北村孝紘は大牟田4人殺害事件の実行犯で、死刑判決を受けている死刑囚です。この事件では一家4人が死刑判決となりました。
今回は北村孝紘の家族や生い立ち、事件の概要と動機や判決、結婚相手や刺青の絵画作品、現在をまとめました。
この記事の目次
北村孝紘は大牟田4人殺害事件の犯人で死刑囚
出典:ameblo.jp
北村孝紘
生年月日:1984年6月9日
出身:福岡県大牟田市
学歴:中卒(米生中学校)
犯行:4人殺害(強盗殺人)
判決:死刑
北村孝紘とは、2004年に起こった大牟田4人殺害事件の犯人です。
暴力団一家に生まれ、知人の闇金融業を営む一家3人+知人1人を殺害して、遺体を遺棄した疑いで逮捕されました。
裁判で北村孝紘には死刑判決が下り、さらに共犯の両親・兄(異父兄弟)にも死刑判決が言い渡されたため、一家4人が死刑囚となる極めて異例な事態となりました。
北村孝紘の家族(父親・母親・姉・兄・弟)
出典:twitter.com
まずは、北村孝紘の家族を見ていきましょう。カッコ内の年齢は事件当時の年齢です。
・母親:北村真美(45歳)→死刑
・姉:(26歳)
・兄:北村孝(23歳)→死刑
・姉:(22歳)
・北村孝紘(20歳)→死刑
・弟(高校生※北村孝紘の1歳下という情報もあり)
北村孝紘は5人兄弟でしたが、2人の姉と兄は異父兄弟でした。
父親:北村実雄
父親の北村実雄は、身長は160cm程度と小柄で、暴力団「北村組」の組長でした。
ただ、暴力団としては弱小で構成員は5人程度であり、組の実権は妻の北村真美が握っている状態でした。
覚醒剤を乱用していて、暴力団の組長なのに車上荒らしで逮捕されたことがあり、さらに多額の借金を背負っていたなど、一般的な「暴力団組長」のイメージとは違う生活だったようです。
母親:北村真美
170cm100kgと大柄な体格だった母親の北村真美は、「人夫出し」を生業としていた建設会社の四女として生まれました。
19歳で17歳年上の暴力団員と結婚して長女を出産しますが、すぐに離婚します。22歳で16歳年上の男と結婚して、北村孝と年子の妹の2人を出産しますが、2年で離婚しました。
そして、その後すぐに北村実雄と再婚して、北村孝紘と弟を出産します。
北村組の実権はこの北村真美が握っていたと言われています。
暴力的な性格で知られていて、さらに自殺未遂の癖もあったために「覚せい剤中毒ではないか?」と言われていました。
事件の2年前である2002年にはスナックをオープンさせましたが、数ヶ月で閉店しています。
兄:北村孝
兄の北村孝は、北村孝紘の異父兄弟で母親の2番目の夫の息子です。そのため、父親の北村実雄とは養子縁組はしていますが、血のつながりはありません。
身長180cm・体重115kgと大柄で、中学卒業後は「旭竜神」というしこ名で角界に挑戦しますが、稽古の厳しさについていけず、出場したのは一場所のみ。
「稽古場が燃えれば稽古をしなくて済む」という理由で稽古場のカーテンに放火し、夜逃げ同然の状態で実家に逃げ帰りました。
その後、地元の建設会社で働いていましたが、同僚の少年に暴行を加えて水死させた傷害致死容疑で懲役3年6ヶ月の実刑判決を受け、2004年春まで刑務所で服役していました。
2人の姉と弟
2人の姉と弟は、この大牟田4人殺害事件には関与していませんので、ほとんど情報は出ていません。
