日本を代表する国際派女優の工藤夕貴さんですが、かなり辛い少女時代を過ごしたことでも有名な人物です。
この記事では、工藤夕貴さんの若い頃や旦那と子供など家族情報に加えて、現在の顔が変な噂や整形疑惑についてまとめてみました。
この記事の目次
工藤夕貴のプロフィール
名前:工藤夕貴(くどう ゆうき)
生年月日:1971年1月17日
出身地:東京都八王子市
最終学歴:堀越高校卒業
所属事務所:ヒラタオフィス
工藤夕貴、ハリウッド映画主演を果たした国際派女優
工藤夕貴さんといえば、日本を代表する国際派女優として有名な人物です。
日本で女優として地位を築きながらも、10代の頃から海外映画のオーディションに挑戦し続けた工藤さんは、1989年に公開された映画「ミステリー・トレイン」のミツコ役にて、ハリウッド映画デビューを果たすことになりました。
1990年代中盤から2000年代前半にかけての工藤さんは、海外をメインに女優活動を行っており、1999年に公開されたハリウッド映画「ヒマラヤ杉に降る雪」では、主演のハツエ・ミヤモト役を演じております。
2000年代に入っても「SAYURI」や「ラッシュアワー3」といった有名ハリウッド映画に出演している工藤さんですが、近年は日本の映画やドラマに出演する機会も増えています。
工藤夕貴の若い頃…幼少期は酒乱の父・井沢八郎にDVに受けていた
工藤夕貴、父親はヒット曲を持つ有名歌手の井沢八郎
工藤夕貴さんといえば、父親が「あゝ上野駅」などのヒット曲を持つ歌手の井沢八郎さんであることは有名な話ですが、母親のAさんも高級料亭グループ「うかい」の創業者一族というセレブ家庭出身となります。
工藤家にはセレブすぎる両親の他にも、3歳年下の元俳優の弟・工藤正貴さんもおり、一見すると華やかな芸能一家という印象を受けます。
・映画「ぼくらの七日間戦争」(相原徹役)
・映画「部屋とYシャツと私」(橋本健一役)
・ドラマ「南くんの恋人」(主演:南浩之役)
工藤夕貴、父・井沢八郎が酒乱で暴力を受けていた
少女時代の工藤さんは、両親の不仲によりネグレクトに近い扱いも経験していたようですね。
工藤さん一家の不幸の始まりは、父である井沢さんが普段は優しい好人物だった一方で大変な酒乱であり、お酒を飲むと人が変わったかのように暴力を振るう悪癖があったことでした。
井沢さんのDVの矛先は、Aさんのみならず子供たちに向けられることも多かったらしく、3歳の時に父親にソファーを投げつけられた経験を持つ工藤さんは、以来父親が家にいるだけで恐怖心を抱くようになりました。
小学3年になると、Aさんが家から追い出されるという騒動が起こった工藤家では、家事全般を担当する家政婦を雇うことになりますが、このことが工藤さんのさらなる不幸の始まりとなってしまいました。
工藤夕貴、家政婦からの壮絶ないじめでガリガリにやせ細る
母・Aさんが追い出された工藤家にやって来た家政婦のBさんですが、弟にはフレンドリーな態度だった一方で、工藤さんに対しては敵視した言動が目立つ問題人物でした。
Bさんから敵視された理由については、工藤さんは「自分が母親に同情的だったから」と考察していますが、家政婦がそんなことで雇い主の娘を敵視することは考えにくく、単純にウマが合わない間柄だったのではないかと思われます。
Bさんの工藤さんに対する嫌がらせはかなり露骨な物だったようで、自分だけまともな食事を作ってもらえなかったり、「女性は汚れているから」という理由で工藤さんの洗濯物だけ別に洗うといった仕打ちが続いていたようですね。
Bさんからの嫌がらせのせいで、食事も満足に取れない状況が続いた工藤さんはガリガリにやせ細ってしまい、「ガイコツ女」と呼ばれてクラスの男子からイジメられることにもなりました。
家政婦のいじめは徐々にエスカレートし、「『あんた肉嫌いでしょ』と言われて、私だけ目玉焼きでみんながハンバーグを食べてる」といった状況に。栄養不足のためか「クラスで1、2位を争うくらい痩せていた」という。徐々に家に居場所がなくなり、思春期の工藤にとっては地獄のような日々。
父親である井沢八郎さんは、歌手として全国各地を飛び回る忙しい状況が続いていたため、この時期の工藤さんは、自身の苦境を相談する相手もおらず、早く大人になって家から出ることだけを夢見る状況でした。
工藤夕貴、渋谷でスカウトされ芸能界デビュー
暗い少女時代を過ごしていた工藤夕貴さんに転機が訪れたのは、中学1年の時でした。
渋谷でスカウトをされて芸能界入りを果たした工藤さんは、1984年6月になると映画「逆噴射家族」の小林エリカ役で女優デビューした他、同年の12月には、同映画の挿入歌であるシングル「野生の風」でレコ-ドデビューも飾っています。
その後は、出演したハウス食品の「303ヌードル」のCMが注目を集め、全国的な知名度を得ることなった工藤さんは、1986年には、「ジャンプアップ!青春」にてドラマ初主演を果たすなど、女優として順調に地位を固めることになりました。
念願叶って独り立ちを出来る経済力を手に入れた工藤さんは、1985年頃には既に実家を離れて1人暮らしをしていたようですね。
工藤夕貴、ハリウッドを目指した理由とは?
