サッカー日本代表監督の森保一監督への注目と期待が高まっています。
この記事では森保一監督の現役時代の経歴や画像、高校や大学、若い頃、監督としての年俸推移や結婚した嫁などの家族、息子や娘などの子供、自宅などについてまとめました。
この記事の目次
森保一監督のプロフィール
森保一日本代表監督のプロフィール
生年月日:1968年8月23日
出生地 :静岡県掛川市
出身地 :長崎県長崎市
身長 :174cm
血液型 :A型
森保一監督は、日本代表監督(A代表)を務める、元プロサッカー選手です。現役時代の若い頃は自身も日本代表として長く活躍した経歴を持ちます。
森保一監督は、Jリーグ開幕以前から活躍する往年の名選手で、現役時代はJリーグサンフレッチェ広島、京都パープルサンガ(現在の京都サンガF.C.)、ベガルタ仙台などで活躍しました。
現役引退後は指導者の道を歩み、サンフレッチェ広島コーチ、U-19日本代表コーチ、アルビレックス新潟ヘッドコーチなどで指導経験を積んだのち、古巣サンフレッチェ広島のトップチーム監督に就任しました。
サンフレッチェ広島の監督としては、6年で3度の優勝を果たす輝かしい実績を残し、2018年に東京オリンピック代表監督に就任し、その後、日本代表(A代表)の監督兼任も発表されました。
サッカー日本代表は、2022年3月にワールドカップ(カタール大会)出場を決め、森保一監督の注目度も上昇しています。
今回はこの森保一監督についてまとめていきます。
森保一監督の若い頃① 出身高校は長崎日本大学高等学校
森保一監督の若い頃の経歴について紹介してきます。
森保一監督は、静岡県掛川市の出身ですが、小学校1年生からは長崎県長崎市で育っており、サッカーも長崎で始めています。
森保一監督が本格的にサッカーを始めたのは、小学校5年生の時で、地元のサッカークラブ「土井首サッカースポーツ少年団」に所属して、小学校6年生の時にゴールキーパーとして全日本少年サッカー大会に出場しています。
森保一監督は長崎市立深堀中学校に進学してサッカーを続けています。森保一監督は、中学卒業後は、長崎県の強豪で、地元のサッカー少年の憧れであった「長崎県立国見高校」に進学したいと考えていましたが、高校受験に努力しない姿勢に怒った父親に反対され、「長崎日本大学高等学校(長崎日大高校)」へと進学しています。
森保一監督は、長崎日大高校では攻撃的にミッドフィルダーとして活躍し、山梨国体選抜にも選ばれていますが、全国大会への壁は厚くインターハイにも全国高校サッカー選手権大会にも出場できずに高校生活を終えています。
森保一監督の若い頃② 大学には進学せずマツダサッカークラブに入団
高校時代には大きな実績を残せなかった森保一監督でしたが、高校時代のサッカー部監督の下田規貴さんが、当時マツダサッカークラブ(サンフレッチェ広島の前身)の強化部長を務めていた今西和男さんと知り合いだったという縁から、大学には進学せずにマツダサッカークラブに入団しています。
当時は、目立つストロングポイントのない選手というあまり高くない評価だった森保一監督でしたが、今西和男さんはその隠れた才能を見抜き、テストとしてマツダサッカークラブの練習に参加させ、練習に取り組む姿勢などを高く評価して採用を決めています。
森保一監督の若い頃③ 現役時代
続けて、森保一監督の現役時代の経歴についても見ていきます。
森保一監督は、高校卒業後の1987年に、サンフレッチェ広島の前身であるマツダサッカークラブに入団しています。当時の森保一監督は全くの無名選手で、最初の2年間は試合にすら出られませんでしたが、ひたむきな練習姿勢と献身的なプレースタイルが認められ、3年目の1989年にJSL2部デビューを果たし、大阪ガスとのデビュー戦でゴールも決めています。
1991年にはマツダとプロ契約を結び、レギュラーとして定着。1993年のJリーグ開幕後はサンフレッチェ広島の主力選手として中盤を支えました。日本代表にも選ばれ、1993年の「ドーハの悲劇」も経験しています。
その後も、サンフレッチェ広島の生え抜き選手として活躍を続けていましたが、1998年にはクラブが経営不信に陥った影響を受け受ける形で京都パープルサンガにレンタル移籍し、1年間京都で主力として活躍しています。1999年には再びサンフレッチェ広島に戻り、その年にJリーグ通算200試合出場も達成しています。
ただ、その後は怪我の影響もあってパフォーマンスを発揮できず、2002年にクラブから指導者転身のオファーを受けます。しかし森保一さんは現役続行にこだわり、ベガルタ仙台へと移籍し、2002年と2003年同クラブで主力として活躍しました。
その後、2003年シーズン終了後に戦力外通告を受け、2004年1月に正式に現役引退を発表しました。
森保一の現役時代の動画
森保一監督の現役時代のゴールシーンをまとめた動画です。
森保一さんは現役時代は守備的ミッドフィルダー(ボランチ)として活躍し、チームを支える献身的なプレーが印象的ですが、上の動画のような豪快なミドルシュートを決めてスタジアムを沸かせる事もありました。
森保一監督の年俸推移
出典:https://sportiva.shueisha.co.jp/
