アメリカ現地時間2017年10月26日にジョン・F・ケネディ元大統領暗殺事件についての機密文書が公開されました。公開文書は2891件におよび、その中で新事実が次々と明らかにされています。
ジョン・F・ケネディ元大統領暗殺事件の犯人・オズワルドの逮捕や夫人が脳みそを拾う場面、そして明らかになった真相に関して詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
「ケネディ大統領暗殺事件」の詳細① 1963年11月22日に暗殺されたジョン・F・ケネディ
全ては公開されなかった機密文書
ドナルド・トランプ大統領は「機密文書の全面公開を約束する」と表明しながら現在も保留となっています。3600件あると言われる非公開文書の中で新規に公開されたのは2891件の中で300件程度に留まり、CIAやFBIは全面的な公開を拒み続けていると言われています。
「ケネディ大統領暗殺事件」はアメリカ現地時間の1963年11月22日金曜日、正午12時30分にテキサス州ダラス市内での遊説中に発生しました。
当時の第35代アメリカ合衆国大統領であるジョン・F・ケネディは2発の凶弾により絶命し暗殺されてしまいました。
まずは「ケネディ大統領暗殺事件」の概要についてわかりやすく総まとめましたのでご紹介しましょう。
ふと子供の頃から言われてたあと○○年でケネディ大統領暗殺事件の機密文書公開っていつでどうなったんだろうと検索したら去年の話で結局まだ全文公開してないのか
— shrike (@dokumawari) 2018年3月3日
「ケネディ大統領暗殺事件」の詳細② テキサスで遊説をした理由
ケネディはテキサス州を落とす必要があった
ジョン・F・ケネディ大統領が1963年11月下旬にテキサス州で遊説をしたことには3つの理由がありました。
1つ目は、ジョン・F・ケネディ大統領は翌年に大統領選を控えており、少しでも多くの選挙戦資金の寄付金を得るためでした。
2つ目は、もちろん大統領選挙戦で優位に進めるためにテキサス州の民衆の支持を得るための選挙活動でした。
元々テキサス州を含むアメリカ南部の諸州は民主党にとっては支持を集めやすい牙城とも呼べる地域でしたが、ジョン・F・ケネディ大統領が前年から続いてアフリカ系住民に対して強行的な人種差別政策を取ったため強い反感が生まれており、共和党の保守派の候補であるバリー・ゴールドウォーターに支持が集まり同地域において敗戦となる可能性が濃厚だったからでした。
そのため、その中でも比較的勝算のあった南部で最大のテキサス州を重点的に攻めることで大統領選を優位に進めるという算段がありました。
最後に3つ目の理由は、テキサス州の民主党保守派のコナリー知事と、ジョン・F・ケネディ大統領が親しかったヤーポロー上院議員の関係が悪化していたことから、大統領選挙の前にふたりの関係を修復させるという目的がありました。
「ケネディ大統領暗殺事件」の詳細③ パレード現場に向かう
パレードを行うテキサス州ダラス市に向かったジョン・F・ケネディ大統領
1963年11月22日の金曜日の朝に、ジョン・F・ケネディ大統領夫妻は大統領専用機でテキサス州ダラス市に向かいました。
ジョン・F・ケネディ大統領夫妻とテキサス州知事のジョン・コナリー夫妻は、ワシントンからフェアチャイルドC123輸送機によって運ばれたパレードに使用する1961年式のリンカーン・コンチネンタル(パレード用に改造されたオープンカー)に乗り込み、遊説を行うダラス市内に向けて空港を出発しました。
このオープンカー仕様のリンカーン・コンチネンタルには、後部席の右にジョン・F・ケネディ大統領、その隣にジョン・F・ケネディ大統領の妻であるジャクリーン・ケネディ、そして前列右側にコナリー州知事、その隣にコナリーの妻であるアイダネル、最前列左側の運転席にはホワイトハウスのシークレットサービスを務めていたビル・グリアー、助手席には同じくシークレットサービスのロイ・ケラーマンが乗車していました。
このリンカーン・コンチネンタルはオープンカーのため狙撃から身を守ることは難しく、当初は「バブルトップ」という透明の防弾カバーを取り付けるようにダラス市警察本部やシークレットサービスから提案されていましたが、ジョン・F・ケネディ大統領の側近が拒否したため取り付けることはありませんでした。
ダラス市内でジョン・F・ケネディのパレードが始まる
ジョン・F・ケネディ大統領を乗せたリンカーン・コンチネンタルを含むパレードの車列は、ダラス市内を時速16キロ程度のスピードでダラス・トレードセンターへ向けて進み始めました。
ジョン・F・ケネディを乗せたリンカーン・コンチネンタルを含むパレードの車列は、児童や修道女と握手を交わす際に2度止まった以外には停車することなく進みました。
中には大通りを走行中に男性がひとり群衆から抜けて走り寄ってきましたが、シークレットサービスにより制止されて押し倒され、パレードの車列からは遠ざけられました。
