「ふぞろいの林檎たち」や「武田信玄」などの大ヒット作への主演で知られる俳優の中井貴一さんの結婚や嫁、子供が話題です。
この記事では中井貴一さんの2000年に結婚した嫁・吉谷麻友子さんとの馴れ初めや子供、豪邸と話題の自宅、父や姉などの家族などについてまとめました。
この記事の目次
中井貴一のプロフィール
中井貴一のプロフィール
生年月日:1961年9月18日
出身地 :東京都世田谷区
身長 :181cm
血液型 :A型
1980年代の若手時代から絶大な人気を誇り、ベテランとなった現在も数々のドラマ、映画で主演する超大物俳優の中井貴一さんは、俳優の佐田啓二さんの長男として生まれました。
父親の佐田啓二さんは中井貴一さんがまだ2歳11ヶ月の時に不慮の事故で37歳という若さで亡くなっています。
中井貴一さんは元々俳優志望ではなかったという事ですが、父の17回忌の法要に参列した映画監督の松林宗恵さんにスカウトされたのをきっかけに、成蹊大学2年生だった19歳の時に俳優の道へと入っています。
デビュー作の映画「連合艦隊」では、特攻隊員の小田切正人役を演じ、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しています。
デビュー翌年の1982年には、NHKの時代劇ドラマ「立花登 青春手控え」に、ドラマ初出演で主役に抜擢されると、1983年放送の大ヒットドラマ「ふぞろいの林檎たち」でも主人公・仲手川良雄役を演じて国民的な人気を獲得しました。
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1988年のNHK大河ドラマ「武田信玄」でも主役の武田信玄役を演じ、これも記録的大ヒットとなっています。
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その後も、中井貴一さんは当時流行したトレンディドラマから、硬派な任侠映画まで幅広く活躍し、抜群の演技力で数々の俳優賞を受賞されています。
これまでの代表作としては、映画だけでも、「ビルマの竪琴」、「竹取物語」、「キネマの天地」、「四十七人の刺客」、「マークスの山」、「ラブ・レター」、「梟の城」、「日本の黒い夏─冤罪」、「壬生義士伝」、「燃ゆるとき THE EXCELLENT COMPANY」、「寝ずの番」、「次郎長三国志」、「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」、「グッドモーニングショー」、「記憶にございません!」などの大作、話題作がずらりと並びます。
ここ数年の活躍もめざましく、2022年公開映画「大河への道」に主演、テレビドラマでも2020年の話題のドラマ「共演NG」や、2021年にWOWWOWで放送され話題になった連続ドラマ「華麗なる一族」に主演されています。
今回はそんな中井貴一さんの結婚や嫁、子供などを中心にまとめていきます。
中井貴一の嫁は一般女性の吉谷麻友子さん
中井貴一さんは2000年9月18日に吉谷麻友子さんという一般女性と結婚されています。
中井貴一さんの父親の俳優・佐田啓二さんは38歳(誕生日前だったので正確には37歳)で交通事故によって亡くなっていますが、中井貴一さんはその父が亡くなった38歳を「乗り越えた」39歳の誕生日に結婚されたそうです。
中井貴一さんと嫁の吉谷麻友子さんは、アメリカのオレゴン州ポートランドの教会で結婚式を挙げられています。
中井貴一の嫁の吉谷麻友子さんは女優の石田えりさん似で外資系勤務の噂も
中井貴一の嫁・吉谷麻友子さんが似ていると言われている女優・石田えりさん
中井貴一さんの嫁の吉谷麻友子さんは一般の方のため顔写真は公開されていませんが、女優の石田えりこさんに似た美人だとの情報があるようです。
また、中井貴一さんと結婚した当時は外資系のスポーツブランドメーカーに勤務していたとの噂もありました。中井貴一さんの嫁の吉谷麻友子さんが働いていた外資系スポーツメーカーは「NIKE」とも噂されていますが、真偽不明の情報です。
中井貴一と嫁の吉谷麻友子さんの馴れ初め
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中井貴一さんと嫁の吉谷麻友子さんの馴れ初めについてもみていきます。