女優として若くして成功を掴んだ工藤夕貴さんですが、その地位に満足することはなく、10代の頃からハリウッド映画のオーディションに挑戦しています。
工藤さんがハリウッド挑戦を思いついた理由に関しては、周囲からアイドル女優扱いされている状況を打破したい気持ちに加えて、人気女優でもオーディションを受けなければならない実力主義の世界への憧れが強かったそうですね。
歌手からシフトする決意を固めたが「日本にいては、アイドルの枠を超えられない」と苦悩の日々を送った。そんな時、映画関係者の「外国に行ったら」の一言で、ハリウッド女優を目指すようになり、独学で英語を勉強して、ハリウッドに挑戦。
工藤夕貴、アメリカでは挫折の連続だった
10代から海外映画のオーディションを受け続けていた工藤夕貴さんですが、生活拠点をアメリカに移したのは、ハリウッド初主演映画となった「ヒマラヤ杉に降る雪」の撮影に入る直前だったようですね。
一見するととんとん拍子に国際派女優に上り詰めたかに見えた工藤さんでしたが、実際には「ヒマラヤ杉に降る雪」以降も、オーディションの最終面接で落ちる日々が続くことになりました。
当時の工藤さんにとって大きな壁となったのは、ハリウッド側が求める東洋人像と自身とのギャップでした。
小柄で大人しい印象を受ける容姿だった工藤さんは、東洋人女性キャラにドラゴンレディー的なパワフルさばかりを求めるハリウッド側の需要にマッチしておらず、苦悩の日々が続いたようですね。
ドラゴン・レディは、南アジア人および東アジア人のステレオタイプ。強く、狡猾、傲慢、そして神秘的な女性を表す。この言葉は中国ではなく西洋で使われ始めた。
引用:ドラゴン・レディ
工藤夕貴と父・井沢八郎の関係性…絶縁するも食道がん発覚で復縁
工藤夕貴、父・井沢八郎が地方公演先で16歳少女を買春
元々、親の七光り扱いをされることを嫌い、父親の存在を隠しながら芸能活動を開始していた工藤夕貴さんですが、井沢八郎さんの相次ぐスキャンダルのせいで、世間からは否応なしに「井沢八郎の娘」として認知されてしまうことになっております。
井沢さんのスキャンダルは、1985年9月に、地方公演として訪れた愛知県・名古屋市内のデートクラブにて、16歳少女を買春してしまったことから始まります。
井沢さんは少女を相手に、「自分には、君と同じくらい年の娘がいる。女優の工藤夕貴だ」と語っていたらしく、この余計な一言のせいで、同年の12月にデートクラブが摘発された際に、警察から事情聴取を受ける羽目になってしまいました。
警察からの事情聴取に対して井沢さんは、「少女の年齢は知らなかった」と供述をして不起訴処分を勝ち取ったものの、父親に少女買春スキャンダルが降ってわいた工藤さんのショックは大きく、しばらくの間寝込むほどの精神的な打撃を受けることになりました。
井沢さんには、1987年頃にも工藤さんの姉にあたる隠し子がいることが発覚するなど、世間を騒がすスキャンダルが続きました。
ちなみに工藤さんは、腹違いの姉については以前からその存在を知っていたため、この時のスキャンダルでのショックはほとんどなかったようですね。
ただし、夫の相次ぐスキャンダルに対して母・Aさんは離婚を決意することとなり、1989年になると両親の離婚が正式に成立しております。
工藤夕貴、父・井沢八郎の再婚をきっかけに絶縁
父・井沢八郎さんの度重なる不祥事を許し続けた工藤夕貴さんですが、いよいよ父親と絶縁する時がやって来ました。
父娘絶縁のきっかけとなったのは、1994年の井沢さんの再婚でした。
母親が1992年に再婚したこともあり、父親の再婚に対しても理解は示していた工藤さんでしたが、井沢さんの再婚相手である声優の青羽美代子さんが、自身と9歳しか違わない年齢の女性だったことにショックを受けてしまったようですね。
以降は再婚した井沢さん夫婦との面会を拒否するようになった工藤さんは、十数年以上に渡り父娘関係が断絶した時期が続くことになりました。
工藤夕貴、父・井沢八郎のがん発覚をきっかけに復縁
10年以上関係が断絶していた父娘復縁のきっかけは、2005年に井沢八郎さんが食道がんに倒れたことでした。