・姉②:北村真美の2番目の夫の子供(北村孝と同じ父親)
・弟:北村実雄と北村真美の子供(北村孝と同じ両親)
なかなか複雑な家庭のようです。
また、インターネット上では長姉は、この大牟田4人殺害事件が発覚した後も、大牟田市内などで飲み歩いているという情報がありました。
北村孝紘の生い立ちや事件前までの生活
ここからは、北村孝紘の生い立ちや事件前までの生活を詳しく見ていきましょう。
北村孝紘は子供のころからかなりの問題児だったようです。
ずっと不良少年で、将来的に「4人を殺害して死刑判決」という結果になるのも不思議ではない生い立ち・経歴を送ってきました。
手を付けられない不良
1984年に大牟田市で生まれた北村孝紘。父親は暴力団組長という家庭環境で育ちます。
授業妨害・授業中の居眠り・テスト放棄などを繰り返していて、中学時代の学力は小学1~2年生程度とまで言われていました。
「何かをやらかしそうな手を付けられないレベルの不良。ろくに字も読めず、学力は小学校1,2年生レベル」
この1文だけで、相当にヤバイ人物だったことがわかります。
相撲部屋に入門するもすぐに引退
出典:ameblo.jp
2000年3月に大牟田市立米生中学校を卒業した北村孝紘は、2000年4月の新弟子検査に合格し、松ヶ根部屋に入門します。
暴力団が実家というのはマズイということで、母親の旧姓(?)である石橋という四股名を名乗りました。
入門時点で北村孝紘は173cm142kgという巨体を誇っていました。
2000年9月には「三池山」という四股名に改名し、2001年5月場所では序二段にまで番付を上げますが、それ以上は番付を上げられず、2001年11月に廃業(引退)しています。
暴力団員&シノギ
地元に戻った北村孝紘は、母親の建設会社で働きますがすぐに辞めてしまいます。
その後は、父親の北村組に出入りして準構成員となります。さらに、父親の兄貴分の暴力団に1年間預けられました。
シノギは賭博・中古車販売・違法売買などをしていましたが、暴力団の中でも「ご法度」とされていた覚せい剤や違法薬物の密売買にも手を出し、大きな売り上げを上げていたようです。
犯罪を繰り返して少年院へ
相撲をやめて地元に戻った後、北村孝紘は犯罪を繰り返していました。
・窃盗
・薬物乱用
・輪姦
さらに、暴力団に入って違法なシノギを行うようになります。
ただ、2002年になると、本気で好きになった女性ができたため、やくざ稼業から足を洗おうとしたこともあったようです。
しかし、そのタイミングで警察の捜査によって、暴力団関係者の自宅から覚せい剤や大麻が発見されたため、北村孝紘が身代わりとして出頭することになります。
北村孝紘は「どうせ捕まるなら、最後にひと暴れしてやる!」として、大牟田市周辺の交番49軒を襲撃し、さらにひき逃げを行うなど、極悪非道の限りを尽くします。
そして、18~19歳の時に何度も逮捕され、少年鑑別所に2回入り、さらに2002年末ごろから2004年5月6日までの約1年半、大分少年院に送致されていました。
北村孝紘も、兄の北村孝も2004年春までそれぞれ少年院・刑務所に入っていました。
大牟田4人殺害事件は2004年9月に起こっていますので、事件の約半年前に出所してきて、すぐに残忍な事件を起こしたということになります。
北村孝紘と大牟田4人殺害事件の被害者の関係とは?
