フランス留学中に行方不明になった黒崎愛海さんですが犯人と言われるニコラスセペダとの関係も話題です。
今回は黒崎愛海さんの出身高校や家族(両親や妹)、事件の経緯やニコラスセペダとの関係、遺体や現在の捜査状況を紹介します。
この記事の目次
黒崎愛海さんがフランスで行方不明事件に巻き込まれる
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2016年12月4日に、フランスに1年間の予定で留学していた筑波大学生の黒崎愛海さんが行方不明になりました。
黒崎愛海さんはフランスのフランシュコンテ大学に留学していましたが、2016年12月4日にダンス教室に参加したことは確認されていますが、その後の消息が不明になっています。
黒崎愛海さんは、9月に留学先の大学に入学後はほぼすべての授業に出席していましたが、12月5日以降、まったく授業に出席しなくなりました。
そのため、同じ筑波大学の留学生が不審に思い、寮の管理人と一緒に黒崎さんの部屋を訪ねましたが13日までずっと不在で、地元警察に捜索を依頼しています。
地元警察は、黒崎愛海さんが自ら消息を絶つとは思えないとの見方から、事件として捜査を開始。
そして、黒崎さんが失踪した12月4日、最後に確認されたダンス教室の後に黒崎さんと一緒に食事をしたと思われる、交際相手だったチリ国籍のニコラスセペダを容疑者と断定しました。
黒崎愛海さんの出身高校と大学など学歴・家族(両親・妹)
黒崎愛海さんの高校などの学歴や、家族の情報を見ていきましょう。
高校から大学にかけての経歴
黒崎愛海さんは、東京都立国際高等学校を卒業後、筑波大学国際総合学類に進学します。
・大学:筑波大学
都立国際高校は、国際バカロレアコースを作るなど、インターナショナルで先進的な高校として知られています。筑波大学が名門大学であることは、説明するまでもないですね。
海外志向が強かったと思われる黒崎愛海さんは、筑波大学に進学後、文部科学省の「トビタテ!留学JAPAN」の制度を利用して、フランスに1年間の予定で留学しました。
フランスを留学先に選んだ理由は、社会保障が充実しているからとのこと。
帰国後は、母子家庭の経済的支援などを強化するビジネスを立ち上げたいと考えていたそうです。
家族は両親と妹2人
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黒崎愛海さんの家族構成ですが、被害者の個人情報保護の観点からか明確な情報はありません。
ただ、黒崎愛海さん行方不明事件の報道で確認できた情報によると、母親と妹2人がいることは確かなようです。
母親は容疑者の引き渡しを求める裁判で書簡を出し、「お願いします。ニコラスにフランスでの捜査を受けさせてください」と意見を述べるなど、捜査が進展するよう尽力されています。
また、妹2人も姉に会えない苦しさを書き記した書簡をチリに送付しています。
ただ、父親は出てきていません。もちろん父親もいて、両親が揃っている可能性もありますが、もしかしたら黒崎愛海さんは母子家庭なのかもしれません。
黒崎愛海さん行方不明事件の経緯 【フランス警察の捜査は?遺体は?】
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黒崎愛海さんは、2016年12月4日に行方不明になっています。先ほども説明しましたが、12月4日のダンス教室に参加したことは確認されています。その後消息が不明となりました。
12月4日のダンス教室の後は、チリ人の容疑者であるニコラスセペダと食事に行ったとされています。そして、2人で寮に戻ったようです。
同じ寮にいる学生が次のように証言しています。
「どんどんと何かをたたくような音がして目が覚めた。その後、女性が必死で叫ぶような甲高い絶叫が1、2分続いた」
この女性の叫び声が黒崎愛海さんのものかどうかは分かっていません。でも、時系列や状況を考えると、この叫び声が黒崎愛海さんのものと考えたほうが自然でしょう。
黒崎愛海さんはこの後行方不明になっています。どこにいるのか全く分かっておらず、遺体も発見されていません。もちろん、生きている可能性がゼロではありませんし、生きていてほしいと誰もが思っています。
しかし、生きている可能性は低いとフランスの警察は考えているようです。
黒崎愛海さんの部屋からは血痕は発見されなかったことから、絞殺された可能性が高いと見られています。
また、遺体が何年経っても発見されていないのは、増水した川に流されたからとも推測されています。
黒崎愛海さんと犯人ニコラスセペダとの関係
黒崎愛海さんが行方不明になった事件の犯人は、チリ国籍のニコラスセペダでほぼ確定ではないかと言われています。
黒崎愛海さん行方不明の3日後にフランスを出国
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黒崎愛海さんのFacebookなどを見てみると、黒崎愛海さんとニコラスセペダは交際していたようですが、フランス留学時点では既に別れていたと言われています。
行方不明になった12月4日、2人は一緒に食事をしていたものの、警察の調べでは、黒崎さんは別の男性と交際中だったようで、ニコラスセペダはストーカー化していたとの情報もあります。
つまり、ニコラスセペダは黒崎さんとの別れを受け入れることができず、フランスまで追いかけてきたようです。
さらに、ニコラスセペダはスーパーで5リットルの可燃性液体とマッチを購入していたことがわかっており、レンタカーには泥がたくさんついていたとのことです。
このニコラスセペダはフランスに留学していたわけではなく、2016年11月末にフランスに入国し、12月4日に事件が起こった3日後にはフランスを出国しています。
出国後は、フランスからそのままチリに戻ったのではなく、列車でスイスのジュネーブ、さらにスペインのマドリードに移動してチリに戻っています。
この足跡がわからないようにするためと思われる移動(帰国)方法や、たった1週間だったフランス滞在中に黒崎さんと食事し事件が発生していることを考えると、限りなく怪しいですよね。
日本に留学し、たびたび日本を訪れていた
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ニコラスセペダは、2014年春から2015年夏まで日本の筑波大学に留学していたことが確認されています。この留学期間中に、黒崎愛海さんと知り合ったのかもしれませんね。
ちなみに2015年夏には、黒崎さんもチリを訪問しています。このことから、2人はかなり親しい関係であったことが伺えます。
ニコラスセペダは日本の留学を終えた後も、2016年には4月~7月、8月~10月に日本に滞在していたことがわかっています。この時は、黒崎さんのアパートにいたようです。
そして、ニコラスセペダが日本にいた9月、黒崎さんのFacebookのデータが何者かに消去されたことがありました。それとほぼ同時期に、黒崎愛海さんはフランスに留学しています。
それから約2ヶ月後、ニコラスセペダは黒崎さんを追いかけてフランスに入国した直後に黒崎さんが行方不明になる事件が起こり、ニコラスセペダはチリに逃げ帰ったと見られています。
犯行予告の動画を投稿?
