松本零士さんは『銀河鉄道999』などの著者として知られる漫画家ですが、2023年に85歳で亡くなられました。
ここでは松本零士さんの作品や槇原敬之さんとの盗作騒動、自宅画像、結婚した嫁と子供情報、脳卒中で倒れたとの報道、死去した現在までについてまとめています。
この記事の目次
松本零士のプロフィール
ペンネーム:松本零士(まつもとれいじ)
本名:松本晟(まつもとあきら)
出身地:福岡県久留米市
生年月日:1938年1月25日
血液型:B型
職業:漫画家
デビュー:1954年
松本零士さんは、高校1年生のときに漫画家デビューしました。一時期はあの手塚治虫さんのアシスタントを勤めていたこともあります。
高校卒業後、まず少女漫画家として活動するようになり、1960年頃からは少年誌や青年誌にも作品を連ねるように。しかしヒット作になかなか恵まれず、世間から認められるようになったのは1971年の『男おいどん』からでした。
1974年にはアニメ『宇宙戦艦ヤマト』に参画し、以降ロボット系あるいはSF系アニメなどにデザインを提供。そして1977年に自身が手がけた『銀河鉄道999』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』を世に送り出し、松本零士ブームを巻き起こしました。
松本零士の作品~代表作は『銀河鉄道999』
松本零士さんの少女漫画家時代!
1960年頃の作品です。宇宙などSF系のイメージが強い松本零士さんですが、それ以外にも少女漫画や戦争もの、動物系などのジャンルも手がけています。
出世作『男おいどん』
1971年〜1973年まで連載していた松本零士さんの出世作で、講談社出版文化賞を受賞しています。
1974年からのアニメ『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ
当初はデザインスタッフとして宇宙戦艦シリーズへの参加依頼を受けた松本零士さんですが、その後は総設定・美術・デザインなどを担当し、作品作りの中核をになっていきました。
代表作といえば『銀河鉄道999』
さまざまな作品を生み出した松本零士さんですが、やはり代表作といえば鉄郎とメーテルでおなじみの『銀河鉄道999』でしょう。
同作はアニメはもちろんラジオドラマ、舞台、テレビドラマ、ゲーム、パチンコなどさまざまな形で商業化されました。
SFアニメ『宇宙海賊キャプテンハーロック』
1978年〜1979年まで放映されていたSFアニメ。こちらも代表作の一つといえる有名な作品です。
ここでは松本零士さんの代表的で特徴的な作品をご紹介しましたが、それ以外にもたくさんの漫画やアニメの制作を行ってきました。
たとえば『元祖大四畳半大物語 』『ガンフロンティア』『クイーン・エメラルダス』『セクサロイド』『戦場まんがシリーズ』など。
たくさんの作品を生み出してきた松本零士さんですが、その特徴には「伏線が回収できていない」「雑誌休刊などで最終回まで行かないケースも多い」などがあげられます。
松本零士と槇原敬之の盗作裁判騒動~松本零士の敗訴で決着していた
松本零士、槇原敬之の歌詞が『銀河鉄道999』のセリフ盗用と主張
『銀河鉄道999』からの盗用?
2006年になると松本零士さんは、槇原敬之さんが書き下ろしたケミストリーの楽曲『約束の場所』の歌詞が、1996年から再開された新展開編『銀河鉄道999』のセリフからの盗作ではないかと主張し、マスコミを巻き込んだ大騒動となりました。
・松本さんの『銀河鉄道999』の台詞
「時間は夢を裏切らない 夢もまた時間を裏切ってはならない」
・槇原さんが作詞した『約束の場所』の歌詞
「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない
松本零士、裁判敗訴で槇原敬之に220万円の賠償
当初は個人間でやりとりをしていたものの、いつの間にか話はメディアを巻き込んで大きくなり、結局は裁判沙汰に発展しました。
しかし、槇原敬之さん側が松本零士さんに勝訴。判決では松本さん側に220万円(求2200万円)の賠償が命じられています。
清水節裁判長は「槇原さんがせりふを知っていたとは認められず、歌詞が似ているからといって、せりふに依拠したとは断定できない。テレビに生出演した松本さんが『盗用』と発言した内容は真実と認められず、名誉棄損に当たる」と判断した。
槇原は昨年2月、提訴。今年7月、双方が出廷して尋問に応じ、槇原は「せりふをまったく知らないのに泥棒扱いされ、非常に不快だ」、松本さんは「自分が先に使った言葉で、槇原さんも知っていたはずだ」と、それぞれ訴えていた。
その後互いに控訴するなどしましたが、槇原さん側は2009年に和解が成立したことをHPで報告。和解内容については「(槇原が)松本さんからの謝罪を受け入れ、松本さんが『約束の場所』の使用については異議を唱えないことを取り決めた」などとしました。
一件落着かと思いきや、その後この盗作騒動について松本零士さんは、以下のように振り返っています。
やっぱり自分にとっては『時間は夢を裏切らない』というのは大事な言葉ですから、一応、抗議をしたわけです。ひと言『ごめん』と言ってくれたら、それでよかったんです。私は喧嘩を長引かせるのは嫌いなんですよ。だから、和解しましたし、このあいだも彼のイラストを1枚描きました。CDにも収録されていると思いますよ
松本零士さんといえば、著作権に対してとてもシビアなことで知られています。
この盗作騒動もそうですが、それ以前には『宇宙戦艦ヤマト』に関連してもプロデューサーであった西崎義展さんとの間で著作権を巡る裁判をしています。こちらも結果としては実質敗訴で、和解内容としては共同著作者ということながらも、筆頭著作者は西崎氏となっています。
松本零士の自宅は練馬区大泉学園~積極的に地元PRに貢献していた
こだわりの自宅玄関はフィルムリール風!
