張。殺害は計画的なものではなく、偶発的な結果であったとして、死刑回避を求めました。
なお、裁判での那須野亮は、反省や謝罪の言葉を口にする事はほとんどなかったとも伝えられています。
司法が下した判決は無期懲役で「永山基準」により死刑は回避された
2007年6月28日、東京地裁は那須野亮に判決を言い渡しました。その判決は、求刑の死刑ではなく無期懲役でした。
ただし、裁判所は弁護側の「殺意はなかった」という主張を退け、「馬乗りになり繰り返し首を絞めるなど、未必の殺意が認められる」と明確に認定。さらに、「襲い方や手順、口止めの方策を考え抜くなど周到に計画された犯行で、殺害態様も残忍」と、犯行の計画性と残虐性を厳しく指弾しました。
そして、那須野亮の態度についても「被害者を悼む気持ちはみじんも感じられない」と断罪しています。
それではなぜ死刑が回避されたのかですが、当時の死刑適用基準として、大きな影響力を持っていたのが「永山基準」でした。
これは、連続射殺事件を起こした永山則夫の裁判で示された基準で、犯行の罪質、動機、様態、結果の重大性、被害者数(被害者が1人であれば死刑が適用されない場合が多かった)、遺族の被害感情、社会的な影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状などを総合的に考慮して死刑適用を判断するというものです。
那須野亮の事件は、被害者が1名であった事が死刑回避の大きな要因となった可能性が高いと見られています。
計画性や残虐性がどれだけ高くとも、被害者1名の事件で死刑判決が言い渡されるケースは当時の司法判断において極めて稀でした。
裁判所は、犯行の悪質性を認めつつも、永山基準に照らし合わせて、死刑を選択するには躊躇せざるを得ないと判断したと見られています。
この判決は、被害者遺族にとって到底受け入れられるものではありませんでした。そして、社会にも大きな波紋を広げ、これほど残虐で自己中心的な事件を起こして反省の色も全く見せない人間が、なぜ極刑を免れるのか、日本の司法制度における量刑のあり方、特に無期懲役という刑罰の意味が改めて問われる事にありました。
那須野亮の世田谷強姦殺人事件のその後② 刑務所内で藤江彰受刑者を殺害

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斉藤静香さんを殺害した世田谷強姦殺人事件から約18年の歳月を経て、那須野亮は刑務所内で再び凶悪な殺人事件を起こしました。
那須野亮の刑務所での生活と藤江彰服役囚が惨殺された事件について見ていきます。
無期懲役囚としての刑務所での生活
無期懲役の判決が確定した那須野亮は千葉刑務所に収監されました。
無期懲役とは、文字通り刑期の終わりのない刑罰ですが、日本の現行の制度では一定期間(当時は10年、法改正後は30年以上の服役期間)を過ぎれば仮釈放の可能性が開かれます。
しかし、近年は運用が厳格化しており、仮釈放が認められるのはごく一部で、多くの無期懲役囚が事実上の終身刑として生涯を刑務所で過ごす事になります。
那須野亮が2度目の殺人事件を起こすまで千葉刑務所内でどのような服役生活を送っていたのか、その詳細はほとんど報じられていません。那須野亮が自らの罪と向かい、更生の道を歩んでいたのか、それとも、反省なきままに過ごしていたのか、あるいは内なる暴力性を押し殺し、次の機会を窺っていたのかはわかりません。
確かなのは、凶悪犯罪者を更生させ、社会復帰させる事を目的とするはずの刑務所というシステムが、彼に対しては全く機能しなかったという事実だけです。
刑務所内で那須野亮に殺害された藤江彰受刑者について
2025年8月、那須野亮が収容されていた雑居房には、那須野亮を含めて5人の受刑者が共同生活を送っていました。その中に第2の事件の被害者となる藤江彰(ふじえ あきら)受刑者(当時51歳)がいました。
藤江彰受刑者は、準強制性交や強制わいせつなど、複数の性犯罪で懲役14年の判決を受けて服役中の身でした。
報道によると、藤江彰受刑者の犯行手口は「眠っている女性に性的暴行を加える」という内容だったとされています。
重罪犯ばかりが収容される事になった千葉刑務所において、殺人犯である那須野亮と藤江彰受刑者が同じ雑居房に収容される事になった経緯は不明です。
