様々な分野で活躍する岡田斗司夫さんですが、キスプリクラや愛人リスト流出など女性問題も話題です。
今回は岡田斗司夫さんの天才少年時代や大学など若い頃の経歴、結婚した嫁や娘、離婚理由や現在を紹介し、何者なのかをまとめました。
この記事の目次
- 岡田斗司夫は何者なのか解説
- 岡田斗司夫の若い頃の経歴① IQ148の天才少年だった
- 岡田斗司夫の若い頃の経歴② 成金になり、中学時代は趣味に没頭
- 岡田斗司夫の若い頃の経歴③ 高校生で宇宙戦艦ヤマトにハマる
- 岡田斗司夫の若い頃の経歴④ 1浪して大学に入るも同人活動に専念して退学に
- 岡田斗司夫の若い頃の経歴⑤ 早くに結婚するも不倫騒動を起こし上京
- 岡田斗司夫の若い頃の経歴⑥ アニメ制作会社「ガイナックス」を設立
- 岡田斗司夫の若い頃の経歴⑦ サブカル評論家として活動開始
- 岡田斗司夫の若い頃の経歴⑧ 大学の客員教授に就任&ダイエット本がヒット
- 岡田斗司夫の結婚歴・離婚歴:嫁と子供とは?
- 岡田斗司夫の愛人騒動① キスプリクラやLINE画像が流出
- 岡田斗司夫の愛人騒動② 愛人リストも流出するも創作だと言い訳
- 岡田斗司夫の現在
- 岡田斗司夫のまとめ
岡田斗司夫は何者なのか解説
岡田斗司夫さんは、日本のプロデューサー、評論家、文筆家、実業家、企画者、講演者として活動している人物です。
また、複数の会社の取締役であり、過去には東京大学の非常勤講師や大阪芸術大学の客員教授を務めていたこともあるなど、様々な分野で活躍されています。
最近では、サブカル系分野の動画をメインに発信するユーチューバーとしてお馴染みな方も多いかもしれません。
岡田斗司夫のモノの見方は本当に勉強になる。
— リック俺(プラモ&エフェクター&映画感想垢) (@rms0318rickore) May 17, 2022
本物の「オタク」は博学で豊富な知識を得るためにはとことん突き詰める…
この考え方は生きる楽しさを知り自分の視野を広げることに繋がるし、何より自分を好きになれる方法だよ。
その大切さを教えてくれたのは本当に感謝してる。
岡田斗司夫さんのYouTubeチャンネルはこちら→岡田斗司夫
数多いサブカル系ユーチューバーの中でも、岡田斗司夫さんの動画は別格の教養と評判で、チャンネルの登録者数は80万人、総再生数は1.5億回を超える人気を誇っています。
この記事では、そんな岡田斗司夫さんのこれまでの経歴や家族情報の他、愛人発覚騒動の詳細についても紹介します。
岡田斗司夫の若い頃の経歴① IQ148の天才少年だった
岡田斗司夫(おかだ としお)
生年月日:1958年7月1日
出身地:大阪府大阪市住吉区
岡田斗司夫さんの父親は学校の教師でしたが、幼少期はとても貧しく、長屋暮らしでご飯のおかずはきな粉という日もあったそうです。
岡田家が極貧だった理由は不明ですが、母親が椎間板ヘルニアを患っていて足が不自由だったとのことで、もしかしたら母親の治療費などにお金がかかっていたのかもしれません。
そんな逆境の中でも、岡田斗司夫少年は幼稚園年長時点で漢字が読めるという神童で、小学校低学年レベルの学力がある自分にとって幼稚園生活は無駄だと判断し、園を中退したそうです。
IQ148の天才だったことが判明して勉強を放棄していた
小学校には通常通り入学した岡田斗司夫さんですが、知能検査の結果、IQ148と判明したことにより、ちまちまと宿題をすることはスペックの無駄遣いと考え、以降は勉強を放棄したそう。
ただし、勉強が嫌いになったわけではなく、岡田少年の将来の夢は科学者になることでした。
科学者を目指した理由には、UFOや超能力好きな父親の影響も大きかったようです。
父親はUFOや超能力などオカルト好きで、中でも横山光輝の『バビル2世』の大ファンで、父親が買ってきたUFO関連の書籍を拾い読みし、日本万国博覧会(大阪万博)の御当地という環境もあって科学・物理方面に明るい子供となり、父親と空想上の乗り物の内燃機関について互いに知恵を絞っていた。
引用:岡田斗司夫
岡田斗司夫の若い頃の経歴② 成金になり、中学時代は趣味に没頭
岡田斗司夫さんの人生最初の転機は、小学校中学年の頃でした。