被害者グループとは対立関係に
北村孝紘は、大牟田4人殺害事件の被害者である長男(龍幸さん)・次男(穣吏さん)と対立関係にありました。
龍幸さんが高校1年生で不登校になった時、1ヶ月ほど北村家に預けられています。
その時、北村孝紘と兄の北村孝は龍幸さんをいじめたり、パシリに使っていたことがあったようです。
また、北村孝紘が相撲をやめて地元に戻ってきた後、輪姦などの犯罪行為を行っていましたが、輪姦の被害者の中には龍幸さんや穣吏さんの仲間の女の子がいました。
このことで、対立関係が明確になっています。
北村孝紘が起こした大牟田4人殺害事件の概要① 計画から~殺人まで
大牟田4人殺害事件は、2004年9月16日・9月18日に起こった連続殺人事件です。犯人を確認しておきましょう。
・北村実雄
・北村真美
・北村孝
・北村孝紘
犯人は家族4人でした。次はこの事件の被害者を確認します。
・高見小夜子さん(母親・当時58歳)
・高見龍幸さん(長男・当時18歳)
・高見穣吏さん(次男・当時15歳)
・原純一さん(長男の友人・当時17歳)
高見小夜子さんと龍幸さん、穣吏さんは家族です。そして、原純一さんは長男の龍幸さんの友人でした。
北村孝紘の一家は借金をしていた
被害者の高見小夜子さんはシングルマザーで、闇金融を仕事にしていました。
そして、高見さん一家と北村一家は家族ぐるみで付き合っていて、高見さんの闇金融の返済が滞った債務者には北村一家が返済の取り立てに行くような関係になりました。
取り立てに成功したら、一定の手数料を高見さんから支払われていました。
この関係が崩れたのは、北村真美が高見さんから借金をしたことがきっかけです。
弱小暴力団組長の北村実雄は収入がなく、上納金などで多額のお金が必要だったため、高見さんから30万円ほどお金を借りたのです。
このことで、北村家と高見家のパワーバランスは変わり、高見さんは北村家の人たちを見下すようになりました。そのことに、北村真美らは不満を持つようになります。
しかし現実としてお金は足らず、北村真美らは高見さんから借金を続け、事件直前の2004年9月時点で借金は6600万円以上に膨れ上がっていたのです。
また、2004年6月から北村真美の会社で高見家の改装工事を請け負いましたが、高見さんは「貸したお金や利息と相殺しておくから」と言って工事費を支払いませんでした。
これらの理由から、北村家では高見さんに対する憎悪が募っていきます。
また、ちょうどこのころ、北村真美は高見さんから「資本金1億円で金融会を設立する」という話を聞きました。
3人で高見小夜子を殺害することを計画
北村真美は高見さんに対する憎悪が募り、「高見さんを殺したい」と考えるようになります。そして、そのことを夫の北村実雄と長男の北村孝に伝えます。
夫も長男も北村真美の考えに同意し、「殺して金を奪おう」という結論に至ります。
北村真美らは高見さんに嘘の土地購入話を持ち掛けて現金を用意させ、殺してお金を奪おうという計画を立てました。
北村真美は「自分が高見を殺すから、奪ったお金は折半」と長男に持ち掛けて、計画の中に長男も組み入れました。
高見小夜子をなかなか殺せない
高見小夜子さんを殺害する計画を立てた北村真美らは、9月15日に高見小夜子を呼び出すなど殺害の機会をうかがいます。
殺害の機会は何度かあったものの、北村真美はいざ殺害するとなると躊躇してしまい、殺害することができませんでした。
長男の北村孝は「俺がやる」と母親の真美に進言しますが、真美はあくまで「自分がやる!」と言ってききませんでした。
長男の北村孝は自分が実行犯になれば、奪ったお金の分け前が増えるという目論見があったようです。
次男を殺害
高見小夜子さんの殺害をなかなか実行しない母親にしびれを切らしたのか、長男の孝は両親を出し抜いて、とりあえず高見さんが用意した土地代金を奪おうと考えます。
金は高見さんの自宅にあるとの情報を入手した長男の孝は、9月16日に「留守番している穣吏(次男)を殺して金を奪う。分け前を500万円やるから協力しろ」と弟の孝紘を誘いました。
北村孝紘は兄の提案に同意し、2人で9月16日午後10時40分ごろに高見さんの自宅に行き、穣吏さん(次男)の首をタオルで絞めました。
北村孝紘と孝はこの時点で穣吏さんは死んだと思っていましたが、実はこの時はただ失神しただけでした。
北村孝紘らは高見さんの自宅から金庫を盗み、死んだと思っていた穣吏さんを車のトランクに入れて、高見さんの自宅を出発しました。
途中で穣吏さんが意識を取り戻し、トランクの中で暴れ出したため、北村孝紘ら2人は「とどめを刺すしかない」という結論に達します。