また、刑務所内の人間関係は、その世界とは異なる独特な力学で動きますが、那須野亮と藤江彰受刑者がどのような関係性にあったのかは現在の時点では明らかにされていません。
2025年8月24日に那須野亮が藤江彰受刑者を殺害する事件が発生
2025年8月24日の午前7時過ぎ、千葉刑務所内で藤江彰受刑者が頭から血を流して倒れているのを職員が発見。藤江彰受刑者はすぐに病院に搬送されるも死亡が確認されました。
捜査の結果、同じ部屋にいた那須野亮が藤江彰受刑者を殺害した容疑で逮捕されました。犯行に使われた凶器は金属製の水筒で、那須野亮は藤江彰受刑者が眠っているところを、この水筒で頭部を複数回にわたって執拗に殴りつけ殺害したとみられています。
逮捕された那須野亮は「間違いないです」と容疑を認めているという事です。
しかし、殺害に至った動機については依然として捜査中であり、詳細は現在の時点では明らかにされていません。
那須野亮の現在① 再逮捕と今後の司法手続き
刑務所内での殺人という前代未聞の事件を起こした那須野亮は、現在は新たな殺人事件の被疑者として、厳重な監視の下で取り調べを受けている状況です。
1度目の裁判では無期懲役となりましたが、今回は状況が全く異なります。
無期懲役で服役中の人間が再び殺人を犯したという事件は日本の司法制度における更生という理念が、少なくともこの男には通用しなかった事を意味します。
こうした背景から、検察は今回、断固として死刑を求刑する可能性が極めて高く、弁護側がどのような主張を展開するにせよ、2度も人の命を奪い、更生の機会を自ら放棄したこの男に対し、裁判所が極刑以外の判決を下す事は考えにくいと現在の時点では見られています。
那須野亮の現在② 無期懲役制度への警鐘と刑務所管理の限界への問題提起

那須野亮が起こした2度目の殺人事件は、日本の刑事司法制度、特に無期懲役制度のあり方に深刻な問いを突きつける結果を呼んでいます。
現在の日本の無期懲役は、仮釈放の可能性がある「相対的終身刑」です。しかし、那須野亮のような再犯リスクが極めて高い、あるいは更生の意思が全く見られない受刑者に対しても、将来的に社会復帰する可能性がゼロではないという制度のままで良いのか、という議論が再燃する事は必至です。
今回の事件を機に、仮釈放の可能性が一切ない「絶対的終身刑(終身刑)」の導入を求める声が、これまで以上に高まることは間違いないと見られています。
また、刑務所内の管理体制の問題も指摘される事になるでしょう。5人部屋という共同生活の中で、なぜ、このような凶行を防げなかったのか。受刑者間のトラブルを事前に察知し、介入するシステムは機能していたのか。重罪犯を収容し、彼らの社会復帰を目指すという刑務所の役割は、理想と現実の間に大きな乖離がある事がこの事件によって示されたと言えます。
全ての受刑者が更生できるわけではないという現実を直視し、再犯リスクの高い受刑者に対する管理や処遇プログラムを根本的に見直す必要が迫られているのではないでしょうか。
まとめ
今回は、2006年12月28日に斉藤静香さんを強姦目的で暴行して殺害した罪で無期懲役判決を受け、2025年8月24日に収監されていた千葉刑務所内で藤江彰受刑者の頭部を金属製の水筒で複数回殴って2度目の殺人事件を犯した、那須野亮についてまとめてみました。
那須野亮の生い立ちや親、家族についてはほとんど情報がありませんが、1978年頃に、福岡県糟屋郡志免町の生まれで、比較的裕福な家庭で育ったと見られています。
那須野亮の経歴については、地元の進学校である私立「東福岡高等学校」に上京して「青山学院大学」の理工学部に進学するも中退し、その後はフリーターをしていた事がわかっています。
那須野亮は、このフリーター中にアルバイト先の居酒屋の同僚だった斉藤静香さんに一方的な行為を抱き、鍵を盗んで合鍵を無断で作って自宅に侵入して待ち伏せし、強姦した上で殺害するという残忍な事件を起こしました。
その後、那須野亮はすぐに逮捕され、無期懲役の判決を受けて千葉刑務所に服役していましたが、2025年8月に、同じ雑居房に収監されていた藤江彰受刑者を殺害し2度目の殺人事件を犯しました。
現在の那須野亮は2度目の殺人事件で取り調べを受けており、今後は再び裁判を受けると思われます。そして、今回は裁判所も死刑という判決を言い渡すとの見方が強まっています。
