森保一監督のJ1サンフレッチェ広島監督時代と日本代表監督時代の年俸推移を紹介します。
サンフレッチェ広島監督時代の森保一の年俸推移
出典:https://static.chunichi.co.jp/
サンフレッチェ広島監督時代の森保一監督の年俸推移です。
年度 | チーム | 年俸 | 成績 |
2012年 | J1 サンフレッチェ広島 | 3000万円 | 優勝 |
2013年 | J1 サンフレッチェ広島 | 3600万円 | 優勝 |
2014年 | J1 サンフレッチェ広島 | 5000万円 | 8位 |
2015年 | J1 サンフレッチェ広島 | 5000万円 | 優勝 |
2016年 | J1 サンフレッチェ広島 | 6000万円 | 6位 |
2017年 | J1 サンフレッチェ広島 | 7000万円 | 17位(7月で退任) |
日本代表監督での森保一の年俸推移
年度 | 五輪代表(U-23日本代表)年俸 | 日本代表(A代表)年俸 | 主な成績 |
2018年 | 4800万円 | – | |
2019年 | 4800万円 | 15000万円 | アジア杯準優勝 |
2020年 | 4800万円 | 15000万円 | |
2021年 | 4800万円 | 15000万円 | 東京五輪4位 |
2022年 | – | 15000万円(4年総額6億円の契約) |
森保一の日本代表監督としての年俸は歴代でもかなりの高評価
森保一監督の日本代表監督としての年俸は歴代の日本代表監督の中でもかなりの高評価だといえます。
特に、東京五輪代表監督の年俸「4800万円」は、これまでの五輪代表監督の倍額でした。これは東京での五輪開催という事情もあったのでしょうが、森保一監督への期待値の高さの表れだとしてネットでも話題にされていました。
選手からの信頼度も抜群で退任報告の際に涙ぐむ選手も多かった」(地元マスコミ関係者)と評価は上々。実際、J1のG大阪やFC東京から来季監督のオファーが年俸8000万円で届いたが、「森保監督は『母国開催の五輪監督というやり甲斐を大事にしたい』と断った」(前出の関係者)。ちなみに今回の五輪監督の年俸は4800万円。歴代五輪監督の年俸の「倍」だ。
また、A代表監督としての年俸1億5000万円も、日本人監督としてはかなりの高評価だといえます。
稀代の名将とも評される岡田武史監督の日本代表監督時代の年俸は推定で1億円でしたが、森保一監督の年俸はその1.5倍という事になります。この事からも森保一監督の評価がかなり高い事がわかります。
森保一監督の家族① 弟は元プロサッカー選手の森保洋
続けて、森保一監督の家族について見ていきます。
森保一の弟・森保洋のプロフィール
生年月日:1972年1月29日
出生地 :静岡県掛川市
出身地 :長崎県長崎市
身長 :170cm
森保一監督の弟は、元プロサッカー選手の森保洋さんです。
森保洋さんは、兄の森保一監督と同じ長崎日大高校を経て、卒業後はマツダオート広島サッカー部、西濃運輸サッカー部などでサッカーを続け、1994年からは、サガン鳥栖の前身にあたる鳥栖フューチャーズでプレー、1997年に「サガン鳥栖」が創設された後も同クラブで主力として活躍し、2000年に戦力外となった後は、久留米アザレアFCでプレーしました。
現役引退後は指導者の道へと進み、サガン鳥栖U-18監督、久留米アザレアFC総監督、サガン鳥栖アカデミーダイレクターなどを歴任し、現在は、V・ファーレン長崎アカデミーのヘッドオブコーチングを務められています。
森保一監督の家族② 結婚と嫁の由美子さん
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森保一監督は1990年に結婚されています。
森保一監督が結婚されたのはマツダサッカークラブとプロ契約を結ぶ1年前ですが、森保一監督は、この結婚式の時に恩師である今西和男さんに「プロになる気があるのか?」と問われ、「あります」と親類縁者の前で宣言したというエピソードが知られています。
森保一さんは、この結婚式の時にプロになると宣言した事で、プロサッカー選手として生きていく覚悟が決まったという面もあったようです。
森保は結婚式を挙げる。主賓としてあいさつをした今西は冒頭で新郎に向かい、「お前はプロになる気があるのか?」と問うた。Jリーグの開幕を控え、マツダもプロ契約を選手と続々と結んでいた。親類縁者が集まる晴れの挙式の場でその決意を質(ただ)したのである。かつて漠然とどこかの会社で、働きながらサッカーを続けられればよいなと考えていた男は「あります!」と大きな声で答えた。
森保一監督の嫁については「由美子」さんという方である事は知られていますが、一般の方という事であまり詳しい情報は公開されていません。ただ、関係者によれば、森保一監督と嫁の由美子さんは高校生の頃に知り合って交際をはじめ結婚されたのだそうです。
森保一監督は、生活面では嫁の由美子さんに頼りきりだそうで家事をされた事はないのだそうです。森保一監督が厳しいプロサッカーの世界で成功を収めた裏には、嫁の由美子さんの支えも大きかったのでしょう。
--家事とかは一切しない
「はい、全く! よくわかりますね(苦笑)」
-今は単身赴任だが、自炊も?
