既に「あの人は今?」枠に入ってしまった観のあるタレントの栗原類さんですが、発達障害ネタで時折世間の話題に挙がっています。
この記事では、発達障害を抱えながら苦労して生きて来た栗原類さんの半生をまとめてみました。
この記事の目次
栗原類のプロフィール
名前:栗原類(くりはら るい)
出身地:東京都
生年月日:1994年12月6日
学歴:東海大学付属望星高等学校卒業
身長:181cm
所属事務所:エヴァーグリーン・エンタテイメント
2012年前後に「ネガティブキャラ」で一世を風靡した栗原類さんですが、子役モデルとして5歳から芸能活動を開始しており、案外芸歴の古い芸能人だったりもします。
「笑っていいとも!」などを筆頭に、全盛期はバラエティ番組で活躍していた栗原さんですが、売れっ子時代は長くは続かず、2014年頃にはテレビで見かける機会も大きく減少しました。
そんな栗原さんが再び世間の注目を集めたのは、2015年5月に出演した情報番組「あさイチ」にて、発達障害をカミングアウトしたことがきっかけとなりました。
以降は、この発達障害ネタで世間から思い出されるという、あまり有難くもないポジションになってしまっている栗原さん。まだ22歳という若さながらも、現状は「あの人は今?」的なポジションの芸能人だと言えますね。
栗原類の家族!母親は未婚のシングルマザーだった
栗原類さんの母親である栗原泉さん(写真右)。
男の子は母親に似るなんて俗説もありますが、栗原さんと泉さんは正直まったく似ていなかったりします。
栗原類さんの母親である栗原泉さんは、翻訳業や通訳業に携わる仕事をしている女性だったりします。泉さんの英語力に関しては、若い時分のアメリカ留学やイギリス留学で培ったスキルだそうですね。
イギリス留学時代に英国人男性のマーチン・ホワイトさんと知り合った泉さんは、彼との間に栗原さんを妊娠することになります。しかし、マーチンさんは定職にもついていないうえ、気が向けば長期間の旅に出かけてしまう風来坊。
当然ながら、マーチンさんに母子を養う甲斐性などはなく、マーチンさんの家族たちも結婚には反対の意向だったと言われております。そんな理由から、未婚のシングルマザーとなる道を選ばざるを得なかった泉さんは、日本に帰国して栗原さんを出産することになりました。
栗原類は父親にそっくり?父親は若くして死んでいる?
相当に無責任な男性と言えるマーチン・ホワイトさん(写真左)ですが、皮肉なことに、栗原類さんはその父親に生き写しと言えるほどそっくりだというオチがあったりもします。
栗原類さんを出産後の栗原泉さんですが、子供が生まれたことは手紙でマーチン・ホワイトさんに伝えたそうです。とはいえ、定職にもついていない男性から養育費などを受け取ることは難しかったのか、母子の生活費などに関しては、泉さんの細腕1本で賄うことになりました。
その後のマーチンさんですが、栗原さんに会うために来日するようなことはなかったと言われております。マーチンさんは、栗原さんが1歳の時に事故で亡くなったらしく、栗原さんは生まれてから一度も父親に会ったことがないまま死別という憂き目にあったことになります。
栗原類の病気は発達障害!母親からの遺伝だった?
発達障害をカミングアウト時には、まだ20歳という若さだった栗原類さん。
栗原類さんが、世間に向けて発達障害をカミングアウトしたのは、前述の通り2015年5月となります。栗原さんの病気に関しては、正確には発達障害の1種である注意欠陥障害(ADD)だったそうです。
現在では、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の中のいち症状という扱いとなっており、注意欠陥障害(ADD)単独での診断が下るケースはなくなっています。
ADHDは多動性、不注意、衝動性などの症状を特徴とする神経発達症の一つと言われているが、じっとしている等の社会的ルールが増加する、小学校入学前後に発見される場合が多い。一般に遺伝的原因があるとされるが、同様の症状を示す場合を含む。注意力を維持しにくい、時間感覚がずれている、様々な情報をまとめることが苦手などの特徴がある。
引用:注意欠陥・多動性障害
上記記事でも説明があるように、注意欠陥・多動性障害(ADHD)には、遺伝的な要素が色濃いという特徴があります。栗原さんの母である栗原泉さんも注意欠陥・多動性障害(ADHD)だったそうなので、おそらくは母親譲りの病気ではないかと、栗原さん本人も推測しているようですね。
発達障害だった栗原類の半生はかなり大変だった?
保育園時代から発達障害の兆候があった栗原類!