中井貴一さんと吉谷麻友子さんの出会いは、中井貴一さんの誕生日パーティーに、中井貴一さんの友人の会社の同僚だった吉谷麻友子さんが訪れた事がきっかけだったそうです。
2003年1月12日の日刊スポーツの中井貴一さんのインタビュー記事では、中井貴一さん本人が嫁の吉谷麻友子さとの結婚を決断したきっかけについても語ってくれていました。
このインタビュー記事によると、中井貴一さんは嫁の吉谷麻友子さんと2年の交際を経て結婚されたそうですが、結婚を意識した結果家は「立ち食いそばデート」だったのだとか。
「38歳」を乗り越えた39歳の誕生日に、妻麻友子さん(34)と挙式した。友人の勤め先の同僚だった麻友子さんとは2年の交際を経て結婚した。決め手となった要因の1つが「立ち食いそばデート」だった。
中井貴一さんは嫁の吉谷麻友子さんと交際をスタートさせた当時、俳優として絶大な人気を博し映画やドラマに引っ張りだこの多忙な生活を送られていました。この食事の約束をした日も前日までハードな撮影が続き、銀行にお金を下ろしに行く暇もないほどだったそうです。
中井貴一さんは疲れがピークに達していたものの、この日はまだ交際をスタートしてから3度目のデートで、なんとかしなきゃと思いつつ、学生時代からの行きつけだったという立ち食いそば屋に行こうと吉谷麻友子さんを誘ってみたのだとか。
すると、吉谷麻友子さんは嫌がるどころか、生まれて初めて食べたという立ち食いそばを「美味しいね」と言って喜んでくれたのだそうで、中井貴一さんはそんな様子を見て「これなら(結婚しても)やっていけるな」と思い、結婚を決断されたのだそうです。
中井貴一と嫁の吉谷麻友子さんには子供はいない
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中井貴一さんと嫁の吉谷麻友子さんの間には子供はいません。
中井貴一さんが子供を作らなかった理由は特に明かされていませんが、父親の佐田啓二さんが37歳という若さで他界したため、自分もその年齢で死ぬかも知れないと考えて、あえて子供を作らなかったのだという説もあるようです。
ちょっと前に知ったのですが、中井貴一の父が、小津先生の作品にも出ているイケメン俳優、佐田啓二なんですね!佐田啓二は37歳で交通事故で亡くなったため、中井貴一はその歳で死ぬと考え、嫁も子供も作らなかったとのことです。ちょっと、ほろほろ。
— くあがた (@quagata) May 27, 2010
中井貴一さんは結婚されたのが39歳と当時としては遅めの結婚でしたが、それにも父親の早すぎる死が影響していたようです。
「おびえるということではないけど、38歳で死はあり得るという恐怖を感じていました。あと何年というカウントダウンの人生です。それを過ぎた今、現実的に当時より死に近づいているんだろうけど、ようやくどう生きていこうかっていう考えになってきた。だから結婚もできたんです」。
中井貴一の自宅は世田谷区田園調布の豪邸
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中井貴一さんの自宅は世田谷区田園調布にある豪邸です。
出典:https://presidenthouse.net/
中井貴一さんの自宅の正確な住所の記載は控えますが、ネット上では特定されておりGoogleマップでの衛生画像や玄関前の画像も出回っていて、「NAKAI」という表札も確認できます。中井貴一さんの自宅は広々とした庭のある大豪邸のようで、地域の住人の間では有名なようです。
また、中井貴一さんは長野県のリゾート地・蓼科に別荘も所有されているそうです。この別荘は父親の佐田啓二さんから受け継いだものなのだとか。
中井貴一の家族① 父は俳優の佐田啓二
中井貴一の父親・佐田啓二のプロフィール
本名 :中井寛一
生年月日:1926年12月9日
没年月日:1964年8月17日(享年37歳)
出身地 :京都府京都市下京区
身長 :173.2cm
ここまででも触れていますが、中井貴一さんの父親は終戦後の1940年代から1960年代にかけて活躍した二枚目俳優の佐田啓二さんです。
中井貴一さんの父の佐田啓二さんは、1947年に映画「不死鳥」でデビューし、当時の大スター田中絹代さんとのラブシーンが話題になりたちまち若手の人気俳優の地位を確立しました。