「しないですねぇ。ほとんど外食です。嫁さんが来てくれるときは家で食べます。でも最近、Jリーグの視察帰りに夜ごはんを食べると、次の日に胸焼けがします(笑)」
引用:【東京五輪 金への道】サッカー日本代表・森保一監督のプライベートは? カラオケの十八番は前川清の「花の時、愛の時」 髪はずっと広島でカット
そんな森保一監督と嫁の由美子さんの間には3人の子供が生まれており、全員が息子さんでサッカーをやっています。次の見出しから森保一さんの3人の子供について順番に紹介していきます。
森保一監督の子供① 息子(長男)の森保翔平
森保一の息子・森保翔平のプロフィール
生年月日:1991年8月17日
出身地 :広島県広島市
身長 :171cm
血液型 :A型
森保一監督の最初の子供は1991年に誕生した息子(長男)の森保翔平さんです。
森保一監督の息子の森保翔平さんは、父親の影響で物心がついた頃から自然とサッカーをはじめ、サンフレッチェ広島スクールを経て広島ジュニアに入団。2002年に森保一監督がベガルタ仙台に移籍した時は家族で仙台に移住していますが、虹の丘サッカースポーツ少年団でサッカーを続けています。
2004年に、森保一監督がサンフレッチェ広島強化部のコーチに就任にしたのに伴い、森保翔平さんは広島ジュニアユースに入団し、2007年にユースに昇格しレギュラーとして活躍しました。
2010年に法政大学に進学してサッカー部で活躍し、4年生の時には主将を務めています。
大学卒業後の2014年、その年にJ2昇格を果たしたカマタマーレ讃岐のオファー受けて加入し、Jリーグデビューを果たしています。
契約満了にともなって2015年シーズンいっぱいでカマタマーレ讃岐を退団し、翌2016年からはニュージランドへとわたって、同2部リーグ所属のオネハンガ・スポーツ(Onehunga Sports)でプレーしています。
2018-2019年シーズンからは、ニュージランド1部リーグ所属のワイタケレ・ユナイテッド(Waitakere United)に移籍。
その後帰国し、2022年からはYouTubeチャンネル「eFootballチャンネル(KONAMIのサッカーゲームの公式チャンネル)」発のサッカーチーム「Winner’s」に加入して注目を集めています。
森保一監督の子供② 息子(次男)の森保圭悟
森保一の息子・森保圭悟のプロフィール
生年月日:1993年9月22日
出身地 :広島県広島市
身長 :165cm
血液型 :A型
森保一監督の2人目の息子は1993年に誕生した次男の森保圭悟さんです。
森保圭悟さんも父の森保一さんの影響で幼い頃からサッカーをはじめ、広島ジュニア、ジュニアユース、ユースでプレーし、当時から天性のフリーキックの名手として注目される存在でした。
高校(広島県立吉田高等学校)卒業後は、強豪サッカー部で知られる茨城県の流通経済大学へと進学。森保圭悟さんは大学時代も1年生時から公式戦に出場し、キック精度の高さとスピードを武器に活躍しましたが、3年生の時に出場した全日本大学サッカー選手権大会の決勝で左足首靭帯を負傷した影響で、大学卒業と同時にJクラブ入りするという目標は果たせませんでした。
そんな時に、父の森保一監督から「世界を目指してみたら」とのアドバイスを受け、森保圭悟さんは2016年1月にオーストラリアに渡り、エッジワースFCと契約を結び入団しています。同クラブでは、1年目に17得点、2年目にも9得点をあげる活躍を見せたものの、ビザを取得できずに退団となります。
オーストラリアを離れた後は、フィリピンへと活躍の場を移し、JPVマリキナFCに所属して、2018年シーズンは13ゴール10アシストと活躍しましたが、クラブの経営難の煽りを受ける形で退団となっています。
2019年はドイツオーバーリーガー(5部リーグに相当)のTuSロット=ヴァイス・コブレンツでプレーしましたが、同年限りでプロサッカー選手としての現役引退を表明しました。