当時の工藤夕貴さんは、映画「SAYURI」のカボチャ役を得たことで一時期のスランプ状況を脱しており、これからアメリカでのキャリアが再浮上していくタイミングでもありました。
しかしながら工藤夕貴さんは、このまま父親を見捨てて和解出来ないまま終わったら一生の後悔になると考え、井沢さんの看病のために日本へ帰国する決断を下しております。
「恩返しとか何もできないままに死んじゃったら、自分は後悔が残らないんだろうかとすごい思った」と帰国し、2007年にみとった。井沢さんは亡くなる1週間前、工藤の誕生日に「お誕生日おめでとう」と語りかけたという。
工藤は「それまでもう十何年ずっと父親からお誕生日おめでとうなんて言われてなかったので、あ、そのために生きててくれたんだ、たぶん、私の誕生日まで頑張ってくれたんだって、たまらない気持ちになりましたけど」とむせび泣き。
父娘間の愛憎を乗り越えた工藤さんは、今では過去の色々な感情にも整理がつき、井沢さんの娘であったことを誇りに思えるようになったそうですね。
また、遺品から井沢さんが93年に書いた手紙を発見し、工藤の芸能活動を応援していたことを知ったといい、「不器用だけど父なりに愛情をかけてくれて、ちゃんと父親の中にあったものが自分の中にしっかり残ってるんだなっていうのが、すごい感じることができるんですね。だから父が父で良かったと思いますよ。本当に両親には感謝しています」と号泣していた。
工藤夕貴の結婚・離婚歴…現在の旦那は7歳年上の元警察官
工藤夕貴、ハワイ在住サラリーマンと結婚するも3年で離婚
工藤夕貴さんに関しては、これまでの人生で2度の結婚を経験しております。
工藤さんは、1995年にハワイ在住のサラリーマン男性Bさんと結婚。
とはいえ、24歳という女優としてあまりに早いタイミングでの結婚だったこともあり、工藤さん最初の夫婦生活は、わずか3年で破綻し離婚の憂き目となっています。
映画「ヒマラヤ杉に降る雪」の撮影のために、工藤さんがアメリカに生活拠点を移す時期での離婚なため、ハリウッド映画初主演作に向けて多忙な日々を送っていた工藤さんとBさんとの間にスレ違いでもあったのかもしれませんね。
工藤夕貴、2010年に元警察官で空手教室の師範と再婚
工藤夕貴さんは、2010年に7歳年上の警察官の男性・Cさんと再婚しております。
Cさんは工藤さんが通っていた空手教室の師範だったそうで、柔道の有段者でもある武闘派警察官でした。
初デートの際にCさんからプロポーズされるというサプライズが待っていた工藤さんですが、一度結婚に失敗している身だったせいか、1年半ほど交際した後結婚したそうです。
工藤夕貴、静岡県東部地震をきっかけに旦那が刑事を退職
工藤夕貴さんは、2011年3月15日になると、静岡県東部地震(震度6強)に見舞われています。
幸いにも死者は出なかった静岡県東部地震ですが、工藤さんが経営している「カフェナチュレ」の店内にも被害が出てしまい、一時休業に追い込まれてしまうことになりました。
先月の地震で、カフェの壁に細かい亀裂が入り、食器類は床に落ち、ほぼすべて壊れた。被害総額は推定で100万円以上。「死ぬかと思いました。ショックだったけど、東日本大震災の被害を思ったら、大したことはないです」と淡々と振り返った。
とはいえ、地震をきっかけにCさんが自分の人生を見つめなおした結果、警察を辞めてカフェの手伝いをしてくれるようになるなど、悪いことばかりではありませんでした。
地震が2人の生活を変えた。Aさんは「刑事は常にピリピリとした生活。2人でのんびり楽しみながら暮らすのもいいかと思いました」と先月末に退職。カフェの仕事をするようになった。
Cさんが警察官をしていた頃はすれ違いが多かったという2人ですが、退職後は一緒に過ごす時間を確保出来るようになり、喧嘩をしながらも夫婦円満な日々が続いているようですね。
工藤は女優、Aさんは刑事の仕事が多忙で、すれ違い生活が続いていたが、一緒に過ごす時間が増えた。「お互いキツいところもあるので、しょっちゅうケンカしてますよ」。夫を横目に小声で言いながらも、幸せそうな笑みがこぼれた。
工藤夕貴に子供はいなかった