そして、諏訪川の橋の上で車を停めてトランクを開け、2人がかりで穣吏さんの首をロープで絞めて殺害し、遺体にコンクリートブロック3個を括り付けて、川に遺体を遺棄しました。
高見小夜子を殺害
穣吏さんを殺害した翌日の9月17日、どうしても高見さんを殺害できなかった北村真美は、長男の孝に助けを求めます。
そして、孝は高見さんに睡眠薬を飲ませて眠らせた状態で、弟の北村孝紘に殺害させようと計画します。
孝は母親の真美に睡眠薬入りの弁当を渡し、北村の自宅に呼び出した高見さんに差し入れさせました。そして、高見さんはそれを食べて眠ってしまいます。
9月18日午前0時ごろ、家族4人(北村実雄・真美・孝・孝紘)は意識がもうろうとしている高見さんを車に乗せ、大牟田港岸壁で、北村孝紘がワイヤーで高見さんの首を絞めて殺害しました。
長男と知人を殺害
2004年9月18日午前1時30分ごろ、高見さんの遺体を乗せたワゴン車を走らせながら、次の殺害計画を立てていました。
計画では、家族4人で高見さんの長男・龍幸さんを殺害し、その後に高見さんの自宅から現金を探し出して奪うことになったようです。
ちょうどその頃、龍幸さんと友人の原さんは次男の穣吏さんを探していました。
そして、北村孝紘ら4人が高見さんの自宅前についた頃、龍幸さんと原さんも自宅に戻ってきます。
北村孝紘と孝は一緒に穣吏さんを探すと嘘をついて、龍幸さんと原さんの車に乗り込み、移動途中に拳銃で2人撃ち、原さんにはアイスピックでとどめを刺してを殺害しました。
2人の殺害の実行犯は北村孝紘です。
つまり、北村孝紘は被害者4人の殺害すべての実行犯ということになります。
そして、龍幸さん達の車に高見さん・龍幸さん・原さんの3人の遺体を乗せ、社外から車を操作して、諏訪川に水没させました。
この後、北村一家4人は高見家で現金を探しますが、不動産の権利書などはあったものの現金を発見することはできませんでした。
北村孝紘が起こした大牟田4人殺害事件の概要② 遺体発見から逮捕まで
次男の遺体発見
9月21日、高見さんの次男・穣吏さんの遺体が諏訪川に浮かび、遺体が発見されました。
次男の穣吏さんの遺体にはコンクリートブロックが括り付けられていましたが、遺体が腐敗したことでガスが発生し、浮かび上がってきたのです。
母親の北村真美が逮捕
9月21日の午前中に次男の穣吏さんの遺体が発見され、捜査によって9月22日午前1時ごろに北村真美が死体遺棄の容疑で逮捕されました。
そして、北村真美は取り調べで「4人を殺害した」と供述したのです。
父親の北村実雄が拳銃で自殺未遂
9月22日の午前中、北村真美が拘留されている大牟田署に夫の北村実雄がやってきて、「妻が逮捕された理由を知りたい」と申し出ます。
そこで、警察は取調室で1時間にわたり説明をしていたところ、午前10時16分ごろ、北村実雄は突然拳銃を取り出して、自分のこめかみに当てて発砲して、自殺を図りました。
北村実雄は命に別状はなかったものの、病院に搬送されています。
3人の遺体が発見
北村真美の供述によって、警察は高見さんなど3人の遺体の捜索に全力を挙げた結果、9月23日に諏訪川で車が引き上げられ、中から3人の遺体が発見されています。
北村孝紘・北村孝・北村実雄が逮捕
3人の遺体が発見されたことで、9月25日に北村孝紘が死体遺棄の容疑で逮捕されました。
さらに、北村真美が「息子の孝紘が全部やった」と供述します。
その後も捜査は進み、北村孝・北村実雄も逮捕され、2004年10月26日には北村孝紘・北村真美・北村実雄・北村孝の4人を強盗殺人罪で再逮捕しています。
兄の北村孝が逃走
北村孝紘らが逮捕・起訴されていく中で、2004年11月13日に事件が起こりました。
北村孝紘の兄である北村孝が、福岡地検久留米支部から逃走します。
検察による取り調べの夕食休憩中に、北村孝は付き添いの警察官3人をオートロックの部屋に閉じ込め、裸足の状態で検察庁舎から逃走しました。
この時、警察官3人は油断していて、ルール通りの監視をしていなかったようです。
北村孝は逃走途中でタクシーに乗り、熊本県方面に逃走しています。
タクシーの運転手には「ヤクザに3日間監禁されていて、なんとか逃げてきた」と説明していたようで、運転手の携帯電話を借りて知人に連絡し、お金を知人に用意させようと試みました。
しかし逃走から3時間後、熊本県荒尾市でタクシーからいったん降りて、車の外で電話していた時に警察に取り囲まれて、身柄を拘束されました。
北村孝紘の大牟田4人殺害事件の動機とは?