少しでも家計の助けにと母親が始めていた刺繍の内職が大当たりし、「有限会社岡田刺繍」が設立されるほど評判になります。
有限会社岡田刺繍の社長には、父親が教師を辞めて就任するなど、会社の経営は順調だったようです。
その後の岡田家は一気に経済的に裕福になり、岡田斗司夫さんが高校に進学した頃には3階建ての豪邸が新築されたといいます。
この豪邸は一般人の想像以上に贅沢な造りになっていたようで、岡田斗司夫さんの自室は業務用エアコン付きで45畳もの広さだったとか。
母親が新興宗教を立ち上げて脱税を図ったこともあった
岡田斗司夫さんが大学生の頃に、母親は節税のために新興宗教を設立したといいます。
ある日家に立ち寄ってみると3階建てであったはずの実家が4階建てへと増築されており、最上階の1フロアが丸々「巨大な神殿」に変わっていた。父親からは「今日からお母ちゃん(神道系の)神さんやで」と告げられて驚愕する。訊けば、かねてより会社の収益が税金として徴収される理不尽さに嘆いていた母が税金対策として新興宗教を立ち上げ、実母自らが教祖となっていた。
引用:岡田斗司夫
ただし、いくら会社が儲かっていて税金がたくさん取られるといっても、節税できるお金よりも宗教法人の維持費の方が上回ってしまったようで、この節税計画は失敗に終わったそうです。
中学時代に映画に目覚めた
中学生になった岡田斗司夫さんは、映画・特撮・アニメーション・模型・空想科学といったサブカル分野に没頭していきます。
この頃になると金持ちのボンボン化していた岡田斗司夫さんは、模型屋でツケを利用するくらいプラモデルを買い漁っていたそうです。
また、ただ文化系というだけではなく、友人から機材を借りて自主短編映画を制作し、学校の行事などで上映するなど、アクティブに情報を発信する少年でした。
ちなみに、この頃の岡田斗司夫さんの将来の夢は、科学者からSF作家に変わっていたとか。
岡田斗司夫の若い頃の経歴③ 高校生で宇宙戦艦ヤマトにハマる
中学卒業後、岡田斗司夫さんは大阪府大阪市浪速区にある府立今宮高校に進学しています。なお、今宮高校は偏差値63程度の中堅進学校です。
高校時代はアニメ「宇宙戦艦ヤマト」にハマっていたそうで、当時まだ高級家電だった30万円超えのビデオデッキ「Uマチック」を親に買ってもらったといいます。
今の感覚でも30万円は高額ですが、岡田斗司夫さんが高校生だった1970年代中盤は大卒初任給が10万円以下であり、現在の貨幣価値だと50~60万円程度の価値があったと言えます。
・1974年78,700円
・1975年89,300円
・1976年94,300円
また、ビデオデッキが家庭に普及していなかった時代背景もあり、ビデオテープ自体が高級品で1本1万4000円もしたそう。
その他、自室に1万数千冊もの蔵書をコレクションするなど、ブルジョワすぎる青春時代を送っていたようです。
岡田斗司夫の若い頃の経歴④ 1浪して大学に入るも同人活動に専念して退学に
趣味に邁進する日々が祟ったのか、岡田斗司夫さんは高校3年生での大学受験は失敗し、1年間予備校生活を送りました。
そして1浪を経て、大阪府寝屋川市内にある大阪電気通信大学に進学しています。
大学時代は、アニメ・特撮関連の同人制作集団「DAICON FILM」を設立して即売会をしたり、SFグッズ専門店「ゼネラルプロダクツ」を立ち上げたりと、実業家活動も開始していました。
1981年、第20回日本SF大会 を開催。オープニングでDAICON FILMの自主製作アニメーションを上映。会場でグッズやガレージキットを販売したり、自主制作作品のビデオ販売で大会の赤字を補填できたことなどにより、このジャンルがマニア向けのビジネスになると直感し、両親からの出資を得て実家の会社の一部門として1982年にSFグッズ専門店「ゼネラルプロダクツ」を開店する。
引用:岡田斗司夫
ただし、大学の講義にはまったく出ずにサークル活動に没頭していたことから、単位を落とし続け卒業もできずに、1981年に大学を放校処分になってしまったようです。
岡田斗司夫の若い頃の経歴⑤ 早くに結婚するも不倫騒動を起こし上京
青年実業家として成功した岡田斗司夫さんは結婚時期も早く、大学を辞めた1981年に一般女性と結婚しています。