2度の結婚経験のある工藤夕貴さんですが、子供はいないようですね。
2度目の結婚時39歳と、妊活すればギリギリ間に合う年齢ではあった工藤さんでしたが、自身が幸せな少女時代を過ごしたとは言えない状況であったため、無理に子供を作ろうとは思わなかったのかもしれませんね。
工藤夕貴の現在…顔が変わりすぎでネット上では整形疑惑も
工藤夕貴、日本に拠点を移し女優業の傍ら農園とカフェを経営
井沢八郎さんの看病をきっかけに日本へ帰国した工藤夕貴さんですが、2006年頃から静岡県富士宮市に農園を借り、父親の看病の合間に自然農法に挑戦することになりました。
工藤さんが農業を開始した理由に関しては、アメリカにて、オーガニック食による食事療法を実践している女性と出会ったことがきっかけでした。
農作物を自身の手で作ろうとしたきっかけは、ハリウッドのオーガニックレストランで出会った女性にある。
「私はもともと体が弱く、いつも何か病気を抱えていました。ハリウッドでも実は心身ともに病んでいたんです。そんな時、オーガニック中心の食事療法で、がんを進行させずに生き続けている女性と出会ったのです。食に対する意識がガラリと変わり、真剣に向き合ったら、米や野菜を自分で作ろうという考えに行き着きました」
工藤さんは2007年になると、富士宮市にある自宅敷地内にオーガニックカフェ「カフェナチュレ」をオープンしており、女優業の傍らでスローライフも楽しんでいるようですね。
工藤夕貴、顔が変わりすぎて別人と話題に【若い頃と現在を画像で比較】
工藤夕貴さんの現在に関しては、ネット上では「顔が変わりすぎ」だと話題になっているようですね。
たまに工藤夕貴をナイトスクープで観るんだけど「顔変わったなぁ」って思って、また何年か観ない内に今の顔忘れちゃっててナイトスクープに出てきた時に「誰?工藤夕貴?顔変わったなぁ」ってなる。
— つぼやき☆ゴロー (@GoroTsuboyaki) 2019年2月18日
デビュー当初(1985年頃)の工藤夕貴さん。
2008年頃の工藤夕貴さん。
2013年頃の工藤夕貴さん。
2016年頃の工藤夕貴さん。
工藤さんの容姿の変化については、薄顔美人なため、メイクや髪型次第で印象が大きく変わる部分もあると思われますが、目と鼻筋をいじった形跡は見受けられますね。
工藤さんは、2018年になると、16年ぶりの民放ドラマ出演作となる「下町ロケット」にて、女性農家の役作りを徹底したところ、ネット上で「工藤夕貴が老けた」と連呼されるという理不尽な目にもあっています。
10月14日から放送がスタートするドラマ『下町ロケット』(TBS系)に、工藤夕貴が出演する。
新シリーズの追加キャストとして出演する工藤が演じるのは、佃製作所の経理部長・殿村直弘(立川談春)を長年支える妻の咲子。殿村の父親(山本學)が倒れたため、週末ごとに帰省し農家である実家の米作りを手伝うことになった夫に同行し共に手伝う、献身的な妻を演じる。
工藤夕貴
— ボクのプクプク (@pukutuiman) 2018年12月15日
老けたなあ〜〜😂😂😂
もっと昔若かったぞ
ネット上の雑音は本人の耳にも入って来ているようで、工藤さんは2017年10月に出演した情報番組「ごごナマ」にて、自身の容姿に関する話題に対して下記のように語っています。
「インターネットで“劣化”って言うじゃないですか。アレ悪いと思う。“進化”って書いて欲しい。進化なんです。人間は進化していきますから。劣化っていうとどんどん悪くなってるみたいだけど、若くてキレイなだけが良いことではなくて」
工藤夕貴について総まとめすると…
・工藤夕貴は1995年にハワイ在住の会社員と結婚するも3年で離婚、2010年に元警察官の年上男性と再婚した
・工藤夕貴には子供はいない
・工藤夕貴は若い頃と現在の顔が変わりすぎて整形疑惑も浮上している
若くして成功を納めた2世芸能人と言うと苦労知らずなイメージもありますが、工藤夕貴さんに関しては、プライベイトでかなり苦労が重なっていたようですね。
工藤さんが今後も女優としての活躍が続くことを祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。