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2016年9月には2人は破局し、黒崎愛海さんはフランスに留学しました。一方、日本に滞在していたニコラスセペダは犯行予告とも取れる動画を動画サイトに投稿していたのです。
「彼女は信頼を取り戻し、自分がしたことに対し、少し代償を払わなければならない」と警告のような内容を投稿しました。
おそらく、この動画でもよりを戻そうとしなかった黒崎さんに対し、ニコラスセペダは一方的に恨みを抱き、ストーカーになっていったのでしょう。
チリとフランス・日本には引き渡し条約がない
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ニコラスセペダは12月7日にフランスを出国しています。そして、年末にはチリの実家近くで目撃されており、自分の母国であるチリに逃げ帰ったということになります。
ニコラスセペダが、黒崎愛海さんの行方不明に関与しているのは間違いありません。
フランスは、ニコラスセペダを殺人容疑で国際手配しています。ニコラスセペダはチリにいることはわかっていましたが、チリとフランス、チリと日本には犯罪人引き渡し条約がないため、ニコラスセペダを逮捕することができなかったようです。
黒崎愛海さん行方不明事件の現在 【犯人ニコラスセペダに禁錮28年の刑】
黒崎愛海さん行方不明事件は、現在はどうなっているのでしょうか?
ニコラスセペダの引き渡しが決定
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これまで、チリとフランス、チリと日本に犯罪人引き渡し条約がないために、ニコラスセペダはフランスの警察から国際手配されながらも逮捕されることはありませんでした。
当然ながら、フランス当局も黒崎愛海さんのご家族も、そして日本政府もこの状態に黙っているわけにはいきません。
ありとあらゆる手を使って、ニコラスセペダがフランスに移送されるように働きかけ、チリで身柄引き渡しの裁判が行われました。
そして2020年5月、チリの最高裁でニコラスセペダのフランスへの引き渡しが決定しました。
2020年7月にフランスに移送された
2020年5月、ニコラスセペダのフランスへの身柄引き渡しがチリの最高裁で決定され、ニコラスセペダの身柄は7月25日にフランスに引き渡されました。
事件が起こったブザンゾンに身柄が移送され、移送後に裁判に出廷した時には、「暴力は犯していない」と証言していたようです。
殺人罪が認定され禁錮28年の判決
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現在も黒崎愛海さんは行方不明のままで、遺体も発見されていません。事件解明は難航し、かなりの時間が必要になると言われていましたが、検察は犯行前後の過程を立証。
ニコラスセペダがガソリンとマッチを購入していたことやフランスに来て以来の黒崎愛海さんの行動を監視していたことなどから、「新たな交際相手から黒崎さんを奪い返し、拒絶されたら殺害するつもりで渡仏を入念に計画した」と計画的な犯罪であったと指摘し、終身刑を求刑しました。
判決前の最終陳述でも「私は殺人者ではない。」と無罪を主張していたニコラスセペダですが、2022年4月、ブザンソンの裁判所に殺人罪が認定され、禁錮28年の判決を言い渡されました。
法廷で、黒崎さんの母親は娘の遺影を胸に抱きながら、「禁錮の年数ではなく、被告が殺人の当事者だと認定されることが家族にとっては一番重要だった」と語っていたそうです。
判決の翌日、ニコラスセペダは判決を不服として控訴しています。再審は2023年か2024年になるとみられています。
黒崎愛海さんのご家族の心情を思うと、一刻も早く事件が解決し、犯人がフランスの法律に則って正当な裁きを受けることを願いたいですね。
まとめ
黒崎愛海さん行方不明事件の概要や黒崎さんの学歴(高校・大学)、家族(両親・妹)、犯人と言われるニコラスセペダとの関係、フランスへの身柄引き渡しなど現在の状況をまとめました。
・母親と妹2人がいるが、父親の存在は明らかになっていない
・遺体はまだ見つかっていない
・犯人と思わるのはチリ国籍のニコラスセペダ
・犯罪人引き渡し条約がないために、チリからなかなか身柄を引き渡してもらえなかった
・2020年7月にようやくフランスへ身柄を移送
・2022年4月に禁錮28年の判決が下るも控訴
一刻も早く黒崎愛海さんが発見されること、さらに事件の全容解明が待たれます。