しかし結婚早々、「ゼネラルプロダクツ」の女性店員と不倫関係になり、相手女性が周囲に不倫を相談したことで知人・友人にも醜聞がバレて、総スカン状態になってしまったそう。
大阪に居づらくなった岡田斗司夫さんは、知人の山賀博之さんと一緒に上京することになりました。
とはいえ、「ゼネラルプロダクツ」の経営はその後も継続しており、以降もガレージキット系の同人即売会を主催するなどアクティブに活動しています。
なお、「ゼネラルプロダクツ」は、1987年に東京・吉祥寺に移転、編集部門から漫画雑誌を発行するなどもしていましたが、ガレージキットの売上が悪化して1992年に閉店したようです。
岡田斗司夫の若い頃の経歴⑥ アニメ制作会社「ガイナックス」を設立
上京後の1984年、アニメ制作会社「ガイナックス」を立ち上げた岡田斗司夫さんは社長に就任しています。
「ガイナックス」は、元々は「王立宇宙軍 オネアミスの翼」という作品を作るために立ち上げた会社で、完成後に解散する予定でした。
◆超絶技巧◆
— 庵野秀明展 (@annohideakiten) May 27, 2022
2章で取り上げる『王立宇宙軍 オネアミスの翼』のロケット打ち上げシーンはアニメーターとしての庵野の真骨頂。
繊細に飛び散る大量の破片、丸い輪郭が強調された煙と閃光、充満した黒煙が内側からの圧を感じさせながら重く立ち昇る。
セルアニメであることを疑うほどの超絶技巧です。 pic.twitter.com/jL4r5aT8Zz
しかし、当初OVAの予定だったのが、バンダイへのプレゼンが上手く行った結果、出資を勝ち取って劇場用映画となったことが裏目に出て、大赤字を叩き出す結末が待っていました。
そのため、借金を返済するために、会社を解散せずアニメ制作を続けることになったとか。
ちなみに、出足からつまずいた「ガイナックス」ですが、その後はヒット作を連発する伝説的制作会社へと成長しています。
・「不思議な海のナディア」(テレビアニメ)
・「トップをねらえ!」(OVA)
・「プリンセスメーカー」(PC用ゲームソフト)
久々に不思議の海のナディアを鑑賞。
— Abyssall Dision (@marvelous_belka) May 12, 2021
名作だと思うが改めて観ると大作だ
節々に見られる過去の大作オマージュを意図して描いていく様はその作品の深さというか情報量や更には愛着が増し過去の大作への回帰、現在から過去を結ぶ架け橋になる
中でもサンソンがいつまでも
カッコイイ
アバルトはいいぞ pic.twitter.com/C2Oxl1pm21
岡田斗司夫の若い頃の経歴⑦ サブカル評論家として活動開始
「ガイナックス」を人気アニメ制作会社に成長させた岡田斗司夫さんですが、1992年に退社に追い込まれています。
子供の誕生以降、岡田斗司夫さんはスランプに陥ってしまい、SFや美少女モノの企画が立てられなくなり、社長の責務を果たしていないと周囲から糾弾されたことが理由のようです。
「ガイナックス」を追い出された後の岡田斗司夫さんは、これまでの実績を活かして、東京大学で非常勤講師をしたり、サブカル系評論家としてテレビ番組に出演し始めました。
また、「BSアニメ夜話」という番組を企画・立案し、司会を務めていた時期もありました。
岡田斗司夫の若い頃の経歴⑧ 大学の客員教授に就任&ダイエット本がヒット
評論家転身後の岡田斗司夫さんですが、トークイベントを主催したり、サブカル系の本を執筆したりと、忙しい日々が続いていました。
また、これまでの実績が評価された結果、2005年になると、大阪芸術大学芸術学部キャラクター造形学科の客員教授にも就任。
その他、2007年に発売したダイエット本『いつまでもデブと思うなよ』が、50万部を超える大ヒットを飛ばすなど、第2の全盛期を迎えたと言っても過言ではないくらいの活躍ぶりでした。
ダイエット話を見て昔読んだ本を思い出した。『いつまでもデブと思うなよ』っていう新書。「デブは『お腹が空いたから食べる』ではない、『満腹感がなくなったから口にものを入れる』」みたいな一節があって感銘を受けた。
— おしょう👁🗨 (@800_0000) June 20, 2012
岡田斗司夫の結婚歴・離婚歴:嫁と子供とは?