松本零士さん自らが設計した玄関ドアは、映画好きなところからきたフィルムのリール風だそうです。
玄関にはビジネスクラスシート!
それ以外にシカの剥製や戦前の航空機模型など、玄関から松本零士色が出過ぎのお家です。
仕事場は資料などで溢れかえる
仕事道具は小学生から使っているものも多かったようです。
広々とした応接間
後ろに積み重なる資料?の山がありますが、全体的に物が多いイメージのお家ですね。
松本零士さんの自宅があるのは、東京都練馬区の大泉学園です。松本零士さんは練馬区名誉区民となり、区とのタイアップも多く行っていました。
たとえば2009年から2013年までの住民票に銀河鉄道999が使われ、2012年には原動機付自転車のナンバープレート限定5000枚でメーテルを描き交付しました。
また「アニメのまち練馬」のPR活動にも積極的に参加し、大泉学園は「アニメと映像・銀河鉄道999の街」をキャッチコピーにしています。
大泉学園駅がある西武池袋線の車両にも、期間限定で銀河鉄道999のデザインを提供したことがあったようです。
松本零士の結婚した嫁・牧美也子と子供について
松本零士の嫁は漫画家・牧美也子
出典:https://www.amazon.co.jp/
松本零士の嫁は牧美也子(まきみやこ)
出身地:兵庫県神戸市
生年月日:1935年7月29日
職業:漫画家
デビュー:1957年
代表作:『マキの口笛』『星座の女』 『源氏物語』『悪女聖書』など
松本零士さんは、1961年(または1962年)に3歳年上の漫画家・牧美也子さんと結婚しました。
松本零士さんは超有名な漫画家ですが、奥様の牧美也子さんもとてもすごい人です。牧美也子さんは21歳で漫画家デビューし、以降『マキの口笛』や『銀のかげろう』などの少女漫画を描きました。そして1967年には、牧さんが生み出したキャラクターをもとにファッションドール『リカちゃん』が誕生!
その後は活躍の場をレディースコミックの場に移しました。彼女が1980年代に手がけた『悪女聖書』(池田悦子原作)はテレビドラマ化もされています。
さまざまな作品を生み出した牧美也子さんは、現在では”少女漫画・レディースコミックの第一人者”などと呼ばれるほどの大御所漫画家です。
そんな牧美也子さんは1961年に松本零士さんと結婚しましたが、二人の出会いの場はなんとあの手塚治虫宅!
さすが漫画家界のビッグカップルというのは後の話で、当時は二人ともまだ駆け出しの漫画家で、特に松本さんがまだまだ売れてなく、牧さんが稼ぎ頭だったとか。
ただどちらも手塚治虫さんとの関わりあいを持っていたため(松本さんは手塚さんのアシスタントをつとめたことがある)、二人は手塚家で出会い交際に発展し、1961年にゴールインしました。
ちなみに松本零士さんの奥様の牧美也子さんは昔とても美人だったそうで、あの手塚治虫さんもその美貌に驚いたとか…。
松本零士と牧美也子の間に子供は?