その後は、サッカー系YouTuberとして活動を始め、サンフレッチェ広島ユース時代の同期である、元サッカー選手の藤井貴之さん、重行拓也さんと3人で「LISEM(リゼム)」というユニットを結成し、YouTubeチャンネル「リゼム LISEM CHANNEL」を開設。ハイクオリティなサッカー系YouTubeチャンネルとして人気を集めています。
ちなみに、このYouTubeチャンネルには、編集などのサポートメンバーとして、兄の森保翔平さん(番組内では通称S君として登場)も参加されています。
また、2021年からは、上でも触れた、 KONAMIの「eFootballチャンネル」発のサッカーチーム「Winners」のメンバーとしても活躍されています。
森保一監督の子供③ 息子(三男)の森保陸
森保一の息子・森保陸のプロフィール
生年月日:2000年7月27日
出身地 :広島県広島市
身長 :179cm
森保一監督の3人目の子供は、2000年に誕生した息子の森保陸さんです。
森保陸さんは兄2人と同様に幼い頃からサッカーに打ち込み、サンフレッチェ広島ユースを経て、立教大学へと進学してサッカー部に所属、関東大学サッカーリーグにも出場されています。
そんな森保陸さんですが、立教大学4年生となった2022年5月から大学を休学してアメリカに渡り、アメリカ4部リーグ「USL League Two」に所属する「Fort Wayne FC」に加入しました。
今後の活躍にも注目が集まっています。
森保一監督の子供④ 娘が元HKT48森保まどかという噂もあった
森保一監督の子供はここまでで紹介した息子さん3人だけですが、元HKT48の森保まどかさんが森保一監督の娘さんだという噂が流れた事がありました。
これは事実ではなくデマ情報で、森保まどかさんは森保一監督の娘さんではありません。
また、森保一監督の子供は息子3人のみで娘さんはいません。
森保一監督の自宅
出典:https://cdn-ak.f.st-hatena.com/
2016年8月29日放送のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で、森保一監督の自宅の映像が公開されています。
この放送では、森保一監督の自宅の外観などは映されませんでしたが、内装を見る限りかなりの豪邸のようです。
自宅が紹介されたこの番組では、嫁の真由子さんや愛犬のトイプードルのラウルも登場し、森保一さんが自宅からラウルを散歩に連れて行く様子も放送されました。
まとめ
今回は、サッカー日本代表の監督として期待と注目が集まる元プロサッカー選手の森保一監督についてまとめてみました。
森保一監督は、現役時代はサンフレッチェ広島で、前身のマツダサッカークラブの時代からプレーし中心選手として活躍しました。また、日本代表としても長年活躍し、「ドーハの悲劇」も経験されています。
出身高校は長崎日大高校で、高校卒業後は大学に進学せずにマツダサッカークラブに入団し、プロ契約を結び、Jリーグ開幕と共にJリーガーとしてデビューしています。
若い頃については、献身的なプレースタイルと卓越した観察眼を武器に守備的ミッドフィルダー(ボランチ)として活躍し、国際大会出場時には海外のサッカーメディアでも高く評価されていました。
そんな森保一監督ですが、日本代表監督としてはかなり高い評価を得ており、年俸は推定で1億5千万円(名将として名高い岡田武史監督の1.5倍)と報じられています。
森保一監督の家族としては、弟の森保洋さんは元プロサッカー選手で、現在はV・ファーレン長崎アカデミーのヘッドオブコーチングを務めています。
また、1990年に結婚した嫁は由美子さんという方です。嫁の由美子さんとの間には、3人の子供がおり、全員が息子さんです。息子3人は全員が幼い頃からサッカーを続けており、サンフレッチェ広島ユースを経てプロクラブや海外のクラブでのプレー経験を持ちます。
その他、森保一さんの娘さんがHKT48の森保まどかさんという噂もありましたが、こちらは事実ではありません。
森保一さんの自宅については、2016年8月29日放送された「プロフェッショナル仕事の流儀」で自宅内部の様子などが紹介されていますが、詳しい場所や外観などは非公開となっています。