目の下にクマがあるなど、良く見ると育児疲れの様相が見える若き日の栗原泉さん。
抱いている子供は、言うまでもなく栗原類さんです。
一般的には、小学校入学前後に発見されることが多い発達障害ですが、栗原類さんの場合は、保育園に通っていた頃から異質な行動が目立っていたと言われています。
本の中で類が少し書いていますが、保育園の頃、合唱のがなり声が嫌で座り込んだり、工作やお絵描きに興味を示さなかったり、思い返せば、発達障害と結びつくエピソードはいくつかあるのですが、「嫌いだから、やらないだけでしょう」くらいに思っていました。
栗原さんの異質な行動に関しては、保育士から泉さんへ度々の注意がありました。保育士にとっては、これまで見て来た子供たちとは明らかに違う栗原さんの行動を心配してのことからだったのでしょうね。
しかし、泉さんにとっては、「何でも型にはめたがる日本流の教育」に感じられたようで、保育園側の姿勢に強い反発を覚えたそうです。日本の教育に対する不信感から、泉さんは栗原さんが6歳の時にアメリカへ移住する道を選択します。
アメリカ移住後に発覚した栗原類の発達障害!
栗原類さんの場合は、発達障害により短期記憶が苦手という症状があり、学業面で支障が出てしまっていたようですね。
もちろん、発達障害特有の他人の感情や表情を読み取れないという症状などもあり、栗原さんは俗に言うコミュ障でもありました。
母親である栗原泉さんと共に、6歳の時に渡米をした栗原類さんですが、母子で落ち着いた先はアメリカのNYだったそうです。
移住後は、NYの公立小学校に通うこととなった栗原さんですが、ここで1つの問題が起こります。小学1年の後半の時期になって来ると、成績面の問題から栗原さんの進級が危ぶまれる事態へと陥りました。
このことがきっかけとなり、学校側が栗原さんに発達障害の診断を受けさせた結果、栗原さんの発達障害が発覚することになります。
以降は、発達障害用の行動療法を受けながら小学校に通うこととなった栗原さん。クラスメイトとの間には、対人トラブルが起こることも少なくなかったようですが、栗原さんが発達障害との周知がなされていたため、相手方の保護者からは理解のある対応がなされていたようです。
小学5年時に日本へ帰国した栗原類!その理由は何?
アメリカの大学に関しては、世界から優秀な人材が集まり、現地の企業へと就職して行きますからね。
日本とは競争のスケールが違うことは確かです。
このままアメリカで暮らし続けるかに思われた栗原泉さん・栗原類さん母子ですが、実は栗原さんが小学5年の時に日本へ帰国しています。「息子に日本で生きて行く力を身に付けて欲しかったから」と、泉さんが語る日本への帰国理由。
しかし、世界の中心であるアメリカの厳しい競争社会で生き抜ける力があれば、必然的に日本でも生きて行く力があると言えます。良く考えなくても、帰国理由としてはかなり不自然な泉さんの言い分となります。
2人が日本へ帰国した本当の理由に関しては、栗原さんの学力問題も大きかったのではないかと推測出来ます。
アメリカは、実は日本をはるかに凌ぐ超学歴社会です。
大学を卒業した程度ではろくな就職先もないため、大学院への進学が当たり前な社会構造となっています。
栗原さんは前述の通り、小学1年の時点で学業面に問題を抱える身でしたから、アメリカの超学歴社会を生き抜いて行くためには、学力面に不安があったのかもしれませんね。
さらに言うと、アメリカの進学システムでは課外活動なども重視されており、良い大学に進学するためには、対人スキルが必須な部分は否定出来なかったりもします。
アメリカの進学システム自体が、発達障害持ちの栗原さんにとっては、完全アウェーとも言える状況なわけです。そのため、栗原さんの行く末を心配した泉さんが日本への帰国を選択したというのが、この話題の真相ではないかと思われます。
日本へ帰国した栗原類だがイジメられた?
栗原類さんにとっては、辛い思い出が多い日本での小中学校時代ですが、趣味のアニメを通して友達も出来ていたようです。
栗原さんは、友達との交流だけが学校へ行く唯一の目的だったと告白しています。
日本に帰国した栗原類さんですが、学校に馴染めずに、小中学校時代はイジメを受けていたとカミングアウトしています。これに関しては、栗原さんサイドの学校選びに問題があったと言えなくもない部分もあります。
6歳から11歳までアメリカ暮らしという栗原さんの経歴の場合、帰国後はインターナショナルスクールや帰国子女の受け入れ体制が整っている日本の学校を選択するのが一般的です。
同じ帰国子女系ハーフ芸能人の場合でも、トリンドル玲奈さんの家庭では、帰国子女が多い国際基督教大学高等学校を選択しております。
帰国子女ではなく、高校時代に母国スイスから日本へ留学にやって来たハーフ芸能人・春香クリスティーンさんも、高校は国際基督教大学高等学校を選択していますね。日本育ちではない家庭の子女が日本で暮らし始める場合、日本社会に馴染むまでの猶予期間を設けるのが一般的だと言えます。
しかし、栗原類さんが通っていたのはごく一般的な小中学校だったようで、日本に帰国した際の学校選びに失敗した観は否めません。
もちろん、イジメはする側が絶対的に悪いことは大前提ですが、多くの帰国子女家庭では、子供が馴染めそうな学校選びを心がけていたりもします。
栗原さんが、発達障害持ちでコミュニケーション能力に難があることまで踏まえると、事前の学校選びはなおのこと重要です。そのため、栗原さんを一般的な日本の学校に通わせる前に、せめてワンクッションを入れて置いた方が無難だったのではないかと思われます。
栗原類は高校受験に失敗している?