松本零士さんと牧美也子さんの間には、娘が一人いるようです。誕生日など詳しいプロフィールは明らかになっていません。
ただ、娘は摩紀子さんと言う名前で、松本零士さんの個人事務所「零時社」の代表を務めていることが分かっています。
松本零士の現在① イタリアで倒れる~病名は脳卒中ではなかった
松本零士、イタリア滞在中に病院搬送【2019年11月15日】
遠くイタリアで体調不良で倒れる
2019年11月15日、イタリアを訪れていた松本零士さんが脳卒中の疑いで病院に搬送されたという一報が飛び込んできました。当時81歳の松本零士さんのこのニュースには、ビックリされた方も多かったのではないでしょうか。
さらにその後の続報では「容体は深刻」「薬で昏睡状態」「予断を許さない状況」「自分で呼吸ができない状態」などなど不吉な文言が並びました。
このニュースはいずれもイタリアメディアや現地の病院からの情報であり、最後には「今後の検査で詳細がわかる」という添え書きもありましたが、なんとなく不吉な予感がしてしまった人も多かったかもしれません。
松本零士、容態は安定し順調に回復とコメントを発表
しかし事態は好転し、その後脳卒中ではなかった事や意識が戻り快方に向かっている事などが判明。さらに、2019年11月28日には松本零士さん自らがコメントを発表しました。
松本氏は「当初の報道にあったようなことは全くなく、ホッとしております。まだ退院や帰国は未定ですが、順調に回復に向かっています」とコメント。今後については「長時間のフライトに耐えられるのか、現地の医療スタッフの皆さまが慎重に対応してくれてるので、ご安心ください」としている。
関係者の話によると、松本零士さんはイタリアに『宇宙海賊キャプテンハーロック』のイベントに参加するために訪れたものの、渡航前に風邪気味だったことや、現地の寒さや疲れなどで体調が悪化したともみられています。
松本零士さんは12月4日に退院し、翌日には帰国を果たしています。
松本零士の現在② 85歳で死去~死因は急性心不全
松本零士、85歳で亡くなる【2023年2月13日】
出典:http://blog.livedoor.jp/
2023年2月20日、松本零士さんが急性心不全のため同月13日に東京都内の病院で亡くなっていたことが明らかになりました。85歳でした。
個人事務所「零時社」の代表取締役で、松本零士さんの長女・松本摩紀子さんが「星の海に旅立ちました。」と松本零士さんの訃報を伝えています。
関係者によると、松本零士さんは亡くなる少し前に体調を崩し、都内の病院に入院していたといいます。
告別式は近親者のみで執り行い、喪主は妻の牧美也子さんが務めたとのことです。
零時社からのお知らせです
— ミーくん@零時社/松本零士 (@leijisha) February 20, 2023
漫画家松本零士が
2023年2月13日都内病院にて
星の海に旅立ちました
これまで応援くださいましたファンの皆様
本当にありがとうございました
「遠く時の輪の接する処でまた巡り会える」
と松本は常々申しておりました
私たちもその言葉を信じ
その日を楽しみにしています pic.twitter.com/4II0ioA2JH
松本零士、多くの追悼コメントが寄せられる
松本零士さんの訃報を受け、親交のあった漫画家や関係者、ファンなどから多くの追悼コメントが寄せられました。
松本さんの親友である漫画家のちばてつやさんは訃報を受け、公式Webサイトにコメントを掲載。「ワシは遅筆だったので、先に原稿を終わらせた彼に手伝ってもらうこともありました」「忙しい盛りの40歳のころに、一緒に世界旅行にもいきました」と生前のエピソードを振り返りつつ、「コロナ禍もあってしばらく会う機会もなく、ぼんやりと心配はしていたのですがまさか……言葉もありません」「もう……体中の力が抜けていくよ」と、別れを惜しんでいます。
松本さんを悼む声は止まず、『みどりのマキバオー』作者のつの丸さんは「メカ、機械計器類がたまらなかった」、『シュガシュガルーン』の安野モヨコさんは「素晴らしい作品をありがとうございました」、『GANTZ』の奥浩哉さんは「無茶苦茶影響受けました……」、『伝染るんです。』の吉田戦車さんは「数々の作品群に、心から御礼を申し上げるばかりだ」、『のだめカンタービレ』の二ノ宮知子さんは「松本先生の作品にたくさん触れて育った世代です」とそれぞれツイートしました。
出典:http://olsd.cocolog-nifty.com/
松本零士さんが少年時代を過ごした北九州では2010年からモノレール「銀河鉄道999号」が運行されていますが、松本さんの死後ファンからの問い合わせが相次ぎ、急遽増便が決定。2月23日と26日に増便されると、多くのファンが訪れ写真や動画を撮影していたといいます。
また、松本零士さんが9年にわたり名誉館長を務めた「北九州市漫画ミュージアム」には、献花台が設置され多くの人が献花に訪れていたようです。
さらに、松本零士さんが長年過ごした大泉学園の駅前に設置されている「銀河鉄道999」のメーテルと鉄郎の銅像にも花が添えられ、写真を撮影したり手を合わせたりして松本さんの死を悼む人の姿が多く見られたとのことです。
松本零士についてまとめると…
・松本零士は1961年(または1962年)に漫画家の牧美也子と結婚、娘が一人誕生している
・松本零士は2006年、槇原敬之が『銀河鉄道999』のセリフを盗用したとして主張し裁判に発展したが、槇原敬之の勝訴で決着している
・松本零士は2019年11月15日に滞在中のイタリアで体調不良で倒れ病院に搬送されたが、その後容体は回復した
・松本零士は2023年2月13日に急性心不全のため85歳で亡くなった
トラブルで話題にあることもありましたが、作品とともに多くの人に愛されてきた松本零士さん。世に送り出してきた名作の数々は、今後も読み継がれていくことでしょう。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。