借金がきっかけ
大牟田4人殺害事件の動機は、高見さんからの借金です。
北村真美・北村実雄は高見さんから総額6600万円以上を借金していました。さらに、北村真美は高見さんから見下されたような態度を取られたことに怒っていました。
そのことで、高見さんに一方的に恨みを持ち、さらに借金を踏み倒して、高見さんのお金を奪うために、この大牟田4人殺害事件を実行したのです。
北村孝紘の動機
ただ、北村孝紘の動機はなかなか見えてきません。高見さんを殺害して金を奪おうと計画したのは、北村孝紘ではなく、父親・母親・兄の3人です。
北村孝紘は兄の孝に誘われて犯行に加担しました。なぜ、北村孝紘は犯行に加担したのでしょうか?
逮捕後に北村孝紘と面会していたノンフィクション作家の小野一光氏が、北村孝紘に「なぜ4人も殺害したのか?」と尋ねたところ、次のように答えています。
「小野さんね、俺の腕に蚊がとまって血ぃ吸おうとしたら、パシンて打つやろ……」
孝紘は突き出した腕を平手で叩く。
「それと同じくさ。蚊も人も俺にとっては変わりないと。それだけのことたい」
これが北村孝紘の本心かどうか、これが本当の動機かどうかは不明ですが、北村孝紘はほかの家族3人に比べると、明確な動機はなかったようです。
北村孝紘の判決は死刑
大牟田4人殺害事件では、北村孝紘ほか家族4人が同じ裁判で裁かれることになりました。
そして、2006年10月17日に北村孝紘に死刑判決が言い渡されました。ほかの家族3人も死刑判決となりました。
控訴審でも死刑判決、最高裁でも死刑判決でしたので、2011年10月3日に死刑が確定しています。
北村孝紘は控訴審の判決が出た2007年12月25日の退廷間際、弁護士に対し、「先生!メリークリスマス!!!」と叫んだそうです。
北村孝紘死刑囚が獄中結婚した結婚相手とは?
北村孝紘は死刑囚になってから獄中結婚しています。
北村孝紘は「実話ナックルズ」で結婚相手を募集
北村孝紘は逮捕後に「実話ナックルズ」の編集長である村岡金曜日氏と文通を続けていて、面会したこともありました。
それが縁で、2009年に北村孝紘は実話ナックルズの紙面で結婚相手を募集しています。編集長の村岡金曜日氏によると、面会した時に北村孝紘から頼まれたとのことです。
獄中結婚して「井上孝紘」になる
そして、北村孝紘は支援者の女性と結婚します。
結婚したのはWikipedia上では2013年となっていますが、2011年の2ちゃんねるではすでに「井上に姓が変わった」とされていますので、結婚は2011年ごろかもしれません。
北村孝紘は支援者の女性の方の姓を名乗っていますので、現在は「井上孝紘」という名前になっています。
結婚相手の女性については、詳しい情報はありません。
北村孝紘死刑囚の獄中結婚相手の姉が2ちゃんねるに降臨
結婚相手の姉が2ちゃんねるで相談
2013年、2ちゃんねるに北村孝紘の結婚相手の姉と思われる人物が降臨しました。
降臨したスレッドは「物凄い勢いで誰かが悩み(質問)を@復活168」です。
540 :名無しさん@HOME:2013/04/30(火) 15:09:54.00 O
馬鹿な妹が死刑囚と獄中結婚している。
何度も妹のアパートへ言って止めるよう説得しても、
人助けとか意味不明な言い訳してる。
本当にふざけてるよ…。
これだけでは、「北村孝紘の結婚相手の姉」とはわかりませんが、次の書き込みで「北村孝紘の結婚相手の姉」ということがほぼ確定します。