そして、12時半頃にジョン・F・ケネディ大統領を乗せたリンカーン・コンチネンタルは大通りを抜けてディーリー・プラザから右折して、ヒューストン通りを抜けてテキサス教科書倉庫ビルの正面に向けて進んでいました。
それから左折してエルム通りに入り、テキサス教科書倉庫ビルから20メートルほど離れた位置でついに事件は起きました。
「ケネディ大統領暗殺事件」の詳細④ 犯人に狙撃される
2発の凶弾がジョン・F・ケネディ大統領を襲った
ジョン・F・ケネディ大統領を乗せたリンカーン・コンチネンタルが教科書倉庫ビルの前を通過した瞬間、およそ6~9秒の間に狙撃されて2発の銃弾が襲いました。
リンカーン・コンチネンタルはおよそ時速14~21キロで走行しており合計3発の内1発は外れましたが、1発はジョン・F・ケネディ大統領の背中上部から喉仏を貫通してその前列に座っていたコナリー州知事に当たり、もう1発はジョン・F・ケネディ大統領の即頭部に命中して貫通し、頭部を激しく損傷させたことが直接的な死亡原因となりました。
下記動画はジョン・F・ケネディ大統領が狙撃される瞬間を捉えたものですが、閲覧注意動画となりますので自己責任にて観てください。
動画を見ると、1発目の銃弾がジョン・F・ケネディ大統領に当たった瞬間に喉元を抑えるように前かがみに倒れ込んでいるのが見えます。
この時「パーン」と響いた銃声に観衆は爆竹か車の排気口から出たバックファイヤの音かと思ったそうです。
「ケネディ大統領暗殺事件」の詳細⑤ 夫の脳みそを拾うジャクリーン夫人
前かがみに倒れ込んで苦しそうにするジョン・F・ケネディ大統領を何が起こったか分からない様子でジャクリーン夫人が覗き込んでいますが、次の瞬間に2発目の銃弾がジョン・F・ケネディの頭部に命中し、ようやく何が起きているかを察したジャクリーン夫人は車の後部に上がり逃れようとしています。
この様子が、後部座席に手を伸ばしケネディ大統領の脳みそを拾っていると話題になりました。真相は不明ですが、パニック状態で脳みそを拾った可能性はあります。
また、この時に前列で撃たれていたコナリー州知事が「ノー!ノー!ノー!大変だ!皆殺しにされるぞ!」と叫んだため、運転していたビル・グリアーは事態を察知して車を加速させました。
その後、ジョン・F・ケネディ大統領は近くのパークランド・メモリアル病院に運び込まれましたが、ジャクリーン夫人は「夫に何をしたのか見て欲しい」と返り血を浴びたスーツを着替えるように提案されてもそれを拒否してメディアに姿を見せました。
「ケネディ大統領暗殺事件」の詳細⑥ 犯人・オズワルドの逮捕
犯人・オズワルドが逮捕される
ダラス市警察所属のマーチン・ベーカーはジョン・F・ケネディ大統領のパレードの車列にオートバイで伴走していましたが、狙撃されるとすぐにオートバイを止めて狙撃をしたと見られるテキサス教科書倉庫ビルに入って犯人を探しました。
マーチン・ベーカーはビル2階の従業員食堂でコーラをラッパ飲みしている男を見つけ、男が何者なのかをビルの支配人に聞いたところビルの従業員のリー・ハーヴェイ・オズワルドだと答えました。
マーチン・ベーカーはまさか従業員が犯人だとは思わずに素通りして階段を駆け上がり、6階のダンボールがたくさん積まれてある部屋に来ると、そこにライフル銃一丁と発射した弾丸の薬莢が3発落ちていました。
そして、窓の手前にあるダンボールにはライフル銃を安定させたと思われる跡がついており、このビル内にいた人物であると確信したマーチン・ベーカーはすぐにビルの人間を招集して確認を始めました。
しかし、この時先ほど食堂でコーラをラッパ飲みをしていたリー・ハーヴェイ・オズワルドだけが姿を消しており、警察はリー・ハーヴェイ・オズワルドを容疑者として追い始めます。
13時頃にはすでにリー・ハーヴェイ・オズワルドは下宿先の自宅に戻っており、後に下宿先の管理人であるロバーツ夫人はリー・ハーヴェイ・オズワルドがとても息を切らして帰ってきたことを証言しています。
リー・ハーヴェイ・オズワルドは下宿先で着替えると、13時30分頃にテキサス劇場と呼ばれる映画館に入っていきました。
警察はこの映画館の切符販売をしていた女性から「切符を買わずに館内に入っていった不信な男がいる」と通報を受けて現場に急行し、映画館を包囲すると劇場の照明を明るくして観客を一人一人調べ始めました。
すると、逃げられないと感じたリー・ハーヴェイ・オズワルドが警察に対して殴りかかってきたため取り押さえて逮捕しました。
しかし、リー・ハーヴェイ・オズワルドは事件から2日後の11月24日11時21分に、ダラス市警察本部から拘置所に移送される際の地下通路で射殺されてしまいます。
リー・ハーヴェイ・オズワルドを射殺したのはダラス市内でナイトクラブを経営する男で、後にダラス市警察幹部やマフィアとも密接な関係があることが分かったことで隠蔽工作だと疑われたため、「ケネディ大統領暗殺事件」は単純な反体制派の犯行ではなく国家レベルの陰謀による線が濃厚となりました。
「ケネディ大統領暗殺事件」機密文書公開から分かった5つの真相とは?