プロ野球スカウトを題材にした1956年公開の映画「あなた買います」では、その迫真の演技が高い評価を受け毎日映画コンクールとブルーリボン賞で主演男優賞に輝きました。
1957年2月28日、松竹大船撮影所前のレストラン「月ヶ瀬」の看板娘であった益子さんと10年の交際期間を経て結婚。
その後は、新婚時代から初老までを演じ話題になった映画「喜びも悲しみも幾歳月」、小津安二郎監督の代表作の1つ「秋刀魚の味」などの数々の名作に出演し、戦後の日本を代表する俳優となりました。
37歳の若さで交通事故により他界
人気絶頂であった1964年8月、佐田啓二さんは、妻の益子さん、当時6歳の長女の貴惠さん、当時2歳の中井貴一さんと家族4人で信州蓼科高原の別荘を訪れていました。
そして、8月17日、佐田啓二さんはドラマ「虹の設計」の収録のため、妻子を別荘に残して、運転手の運転する車で東京へと戻る途中、山梨県韮崎市の国道で事故に遭い、37歳という若さで亡くなっています。
この事故は、運転手が前方の車を無理に追い越しをしてカーブを曲がりきれずに橋柱に激突して車体が跳ね返り、それに直前に追い抜いた車が衝突するという大事故でした。
佐田啓二さんは頭の骨と右腕を骨折する大怪我を負って重体となり、その日の午前11時頃に搬送先の病院で死亡が確認されています。
中井貴一の家族② 姉は女優でエッセイストの中井貴惠
中井貴一の姉・中井貴惠のプロフィール
本名 :中沢貴惠子
生年月日:1957年11月27日
出身地 :東京都世田谷区玉川田園調布
身長 :167cm
血液型 :O型
中井貴一さんの姉は、女優でエッセイストの中井貴惠さんです。
中井貴一さんの姉の中井貴惠さんは、早稲田大学文学部在学中の1977年に市川崑監督の「女王蜂」で女優デビューし、同作で数々の新人賞を受賞しています。
1982年公開映画「制覇」で日本アカデミー賞助演女優賞を受賞したのを皮切りに、「人生劇場」、「悲しい気分でジョーク」などに出演し、若い頃の”お嬢さん女優”というイメージを脱却し、演技派女優としての地位を確立しました。
1987年に結婚を機に女優業を休業しましたが、2013年に映画「じんじん」で26年ぶりに女優復帰し大きな話題を呼びました。
中井貴一の家族③ 母親の益子さんはとても厳しい人だった
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中井貴一さんは2歳の時に父親の佐田啓二さんを交通事故で亡くし、その後は母親の益子さんに育てられました。
中井貴一さんの母親の益子さんは、父親のいない子供達を自分がしっかり育てなくてはという意識からか、とても厳しい方だったそうで、中井貴一さんは以下のように語られていました。
「本当に厳しい母でした。DVまではいかないけど、手の早い母だった。170センチあったから手も長くて、姉も僕も食事の時も常に(叩かれないよう)臨戦態勢でした」と中井。「父の分もという(育児への)意識が強かったのでしょう」と続けた。
中井貴一さんの母の益子さんは2016年に87歳で他界されています。
まとめ
今回は1980年代から現在まで第一線で活躍を続ける大物俳優の中井貴一さんについてまとめてみました。
中井貴一さんは大学在学中に俳優としてデビューし、ドラマ「ふぞろいの林檎たち」でブレーク、大河ドラマ「武田信玄」をはじめとして、若い頃から数々のヒット作に出演され、ここ数年も映画「記憶にございません!」や、ドラマ「共演NG」など数々の話題作に主演し、変わらぬ人気を誇っています。
そんな中井貴一さんは、2000年に一般女性の吉谷麻友子さんと結婚されています。中井貴一さんの嫁の吉谷麻友子さんは、外資系のスポーツメーカーに勤めていた方で、中井貴一さんの誕生日パーティーに中井さんの友人の同僚として遊びにきたのが馴れ初めになったそうです。
中井貴一さんと嫁の吉谷麻友子さんには子供はいませんが、これは、中井貴一さんの父親の俳優・佐田啓二さんが若くして亡くなっている事が関係していると言われています。
中井貴一さんの自宅は、東京都世田谷区の田園調布に建つ豪邸で、インターネットではGoogleマップの衛生画像や玄関前の画像などが確認できます。