帰国後は、中学時代からモデル活動も再開していた栗原類さん。
芸能活動と学生生活の二刀流の負担も、受験失敗の理由に挙げられるのかもしれませんね。
中学を卒業後の栗原類さんですが、東海大学付属望星高等学校へ進学しております。東海大学付属望星高等学校は、全日制の高校ではなく通信制の高校だったりします。
校舎では、スクリーニングでの授業の他にも、大学進学希望者たち向けの学習サポート教室が常設されており、担当教員まで付きます。
そちらを利用すれば、全日制の学校とほとんど変わりがない学園生活も可能という便利な学校でもあります。
栗原さんが東海大学付属望星高等学校へ進学した理由に関しては、「高校受験に失敗したから」というシンプルな理由です。
栗原さん本人にとっては、割と不本意な進学先となった東海大学付属望星高等学校。しかし、高校時代はイジメを受けることもなかったようで、楽しい学生生活を送れたとか。
栗原類は大学に進学していない?
大学全入時代と言われて久しい日本。
高校を卒業する学力があれば、基本的には大学進学が出来る時代だと言われています。
東海大学付属望星高等学校に関しては、通信制の高校という性質上、必要とする人間たちに対して窓口を広く設けるために、偏差値は46程度だったりします。
とはいえ、有名大学への進学が出来ない高校というわけではなく、前述の学習サポートシステムなどにより、早慶上智や国立大学に進学する生徒もいる程度の進学実績は誇っています。
その他にも、東海大学への内部進学枠も1学年で100人ほどあると言われており、諸事情により通信制高校を選択せざるを得ない生徒たちにとっては心強い高校です。
同校OBには、俳優のえなりかずきさんなどもおり、卒業後は成城大学へ進学しているなど、大学進学において不利な面はないと言えます。
肝心の栗原類さんの高校卒業後の進路ですが、実は大学へ進学したという情報はなかったりもします。
栗原さんが「ネガティブキャラ」でブレイクをした2012年は、栗原さんがちょうど高校3年生だった時期ですから、もしかしたら仕事の都合上大学進学のタイミングを逃したのかもしれませんね。
栗原類が消えた理由はフリートークが駄目なせい?
全盛期から「不気味キャラ」扱いで、女性人気はイマイチだった栗原類さん。
「男は愛嬌」な時流とは、真逆なキャラだったことも全盛期が短かった理由なのかもしれません。
「ネガティブキャラ」でバラエティ番組を中心にブレイクを果たした栗原類さんですが、売れっ子時代は2012年から2013年程度までの短い期間となりました。
栗原さんの売れっ子時代が短命に終わった理由に関しては、フリートークがまったく駄目だったことが影響しているように思われます。現在のバラエティ番組は、臨機応変なリアクションやフリートークなどにより、場を盛り上げてくれる人材が重宝がられています。
発達障害持ちの栗原さんとはかなり相性の悪い分野なため、一時とはいえ、売れっ子だった時期が例外的だったと言えるのかもしれませんね。
栗原類の現在!自叙伝が15万部のヒット?
栗原類さんの自叙伝ですが、お値段は税込み1300円弱(紙版)とやや高めなため、ちょっと興味があるといった方は、図書館などで自叙伝を読んで見ると良いでしょうね。
栗原類さんの現在ですが、舞台演劇を中心に役者業を展開しております。テレビや映画方面の仕事は、単発のドラマ出演が年に1~2本程度となっているため、世間から「消えた」と思われている遠因ともなっていますね。
また、栗原さんは、「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由」というそのままなタイトルの自叙伝を2016年に発売しており、15万部を超えるヒットとなりました。
とはいえ、麒麟・田村裕さんの自叙伝「ホームレス中学生」が累計220万部の大ヒットとなったことを踏まえると、内容の衝撃度の割には売れ行きはほどほど程度だと言えそうです。
流行り廃りのサイクルが速まる一方なネット時代の特性上、衝撃的な告白も「旬のタイミング」を逃すと、大きな反響は期待出来ない時代なのかもしれませんね。
ちなみに、栗原さんの自叙伝である「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由」は、2017年12月に漫画版も発売予定だったりしますね。
まとめ
ハーフ芸能人もどんどん新顔が出て来ている時代ですので、芸能界の一線に残れる人間の方こそ特別だと言えるのかもしれませんね。
テレビでは、発達障害関連の特集番組でのみ見かける顔となってしまっている栗原類さん。
22歳という若さを考えると、あまりに若年寄すぎる活動内容と言えますが、若い才能が溢れている芸能界だけあり、一度席を失った者が復権するのは難しいということなのでしょうね。
とはいえ、予期せぬ一発での巻き返しもあるのが芸能界ということで、今後の栗原さんの再ブレイクに期待したいところです。