機密文書から分かった5つの真相
ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された事件に関する2891件の機密文書の内が公開され新たな新事実が浮かび上がりました。
2017年10月26日にドナルド・トランプ大統領の元、ジョン・F・ケネディ暗殺事件に関する機密文書2891件が公開されました。
この機密文書について各機関は調査をはじめ、公開前には新たな真相はこれ以上は出てこないだろう憶測に反して新たな事実が5つ見つかったそうです。
その5つの真相を次にご紹介していきましょう。
昨年かなり前倒しで、ケネディ大統領暗殺に関する機密文書が公開されたけど、これが改竄されていたら、確かに当時の政府か何かの圧力で、都合の悪い部分を隠蔽したんじゃないか、と疑惑が生じても不思議ではないよなぁ。
— Munehiro M (@Mu_Tang_Clan) 2018年3月21日
暗殺25分前に匿名の犯行予告の電話があった
機密文書が公開される前までジョン・F・ケネディ大統領暗殺について犯行予告があったという情報は無かったようですが、暗殺の25分前に匿名の人物から犯行予告の電話が入っていたという真相が暴かれました。
ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の予告電話が入ったのは、イギリスの新聞社「ケンブリッジニュース」でした。
この電話ははっきりと犯行予告をしたわけではないようで、「ケンブリッジニュース」の編集者に対して「ロンドンにあるアメリカ大使館に重大な知らせがあると伝えた方がいい」という旨を伝えて電話を切ったそうです。
この電話から25分後にジョン・F・ケネディ大統領がダラス市での遊説中に狙撃されて暗殺されたわけですが、この予告の電話についての情報は当時のFBI副長官だったジェームズ・アングルトンがFBI長官のジョン・エドガー・フーヴァーに宛てたメモに書かれていたそうです。
ジョン・F・ケネディ大統領暗殺は予想されていた?
ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された後にシークレットサービスが残したメモに、暗殺が予想されていたかのような真相が書かれてあったようです。
ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される1週間前にルイジアナ州ニューオーリンズにあるバーで、暗殺を予想していた男性がいたようです。
その男性は「ジョン・F・ケネディ大統領は3週間以内に暗殺される」と語っていたようですが、その予想を聞いていた男性は酔っ払いの言うことだと軽く流していたようです。
しかし、実際に1週間後にジョン・F・ケネディ大統領が実際に暗殺されると、その予想を耳にしていた男性は事件に関係のある可能性を感じてホワイトハウスのシークレットサービスに通報していたようです。
そしてシークレットサービスがその内容をメモとして残しておいたことで機密文書として公開されました。
この暗殺予想をした男性がリー・ハーヴェイ・オズワルドなのかは不明ですが、ニューオーリンズと暗殺事件のあったダラスは飛行機で1時間ほどの距離であり、当時緊張状態にあったキューバにも近かったことから関連があった可能性は否定できないようです。
キューバとの関連性は無かった?
ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される前年の1962年10月から11月にかけてキューバ危機が起きましたが、暗殺特別調査委員会によれば暗殺はキューバとは関係が無かったと言っていたようです。
キューバ危機は当時のソビエト連邦(現・ロシア連邦)がキューバに接近して核ミサイル基地を建設しようとしていたことがアメリカにバレて、大国同士の全面核戦争に突入するギリギリの緊張状態を作り出した問題でした。
そして、キューバ危機より2年前から当時の米国大統領であるドワイト・D・アイゼンハワーがCIAとともにキューバのフィデロ・カストロ大統領を暗殺する計画を進めていました。
フィデロ・カストロ大統領はこの事実に激怒し、アメリカへの報復として政権は変わったものの米国大統領のジョン・F・ケネディを暗殺したという説が浮上していたようです。
ジョン・F・ケネディ暗殺事件がキューバ危機の翌年であることからもこの線は濃厚だと考えられていたようですが、機密文書が公開されたことでその中にキューバと暗殺事件は直接関係ないと米国政府の暗殺特別調査委員会が結論づけていたことが分かりました。
この暗殺特別調査委員会が出した結論を書いた機密文書の内容は、もしキューバがジョン・F・ケネディ大統領を暗殺したのだとしたら、それはアメリカにキューバを滅ぼす口実を与えるものであることから考えられないというものだったようです。
ジョン・F・ケネディ暗殺にはCIAが関与していた?
ジョン・F・ケネディ暗殺に関する機密文書の中にはCIAの関与についての部分の証言が抜け落ちているようです。
当時のCIA長官であるリチャード・ヘルムズは暗殺特別調査委員会から暗殺事件に関与していたかどうかを質問されていたようで、その質問内容が公開された機密文書に含まれていました。
その質問はズバリ核心を聞いたもので、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺についてCIAが関連していた情報はあるか、実行犯だとされたリー・ハーヴェイ・オズワルドはCIAだったのか、等質問が記載された機密文書が残っていましたが、その答えとなる文書は残っていませんでした。
肝心の答えが記載されていないことからもCIAがジョン・F・ケネディ大統領に関与していたことは濃厚だと言われています。
ジョン・F・ケネディ暗殺事件は今後真相が解明されることはない?
全ての機密文書を公開すると約束していたドナルド・トランプ大統領でしたが、国家の安全保障に関わる情報が含まれていたようで全面公開は中止されました。
当時のFBI長官であるジョン・エドガー・フーヴァーは、リー・ハーヴェイ・オズワルドが拘置所に移送される最中に射殺されてしまったことをとても残念に思っていた発言が機密文書に残されていたようです。
リー・ハーヴェイ・オズワルドが殺される前に、ジョン・F・ケネディ大統領を暗殺した事実を認める自白をしておけばよかったと語っていたメモが残されていたようで、これはジョン・エドガー・フーヴァーは世間に対して暗殺犯がリー・ハーヴェイ・オズワルドだと確信させるような情報を残しておきたかったという現れだと言われています。
CIAに続きFBIまでもが関与していたかのようにも受け取れる機密文書ですが、こうした内容が国家の安全保障上に差し障りがあると判断したのか、ドナルド・トランプ大統領は機密文書の全面公開を取り下げてしまいました。
私は、オリバーストーンの「JFK」という映画をみてからずっとケネディ暗殺事件の機密文書が公開されるのを心待ちに生きてきたのに……!2017年11月に全て公開されるはずじゃなかったのか!!FBIとCIAの要請で一部公開見送りって!明らかに真犯人が他にいる感がスゴい!!!
— YOKO OGA🌐 (@yk084049) 2018年2月12日
さっきちらっと見た内容だと、宇宙人とアメリカは密接に関わりがある。
— ちぃ。@ポケ森 (@chii_pokemori) 2017年12月22日
それを公表しようとしていた為にケネディは暗殺された。と言った様な内容でした。
ケネディ暗殺に関する機密文書の一部公開したけれど、未だに公開されてないものもあるので、まだまだ謎が多いですよね。
未だ謎に包まれてしまったジョン・F・ケネディ大統領の暗殺事件ですが、ドナルド・トランプ大統領が「国家安全保障上の問題がある」と語った裏にはCIAが関わっていたことを匂わせており、今後も真相を明かすことができないような陰謀が渦巻いていたということでしょう。
「ケネディ大統領暗殺事件」について総まとめすると・・・
・まだ不明な部分もあるが、2017年10月26日に公開された文書で5つの真相が明らかになっている。
1963年11月22日にアメリカ合衆国で起きた、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された「ケネディ大統領暗殺事件」について総まとめしてきました。
2017年10月26日にドナルド・トランプ大統領の元公開された機密文書ですが、世間に知られると非常にまずい情報が含まれていたようで全面公開を取りやめてしまいました。
どうもCIAが関与していた線が濃厚なようで、機密文書には当時の陰謀が明らかにされるとアメリカ合衆国の根幹から揺るがされるような重大な内容を含んでいるようですね。
今後も機密文書が公開される可能性は低いでしょう。