545 :540:2013/04/30(火) 16:13:08.54 O
救いの手を差し述べてる自分ステキな考えに染まってる状態。
考え直せと言うと、器量の狭い無思考人間の意見だと反発する。父親は子供の時に離婚でいないし、
母親は妹と完全に絶縁状態なので悩みは募る一方。死刑囚の名前はこっちの名字だから伏せるけど、
一家で死刑囚になってて人相も悪かった。姉として愛情が足りなかったのかも。
「一家で死刑囚」なんて北村孝紘一家しかいません。さらに、北村孝紘一家の中で、死刑囚になってから結婚したのは北村孝紘です。
自分の家族が死刑囚と(しかも一家で死刑)結婚したら、もうどうしていいかわからなくなってしまうと思います。
北村孝紘死刑囚は刺青の絵を出展していた…
北村孝紘は逮捕時20歳で、それまで1年半も少年院に入っていたので、まだ刺青はありませんでした。
本人は刺青を入れたかったようですが、死刑囚になってからでは刺青を入れることはできず、支援者に刺青の画集を差し入れてもらったこともあります。
そして、2016年に開催された「極限芸術2~死刑囚は描く~」という死刑囚の絵画作品展で、刺青のような龍の絵などを出展しています。
こちら2枚は北村孝紘の作品です。
出典:targma.jp
出典:targma.jp
とても絵がうまくて驚きますが、2つの絵の作風に不気味さも感じます。
この絵の才能をもっと違う健全な分野に生かせば、違う人生を送ることができたのかもしれません。
北村孝紘の現在
死刑執行はまだ
北村孝紘は2011年に死刑が確定していますが、死刑執行はまだ行われていません。
すでに死刑確定から10年経ちますので、いつ死刑が執行されてもおかしくはない状態です。
しかし、兄の北村孝が再審請求をしています。共犯者が再審請求をしている間は、死刑が執行されない可能性があります。
また、一般的に再審請求をしている死刑囚は、死刑は執行されません。
そうすると、兄の北村孝の再審請求がどうなるか決まるまで、同じ事件の犯人である北村孝紘も死刑が執行されない可能性があるのです。
『我が一家全員死刑』出版&舞台・映画化
出典:honto.jp
北村孝紘は映画や舞台の主役になったことがあります。北村孝紘と文通していた鈴木智彦氏が「我が一家全員死刑」という手記を出版しました。
そして、これを原作に「全員死刑」という映画が公開され、「殺風景」という舞台も上演されたのです。
・舞台「殺風景」:2014年上演、北村孝紘役は八乙女光
イケメン2人が巨漢の北村孝紘を演じているなんて、なんかすごいですね。
弟は自殺
北村孝紘には弟がいました。事件当時、高校生だったと言われています。その弟は、2015年1月8日に自殺しています。
この自殺は、北村孝紘や大牟田4人殺害事件が直接関係しているのかは不明です。
ただ、まともな神経を持っているなら、自分の両親と兄2人が殺人を犯して、死刑判決になったらメンタルはズタボロになってしまいますよね。
北村孝紘のまとめ
大牟田4人殺害事件の犯人である北村孝紘の家族や生い立ち・生活状況、事件の概要と判決、死刑囚となってからの結婚相手、刺青の絵と現在をまとめました。
北村孝紘の生い立ちや家庭環境が、もしごく一般的なものだったら、このような犯罪は犯さなかったのでしょうか。
「たられば」で語ることはできませんが、北村孝紘がごく一般的な家庭で育った世界線を見てみたい気がします。