岡田斗司夫さんは1981年、中学校の同級生だった和美さんという一般女性と結婚しています。
1989年には長女も生まれますが、1999年に離婚に至っています。
子供が成長したことで、婚姻関係を続ける意義を見出せなくなった岡田斗司夫さんは、妻に離婚を切り出したそうです。
ただ、子供に離婚する旨を伝えていなかったことに加えて、離婚後も定期的に家族で食事をしていたことから、娘はしばらくの間、両親の離婚に気が付かなったようです。
また、両親が自分に無断で離婚していたことを知った娘は、激怒して詰め寄ってきたというエピソードが残っています。
岡田斗司夫の愛人騒動① キスプリクラやLINE画像が流出
捨てた愛人に逆襲された
サブカル系の評論家として盤石の地位を築いていた岡田斗司夫さんですが、2014年12月31日、元愛人を自称する当時24歳の女性・Aさんに、フェイスブック上で告発されています。
Aさんの告発はかなり本格的で、プリクラ画像やLINEのキャプチャ画像などが晒されました。
Aさんの告発はネット上で大騒動となり、2015年1月6日に岡田斗司夫さんは釈明コメントを発表しています。
ただし、当初の岡田斗司夫さんは愉快犯によるイタズラ説を唱え、ニセ写真などを作った犯人から謝罪してもらったと主張していました。
ただ、納得いかなかったネットユ-ザーたちにより炎上は拡大していきました。
だが、プリクラ画像と同じシャツを着てニコニコ生放送の番組に出演する岡田さんの画像が発見され、「シャツも同じ CGなのか 謎は深まるばかりだ w」といった指摘が続出した。さらに、本当かどうかは不明だが10年前に岡田さんに出会い系サイト経由で会ったことがあるという人までネットに現れ、メールの内容を暴露するなど、騒ぎはますます拡大していった。
岡田斗司夫の愛人騒動② 愛人リストも流出するも創作だと言い訳
Aさんの告発により窮地に陥った岡田斗司夫さんですが、2015年1月9日には観念して事実関係を認めています。
また、現在は9人の愛人がいる他、過去には80人もの女性と同時に交際した過去があるという武勇伝までカミングアウトしました。
その後も、過去に作成した愛人リストがTwitter上に流出するなど、岡田斗司夫さんの窮地は続きました。
71 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2015/01/19(月) 12:13:13.61 ID:7r74acWD0
名器度AA+++とか何だよ、俺にも試させろ
83 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2015/01/19(月) 12:16:18.03 ID:Eo02JhxT0
芸大6号とかwナンバリングされた芸大マンコ糞ワロタw
しかも「若い子は騙して抱いて、終わったら捨てろ」というのが僕の中の法則wだってよw
95 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2015/01/19(月) 12:19:29.82 ID:4i8hCCYJ0
だから言ったろ男は顔じゃなくてコミュ力だって
こいつよりは顔も性格も良い自信あるけど彼女居ない歴イコール年齢だもの
世の中狂ってるよ
引用:岡田斗司夫が女を食いまくってランク付けしてることが判明 声優もいるらしい★8 [転載禁止]©2ch.net [549071714]
また、愛人リストには、マスメディア界隈で活動していた女性たちも含まれていたというから驚きです。
これに対し、岡田斗司夫さんはすべて自分の妄想で創作したと主張しています。
今回、岡田氏はこのリストについて、「今回インターネットに流出している、私と関係をもったとされる女性のリストですが、ほとんどは私が、仕事で会っただけの女性に対する妄想を書いたものです」と、自身が書いたものであることを認めるとともに、フィクションであることを強調。ただ、実在する人物名を出したことについては、「ほとんどは実在の人物を元にした創作であり、そのような事実もないのに、名前を出されてしまった方々に心からお詫びします」と謝罪した。
岡田斗司夫の現在
愛人騒動後の岡田斗司夫さんですが、社会的なイメージの失墜は大きく、大阪芸術大学の客員教授は辞任に追い込まれています。
また、自身が設立していた後援会組織「フリックス」の代表も辞職しました。
フリックス (FREEex) とは、岡田斗司夫が2010年に設立した後援会的組織「オタキングex」を前身とする組織。自由でこそ本来のポテンシャルを活かせる岡田を自由に活動させ、そこから生まれるものを岡田以外の者が自由に利用できるようにすることを設立理念とする。作家・評論家としての岡田斗司夫のコンテンツを著作権フリー化し、無料で世の中に広めることを重要な目的および手段としている。
引用:岡田斗司夫
ただ、テレビ関連から干されるまでには至らなかったようで、それ以降も「水曜日のダウンタウン 」や「情報ライブ ミヤネ屋」といった人気番組にゲスト出演しています。
また、前述のようにYouTubeチャンネルも好評で、女性スキャンダルがあってもサブカル方面での地位は堅牢であり、人気は不動のようですね。
岡田斗司夫のまとめ
岡田斗司夫さんは若い頃から様々な分野で活躍し、サブカル系の評論家や人気ユーチューバーとしても知られていますが、不倫や愛人リストなど女性問題も多い人物と言えます。
岡田さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。